1.金のアリスと銀の執事1
はじめまして。
ここには初投稿で右も左も分かってません_(:3」∠)_
童話世界をモチーフとしたお話が全7章あります。
BLの章もありますがこの作品自体は乙女に寄り添いたい所存です。
ズレまくった童話世界を楽しんでいただけたら幸いです(*´∀`*)
「アリス」
声は突然、頭の上から降ってきた。
桜の開花を目前にした早春の午後。短い春期休暇をある意味優雅に(もしくは寂しく)過ごしていた高校生、渋谷有寿は読んでいたコミック誌から目を上げる。当然のように白い天井だけが、まぶしく目に映った。
「?気のせいか?」
有寿は再び雑誌に目を落とした。穏やかな日差しが暖かく部屋を包んでいる。フローリングの床に、レースカーテンの淡い影が揺らめいていた。花粉症でない人間にとって、この時期の、この天気でのこの時間は快適だ。こくりこくりと有寿は船をこぎ始めた。
「アリス!」
また、声だ。今度は更にクリアに大きく聞こえる。有寿はぼんやりと周囲を見回した。侵入者の気配もなければ、外に他人の気配もない。
「…なに?」
父は仕事、母はパートで専門学生の姉は春休暇を利用して旅行中。今、家に残ってるのは彼ひとりだ。有寿はだるそうに天井を眺めた。声は上から聞こえてくる。でも、2階建ての2階の彼の部屋の上に、更に部屋はない。天袋があるのは向かいの姉の部屋だ。電波が混線して、何かの家電製品から音を発してるのだろうか。
「ま、いっか」
有寿は大きく伸びをすると、再び雑誌を開いた。ぱらぱらとページをめくる。えーと、どこまで読んだっけ?
「つーか、聞こえてんでしょっ。無視してるんじゃないわよっ。アリス!アリス!!アーリース!!!」
更にクリアに響いた声は、半ば怒号だ。それでも、持ち主の姿は一向に認識できなかった。有寿はキョロキョロと空中に視線を漂わせた。
「…いったいどこから…」
「アリスッ」
「ぐえっ」
刹那、よりはっきりした大声とともに、有寿の背中に衝撃が走った。天井が落下?飛行機が突っ込んだ?隕石が飛び込んだ?いやそれよりもそれよりも、口から内臓が飛び出そうだ。
「んもう、さっきから呼んでいるのにぃ」
ぎぎぎ、と首をひねって背中を見ると、小柄な少女が馬乗りになっている。有寿はとっさに二度見した。まぶしい金の髪を反射させた西洋人的美少女が、自分の背中にどかっと腰を下ろしていた。んでもって気づいているのかいないのか、のんきに指先で長い髪をもてあそんでたりする。
「え~と、あの…ドチラ様?」
自分の部屋の中だというのに、カタコト言葉で有寿は声をかけた。とりあえずどいて欲しいんだけど…なぜか控えめに付け足してみた。
「アリス?やっぱりいるのね。無視するなんてひどいわ。ねぇ、どこにいるの?」
「君の…下…」
がくっと、そのまま絶命するように有寿は応えた。伸ばした指先に、血で書いたダイイングメッセージが遺っていてもおかしくない。
「あら失礼」
少女はひょいと体を浮かせると、うつぶせたままの有寿をのぞき込んだ。
「ところでアナタは何をしていらっしゃるの?午睡なら、お布団でなさりなさいな」
風邪をひいてしまいますわよ?少女は婉然と微笑んだ。
透きとおる白い肌に、硝子のような青い瞳が煌めいている。ゆるいウエーブのかかった金の髪は長く、少女の身体をこぼれる様に取り巻いた。ちいさい唇は咲き初めの薔薇のごとく、ピンクローズに艶めいている、ちいさい頭と繊い容姿。人形のような、美しい少女だ。
でも、一体どこから湧いた?
