3.泥の星、竜の子守唄
【4.ドラゴンスター・ロックンロール】
「ポイント到着。深度190m。もう結構浮き上がってきてるね。ヨシュアが言ってた通り、斥力場がかなり広い、新しいのか体積がデカくて軽いのかは、潜ってみないとわからなそう。」
ミラがそう言って、ヨシュアのゴーグルにマーカーを送る。アーノルドから受け取ったデータを元に行政局から提供されたデータを重ね合わせ、想定よりも1日早く竜の居場所を特定することが出来た。
「じゃあ、潜ってくるかな。」
潜泥服を身にまとったヨシュアは、自分が装着した装備の機能確認をする。1つ1つが命に関わるものだ。この確認作業を怠れば、それは命を失うことに直結する。
「点検終了っと……姉さん、じゃあ、行ってくるよ。」
そう言って、ヨシュアはミラに親指を立てる。
「サポートはいつも通り、任せてね。」
「信頼してる。」
そうして、ヨシュアはその身を泥海に投げた。ヨシュアはマーカーを頼りに泥海の中を潜っていく。泥の中は冷たい。潜泥ではこの温度の感覚が重要に成る。竜の遺体が発してる斥力は泥を温める。つまり温く感じるのならば、竜の遺体が近くにあるということだ。今回は既に竜と思われる反応を特定しており、そこに向かってエアジェットを吹かせば、目的地にたどり着けるというわけだ。
潜泥服越しに熱を感じた。ヨシュアは指のコントローラーを操作して、エアジェットを吹かせて熱の核へと近づいていく。熱の核に近づいていくと斥力場で体が押し返される。
(最大出力)
エアジェットがタンク内の空気を高圧縮して吹き出させる。それによって斥力に抗うようにヨシュアは、その核へとたどり着く。そして、斥力の壁を抜ける。
空洞に体が出ると同時にすぐに着地体制。斥力場で満たされた柔らかい地面の上に体が跳ねた。ヨシュアは姿勢を整え、空気を確認する。人が生きている酸素濃度が斥力場の中に満たされていることを確認した後、ゴーグルと酸素マスクを外した。ヨシュアは上を見上げる。
「これは、すごいな……。」
そう思わず感想を漏らす。その視線の先には、緑色の皮膚と肉を残した竜の死骸があった。
※※※
泥海の下に竜が住んでいる。突如、星に現れた竜達は星を泥で包み、人間達を泥の外へと追放した。何故、竜達がそのような行動を起こしたのかは明らかになってはいない。竜が星へ侵略してきて、人間たちから奪ったとも、人間の文明が星の生命を脅かしたからだとも様々な仮説は立てられた。もはや泥海が星を包んでから1000年以上の歴史がある中では、この星に泥海以外の世界があったという認識を持つものは居ない。だが、確かなのは泥海の下には竜が住んでいるということだ。それは、不定期に泥海の下から竜の死骸が浮上してくることから明らかだった。だが、ほとんどの竜の死骸は、その体を地上に現さない。浮上は一定の深度で止まる。その理由は未だ解明されていない。
竜の死骸は、骨は斥力場を形成する道具に、肉は20年燃え続ける薪に、血は生命の遺伝子に組み込まれた情報を書き換える力を持つ。
竜の死骸が持つ斥力には個体差があるようで、浮上するまでに骨だけになるものから、肉を保ったまま浮き上がるものまでいる。後者は特に価値が高く希少だ。
ヨシュアが見上げる竜は肉を保ち、死んだ時の姿を残している。10年以上泥掘りを続けているヨシュアもここまで状態が良い竜は見たことがなかった。
「生きてたりしないよね?」
そう思い様子を見るが息1つ、瞬き1つしない。ゴーグル越しに、竜の熱量を測るが竜の体は冷え切っていた。生物として、生きているとは考えられないだろう。
「あ、そうだ。姉さんに連絡入れないと……。」
命綱に内蔵されている通信ケーブルからミラに連絡を入れる。
「姉さん聞こえる?竜の死骸を確保した。今から器具取り付けるから引き上げの準備しといて。」
そう通信を入れるが、スピーカーから返事が無い。
(おかしいな、いつもなら姉さんはすぐ返事をくれるんだけど……。どこか断線したか?)
