2.ウサギと森と灰かぶり2
「ごきげんよう」
いくらも歩かないうちに、森の出口はあっさり現れた。いくらなんでもなぜ気付かなかった?と、拍子抜けするレベルだ。納得いかないように表情をしかめる有寿に対し、アリスは意に介さず森を背にしてまっすぐに、ずんずんずんと歩き出した。選択の道は複数あったにも関わらず、一切の躊躇も見せず突き進む姿はどことなく漢らしささえ漂っている。
「アリス、どこへ向かってるんだ?」
これだけ確かな足取りなら、きっと知ってる場所に出たんだろうな、有寿は軽い気持ちで問いかけた。アリスは振り返りもしないで簡潔に言い放った。
「さぁ、知らないわ」
ここでもまさかのノープラン?!有寿は軽いめまいを覚えながらも、その背に従うしかない。
どれほど進んだだろう、きらきら光る湖が、ふたりの前に現れた。小柄な少女がひとり、座っている。
「ごきげんよう」
穏やかな水辺は、たくさんのレンゲの花に飾られていた。敷き詰められた緑の絨毯は柔らかそうで、その少女は腰を下ろして読書を楽しんでいたようだ。質素ながら仕立ての良い衣服を身にまとう少女は、先にふたりを認めると、優雅に挨拶を述べた。ドリルのごとく、天に向かって大きく盛られた金の髪が、服装と反比例して嫌でも目を惹く。
「ごきげんよう。…あら、シンデレラじゃない」
お久し振り、アリスは愛らしく微笑んだ。
「まぁ、貴女はアリスね。お久し振り。…そちらの方は?」
シンデレラ、と呼ばれた少女は、優雅な笑みを湛えて有寿に向いた。聡明な淡水色の瞳は陽光に反射する湖面のように煌めき、透きとおる白い肌はほんのりと薔薇色に色付いている。その周囲を、ラメのような粉がまといついていた。可憐な白い小花のように見えて、その芯は強そうだ。少女ながら優美に、上品に笑む彼女は、アリスとまた違うタイプの美少女だった。
「こちらは有寿よ。私の手伝いをしてもらっているの」
「手伝い?…ありす…ああ、もしかして例の≪ウサギ狩り≫?」
アリスはこくりと頷いた。旧知の仲であるようなふたりは、互いの状況を知っているようだった。彼女もあのウサギを食べるのかなぁ…有寿はその恐ろしい想像を放棄した。
「なるほどね。念願叶って、ようやく見つけたわけなんだ。ふふっ、おめでとう、と言うべきかしら。…はじめまして、有寿。私はシンデレラ。よろしくね」
シンデレラは読んでいた分厚い本に薄翠色の葉を枝折ると立ち上がり、改めて挨拶した。立ち上がると、盛り髪の異様さが余計目に付く。その高さだけでも充分なのに、細い首が折れそうなくらいまた、重そうだ。陽光に反射する金の髪に、時折雪のような、灰のような、銀の粉がぱらぱらと流れた。中世ヨーロッパの盛り髪は凄かったようだけど、こんな感じだったのかなぁ…てか、この髪のテーマは何なんだろう。煙突?ピラミッド?山?
「有寿」
ついつい凝視してしまった有寿は、アリスの声に我に返る。
「あ、よ、よろしく」
有寿は発条仕掛けの人形よろしくぎくしゃくと、頭を下げた。駄目だと分かっていてもなお、目線は髪に向いてしまう。流行りだとしたら凄い流行りだ。ま、世界が違うから価値観が違うのも当然だけど。
不躾な視線を送っているんだろうなぁと理解しつつも抑えきれず、結果、キョドる。そんな有寿を気にしないで、シンデレラは再びレンゲの絨毯に腰を下ろした。アリスも倣って腰を下ろす。有寿は少し離れた後ろの木に寄りかかりながら、目立つ盛り髪のことを考えていた。…というより、どう頑張っても頭から離れないから、仕方のない対応だった。
「まだ≪ウサギ狩り≫は始まったばかりよ。さっきも逃げられてしまったわ。それよりどうしたの?元気がないように見えるのだけど」
「ええ…ちょっと困ったことになってしまったの」
さっと、シンデレラの表情が曇った。
「良かったら話を聞くけど?」
「…そうね、異世界の貴女になら、何とかできるかもしれない」
異世界?異国じゃなくて?
明らかに馴染んでいるようだけど、ふたりの次元は違うのか?有寿は首を傾げた。ただ話の腰を折るのは怖くて、わざわざ割って聞くことはできない。池内がいれば聞けたんだろうな、有寿は無駄に周囲を見回した。やはり現れる気配はない。…それ以前に、どんな気配か分かるほど、親しくはないけど。
説明はあとでね、察したアリスが有寿に目配せした。
「とりあえず一緒に邸にいらして。詳しい話はそこで、ね」
シンデレラは立ち上がると、軽く衣装の草屑を払い、ふたりを先導するように歩き出した。優しい風が吹いて、緑の絨毯をふわりと撫でる。水面がきらきらと煌めいた。陽はまだまだ高い。
「ああ、それと」
シンデレラは突然立ち止まると、有寿に向かって微笑んだ。
「この髪が、随分と気になるようね」
「あ、え~と」
有寿は対応に困ってみっともないくらい狼狽えた。不躾な視線を送っていたのは確かだ。が、はっきり言葉にするのは躊躇われる。
「…ごめんなさい」
適切な言い訳も見つからず、仕方ないので素直に謝った。
「ああ、怒っているわけではないのよ。これはね、私の自慢のひとつでもあるのだから」
やっぱり流行りの盛り髪とかなんだ。女心を理解するのは難しいなぁ…、褒める言葉のひとつも思い浮かばず、愛想笑いで誤魔化す有寿に、シンデレラはあっけらかんと言い放った。
「これはね、火山よ。私、本物の火山を頭に所有しているの」
それはそれは優雅に微笑むシンデレラを、有寿はぽかんと見つめていた。髪の間から灰銀の粉がパラパラと舞い、彼女を飾った。
「【灰かぶり】」
有寿はちいさく呟いた。なるほど、灰かぶりそのものだ。しかも自前火山の。
「卵焼きくらいは余裕でいけるわね」
アリスの言葉に、思わずフライパンを頭上に乗せる少女を連想して、有寿は思い切り頭を振った。
「あら、中華料理も余裕よ」
シンデレラは優雅に応える。しかもとても嬉しそうな口ぶりだ。とっさに浮かぶ、強い火力の中で踊る中華鍋のイメージを、有寿はまたもや打ち払う。少女たちの会話を聞きながら有寿の中で、シンデレラの世界はどんどんどんどん崩壊していった。