有寿は痛む背中をかばいながら、半身を起こして少女を眺めた。降ってきたはずの天井は穴ひとつなく、白くふさがれている。窓ガラスも締め切ったままだ。この完全密室のなかに、少女はどうやって侵入したのだろう。
…しかも自分の背中の上に。
「アリス、会いたかったわ。本当にアリスなのね?」
少女は突然手を取ると、うるんだ瞳で有寿を見つめた。上気した頬が薔薇色に染まり、更に美しさを増している。
「私はアリス。あなたに頼みごとがあって【不思議の国】から来たのよ。ああ、会えて本当に嬉しい」
今にも抱きつきかねないテンションで、何やらおかしなことを告げる少女。有寿は反応に困って彼女を凝視した。金の髪に留まる水色のリボンカチューシャ。水色のパフスリーブワンピースに、白のエプロンドレスはテレビとか映画とかマンガなんかで割とよく観る【不思議】の少女の格好だ。それがよく似合っているからまた困る。
「…コスプレ?」
何だろう、自分を有名な物語の登場人物とシンクロさせちゃったりしてる可哀そうな娘?でも確かに似合ってる。思い込むのも充分理解できる…ような気もする。それより何よりやっぱり可愛い。
「アリス?」
すっかり黙り込んだ有寿に対して、少女は更に顔を近づけた。呼吸を感じるほどに近く、それは甘い芳香を放って、有寿を容赦なく取り巻いた。
「アリス?ねぇ聞いてる?」
「…あ…」
「?」
「有寿」
「?なぁに?あなたはアリスでしょう?」
有寿はぼそりと呟いた。残念だろうとあれだろうと完璧な美少女に対し、まともに視線を返せない。俺はヘタレだ、有寿は心の中で叫んだ。そもそも共学に通いながら、彼女のひとりもいたことがなかった。ましてやスキンシップなんて、家族以外の女性との接触も乏しい。
こんな美少女(しかも自分に気がありそうだ。…多分)を至近距離にして、まじまじと見つめ返すことさえできないのか、情けない。有寿は自分の心に叱責する。勇気を出せ、柔らかい手を握り返せ、良い香りを堪能しろ!きっとあれだ、外国人女性は積極的なんだ。何をためらうことがある。大人の階段は目の前だ!だんだん変態臭い思考になってる気がするけど気にするな、チャンスを活かせー!!
天使も悪魔もこぞって本能を応援する中、ようやく吐き出せたのがこの言葉だった、自分の名前。それも短いセンテンス、ただ一個。
少女は不思議そうに有寿を見る。細かく光を弾く金髪が、有寿の肩先をくすぐった。
「アリスじゃなくて有寿」
【中州】の発音で有寿は自分の名前を告げた。最後が上がる。アリスなんて、まるで女の子の名前だ。この発音は、有寿にとって唯一のこだわりだった。
「?よく分からないわ。アナタはアリス、間違いないのでしょう」
「だから、アリスじゃなくて有寿」
「?」
彼女には、その微妙な違いが判らない。ただ首をかしげる少女に対し、有寿は何度も繰り返した。わざとアクセントを大げさに言ってみたりも試みた。それでも、とうとう理解を得られない。
「もう、そんな訳のわからないこと言ってないで。お願い、私を助けて」
堂々巡りを断ち切るように、彼女は有寿の手を取ると両手に包み込んだ。≪お約束≫の定型だ。もれなく上目遣いの懇願もついてくる。ちいさい掌は心地良い柔らかさで、ほんのりと暖かい。有寿少年はこれがご褒美なのか罰ゲームの罠なのか、思考が拮抗して身動きが取れなくなっていた。最早どの反応が正解か分からずに、ただ少女の言葉を待つばかりだ。
「私と一緒にウサギを探して」
「ウサギ?」
「そう。頭の悪くて最っ高に腹の立つ馬鹿ウサギ。二度と穴を掘れないように捕まえなくちゃいけないの」
えーとえーと?賞罰の判断は下せないけど、どちらかと言えば罰に近いような気がする。ていうかやっぱり罰ゲーム解釈で正解?有寿は思案した。ただのウサギ狩りとはどうも違う気がする。むしろ嫌な予感しかしない。それでも愛らしく柔らかい掌を、振り切ることができずにいた。
「お願い。あなたじゃなきゃ駄目なの」
助けて?うるうる瞳と小首をかしげる仕草に、有寿はノックアウトされていた。すなわち、こくこくこくと頷いてしまっていた。
「ありがとう。やっぱりあなたは私の探していたアリスね。強く願った甲斐があったわ」
「願う?」
「そうよ。ウサギの穴に落ちた時にね、行きたい場所や会いたい人なんかを強く願うの。そうすると願いが叶うんだから。3%の確率で」
