蘭陵王伝 別記 第6章 華燭の桃花 〔 ④ 本当の四柱推命 〕
王琳の危機を知った鄭桂瑛は、援軍を送らせるべく顔之推を通じて朝廷工作に乗り出したが、高徳正の助力により、江北への援軍が決まった。
★ 蘭亭序の酒宴 ★
四月になり、平秦王府で清明節の宴が行われることになった。平秦王である高帰彦は、この時尚書左僕射として宰相の楊韻につぐ地位にあった。
高帰彦の父親である高徽の一族は、かつて没落した河北の名門であった。そこで、高徽は名門一族の復活を期して高歓に協力し、高歓をその族譜に書き加えることにより皇族となったのである。
高帰彦は高徽の私生児として市井で生まれ、幼年時代は高岳の家に預けられた。まだ貧しかった高岳の家に預けられた高帰彦が、十分な世話を受けられなかったことは、想像に難くない。困難は人を陶冶するが、ときとして陰険な人格に貶めることもある。財物に貪欲で、権力におもねる陰険な高帰彦の性格がここで形作られたのだ。
高帰彦は、今日の酒宴の招待者の名簿を開きいながらにんまりと唇を緩ませた。 高徳正が宴に来る?高帰彦は、招待者の名簿を閉じると几案に置いた。
高徳正は皇族ではないが、高歓のころから要職である黄門侍郎を勤め、北斉建国に多大の貢献をした功労者である。この時は、侍中府の侍中を勤めていた。皇帝の政務秘書官である。
常に矜持を守り自他に厳格さを求める高徳正は、今上帝におもねる佞臣である高帰彦を見下して忌避していた。高徳正は、文人としても名高く、宴で詠じる即興の詩賦も高く評価されていたが、高徳正は遊宴に招かれても、何かと理由を付けては佞臣の宴には出席することはなかった。
ところが、今日の曲水の宴では出席しただけでなく、宴のために詩賦を作るという。
高帰彦は、高欄に座ると機嫌良く酒杯を重ねた。
「尚書左僕射殿、雅な曲水の宴とは、さながら蘭亭序の王義之ですな」
高帰彦の近くに座る高徳正が、慇懃な言葉遣いでめずらしく遊宴を褒めた。
「王義之とは、恐れ多い。我が邸は蘭亭にはほど遠い」
「仁英(帰彦の字)殿への、陛下の御親任は、いや勝るばかりですな」
高徳正の言葉に、高帰彦は満更ではない笑みを浮かべ瑠璃の酒杯を傾けた。瑠璃の酒杯の中の赤い酒も西域から伝来した貴重品である。
「しかし、仁英殿、最近の陛下の顔色が、もう一歩優れぬと思わぬか?一番の寵臣であるそなたが、手をこまねいているとは、どうしたことでろうな・・・」
高帰彦は、高徳正の気がかりな言葉に片眉を上げた。気まぐれな高洋の気持ちを先読みして、政敵を葬り現在の地位を築いてきたのだ。
「さあ、何の事やら、・・・陛下は至って壮健であられる」
「お身体のことではない、ここのことだ」
高徳正は、手で胸を押さえた。
『陛下の気鬱の原因は、皇太后様と対面できぬこと』
今年に入って、陛下の気鬱は深刻の度を増し、酒量はとみに増えた。今上帝は、素面の時には親孝行標榜していたが、正月の宴で皇太后を殴って以来、母親との面会を果たしていなかったのだ。かねてよりの行き違いに加えて、正月の乱行が母子の関係を決定的なものとした。高洋が何度宣訓宮を訪ねても怒りは解けず、病気を理由に物越しの対面さえ果たせないでいた。
遊牧民族の鮮卑族においては、漢族に比べて母親の権威が強い。母親への孝行は最も尊重されるべきものとされていた。高洋は酒毒に犯され、愚行を重ねる一方、皇太后の不興を払拭しようとするかのように、林慮山の高僧を招聘したり、自ら禅に取り組んだりしていた。しかし、付け焼き刃の修養で母の心を動かせるはずもなく、皇太后の頑なな態度を軟化させることはできないでいた。
高帰彦は、溜息をつきながら杯を傾けた。
「陛下には、何としても気鬱を晴らしていただきたいものだ」