ヨシュアはそう訝しげるが、答えは出ないので、緊急連絡用の浮きを打ち上げる。中に打ち込まれたメッセージで状況は伝わるだろう。引き上げは30分後。それまでに引き上げ用の器具を全身に取り付けなければならない。ヨシュアは急いで作業に取り掛かった。
※※※
ヨシュアが器具を取り付け初めてから25分ほどの時間を経て、全ての装置をつけ終わった。竜は自身の斥力で一定の浮力を得ている為、実際の重さよりも軽い。とはいってもヨシュア達が乗る小型のクレーン船では中型程度の竜の死骸を引き上げるのは難しい。だが、ライトバード姉妹はそれを幾度もやり遂げてきた。
少しの時間を待機した後、引き上げが開始された。ヨシュアは再び酸素マスクとゴーグルをつける。引き上げ最中は斥力場の中に泥水が入ってくる事もある危険な時間だ。
危険時の切り札であった竜の血は使えない。竜の血は一度飲んだら10日ほど空けなければ中毒症状を起こす。それは最悪死に至るほどのものだ。だが、昨日アーノルドを救出する際にヨシュアは竜の血を服用している。だから、もう竜の血は使えない。
竜の引き上げ作業は順調に進んでいた。器具に問題は無い。だが、ヨシュアには嫌な胸騒ぎがしていた。ミラと連絡が取れなかったのは勿論だが、それ以上に違和感があった。引き上げる速度が早い。ミラは竜の死骸を極力壊さないように時間をかけて丁寧に引き上げ作業を行う。だが、これは全力で引き上げ用のウィンチを回している。これでは竜の痛いを壊す可能性がある。普段のミラの仕事からすれば、考えられないことだった。これはつまるところミラからの合図だ。泥海の上で何かがあったのだ。ヨシュアの脳裏に過ぎるのはいつの間にか居なくなった父と母の姿。そして月の光に照らされた雄大な翼。そして、吐き気を催す泥の匂い。青く発光する自分の――
ヨシュアはそのイメージを振り切るようにして深く呼吸して、行動を開始する。そして舞台は海の上へと移る。
※※※
引き上げ開始の35分前。
ヨシュア・ライトバードが泥海へ潜ったのを確認した後、サポートに入ろうとした時、汗を拭った際に見た地平線に高速で迫る何かの姿が映った。
「なんだあれ?」
それからすぐに大きくなる影の姿にそれが船だという事がわかった。近づく速度が早い。
(パワーボード?こっちに向かってる?てかこのままの進路だと、激突しない?)
クレーン船を動かそうにも、今、ヨシュアが泥海に潜っているから動かすことは出来ない。
(連絡方法が何か……オープンチャンネルは開いてない。うーん、何か一応見えるもので意思表示。ああ、そうだ。)
ミラは確認の為に信号弾を打ち上げる。救助要請に使われるものだが、こちらに人がいるという証明にもなる。それを打ち上げた後、パワーボードは減速しつつもミラ達のクレーン船の隣につけた。パワーボードに乗っていた人間は4人。1人はサングラスをかけた虎柄の服の男、スーツを着込んだ無骨な男女が2人、そして、ミラにとっても知っている顔、アーノルドが横たわっていた。
アーノルドの様相はひどいものだった。顔には殴打され、腫れて紫色になっており、胸と脇腹からは血が流れている。銃傷だ。満足な治療も行われず、そのまま放置しているようだ。
ミラは、このモノ達が何故ここにやってきたのか即座に察する。狙いは最初からミラとヨシュアだ。そして、この男はアーノルドに致命傷を負わせ、それでも生きていられるかどうかの耐久実験をしたのだ。
「ハロー、お姉さん。ライトバード姉弟のー、えーと姉の方なんて名前だっけ?」
「ミラ・ライトバードです。」
サングラスの男が尋ねるのに対してスーツの男が即答する。
「あー、えーミラさん。なるほど、噂に違わぬ美しさだ。くりりとした瞳に熟れた胸、燃える炎のような赤髪、全てが情熱的でチャーミングだ。今、この船が引き上げてるのは竜ですよね?そう簡単に見つからないと聞いていたけど、流石は高名な泥掘り。引き上げの現場に出くわせて得難い経験をさせて貰ってるよ。」
ミラは男の言葉を黙殺する。会話を行わない。この男の目的は見るだけで分かっている。
「ダンマリとは困るね。おい、蹴れ。さあ。」
