第二話『泥人形』
記録者 東城 神詞
「…準備はいいかい、東城くん」
コンピュータを前に、背後の男に声をかける、眼鏡の男。名は新堂 真。
ディスプレイにはなにも表示されていない。黒いそこに、彼の顔が映るだけだ。
「ああ」
新堂の背後にいる男は、目線を下に向け、そのまま、言った。
「いっちょ、会ってくるぜ。
〈乙夏〉とかって奴に」
彼の名は〈東城 神詞〉。DWゲーム被験者・乙夏=モードニスのナビゲーターに選ばれた青年である。
電子機器やゲーム、アンドロイド等を扱う〈PPT社〉の、技術開発部に所属していたが、先日同社の新堂からDWゲームのナビゲーターに任命され、所属を移った。
ただし、条件付で。
『元技術開発部所属、藤守ミサヲの行方を突き止めること』
東城の恋人であった彼女は、二年前、突如として姿を消した。
☆ ★ ☆
「咲夜………」
乙夏と七月は、磔の咲夜に近付こうとしたが、すぐに例のロボットに牽制された。お前達もああなりたいか、とでも言うように。
周囲の人間はどうすることもできず、ただ目前の非現実的な現実を傍観していた。
乙夏は逆上して、ロボットの脚を蹴った。もちろん、無意味に等しい。それどころか、自分の脚を痛める結果となった。
「くそおっ……」
「…………!
乙夏、後ろ…」
七月の声が震えている。こんな彼女を見るのは、おそらく初めてであろう。
乙夏は七月の言う通り後ろを振り向いた。 そこには、要石の脇のロボットと同系の、ロボットを一体従えた乙夏を見据える男。
その冷たい眼に、乙夏は背筋が凍るように感じた。
だが、彼が驚くべき点は別にあったのだ。
「甲斐造…………?」
そう、そこに現われたのは、乙夏も七月もよく知っている男だった。一つ年上で、幼なじみの〈伊達 甲斐造〉………。
彼がここにいること自体は、何の不思議もない。彼のバイト先は、駅前のレンタルビデオ店だし、それ以外の用事だって十分考えられる。
おかしいのは、彼に従えられたロボット、そして……見たこともない冷たい眼だった。
「甲斐造……?」
様子がおかしいのは一目瞭然であった。
正直言って訳が分からない乙夏は、混乱の元三号(一号は磔の咲夜、二号は謎のロボット)である甲斐造の名をしきりに呼んだ。
この事態の不可解さは、乙夏のキャパシティをゆうに超えていた。
そんな乙夏を気にも止めず、甲斐造は彼らの方に近付いてきた。悠然と、玉座に向かう王のように。
乙夏の目前まで来た甲斐造は、唐突に乙夏の前に右腕を突きだし……
「がっ…………」
次の瞬間、乙夏の足は地面を離れていた。決して逞しい方ではない、むしろ華奢と言った方が正しいような甲斐造の右腕一本で首を絞めあげられていた。
女のように伸ばされた爪が、首筋に食い込んでいる。
息が、ほとんど出来なかった。
「おと…………!
やめて、やめてよ、甲斐造!」
七月の叫びとともに、どさっ、と地面に落ちる乙夏。尻餅をつき、激しく咳き込む。そんな乙夏の上体を支えながら、七月は甲斐造を睨んだ。非難と、畏怖と、両方の交じった眼で。
しかし甲斐造は、七月を見ることもせず、彼女達の背後の二体のロボットに向かって、言った。
「殺せ」
いつもよりもずっと下げられたトーンの声。怖いくらいに、無感情だった。
甲斐造はすぐにきびすを返し、去っていった。乙夏はその背中に何か言い掛けたが、まだ喉が使える状態には戻っていなかった。
なぜか、その時意識は現実から遠退いていて、彼は自分の身に降り掛かろうとしている危険にまったく気付いていなかった。
「乙夏!」
聞き飽きる程聞いた女の、自分を呼ぶ声が遠くなっていく。七月の声が……
「乙夏。
……おとか…。
おと………………………」
『馬鹿!
ぼさっとしてんじゃねーよ、てめえ!』
頭の中に直接響くような声とともに、彼の意識は途切れた。
☆ ★ ☆
目覚めたときは、ベッドの上だった。それも、見慣れた自分の部屋の景色はそこにはなかった。
そこは……〈神代病院〉だった。
「乙夏ぁ………………」
力の抜けた、安心しきったような涙声が耳に入ってくる。やがて、霞んでいた視界がはっきりとしてくると、そこにいるのが七月であることが分かってきた。
「よかった……」
しかし、乙夏には何故自分が病院のベッドに寝かされているのか分からない。
「…………俺………どーしたんだ?」
起き上がろうとしたが、左脇腹を激痛が突き抜けた。
「痛っっってえ……………」
「覚えてないの?