高帰彦は気晴らしにと寺院の建築を勧めたり、西域の舞姫を献上したりしたが、酒毒を増すだけの結果となってしまった。
「策が、無くはない。・・・皇太后は、何より孝行や忠義の心を重んじられる。陛下が孝行心や忠義心を大切にしていると皇太后に認められれば、皇太后のお心を氷解することもできるでしょうな」
高洋は同母の兄弟の中でも容姿に恵まれず、母からの愛情が薄かった。それ故、母親から認められたいと切に望んできたのである。
陛下による孝行と忠義の行いか・・・。そう言えば、母上は王琳の息女を祐筆にしていると聞いたことがある。高帰彦は、瑠璃の酒杯を光に透かすと眉を寄せた。
★ 高洋と王琳 ★
太武殿の北東、中朝に位置する御書房で、皇帝高洋は宰相たちを前に唇を歪めた。
「陛下、王琳将軍から、援軍の要請が再度来ております」
尚書右僕射の段韶が、いつもの温順な笑顔を見せて言った。
「陛下、先月に検討中との断りの返答をしたにも拘わらず。・・・こたびは、梁皇帝(簫荘)よりの国書という形にして正式に要請が参りました」
尚書左僕射の高帰彦は、今までは南朝については陳とも梁とも態度を決めず、北方の周との戦いに集中するべきだと主張してきた。
「陳とはいずれ、対峙しなければなりませぬ。もし、梁の旧臣が全て陳に投降してしまったら、陳の勢力は倍増しておりましょう。それからでは、遅いのです。毒を以て毒を制するという言葉もあります。今は梁の旧臣同士で、戦わせておくことが斉の利益になりましょう」
段韶は、多くの戦陣を経験した老練さで、高帰彦に国益の大切さを主張した。
「なるほど、援軍を送ることにより、陳の勢いを止めることができるのか」
高洋は、珍しく酒が抜けた目で頷くと、扇子で脇息を打った。建業を本拠とする陳は、いまだ勢力は大きくないが、旧都の建業を支配している力は侮りがたい。
「王琳将軍は、忠義心が篤い事で有名です。顕彰すれば、斉の武将の模範となりましょう」
王琳将軍の亡き元帝に対する忠義心は中原でも有名である。高洋は、その忠義心に仰敬し援軍を送っていたのだ。鮮卑族の将軍たちは、とかく国益よりも己の利益を優先しがちであることに、高洋は忸怩たる思いを抱いてきた。その忠義に厚い王琳将軍を見捨てたとなれば、将軍たちの専横は、歯止めがなくなるに違いない。
「そう言えば、元帝の皇子を帰還させて、皇帝に推戴したのも王琳将軍ですな」
高洋が、援軍に傾きつつあることを感じた高帰彦は、おもねるような笑いを浮かべて王琳を称賛した。忠義の士である王琳将軍を支援することは、陛下が忠義を重要視していると示せる。
王琳に新たな爵位を与えれば、皇太后も陛下の忠義心を感じ取り、凍りついた母子の関係を氷解させる突破口になるはずである。
高洋は、『大風の歌』を記した扇を開いた。
「まったく、死してなお忠義を寄せる臣下がいる元帝が、羨ましいことよ」
王琳が仕えた梁の元帝は、生前王琳将軍の声望を嫉妬しその兵権を剥奪して左遷した。しかし、元帝が危機に陥ると王琳将軍は恩讐を越えて、常にその陣頭に立ったのである。
「陛下、王琳将軍を助力するのは、陛下の徳を広めることになりまする」
高帰彦は、だまって論議の成り行きを見守っていた楊韻に目を遣った。楊韻は能吏である。酒乱と言っていい高洋が、どうにか斉を統治してこられたのは、楊韻の働きと言っていい。
「それでは、長江に援軍を送る件について朝議にかけるとしましょう」
楊韻は、わずかにうなずくと、気持ちの読めない無表情で皇帝に奏上した。
「そうだな、楊令公、明日の朝議で援軍について審議させよう」
母上は、朕を不忠不孝だと誤解している。忠義に篤い王琳将軍に協力したとなれば、朕を見直すであろう。そうすれば、・・・皇太后に目通りが叶うだろう。高洋は、酒毒に犯された頭で考えた。
楊韻、高帰彦、段韶の三人は、丁寧に拱手した。
