第七話『メシアとサタン』
記録者 凪喪 憂子
乙夏の閉じ込められている倉庫の扉が開き、薄暗い室内に朝の光が差し込んだ。
その黄金色の光を背に負い、逆光で真っ黒な人影が二つ、扉を通って乙夏の傍へと歩いてきた。一方は七月、もう一方は咲夜…ではなく〈藤森まりあ〉だった。
朝日の陰になった処に入り、やっと乙夏に確認できた七月は、哀しそうに眉を寄せ、唇をかたく結んでいた。よく見ると、眼は充血し、顔にも赤みがさしている。察するに、どうやら泣いていたようである。乙夏はこの幼なじみが泣いている姿というのがまったく記憶に無い。
「…………なつき…」
「…あ、うん……お待たせ、乙夏。ちゃんと助けに来たわよ」
七月はまりあに目配せし、まりあは渋々頷いて乙夏の身体を拘束している縄をほどきに掛かった。七月には触れることすら出来なかったそれを、彼女は簡単にほどいてゆく。
一夜明けてやっとのことで芋虫状態から解放された乙夏は、ギシギシ痛む身体中の関節をゆっくりと曲げ、時々いてて、などと云いながらやっと地面に直立した。
一度、七月の顔を見る。まだいつもの気丈さを取り戻さない彼女に、ありがとう、と一言言葉を掛けた。七月は返事を声に出さず、頷くだけだ。
それから、余裕の笑みを浮かべるまりあに眼を向ける。あまりにもそっくりだ。咲夜に。一卵性双生児とかの比ではない。姿形だけなら、全く違いは無い。そう、咲夜〈そのもの〉なのだ。
「……藤守…とかいったな、あんた…」
「まりあ、でいいわよ」
嫣然と微笑む彼女は、その先に一言、言葉を紡ぐ。
「私は、この世界に遣わされた〈聖母〉」
実に堂々としていた。朝日の後光を背負い、自ら聖母を名乗る。
「この娘の身体を借りて、ね」
「え……」
〈身体を借りて〉今確かにそう云った。では、藤守まりあとしてこうして立っているその身体は、本当に八百威咲夜のものなのか。
「私がこの世界に遣わされたのはつい、昨日のこと。まだ一日も経過していないのよ。殺された恋人が一夜の間をおいて聖母として復活…素敵で素敵で吐き気のするストーリィでしょう?」
「じゃあ、……咲夜は?」
七月が訊ねた。彼女の眼には少しの希望の光が灯っていたが、それに対するまりあの返答は冷酷だった。
「死んでるに決まってるじゃない。この身体は、一度死んでいたのを私が貰ったの。傷も全て治したわ。かつて別な女の身体だったとしても、私は私。乙夏君、貴方の恋人はもうどこにも居ないのよ」
咲夜の顔で、咲夜の声で、そう云うことを云うのだ。乙夏と七月は打ちのめされた。
「……それじゃあ、貴方の縄もほどいたし、私は用済みね。また逢いましょう。……もっとも、この世界がその時にまだ存在していたらの話だけれど」
意味深な言葉を残し、まりあは倉庫を去って行った。乙夏には、それはこの世界の存在が危うい、と云っているように聞こえた。
茫然としてその背中を見送る彼の脳裏に、いつかの咲夜の声が響いた。
『あたしは物事に執着しないの。だって、失った時に悲しいもの…』
そして、思った。そんな咲夜は例えばこの世界を失う時、悲しまないのだろうか、と。
しばらくして、ひとまず二人はそれぞれの自宅に帰ることにした。最近は急激に色々なことがあって、妙に一日が長く感じる。
二日ぶりに帰った家は、何だか懐かしかった。最後にこの家を出たとき、彼にはまだ彼女とデートの約束をし、朝寝坊をし、慌ただしく出掛ける平穏があったのだ。
たった四八時間前の平穏が、遠い。限りなく遠い。
そんな感慨にふけっていた処に、頭の中で声がした。
『こんにちは! 乙夏君』
何だか少年のような女の声だった。テンションがやたら高い。新しいナビゲーターだと思い、こんにちは、と気の無い返事をした。
『私は凪喪憂子。本来は君のナビは担当じゃないンだけど、ちょっと現実世界が立て込んでてサ。ま、取り敢えずよろしく』
「はあ…」
別なコのナビも並行してるから、ちょっと大変なンだよお、あとで主任と東城に何か奢って貰わなきゃ割りが合わないよネ、などと乙夏にはどうでもいい世間話をする。
『ところで、早速なんだけどサ、君、倉本の云ってたこと、覚えてる?』
「クラモト?………誰?」
聞いた名前のような気はするが、思い出せなかった。
『まあ、名前はいいや。もうあいつが君のナビに介入することは無いと思うし。東城が怒るからネ。この前なんかさア……』