昨日のこと………」
「いや、全然…」
腹筋を動かすと、傷が痛むので、自然と言葉が少なくなった。
「咲夜のことは?」
「…………覚えてっけど…………」
まだ実感がない。磔にされた咲夜……その脇にたたずむロボット、まるで悪い夢を見ていた、という感じしかない。
それに、甲斐造………今までの彼ではない、冷淡な様子しか感じられない、あの男…。
「なんで……腹、怪我してんだ?」
「…………刺されたのよ」
その言い方があまりにも唐突なので、乙夏は七月に順を追って説明するよう頼んだ。
真相はこうだ。
「乙夏。
ちょっと、乙夏!
後ろ………乙夏ーっ!」
甲斐造の背中を見続けて、放心していた乙夏の頭上から、ロボットの槍が襲おうとしていた。
七月の呼ぶ声にもまったく反応しない。そのまま放っておけば、頭のてっぺんから棒の生えた死体が一つ出来上がっていたことだろう。
しかし、槍が振り下ろされるかという刹那、七月は思いっきり乙夏の右腕を引っ張った。乙夏の頭部にすでに振り下ろされていた槍は、突然目標の位置が変わったことで、彼の左脇腹に突き刺さった。
それはそれで深い傷だったが、頭部を破壊されたらはっきり言って即死だ。それに比べれば、脇腹ぐらいどうってことはない。
だが、一回目標を外して諦めてくれる連中ではなかった。指令できる立場の者から「殺せ」と言われれば、それを全うするまで活動する。
絶体絶命とはこのことだ。
……にもかかわらず、乙夏の意識はない。
『脇腹ぐらいでなに気ぃ失ってんのよー!』
七月は、冷静になろうと必死だったが、彼女だってなんのことはない普通の女の子だ。こんな事態に冷静になれといっても、それは酷というものだろう。
槍は、今度は彼女に振り下ろされようとする。彼女はそれから逃げるために立ち上がろうとしたが、恐怖のためか、できなかった。 それでも、このままでは殺される―生への執念というべき思いが、彼女を逃げさせた。四つん這いになって、逃げながらも冷静になろうと必死で………。
だが、冷静になって考えて、生き延びる考えが見つかるのか………。
逃げても、彼女はすぐに要石にぶつかり、移動を禁じられた。すぐ後ろにはロボットが迫っていた。
『もう、お仕舞だ』
諦めの言葉が、頭の中でぐるぐる回っていた。―その時だった。
ぎりっ…という音がして、ロボットの頭部が一八〇度回転していた。
「?」
男が、ロボットの頭部を掴んでいた。
「〈ANGELシリーズ〉の最下級か……」
ロボットは男の手を退け、身体も一八〇度回転させる事で男に身体ごと正面を向けた。
「止した方がいい。私は到底君達が勝てる相手ではない。分かっているだろう?」
妙に余裕のある言い方だ。嫌味ったらしい事この上ない。
男は電光石火で動いてロボットの胸部にある、奇妙な紋章入りの装甲を剥がしていた。 装甲の剥がされたそこに、直径三センチメートル程度の水晶球が埋め込まれていた。
「これが〈……………〉という訳だね」
ぶちっ…ぎっ…という耳障りな音のした時には、片方のロボットは使いものにならなくなっていた。男は、もう一体も同様にして、動けなくした。
男の手には球体が二つ、握られていた。
「怪我はありませんか?」
何も持っていない方の手を七月に差し伸べて、立たせてやると、すぐに男は立ち去っていった。
周囲にはいつの間にか―正確には甲斐造の登場した前後から―誰もいなくなっていたが、誰かの呼んだ警察のパトロールカーのサイレンが遠く響いていた。
「………凄く…不思議な人だったの」
その言葉で、七月は説明を閉じた。
「誰なんだろーな、その人」
「あっ…ごめん。
あんたんトコのおじさんとおばさんに、電話かけてくる。
さっきもかけたんだけど、いなかったみたいでさ…」
七月はそうして、部屋を出ていった。それからすぐ、奇妙なことが起こった。
『ったく…なんで避けなかったんだよ!
ボケ!』
「?」
頭の中に直接、人の声が響いたのだった。
『……そんなに驚くっつー事は…お前、そこがどこだか分かってねーな?』
「だっ…あんた誰だよ!」
謎の声に、つい言葉をかける。
『俺は東城 神詞、今回のお前のナビゲーターだ。
で、ここは〈DWゲーム〉の中。
お前は、そのテストプレーヤー。
今まで忘れてたってのかよ』
まくしたてるその口調は乱暴で、〈初対面〉とは思えない。正確には顔を合わせていないが………。
『そーだった…………。
俺は、ゲームの中に…………』
乙夏はやっと、その事実に気付いた。
『あのロボットや……咲夜のことも…ここがゲームの中だからなのか?』
『まあ、そーゆーことになる』
〈東城〉と名乗った口の悪いナビゲーターは、一通り文句を言い終えてすっきりしたのか割にあっさりとした口調で問いに答えた。
『昨日だって、「危ねーから避けろ」って言ったのに、何ボケてたんだよ?
