3.電気仕掛けの眠り姫1
森(兎穴経由)を抜けると、そこは海だっ……た?
「おや、ずいぶんとのんびりされていたご様子で。どちらで油を売っておられたのですか?」
西洋的執事風青年池内は、開口一番複雑な表情を浮かべるふたりに向かって、笑顔で問いかけた。銀の髪が潮風にさらりとなびく。煌めく海原と白く輝く海岸線。それらをバックに池内は、昭和のちいさな民宿でなら辛うじて見かけただろう浴衣をまとって寛いでいた。
白い生地に毛筆で書かれた【うらしま】の文字が無造作に散らされている。それが全く似合わない。アリスはわずかにしわの寄った眉間を抑えた。
「池内こそ、こんなところで何をしているの。ずいぶんと楽しそうじゃなくて?」
「おふたりの到着を、お待ち申し上げていたのですが」
含んだ嫌味を完全スルーして、池内はしゃあしゃあと返す。有寿は周囲を見回した。
南国を模した庭園の奥にたたずむ、白い瀟洒なホテル。その名は意匠を凝らした文字で飾られデザインとして、建物の装飾と化している。かろうじて”ホテル・竜宮’と読み取れた。
広がる海の色はエメラルドに澄み、砂浜は白く輝いている。どれも有寿には馴染みのない、海辺の色だ。
そして客と思しき面々は水着を除き、皆あの浴衣を着用していた。それが全く似合わない。このホテルにも人々にも、風景にも。
「なぜっ」
有寿は心底残念そうに呟いた。思い切り外観を損ねてるし。
「それより、おふたりとも。お腹は空いておりませんか?」
「……なによ唐突に」
アリスは胡散臭そうに池内を見た。
「いや、お腹が空いているからご機嫌がよろしくないのかと。先ほどお土産をいただいたのです。お召し上がりになりますか?」
「お土産?」
「はい」
池内は、またしても風景に合わない、コンビニ袋風ビニールから、長方形の箱を取り出した。白い包み紙には浴衣と同じく、毛筆で書かれた”うらしま”の文字が無造作に散らされている。
「ここ、リゾートホテル竜宮名物、玉手箱です。中には」
「いやいやいやいや、待て待て待て」
有寿は慌てて、包みを開ける池内を制した。
「うらしま、で、竜宮で、玉手箱、なんてそんな物騒な」
「はい?」
「だからっ、うらしまで玉手箱なんて、開けちゃ駄目だろ。開けた途端、煙でどっかん」
「失礼ですが、お客様」
いつの間に現れたのだろう、有寿の背後には、和服姿の美しい女性が立っていた。柔和な表情で、口元には笑みさえ浮かべているものの、その目は全く笑っていない。
「ふへ?」
「何やら聞き捨てならないお言葉を耳にいたしましたもので。創業千五百年、この業界では知らぬ者のない老舗、ホテル竜宮で、お客様に対してそのような物騒なお土産を差し上げるとか、心外でございますわ」
「そぉーよー。だって、普通のお饅頭よ。…うん、普通に美味しい」
って、もうしっかり食べておられますかこの嬢様はっ。
アリスは美味しそうに、茶色の薄皮まんじゅうを頬張っていた。あ、俺も食べたいかも、有寿は思いかけるも、目の前の女性が怖い。
「あの、いや、でもいやでも…」
有寿は言葉弱く反論を試みた。が、この画を前に、言い訳など浮かぶはずもない。そんな有寿に、和服の女性は静かに怒りを向けている。申し開きがあるのならとっとと仰いなさいな、背後のオーラが有寿を急かした。
「すみませんごめんなさい失言です」
白旗を上げた有寿に、彼女は大きくため息を吐いた。
「全く、困るんですよ。そういう根拠のないことを軽々と仰られるのは」
「…はぁ」
有寿は項垂れるしかない。彼女は、思い出すように苦い表情を浮かべた。
「以前いらしたお客のひとりが、故郷でそのようなことを吹聴して回ってから、信頼を回復するまで本当に大変だったんです。風評被害、とも言うべきかしら」
「いや、ひとりの客の影響にしては、それ大きいんじゃ…」
「その国ではずいぶんと著名な作家でしたのよ。ですからあなたもご存じなのでしょう。とても昔の、捏造話ですのに」
とにかく、彼女は言葉を区切ると、有寿に厳しく向き直った。
「そういう、根拠のないことを仰るのは大概にしてくださいませね。こちらの営業にも障ります。このホテル竜宮は、お客様にお喜びいただくべく、おもてなし精神を大切にしているのですから」
「…はぁ」
ホントすいません。ちいさく詫びる有寿の横で、池内までが饅頭を頬張っていた。なんだか無性に腹が立ってくる。
彼女はぷいと背を向け、有寿の元から立ち去った。張り詰めた空気が緩み、有寿はへなへなと傍らの椅子へ腰を落とした。
「仕方のない方ですね。乙姫さんをあんなに怒らせてしまうとは」
池内は、完全面白がっている。
「いやでもさ」
言いかけて、有寿は口を噤んだ。どこぞで聞かれているか、分かったもんじゃない。また現れて詰められるのは勘弁だ。
「へぇ、女将を引き出して怒らせたの。有寿もなかなかやるじゃない」
「なにがっ」
「それより食べるの?食べないの?」
アリスは饅頭の箱を突き出した。
「う…、食べるよ」
「なら早くいただいてしまいなさいな。ぐずぐずしてると【歪み】を落としてしまうわ」
気づけば、池内はいつの間にか旅支度を整えていた。いつの間に着替えたのか、浴衣でなく、チェックアウトも済ませている。コンパクトな双眼鏡で、周囲を眺めていた。
「…今回は少々厄介ですねぇ」
間延びした声の池内の言葉は、緊張感のカケラもない。
「なにが?」
「いやぁ【歪み】は発生してるんですが、なんとあの、海の沖合なんですよ」
はっはっは、なぜか乾いた笑い付きだ。
「笑ってる場合じゃないでしょう」
「いや、こういう場合は笑うしかないでしょう。どこかの国の格言にも、笑う門には福来る、というものもあるそうですし」
「ぶほっ」
「ちょっ、やだ有寿、汚い」
饅頭を詰まらせた有寿に、アリスは顔をしかめた。それ違うからっ、と、突っ込みを入れられる状況でない。とりあえず池内に冷たいお茶を用意してもらい、饅頭を飲み下した。