「確率低っ!あのさ、それ単なる偶然って言うんじゃ…」
「必然よ」
現にこうして叶ったじゃない。嬉しそうに胸を張るアリスを、有寿は残念な想いを込めて眺めた。
「お嬢様、お茶の準備が整いました」
いつの間に涌いたのか、少女の後ろに長身の青年が控えていた。英国紳士のような格好をしてる。…実際の英国紳士を見たことはないから、単なる想像にすぎないけど。
「遅いわ」
少女が振り向いた先には、見事なテーブルセットが用意されていた。白い清潔なクロスの上には、小ぶりの赤い薔薇が飾られ、陶器の砂糖壺やら銀のカットラリーやらが見える。整頓されてない有寿の部屋の、マンガやら洋服やらCDやらゲームソフトやらの散らばった上に、毛足の長いラグが敷かれて、遠慮なしに乗っかっている重厚なダイニングテーブルは、狭い部屋に窮屈そうだ。
「…あのさ」
「さ、立ち話もなんだしいただきましょう。有寿、遠慮しないで座って」
青年の引いた椅子に少女が腰をかけると、ばりりと嫌な音がした。プラスチックケースが割れたような、嫌ぁな予感を抱かせる音だ。
「いやあのだから。色々引いてるし壊してるし、てかどっから湧いた?それより靴」
「有寿は何を飲む?紅茶?ハーブティ?オレンジジュースもあるわ。絞りたてで美味しいわよ。あ、私はハーブティね。いつもの」
「かしこまりました」
「いやそれよりも」
「あら、もしかしてコーヒー党?大丈夫。豆もたくさん用意してるわ。モカと、えっとキリマンでしょ。ブラジルに…あとなんだっけ」
「こちらにお品書きがございます」
赤い革張りのファイルが、有寿の前に差し出された。細かい文字でびっしりと、各種メニューが書かれている。青年の横には、こじんまりとした銀のワゴントレーが一台置かれたきりだ。どこにこんな食材が隠されているんだろう…って。
「そうじゃなくてっ」
危うく流されかける自分に突っ込みを入れて、どうにか現実を取り戻す。ああああ、色んな大事なものが、彼らの足下でばりばり壊されていく~。
「ね、スコーンにはどれがいい?ジャムは自家製で美味しいんだから。イチゴにママレード、ブルーベリーとラズベリー。もちろん、プレーンでも美味しいわ。あ、私は生クリームも添えてね。レモンの入ったやつよ」
「承知しました」
「だからさ」
「有寿も同じものがいいの?」
「…そういうんじゃなくて、ああもう」
気がつけば、有寿も椅子に腰かけ(させられ)ていた。足下に、ちいさな機械的なものを踏みつけてる感触がする。スマホだったら困る…。じわじわと身体をずらしてそれを避けた。テーブルの下敷きにされなかっただけも幸いなのか。ああ、せめて壊れてませんように。
「クッキーもムースもアイスもケーキもあるわよ。チョコでしょ、生クリームにチーズケーキ。もちろん生とベイクド両方ね。ああ、ヨーグルトケーキもあったわ。あ、もしかして甘いのは苦手?じゃ、キッシュでも用意させる?ほうれん草とベーコンが入ってるの。ピザもあるけど、ちょっと無粋よね。あ、私はチョコレートケーキを。トリュフも忘れないで。ナッツ入りのやつよ」
「仰せのままに」
「…いただきます」
駄目だ。全然人の話聞いちゃいねぇ。有寿はがっくりと肩を落とした。そもそも女の子に免疫のない有寿には、完全押されまくりの状況だった。こうなったらもう諦めて、食べるしかない。
「有寿様は何をお召し上がりになりますか?」
柔らかい物腰で、青年が尋ねた。口調は柔らかいし声質も穏やかだ。でも、どこか慇懃無礼な雰囲気をまとっている。
「…紅茶で」
「ダージリンとアッサムと、オレンジペコとウバとキャンディとヌワラエリヤとディンブラと」
「ダ、ダージリンで」
「ストレートにいたしますか?それともミルク?レモン?アップルもストロベリーもロシアンティもご用意できますが。変わったところでバター茶もご用意できますよ」
「ミ、ミルクティーでお願いします」
「マシュマロミルクティ、ジンジャーミルクティ、ナッツミルクティ、バナナミルクティ、アップルシナモンミルクティ…」
「アリス…彼女と同じでいいです…」
有寿はぐったりと項垂れた。どうしてお茶ひとつ頼むだけでこんなに疲れるんだろう。
「かしこまりました」
青年は深々とお辞儀すると、ワゴンへ戻り準備を始めた。