ほどなく朝議により、王琳将軍へ慕容儼が率いる援軍を派遣することが決まった。
斉からの援軍の報告を受け、王琳は簫莊と共に長江の上流から下り、長江の中流の要衝である濡須口周辺を侵攻する準備を始めた。
★ 青蘭の夕焼け ★
穀雨が過ぎ、四月となった。高長恭が出陣して二か月になろうとしている。
延宗の情報に寄れば、斛律将軍率いる中軍は、絳州で戦果を挙げて支配を確固たるものにしようとしているらしい。しかし、城は陥落させるより支配の形を作る方が難しい。長恭はいつ凱旋してくるのであろう。
王青蘭は足繁く学堂に通い、四書五経や『史記』の講義を受けていた。顔紫雲と王青蘭は、講義を聴くと紫雲の居所で復習をする仲になっていた。そして、崔叔正の旬休(十日に一日の休みの日)の日には、医術の講義をうけるのだった。
今日の午前中には、南朝の文人による『文選』の講義があった。
青蘭は、昼食の包みを鞍に付けて馬を駆り城外に向かった。鄴城の外の草原は、すでに夏の気配だ。蒼空の下に漳水の河畔を遠く望むと、緑の木々の中に藤色の花が涼風に揺らめいている。
河畔の林に入った青蘭は、馬を繋ぐと河沿いの草地に座った。顔を上げると漳水の向こうには青青とした太行山脈が見える。
長恭は鄭家を訪れ、母親に婚姻の意思を示した。師兄は武功と引き換えに皇太后が婚姻を許してくれる約束をしたと話してくれた。しかし、皇太后は今でも花嫁候補の絵姿を集めて他の令嬢との婚姻を諦めていない。
ああ、長恭に会いたい。今この瞬間にも、長恭の命は刃にさらされている。
行役して戦場にあり
相い見ること未だ期有らず
手を握りて一たび長嘆す
涙は生別の為に滋し
駆り出されて行く先は戦場
次に会えるのはいつか、知るすべもない
手を握り合い、長い溜息をつく
涙は別れに、はらはら流れる
青蘭は、漳水に向かって蘇武の『結髪』の句を口ずさんだ。
青蘭の瞳に後悔の涙が流れた。自分のために長恭は命を危険にさらしている。ああ、戦場に行かせるのではなかった。斛律光率いる中軍が中原で最強とは言え、いつ何時長恭の命が脅かされるとも限らない。大人しく待っていたら、いつかは皇太后の許しを得ることができるかもしれないのに・・・。私の言葉に出さない焦りが、師兄を戦場へと駆り立ててしまったのか。
青蘭は縹色の夏らしい男物の半臂姿で草地に寝転んだ。皇族にとって、南朝の遺臣と商人との間の庶子など取るに足らない存在だ。もともと青蘭との婚姻を許す気などなかったのかも知れない。長恭の母親代わりの皇太后を恨んでしまう自分がこわい。
青蘭は、起き上がって小石をつかむと思いっきり川面に投げた。小石はポチャンという音を立てて流れの中に沈んだ。
鄴に来た頃は学問に専心すれば、新しい自分になれるという希望があった。自分の人生を他者に委ねるのではなく、自分で思うような人生を選ぶという気概があった。しかし、今の自分はどうだ、嫁選びの噂におびえ、皇太后の思惑をうたがっている。学堂での学問の時でさえ、心の平安を保てないのだ。
青蘭は立ち上がると、陽光を反射する漳水の川面をながめた。漳水の水の流れは変わらないが、その水は同じ水ではない。時は過ぎ去り、人の心も空の雲のように変わってしまうのだ。
師兄には、どうか無事に戻って欲しい。それだけが青蘭の望みだった。
★ 四柱推命 ★
婁皇太后は書房の朱塗りの手文庫から料紙を取り出すと、高長恭の四柱を書き出した。そうだ、この長恭の四柱には様々な因縁があるのだ。
今から十八年前、父の高澄に正室の馮翊公主が降嫁してきた。高澄は高一族の地保を固めるため東魏の孝静帝の妹である馮翊公主を娶った。それと同時に、公主の覚えをはばかった高澄は、懐妊していた側室の荀翠容を,母親婁氏の屋敷に出したのである。高貴な公主が輿入れしてすぐに、側室が出産することで政治的な困難をまねくことを恐れたのだ。