腹で済んだからよかったけど、あの女がいなかったら、お前死んでるぞ?』
『………そーは言っても、ゲームん中だろ? 別に死んでも俺自身は平気じゃねーの?』
乙夏は気楽にそう言い、ベッドに横になった。東城は、
『ま、そーだけど』
と返した。反論はない。
それから、東城は話し掛けてこなかった。
☆ ★ ☆
「大丈夫かー?
乙夏ー」
突然、甲斐造が大声とともにドアを開けて入ってきた。通りすがりの看護婦の「静かにしてください!」という注意の声を遮ってドアを閉める。
「……かっ………………!」
乙夏はそれ以上、何も言えない。昨日思い切り自分の首を絞めた男が自分の前に笑顔で立っているのだ。そう、昨日会った時とは違う、〈いつもの〉甲斐造がいた。
「腹、刺されたってー?
どーした、ショックで声も出ねーか?」
んなわけねーな、と明るく笑う甲斐造に、乙夏はますます声が出ない。
『殺せ』
そう言い放った声の冷たさと、今の甲斐造……それは極端すぎた。
「何しに来たんだよ」
口から出てきたのは、そんな言葉だった。
「……………?
……何しに……って…見舞いだよ。
お前ん家に行ってもいねーし、七月んトコ行ったら、お前が謎のロボットに腹刺されたとか言われるし……」
「……お前がそーさせたんじゃねーか…」
「あ?
何言ってんだお前」
「そりゃこっちの台詞だ!
人の首思いっきり絞めあげといて、何のつもりだよ、帰れよ」
「………知らねーよ、何の事言ってんだよ! 心配してきてやったってのに……そーかよ、もーいい。
お前なんか知るか!」
甲斐造は、病室を出て、勢い良くドアを閉めて、廊下を走っていった。
乙夏の耳に、「静かに!」という注意の声が壁ごしに聞こえてきた。
甲斐造が走って病院を出ると、四つの人影が彼を待っていた。
「……大丈夫だったのか?
幼なじみは」
「知るか」
乙夏に対する憤りを剥出しにしたまま、彼はその四人と一緒に病院を後にした。
「それより、行こう!
ライブの曲の最終確認」
彼らは五人で〈LOUIS〉というロックバンドを結成している。今日、一二月二四日はクリスマスイヴ。今夜は彼らのクリスマスライブなのだ。
「カイ、どーしたんだよ」
「何でもねー!
そーいやさ、昨日駅前歩いてたらいきなり誰かに髪引っ張られてよお、そのまま何本か抜かれたんだよ、痛ってーのなんの!」
大声で言った。その横を、男が一人すれ違っていった。
その男の姿が、午後六時をまわった薄暗い路地裏で、少女に変わったのを見た者は、いなかった。
☆ ★ ☆
時刻は午後一〇時を回っていた。
病院内はとっくに消灯時間を過ぎている。 しかし乙夏は眠っていなかった。ゲームの中の話とはいえ、甲斐造の態度の差や、他の衝撃的な出来事………そして、咲夜の死。
色々なことがありすぎた。
個室である乙夏の部屋のドアが、見舞いにしては不自然なこの時間、突然開く。
「?」
訪問者は部屋の明かりを付け、乙夏の眼が慣れるのを待っていた。
蛍光灯に照らされた、常識はずれの訪問者の、その姿は―
「咲………夜………?」
昨日、謎のロボットによって磔にされていた、彼の彼女、八百威 咲夜だった。
『夢か……………?』
どうせ夢ならという気持ちと、もしかしてまだ生きているのかという僅かな期待が、彼に目の前の少女を抱き締めさせた。
そのまま、眼を閉じた。
彼は知らない。愛しい者の形をしたものが、彼の腕の中で別なものに変わっていたことを。それが彼にとって危険なことであるということも。
☆ ★ ☆
神代駅の南口近くに、〈PPT社〉という会社の本社がある。
そこにかつて存在していた課〈技術開発部三課〉。そこで造られた人造人間のテストタイプの失敗作が、社員を一人惨殺して、逃げていった。一二月二三日のことだ。
〈ゴーレム・テストタイプA-Rn〉…数体造られた人造人間の中で唯一、他に類を見ない異常すぎる能力を引き出していたため、失敗作と見做されたもの。
その能力とは、〈変身〉。人の身体の一部―髪の毛や血や肉、何でもいいのだが―を体内に取込むことによってその持ち主の姿になることができるのだ。
逃げたそれは、殺した社員の血液を取込んでその人の姿になり、社の門前を歩いていた少年の髪の毛を無理矢理採取して、その姿になった。向かった先は、〈要石〉だった。
そして翌日、一二月二四日。それは神代病院に侵入している。一人の少年を、その運命を玩ぶために…。
その少年の名は、〈乙夏=モードニス〉。
(第二話『泥人形』了)
この第二話はUG氏が執筆してくださいました。
第一話で遭遇した怪異をうまく引き継いでくれました。