「いいから本題に入ってくれよ…」
この凪喪という女は、どうしても話題が他の方向にずれていってしまうらしい。彼女の話相手は、それを機動修正してやらなければいけないのだろう。
『えっと、房森陽洸君とQZL-BMWLちゃんが神代医大に居るって聞かなかった?』
「…聞いた。でも行く途中で藤守に捕まってたからなあ………すっかり忘れてた」
『じゃあ、これから向かってみてくれる? ついでに君の怪我も診て貰った方がいいよ』
医大の受け付けにあるカレンダーを見て、乙夏は今日がクリスマスであることに気付いた。最悪のクリスマスだ。
陽洸は面会の出来る状況でなく、隣のQZL-BMWLも同様だった。そう云えば、彼女に出された〈問題〉は今だに解けていない。今の今まで〈出題〉されたことすら忘れていた、というのが実際の処だが。
受け付け前の椅子にもたれ、問題を解こうとする。彼女の本名がわかったら、助けてくれる、と彼女は云っていた。……何から?
「…〈クズル・ビメヲル〉……たしかアルファベットで書くんだったなあ…綴りは…」
思い出せない。いくら何でも、口頭で一回きりしか云われていない、しかもあの慌てていた頭で、そこまで覚えていられるはずが無い。読みを覚えていただけでも奇跡だ。
「…あー……クソッ…。えー…クズル、だろ? QだかC…で、Z……」
「Q・Z・L・B・M・W・L」
頭上から、少女の声が降ってきた。
「ああ、どーも……って、え?」
顔をあげた彼の前に、中学生らしき男女が立っていた。豪く異彩を放つ二人だった。
顔がよく似ている。人というよりは可動人形のようである。陶器のように白く滑らかで赤味の無い膚。黒眼がちの大きな眼は長い睫毛にふちどられ、鼻筋が顔を対称に分け、唇は鮮やかに赤かった。眉は吊り気味で濃く、顔全体を引き締めている。
少年は黒髪を長めに刈り、学ランに黒いスニーカー。首に巻いた十字模様のマフラーのみが、その膚と同じく白い。おそらくは神代中学の生徒だろう。乙夏もそこを出ている。 少女は、肩くらいまでの緩く巻かれた漆黒の髪で、前髪は眉の辺りで切り揃えてある。黒一色の細身のワンピースは、学校法人聖新学苑の制服だ。細い脚には黒いタイツに同色のブーツ。よく見ると、二人とも黒い手袋をはめていた。
徹底したモノトーンだ。唇の赤のみが有彩色である。整いすぎて、まるで人形だ。
暫時、乙夏は絶句した。
「Q・Z・L・B・M・W・L。彼女の名前がわからなければ、助からないぜ」
「……聖夜に降臨した聖母は、この世に破滅をもたらすわ。彼女に、堕とされた天使のしかばねを渡してはならない」
二つの赤い唇が紡いだのは、乙夏の頭の中に巧く響かない、難解な言葉だった。
「この世界の創世神に、手を出してはならない。天国であり悪魔の巣窟である場所に足を踏み入れてはならない。気を付けるんだね…乙夏=モードニス」
「あっ、おい!」
少年と少女は、くるりと方向を変え、乙夏の前から去って行った。乙夏の呼び止める声に、耳も貸さない。
「………何なんだ…?」
一人とり残された彼には、更に多くの謎が残されてしまった。
彼はまだ、モノクロームの少年少女の言葉が、崩壊の予言であると気付いていなかった。そして、その崩壊の阻止を自分の腕に委ねられていたことにも。
☆ ★ ☆
神代医大を出たモノクロームの二人は、医大の駐車場に向かい、そこで一人の男が、二体の異形の化物と戦っていた。
化物は人間の女性のような形をしていたが、膝より下が無く、背中から翼を生やしていた。一体は片手に両端の尖った槍のようなものを持ち、片手は腕がまるで〈輪切り〉にされたようになったまま、腕の形を作って宙に浮かんでいた。もう一体は両腕ともに肘から手首までが無く、その先に浮かんだ手は自在に動くようだった。赤と紫。ヴィヴィッドなボディ・カラーが空中に浮かんでいる。
始めに男に攻撃を仕掛けたのは片腕が〈輪切り〉になっている方で、槍の先端を男に向け、常人の眼には赤い残像となる速度で向かってきた。男は、自分の目前まできた赤い残像に対し、ただ飛び回る虫を払うかのように片手を振った。
すると化物は頭部と胴部を引き離され、地面にどさ、と落ちた。
同時に、もう一体が男に攻撃しようとしていた。
「父なる神の御名において命じます!