やがて翠容は六ヶ月後、長恭を出産した。しかし、長恭の誕生は妊娠中の公主をはばかって、公にはされなかった。その後、正室の馮翊公主は次の年に、正式な第三子として高孝琬を出産した。
ここに至って、本来第三子であった高長恭は新たな四柱を選び、第四子として発表されたのである。ところが、第四子の誕生を知った馮翊公主の嫉妬は凄まじく、長恭母子はしばしば毒殺の危険にさらされた。
そのため、婁氏は荀翠容と長恭の親子を、鄴都の郊外にある山荘に避難させたのである。これが、観翠亭であった。長恭母子は、けっきょく長恭が五歳になるまでこの山荘で隠れて暮らさざるをえなかった。
婁皇太后は、公にされている長恭の四柱を見遣った。真実の四柱を推命させれば、長恭が第三皇子であることが漏れてしまう。公にされている四柱で占わせるしかない。
貴族の婚姻に当たっては、双方の四柱によって道士に相性を調べさせるのが一般的である。もちろんそれは形式的なもので、よほど相性が悪くなければ婚姻が行われるのが普通であった。
そうだ、四柱推命で相性が悪かったと言えば、長恭の望みを退けることは不可能ではない。城外にある華陽館という道灌に、四柱推命に優れている道士が来ているという。長恭と青蘭の命運を四柱で推命させよう。そこで、二人の相性が悪いために婚儀は許せないと告げれば、長恭も諦めるに違いない。
婁皇太后は、宦官の許有孔を呼んだ。
「明日、華陽館に行って、道士に四柱推命を、依頼してきて欲しい」
婁氏は、長恭と青蘭の四柱を記した料紙を収めた黒漆の櫃を渡した。
「二人の身分は、商賈の子息と令嬢とせよ。皇族である事を知られてはならない。いいな」
婁氏が念を押すと、有孔は静かに退出した。
★ 本当の四柱 ★
婁皇太后の馬車は、城門を出ると北東に向かった。馬車で新緑の草原を駆ける。河畔には漳水の船着き場である清都伊の邑が広がっている。
「秀児、青蘭についてどう思う?」
婁昭君は、窓から差し込む春の光を手のひらに受けながら、秀児に訊いた。
「青蘭様については屋敷での様子しか存じませんが、正直で思慮深い方だと思っております」
王青蘭は、浣衣局に入れられたにも拘わらず、青蘭は皇太后に対して恨みの言葉を漏らすことはなかった。むしろ祐筆としての能力は文句の付けようがなかった。
「長恭との間柄はどうであろう?」
青蘭との婚姻を許すのか、それとも何らかの理由をつけて退けるのか皇太后の気持ちは読めない。
「私のような浅学な者は、何とも・・・」
秀児は答えることなく、下を向いた。
「そうだな、人心では未来は見通せぬな・・」
婁氏はそう言うと溜息をついた。
華陽館は、小高い丘の間に漳水を引き込むようにして造られた瀟洒な道灌であった。馬車を降りて大門の前に立つと、反り返った瓦の屋根が美しい。婁氏は大門をくぐると、正殿前の橋まで女官の秀児に手を惹かれて進んだ。
若い道士が、走り寄ると婁氏に挨拶をした。
「先日、推命をお願いした高家の大奥様がいらした。取り次ぎを頼む」
宦官の許有孔が、案内を頼んだ。
「道士様が、お待ちでございます。こちらへ」
小道士は彫刻が施された石門の方を手で示すと、先に立った。石造りの壁に囲まれた中は、深山を模した広い庭である。漳水からどの様にして引いたのか巨石の間から滝が落ち、清水が石の間を流れている。
婁氏は白い梨花に囲まれた四阿に、案内された。
「見事な、庭でございますな」
皇宮の壮麗な庭を見慣れた秀児が感嘆の言葉を述べた。婁氏は、目の前の大きな睡蓮池を見渡した。造園が流行っているからと言って、道灌にしては豪華すぎる。きっとどこかの権臣が、寄進して造らせたに違いない。皇太后は廷臣の贅沢を常々苦々しく思っている。
婁氏は、商賈の大奥様風の簡素な外衣の衿を合わせて、口を結んだ。
