3・電気仕掛けの眠り姫2
「で、どうするのよ」
ついでに海岸でお茶会が始まり、アリスはスコーンをかじりながら池内へ聞いた。
「まぁ、次の【歪み】の発生を待つしかないでしょうね。それとも、海の上を歩いて行かれますか?」
「池内が担いで連れて行ってくれるのなら」
池内はただ肩を竦めて見せた。
「ここにウサギの気配はないのか?」
有寿の言葉に、アリスは首を振る。
「残念だけど」
「…そっか。じゃ、ここにいても仕方ないんだ」
「それに乙姫さんを怒らせてしまいましたしねぇ。宿泊施設を確保するのも、大変でしょう」
「うぇ」
有寿はまたもむせ返る。アリスは眉を寄せた。
「確かに。ここじゃホテル竜宮以外、めぼしい宿泊施設はないものね」
「そういうことです」
はぁ、アリスは大きくため息を吐いた。
「仕方ないわね。とりあえず、移動しましょう」
「移動?どこへ」
ナプキンで上品に口元を拭うアリスを眺めながら、有寿は尋ねた。
「そうねぇ、ひとまず森や林がいいわ。ここでは日焼けが心配だもの」
浜辺での茶会だ、確かに一理ある。大きなパラソルでブロックしているが、照り返しは防げない。暑い季節でないにしろ、少なからず日焼けの心配はありそうだ。
「かしこまりました」
淡々と片づけを済ませた池内が、アリスの椅子を引いた。ラグを片づける段になり、アリスが数歩下がった時、その現象は訪れた。
すなわち、
「ウサギの穴ーーーーーーーーーーーーぁ」
叫ぶ有寿は、落ちるアリスの手に引っ張られて道連れだ。あっという間に黒い闇に呑まれて行く。
「…貴女は、本当に私の期待を裏切りませんね」
池内は口を歪めて微笑むと、ふたりを追ってひらりと穴へ飛び込んだ。
※ ※ ※
うまく受け身は取れたはずだった。足はしっかりと大地を踏み、ぐらつきもなく、体操競技で言えば減点などありえない、美しいフォームだったはずだ。しかしてその背に、アリスが勢いよく着地する。
「ぐえ」
結局、潰れた蛙のような声を発して、有寿は地面に突っ伏した。てかアリスが先に落ちたはずなのに、なんで自分が先に落ちてるんだ? 有寿は地面と親睦を深めながら、物理の授業の復習を試みていた。
「ああんもう、またぁ」
「てっ、てっ」
アリスの靴の硬いかかとが、動くたびに背に食い込む。
「で、今度は一体どこに落ちたのかしら?」
「…それよりもお嬢様。足下、踏んでおられます」
「え?」
少し遅れて池内が着地した。音もなく、優雅な仕草に腹が立つ。その池内は、これまた優雅に言い放った。
「やだ有寿。ひとの足下で何してるのよ」
「てっ、てっ」
乗っかってきたのは、そちら様です。反論は、アリスのかかとが邪魔して叶わない。
「気持ちの悪い人ね」
…いいから、どいてください…。有寿はぱたぱたと、てのひらを上下させて意思表示した。
「お嬢様、いい加減、下りて差し上げませんと」
「あら、踏み心地良いからつい」
良いんか! 有寿は突っ込み心をこらえて、よろよろと立ち上がった。
「それにしても、ここは一体」
アリスは人差し指を軽く唇に当てながら、周囲を見回した。
「なんか見覚えがあるような、ないような…」
有寿も、きょろきょろと周囲を伺った。
背の高い木々がどこまでも、ぐるりと覆う深い森。時折響く、小鳥のさえずる高い声。風は穏やかに葉を揺らし、木漏れ日がきらきらと降り注がれる。シンデレラの森や、世界遺産の森なんかとの違いがさっぱり分からない。自分はただの旅行者で、自然を存分に満喫中だと、気分を切り替えることにした。
「お嬢様は、たくさんの世界をご訪問なされておりますからねぇ」
池内は嫌味も爽やかに放ちつつ、周囲を見ている。
「この辺りには、【歪み】の発生する気配はありませんね」
「…そう。なら仕方ないわね」
アリスは突然歩き出した。
「あ、やっぱり知ってる場所なんだ?」
有寿は、迷うことなく突き進むアリスを追いかける。
「全然」
…やっぱりノープランでしたか。有寿は肩を落とした。池内は平然と従っている。こういうのって、やっぱり慣れなのか? 有寿はまるで動じない池内を盗み見た。
コンパスの違いもあってか、池内の足の運びは優雅だ。柔和な表情は、一瞬たりとも本心を覗かせない。なにを好き好んで、アリスに振り回されているのか物好きな。もしかして、不埒な少女趣味でも持ち合わせているのかこの青年執事は。
「私の顔に、なにか?」
池内は、視線だけ寄越して有寿を見た。不躾な視線に対するにも構わずその顔は、やっぱり柔和だ。…うさんくさいほど。
「え? い、いやあのさ。確かあんた、人探ししてたんだよな? それって見つかったのか?」
有寿はとっさに取り繕った。まぁ興味があったのも確かだ。池内はおや、と眉を上げた。
「覚えておいでだったのですね。…そうですね…、まぁ順調と、そう申し上げておきましょうか」
「あんたも【ものがたり】世界の住人なんだよな? なんの【ものがたり】の」
「それは」
「有寿ー!」
池内の言葉をぶった切って、アリスの声が割り込んだ。
「見て見てー、ほら、小鳥の餌付けショー」
ずんずんと先を進んでいたはずのアリスの周りを、たくさんの小鳥が飛び交っている。木漏れ日に、きらきらと美しい金髪が映えていた。小鳥と戯れる美少女の姿は眩しすぎて、青少年にはある意味危険だ。
有寿の思考の全ては瞬時に、その光景に取り込まれた。
「…本当は、ご存じのはずですよ」
一幅の絵の美少女に、池内はまるで興味を示さない。探るように周囲の気配を伺っていた。