〈追放者〉に天使の翼を与え給え!」
少女の声が、高らかに空気を揺らした。
その余韻の消えぬうちに、少年は背の白銀の翼を羽撃かせ、手にした小さなロザリオで残る化物に切り付けた。一回。二回。三回。四回。五回目で化物の身体からは炎が吹き出し、地面へと崩れた。
「やあ、もう用事は済んだのかい。〈ジョフィエル〉に〈ハダーニエル〉」
男は微笑を少年と少女に向けている。少年の背からはもう翼が消えていた。
「パパ!」
少女は、少し拗ねたような声を出し、〈パパ〉と呼んだその男に駆け寄った。
「もう、ちゃんと信濃って呼んでよっ」
「はいはい。信濃」
ゆっくり後から歩いてきた少年が、頭を掻いて唇を尖らせる。
「……やっぱり、強いなあ。父さんは」
「いや、尊氏も強くなったよ。私の教えたことを、しっかり身に付けている」
少女の名は、真枝・H=信濃。
少年の名は、真枝・J=尊氏。
そして、男の名は、真枝神曲。彼こそは、乙夏=モードニスと湊七月が要石でロボットに襲われた時に彼らを救った男である。彼が湊七月と遭遇することがあれば、七月はすぐに気付くだろう。
「救世主が目覚めてから四八時間。聖母が降臨してから二〇時間弱……か」
止めてある真枝神曲の車に乗りながらも、彼らは会話を続ける。
「乙夏=モードニスは自分の使命に気付くかしら」
「おれは〈気付かない〉に一票」
尊氏が軽く手を挙げて云った。
「でも、彼にだって、わたしたちと同じく、〈現実世界〉にナビゲーターが居るはずよ。その人から教えられて気付くのではない? わたし、〈気付く〉に一票」
「どちらにせよ」
運転席の神曲が、エンジンをかけながら話し掛ける。
「この世界の命運は、彼に委ねられたんだ」
しばらく車を走らせた彼らは、やがて彼らが住んでいる〈メゾン・ド・天照〉というマンションに到着した。彼らの隣人は八百威という変わった姓の一家が住んでいる。その家には高校生の娘が居たが、その娘は二日前に出掛けたきり帰って来ていない。(実際にはその娘はすでに殺されているのだが、その身体を利用している者が居るために多くの人間に発見された死体は姿を消し、今も別な者の精神を伴って歩き回っているのである。)
娘を心配した両親は警察に捜索願いも出したが、手がかりは掴めていない。隣家のドアの向こうに心配と不安を感じ取りながら、そこを通過し、自宅のドアの鍵を開け、中に入……ろうとした彼らの頭上を、一羽の鳥が飛び、部屋の中から出ていった。
なぜここに鳥が、という刹那の疑問。しかしそれは次の瞬間、答えに変わる。そしてその答えを受けて、彼はもう動いていた。
十字架の翼に刺さった鳥が、彼の足許に落下するまで、一五秒も掛からなかった。
改めて部屋に入り、その鳥をソファの上に放り投げた。鳥は見る間に、黒服の男の姿となる。十字架は腕に刺さったままだ。
「……成程。君は一度複写した姿はストックしておけるんだな。鳥になって拘束から抜け出したわけだ」
神曲は云いながらその〈拘束〉…手足と胴を縛っていた頑丈な鎖を一瞥した。
「…しかし甘かったな。出入口は、内からも外からも私か信濃か尊氏が開けなければ開けられないようになっている」
「………貴様等…一体何者だ」
「何の変哲もない真枝一家さ。君こそ、おかしな能力があるようだが、何者だい」
状況は、依然神曲有利にある。彼は男を、笑みを湛えた双眸で見つめるのみだ。