道士は、婁氏の主従を館内に案内した。道士の居房に案内されると、五十歳ぐらいの老人が入って来た。
「候叡徳と申します」
道士は、丁寧に揖礼をした。
婁氏は、事前に長恭の四柱を華陽館に送っている。すでに推命が行われているはずだ。
「叡徳殿、こたびは孫と許嫁の四柱を見てもらった。礼を言います」
婁氏が椅に座り叡徳に視線を移すと、道士は卓の向かい側に座った。紺色の道服を纏った叡徳は、卓の上に四柱を記した帖装本を置くと前に座る婁氏を見遣った。
商賈の隠居という触れ込みだが、四柱が記してあった料紙が、皇宮でしか使用しない上質な紙であった。馬車も商賈の隠居とは思えない豪華な造りである。老夫人の容貌を観ても、常人とは違う鳳凰の相が見える。
「男子の方は、大奥様の孫でいらっしゃるのでしょうか?」
叡徳は目を細めて婁氏を見遣ると、髭をしごいた。
「さよう、孫と嫁候補の四柱を観てもらいたく依頼した」
叡徳は、うつむくと苦しそうに言葉を発した。
「珍しい四柱なので心して観せていただいた。女子の方は日干が強いが、男子の方が弱く濁になっておる。残念ながら、病を呼ぶ相である。この縁は勧めませんな」
相応の謝礼を受けて、推命をしている場合、相性の悪さをこれほどはっきりと言うのは珍しいことである。
婁氏は、ほうっと溜息をついた。やはり、長恭と青蘭の婚姻は、認められぬ。しかし、青蘭の方は問題ないが、長恭の四柱に問題があるという言葉は聞き捨てにできない。
「ところで、儂は観相も少々観ておるのだが、・・・大奥様の相を観るに、商賈の大奥様だということだが、・・・鳳凰の相が出ておられる。しかるに、その孫がこの四柱とはどうも腑に落ちぬのだが、・・・何か事情がお有りかな?」
叡徳道士は、白い髭をしごきながら婁氏を観た。太賈(豪商)では、跡継ぎを得ようと他人の子を実子と偽ることがあるという。
悪い四柱と言われて、婁氏は唇を噛みしめた。この最悪の推命は、偽りの四柱のためかも知れない。そうだ、正しい四柱なら違うかも知れない。
「実は、この孫の上に兄がおるのだ。どちらと娶せるか,迷っていたのだが、こちらも観て欲しい」
婁氏は懐から、長恭の真実の四柱を取り出すと、道士に渡した。
「承知いた。それなら兄君と令嬢の四柱も、観て進ぜよう。しばらく、時間が掛かるが、こちらでお待ちをいただけますかな」
叡徳が退出すると、婁氏は出された茶杯に手を伸ばした。推命が良くないとの理由で、長恭と青蘭の縁談を断ろうとしていたが、長恭の四柱が良くないと言われると気に掛かる。
どのぐらい経っただろうか。太陽が中天から西に傾いた頃、道士が櫃を抱えて戻って来た。
「お待たせした」
叡徳は笑顔で揖礼をすると、二人の四柱を卓の上に並べた。
「兄君と令嬢の四柱を調べたところ、どちらも日干が強く、天が巡り合わせた縁と言えましょう。強運をお持ちで、この令嬢を娶った暁には、この世の頂上を極める力をお持ちです」
やはり長恭は父親の高澄に似て、必ずや大きな手柄を立てるのだ。婁氏が大きくうなずいた。それでこそ、わが孫だ。
「しかし、山高ければ谷深し。その反面、若君は、大きな困難にぶつかると出ています。それを、乗り越えられるかどうかは、二人の努力次第でしょう。しかし、それを乗り越えれば、大きな平安が訪れましょう」
長恭は青蘭と一緒になると、将来大きな殊勲を残す反面、困難にも出会うらしい。後ろ盾となる一族を持つ令嬢との婚姻を望んでいる自分は、長恭の栄華を閉ざそうとしているのか。しかし、愛する孫には平穏な一生を送ってもらいたいのだ。
馬車に戻った婁皇太后は、額に手を当てて溜息をついた。
長恭と青蘭の四柱推命が、栄華を極めるが困難にも出会うと出たため、婁皇太后は二人の婚姻を許すか阻むか迷うのだった。