上には上がいる話
男は所謂イケメンだった。
子供の頃からたいへんモテた。
いつだって彼の前には告白の順番待ちの列ができていたし、男から愛を囁いて落ちなかった女性はいなかった。
数えきれないほどの浮き名を流してきたが、そんな男も三十を越えたところでそろそろ落ち着こうかと考え始めた。
男がこれまで付き合ってきたのは美人でセクシーで客観的に見て女らしい女性が多かった。
そういう女性が好みだったという訳ではなく、女としての自分に自信がある女性ほど積極的に声をかけてくるからだった。
こう言っては申し訳ないのだが、男はそんな女性たちに少々飽きてきていた。
だから男は比較的地味な女性に声をかけることにした。
あまり付き合ったことのないタイプだということもあるが、真面目な方が結婚には向いていると考えたからだ。
そうして幾人かと付き合ってみたのだが、初めの頃こそ遠慮がちにしていた彼女たちも、男の隣にいることに慣れてくると様子が変わってきた。
良く言えば正直に、悪く言えば図々しくなってきたのだ。
そうなってくると、何だか違うな、と思って別れてしまう。
そんなことを繰り返している内に三年経った。
別に焦っている訳ではないのだが、ただ付き合うだけより結婚を目指す方が難しいなと思い始めた。
男はこれで駄目ならしばらく女性から距離を取ろうと、一人の女を食事に誘った。
それは入社以来面倒を見ている後輩だった。
実のところ一番初めに声をかけたのは彼女だった。だが、あまりにも手応えが無さすぎてすぐに別の女性に変えたのだ。
残業で二人きりになった日に、それを労うという口実で行きつけの小洒落たレストランへ行った。
女の方は行き慣れない店に落ち着かない様子だった。
だが、それは想定内だ。
警戒されないよう、けれど忘れてしまわない程度に間を空けて、二度目には行きつけのバーに行った。
そして三度目に「今度は君がよく行く店に連れてってよ」と言えば、女は戸惑いながらも彼女行きつけの大衆居酒屋に案内してくれた。
これまでと違い、自分が行き慣れた店で女はずいぶんリラックスしている。
男はこれまでの経験から自分に自信がない女性ほど、こちらの好意に気が付かないと知っている。だから男ははっきり伝えるつもりで、タイミングを見計らっていた。
今だ、と男は思った。
「俺と結婚を前提に付き合って欲しい」
断られた。
もちろん想定内だ。
「からかわないで下さい」
「本気だ」
「不釣り合いです」
「俺はそうは思わない」
そんなやりとりを繰り返しつつじわじわ距離を詰めていけばいずれ首を縦に振るだろう。そう思っていた。
だが、男の想像とはうらはらに心の距離は縮まらない。それどころか、冷めてきている気さえする。
なぜだ。今までで一番難しい相手だと心得てはいたが、理由がさっぱり分からない。
入社したての頃の彼女は男の顔を見てほんのり顔を赤らめることもあった。好意は持っていたはずだ。
それから徐々にそういったことは無くなってきたが、嫌われるようなことをした覚えはない。
男はもう降参だとばかりに本人に直接理由を聞くことにした。
「俺の何がダメだったんだ。これで終わりにするから正直に教えてくれ」
すると女は申し訳なさそうに「先輩が悪い訳じゃないんです」と言った。
「先輩のことは好きです。ずっと憧れてました。ただ、実際に付き合いたいか、と言われたらそれは思いません」
「どういうことだ?」
「入社した時、先輩が指導担当だと聞いて正直舞い上がりました。でも同時に私がお付き合いするような方ではないとも思いました」
「諦めたってこと?」
「最初から想定外というか……。偏差値五十の高校生は東大を目指さないみたいなことですかね……」
女は言い淀み、それから意を決して言い放った。
「実は私、今まで、先輩が彼氏だったらという妄想をしていました!」
男は意味が分からず戸惑った。言葉の意味は分かる。それが付き合わない理由とどう結び付くのかが分からない。
男が何も言えずにいる間に女はさらに言葉を続けた。
「妄想ならいいだろうとあれこれ考えていたらどんどんエスカレートしてしまって。妄想の中ではすべて私のして欲しいことをしてくれるし、言って欲しいことを言ってくれる。でも、現実は違うじゃないですか。もちろん分かってます。そんなのは当たり前のことです。現実の先輩が悪いってことじゃないんです。他の人なら気にならないんです。当たり前だと思うので。ただ、先輩だとどうしても妄想の中の彼と比べてしまって、違う、そうじゃないって思ってしまうんです。先輩は全然悪くないんですけど、すみません」
女は恐縮しているようだが、思っていたことを言いきってすっきりしたようにも見える。
一方の男は愕然とするしかなかった。
かくして、稀代のモテ男は自身をモデルにした妄想の前に、人生初の敗北を喫したのであった。