「私は…〈ゴーレム〉テストタイプA-rn……。PPT社アンドロイドの失敗作だ」
黒服の〈失敗作〉はそう云ったあと少し逡巡し、それから意を決したように続けた。
「頼みがある。私を…救けてほしい」
☆ ★ ☆
少々時を遡る。
DWゲームナビゲーター、凪喪憂子が、被験者、乙夏=モードニスにアクセスする前。現実世界、PPT社DWナビゲーションルームでのことである。
DWシステム主任、新堂真の前に、その部下の御名神あずみが小さくなって立っている。時々、上目遣いでちらっと新堂の顔色を窺っているが、対する男の表情は崩れない。液体酸素のごとき(氷のごとき、では足りないのである)冷ややかな表情をしているが、その胸中に鉄が一瞬で蒸発するような(勿論、水の蒸発するような温度では足りない)激しい怒りが詰まっているのは、その場に居た何者にも明らかであった。
「なんてことをしてくれたんだ……」
絞りだすような声だった。状況が最悪であるということが、その一言で全員に知れた。
「〈サタン〉の死をこんなに早めるなんて」
「おい、新堂。どういうことだ?」
堪りかねた東城神詞が、新堂の纏う憤怒をも怖れず訊ねた。その声に、新堂は少し冷静さを取り戻した。
「………あずみがDWゲーム内に送り込んだのは、〈サタン〉…あずみが開発した、一種のアンドロイドだ。人工物とは思えない精密さを持っている。その為、サタンは〈天然エンジェルタイプ〉と呼ばれている。本当に機械が自然に出来る訳は無いから、これはあくまで〈神の手による被創造物としか思えない〉という比喩だ。そこが、問題なんだ」
あずみは、そこに問題点を見付けられず、畏怖するように新堂を見て、首を傾げた。
「あずみじゃなく、他の〈誰か〉が造ったのかも知れない」
新堂は〈誰か〉と曖昧な云い方をしたが、それが〈誰〉を示唆しているか、東城には明白だった。その名を口にする。
「ミサヲか……」
「ミサヲって、あの藤守ミサヲ?」
彼女がDWゲーム内にハッキングしているという事実を知らない人間までも、その名を聞いてどよめいた。彼女は失踪以前から、優秀な頭脳と端麗な容姿を持ちながら、変人の集まりである技術開発部三課をまとめあげるということで社内では有名だった。東城も彼女の許に居た一人である。
その技術開発部三課が一年前にPPT社から消え、それと同時に彼女も消息を断った。……そして今、彼女はどこからかDWゲームに介入している。
「……あずみは、何らかの方法で、自分がサタンを開発したと思い込まされていたんだ。こんなことを云うのは悪いが…あれはあずみに造れるレベルのものじゃない。勿論、俺にも、東城にも、奈那美さんにも……。天才でもない限り…彼女、藤守ミサヲでもない限り……あの〈サタン〉は造れない」
その言葉によって室内を覆った沈黙を破ったのは、倉本奈那美だった。
「…ですが、新堂さん。〈サタン〉は、あの藤守ミサヲ女史の造ったのにしては、弱すぎはしませんか? 確かに、DWゲーム内で〈サタン〉は高い戦闘能力を示していました。しかし一晩中動き続けたとはいえ……いいえ、それだけで彼女は既に使いものにならなくなってしまった……おかしいと思います」
「そう。〈サタン〉は元から〈弱く〉造られていた。ゲームの世界を終わらせる為に」
室内が騒ついた。皆、新堂の言葉の意味が判らないのだ。
代表して、おそるおそる御名神が訊ねた。
「ま、真ぉ。どうゆーこと?
