ウサギと森と灰かぶり4
「失礼します。お嬢様」
ノックとともに、若いメイドが入室すると、シンデレラへ耳打ちした。途端彼女の顔色が変わる。心なしか、外の気配が騒々しい。有寿は不思議そうにやり取りを眺めていたが、さっぱりつかめなかった。
「…で、アナタを護るべく、今まさに小母様たちは奮闘している、と。でも見つかるのは時間の問題ね。どうするの?」
アリスの方は冷静だ。閉じられた扉の向こうから、バタバタとした足音と、がやがやとした声が聞こえた。騒々しい中、家の娘はこれだけです、と凛とした声が混じっている。
「継母さまよ。本当にお優しくて素晴らしい方なの。それなのに私は」
シンデレラは深くため息を吐いた後、意を決したようにアリスに向き直った。
「今だけでいいの、身代わりお願いできないかしら。実は火山などないと知ったら、きっと諦めて」
「嫌よ、失敗したら面倒だもの」
シンデレラの頼みを、アリスは間髪入れずに拒絶した。有寿はふたりのやり取りを、ただ見守るだけだ。
…怖くて口が挟めないのが正解だけど。
「でも有寿なら、貸してあげてもよろしくてよ」
「い?!」
なななななんてこと言うんだこの娘は。有寿はぶんぶんと貧血が起こるくらいの勢いで首を振り、両手でバツ印まで作って断固拒否を示した。
「嫌なの?か弱い女の子が困ってるのに?あなたそれを見捨てると言うの?」
薄情者、アリスは涙を浮かべて有寿を見た。中身はいくらあれでも、外見完璧美少女が使う武器は破壊力が段違いだ。有寿は思わずよろめいた。
「お願い。貴方なら、うまく切り抜けられる気がするわなんとなく」
シンデレラは有寿の両手をつかんで哀願した。
タイプの違う美少女に囲まれて、有寿はだんだんどうでもよくなってきた。女性に免疫がなさ過ぎたのも禍だろう。モテモテ錯覚にまで、陥ってしまう。
気づけばこくこくと力強くうなづいていた有寿は、ふと我に返ると鏡の中に見慣れぬ美少女を発見した。ああ美少女三人目、パーラダーイス…と思いつつよくよく眺めてみると、それは女装させられた自分の姿だった。
「我ながら傑作だと思うのだけど」
「アリス?!」
てか何だよこれ、つかいつの間に?!混乱する有寿に、アリスはしれっといい放った。
「あら、だって身代わりだもの。それにしても私の腕前、見事でしょ」
「さすが、あの帽子屋と張り合うだけあるわね」
シンデレラは感嘆の声をあげた。
「やだ、あんな変態と一緒にしないで」
「帽子屋?」
「そう。【不思議の国】の誇る、マッドで破天荒でエキセントリックなハイパーデザイナー兼スタイリスト。よくいろんな場所で、三月ウサギと怪しいハーブのお茶を飲んでいるわ。遭ったことない?」
シンデレラは有寿に耳打ちした。
「【不思議の国】自体、行ったことないんだ」
「あらそうなの。でもいずれは訪れるのでしょう?その時にでも遭えるわ、きっと」
別に遭いたくないなぁ、有寿は胸の内で呟いた。有寿がため息を吐くと、同時に鏡の美少女もため息を吐く。
「忘れてたけど、結局なんなんだよこれ、何のつもりだよ」
「あら、しっかり馴染んでたじゃない」
「ないからっ」
そう?アリスはさらりと流すと、ふわぁと大きくあくびした。どこまでも自由な御仁だ。
「身代わりだもの。さっきも言ったでしょ」
「身代わりったって」
「大丈夫よ。おとなしくしていれば充分≪淑女≫に見えるから」
「な」
「あら勘違いしないで。素材が良い訳ではないのよ。私の腕が良いの」
…そろそろ殴っていいかな…拳を固めてうつむく有寿を、アリスはのぞき込んだ。
「そんなに大口を開けてはダメ」
ね、唇に繊い指先が触れる。桜貝のよう爪の先まで、美少女としてのスキがない。ほんのりと甘い香りが漂った。有寿の胸元に入り込み、見上げる微笑みが間近に迫る。
「こ…の、」
小悪魔。有寿はまたもやあっさりと、白旗を上げていた。
「大丈夫。ただ髪を調べられるだけだもの。別に嫁ぐという訳でもないわ。だから」
少しだけ我慢して。シンデレラも有寿に顔を寄せると、切なく微笑んだ。至近距離の綺麗な笑みに、心臓ぐしゃっとわしづかみ状態だ。もんどんときやがれやけっぱちの心境で、有寿は王子の使者の待つ、エントランスホールへと足を運んだ。