偽典エピローグ『Lucifer』
DWが強制終了し、飛鳥弥生がミカエルの依代となり、世界に光の洪水を引き起こした。
それからさほど時は経過していない。藤守ミサヲの死体の有る研究室に、二人の男が居る。真枝神曲と、サタンである。
「…君の夢破れたり、だな。ミカエルの支配はより完璧なものになったと言っていい」
「……先のあの光は、一体何だ…忌ま忌ましい」
「あれは、ミカエルの精神体と、聖母の肉体の融合体である新しい天使の肉片さ。ウィルスみたいなもので、人間の細胞に侵食し、人間は天使と人間のキメラになる。おそらく、この世に存在する人間の中で、ウィルスから逃れた者は居ないだろうな。たとえ、妊婦の体内の胎児だろうと、人型もとってない受精卵の段階だろうと」
もちろん、私も感染しただろう、と神曲は自分を指差す。
「……俺は…?」
「…君かい? そうだな…君は元々人間と悪魔の混血のようなものだからな。複雑ではあるが……きっと、侵入しているはずだ。天使の細胞が」
「…天使の……」
「天使と悪魔の力は、両極のものだ。両者は相容れず、君の中で反発し合うだろう。しかし、三者を共存させることが出来たら素晴らしいと私は思う。君の身に起こっている混沌は、今のこの世界と同様だ。天使と悪魔がいがみ合うように、人間同士でさえ、日々殺し合っている。少しでも異なるものを認めたがらないのだ。しかし、君が身に秘める白の力と黒の力、そして灰色の力を共存させることが出来たなら、世界は、きっとこれから変わっていく可能性が有ると思う」
神曲の視線は真摯な思いを映すかのように、真っすぐにサタンに注がれている。サタンが俯くと、神曲は研究室のブラインドに手を掛け、窓の外を見た。外界には夜明けが近付いていた。
明けの明星が、空の片隅に輝いている。
その輝きに、神曲は、今や赤い花と散った新堂のことを思い出す。彼は決して長くなかった一生の中で、どれだけのものを失い続けてきたのだろう?
神曲は、彼の死の瞬間を、この部屋のディスプレイから傍観していた。
飛鳥弥生をミカエルに奪われ、自分は落下を止める術の無いあの絶命の瞬間の絶望は、いかなるものだったのだろう?
思案しているうちに、朝日が昇り始めた。 夜明けを、こんなにまじまじと見つめるのは、初めてだった。光が闇と混じり合うように、次第に明るくなっていく。
「俺は……悪魔であることも…天使であることも…人間であることも…全てを受け入れて生きていこうと思う」
サタンは、陽光に覆い隠される明星を見つめて、言った。宣誓のようだった。
神曲はその言葉を嬉しく思う。この誇り高き青年の言葉に、遥か未来への希望を感じずには居られなかった。
数世紀の後には、おそらく人間の中から、翼を持つ者達が誕生するだろう。
圧倒的多数の翼無き人間達は、彼らを好奇の目で見るだろうか? 異端であると迫害するだろうか? 崇拝するだろうか?
それとも翼を個性として、翼無き者と変わりの無い人生を送るだろうか?
そんな時代がいつか来てほしい、神曲は願わずには居られない。
そしてその先駆けが、神の創った三様の人型、〈天使〉〈人間〉〈悪魔〉の遺伝子を受けた新しき者、サタンなのではないか、と。 彼こそが…きっと、新堂の希求した〈灰色〉の存在。ルシフェル・ハイブリッド…否、厳密には異なるのか。
彼は〈灰色〉であるだけでなく、〈白〉でも〈黒〉でもあるのだから。
再びこうしてミカエルの…天使の支配が根付くこの結末を、果たして誰が望んだであろうか。
誰もが望んでいなかったとしても、今の神曲には、これで良かったのではないかと思えた。彼の傍らで朝日を見つめる青年が先駆するであろう新しい世界は、最悪の結末と言うには悪くないものであるような気がしたのである。
〈偽典 終〉
本当に本当の終わりです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
そして、偽典だけではなく、正伝の裏話やスピンオフ、劇中劇などもお楽しみください。
次に投稿予定の【魔天】は、Real-Sideの裏話でもありますから。