〈サタン〉が弱いと…DWゲームの世界は滅びるの?」
「…〈SP〉という計画がある。DWゲームの〈世界〉を終わらせるという目的で動いている計画だ。そしてその対となるものとして、〈MP〉がある。皆には云っていなかったが、俺達はその〈MP〉に属している。知っての通り〈世界〉を守る目的で動いている。実は、〈DWゲーム〉は今までずっと二つのプロジェクトによって動いていたんだ」
「……どうして、〈滅ぼす〉計画が必要なんだ?」
東城が新堂の傍まで歩み寄って問うと、新堂は少し言葉に詰まり、それから答えた。
「………〈ゲーム〉だからだ。そもそもなぜこの〈地球内地球環境適応システム〉…つまりDWのテストプレーをしているか、といったら、やがて地球上の全ての人間が、このDWに〈移住〉するという目的の為だ。だから、このテストプレーが無事に終わり、全人類が〈移住〉することになった時、そのDWには設定されたストーリーは無い。こうして今生活しているのと同じように生きていくはずだ。あくまでそれが目的であり、〈第二の地球〉とも云うべきDWなんだから、〈日常的〉に生きていかれなくては意味が無い。今回ストーリーがあるのは、テストプレーに便乗した、設計者のお遊びさ」
「そうか………じゃあ」
東城は、更に新堂に詰め寄った。
「………〈乙夏=モードニス〉は、どうして〈新堂真〉なんだ?」
黙って、新堂は睨むような東城の凝視を受ける。
「イトデンがナビゲートしてる二人の真枝だって、〈東城神詞〉だ。QZL-BMWLや八百威咲夜は、〈飛鳥弥生〉になる」
イトデン、というのは凪喪憂子の綽名である。東城以外に呼ぶ者は居ないが。凪喪は、犬猿の仲である〈新堂の恋人〉の飛鳥弥生と、倉本奈那美の共通の友人で、飛鳥と倉本の滅多に無い会話は、全て凪喪を介して行なわれる。その様子が糸電話の糸みたいだというので、東城はイトデンと呼んでいるのだ。
「この〈DWシステム〉の関係者の名が、暗号で被験者の名前にまで組み込まれている。被験者というからには、現実世界からゲームの世界に行っている…元はこっちの世界の人間のはずだ。だが、これじゃあ…新堂、〈乙夏=モードニス〉なんて人間は、この世に存在してないってことじゃないのか?」
「…………」
「これじゃあ〈移住〉でも何でもないじゃねーか。何の為に、俺達はここで、造られた人間のナビゲートなんかをしてるんだ?」
東城の追及に、遂に新堂は重々しく口を開いた。
「〈移住〉の為の計画だと、皆に伝えてある。君達だけじゃない。上の者にも、だ」
もう、誰も言葉を発する者は居ない。ただ新堂の声が響くのみである。
「……これから云うことは、本当のことだ。今まで騙していて済まなかった。だが、これが〈SP〉との契約だったんだ。君達の中の誰かがこの〈ゲーム〉の真実に気付くまで、何も話さないという…。そして君達は気付き、真実を知ることになる。よく聞いてくれ。〈SP〉の構成メンバーは、あの藤守ミサヲ女史ただ一人。対してこちら…〈MP〉は…ここに居る全員…いや、この世界で生きる殆どの人間がそうだと云える」
東城の胸中には、いくら藤森が天才であるとはいえ世界中を敵に回して何をしようというのか、という新たな疑問が浮上していた。「〈SP〉と〈MP〉…双方はさっき云ったように対立し、ゲーム世界の存亡をかけている。だが、それだけじゃない。ゲーム世界の存亡は……現実世界の存亡にかかわる」
「何だと?」
「SPが…藤森ミサヲが勝てば、〈ノアの大洪水〉が再来するのさ」
〈ノアの大洪水〉…それは、誰もが知っている有名な旧約聖書のエピソードの一つである。神が穢れた人間世界を嘆き、もう一度世界を創り直すために人間の〈ノア〉とその一家、そして全ての動物のつがいを方舟に乗せて、洪水を起こして世界の全てを壊し、彼らのみを洪水から守ったのである。
「世界が一度壊されるんだ。新しい世界を創るために」
「……どうやって? いくらなんでも、核爆弾、とか云わないよねえ…」
そう問う御名神も真剣な面持ちである。
「世界中のコンピュータに、藤森の造ったウィルスが侵入する。詳しくは判らないが…とにかく彼女は、〈それ〉で新しい世界を創る気らしいんだ」
「…あの女……アタマ良すぎて馬鹿になったみてえだなあ、オイ。…………畜生」
東城が、そう云ってぎり、と歯軋りした。 御名神の眼に、ディスプレイを睨む彼の形相は、酷く憤っているように、そして、少しだけ泣きそうに見えた。
(第七話 『メシアとサタン』 了)
UG氏の二回目のリレーです。
サタンプロジェクト、メシアプロジェクト。
怪しげなプロジェクト名が出てきました。この先、物語はどんな方向に進んでいくのやら。