サングラスの男が、そういって部下に指示を出すと、部下の男がアーノルドに蹴りを入れる。アーノルドは痛みに苦しみ、声にならない声をあげる。その様にミラはため息を吐いて、
「何の用?」
そう尋ねた。その言葉にサングラスの男は笑い顔で
「ああ、良かった。やっと喋ってくれた。実は俺はこの男と浅からぬ因縁があってね。こう罰を与えていた訳だけども、ああ、自己紹介が遅れた俺の名前は……。」
「覚える気が無いから教えなくて良いよ。それで?なに?」
「ん、気にならないの?この男との関係とか、そういうの?」
「興味ない。ただ、単純に今、私は大事な引き上げ作業中でお前みたいなのを相手にしなくちゃいけなくて不快な思いをしている。」
そう苛立ちを隠さずにミラは言う。それに、サングラスの男は笑って応える。
「これは手厳しいお嬢さんだ。自殺しようとしてるこの男を助けるお節介だから、こういうのを見せれば、効くかと思ったんだけどな。まあ、本題と行こう。」
パワーボードに取り付けられた機銃の銃口がミラ達の船に剥けられている。引き上げ作業を行っているミラ達は動けない。それどころか船体のどこかに当たりでもしたら、泥海に潜っているヨシュアの命の危機になる。この場の主導権はサングラスの男が握っていた。
「竜の血、持っているんだろう?それを全て頂けないかな?」
※※※
泥の海は濁っている。そのため肉眼では海上の状況を把握出来ない。熱感知に切り替えると船底のようなものが2つ見えた。1つはヨシュア達が乗ってきたクレーン船。そして、もう1つが今回の事件を起こしているイレギュラーなのだと、ヨシュアは理解した。
(まあ、状況証拠だけからでも穏便な話じゃないんだろうな、18号コロニーに察知されたか、それとも別のタイプの案件か……。)
ミラ・ライトバードは交渉事に向いている性格ではない。それでいて、黙って相手に従う性格でもない。ここで諍いを起こせば、コロニーの境界線の問題を起こしたことで、その事態解決の為のスケープゴートにライトバード姉弟が選ばれる可能性もある。そうすれば、もうコロニー21号に住むことは出来ないだろう。ミラはそれを気にしない。ミラにとって大事なものは弟のヨシュアのみであり、それを守る為ならば、どのような手段でも取る。それをヨシュアは知っている。
(早く浮上しないといけないな……。)
最悪の状況も想定しておかなければならない。ヨシュアは、エアジェットを吹かせて浮上する。事態は一刻の猶予もなかった。
※※※
アジル・クネリは理解が追いつかなかった。自身のかけてるサングラスが間違った映像を自分の瞳に映し出してるのではないか?と疑い、サングラスを外す。だが、結果は変わらない。肉眼で見た光景とサングラス越しに見た光景は一致する。ならば、これは一体なんの冗談だろうか?
最初は脅しのつもりだった。クレーン船の強度では多少撃った所で大きな被害を被れないだろう。だから、こちらには撃つ用意があるのだと、そう脅迫するつもりだった。
たとえ、機銃がレッカー船を破壊するにたらない威力だとしても、急所はある。例えば泥海に綱を垂らしているクレーン。例えば、クレーンの綱を巻き取っているウィンチ。
それを破壊すれば、ライトバード姉弟の行っていることは全てご破産になる。今、泥海に潜っている弟ももれなく死ぬだろう。ついでに姉のミラも殺せば、証拠隠滅は完了する
。それは同時にアジルも彼らが引き上げている竜の死骸を手に入れるチャンスを失うだろう。だが、アジルからすれば、それは大した損害では無かった。18号コロニーに戻って自身が泥掘りを雇って、引き上げればいいだけの話だからだ。端的に言えば、アジルは、その手間が面倒だから工程を省略しようとしていたに過ぎない。
だが、アジルの目の前で起こっている異常事態は、その計画全てを覆していた。今も機銃から銃弾が発射され続けている。その銃弾は全て船体を狙ったものだ。だが、その全てが、ミラの船の一定の距離に入ると空間で静止する。銃弾が持っている運動エネルギーの全てがそこでなくなってしまったかのように、重力にすら逆らって浮いている。
アジルははっとして、
(これは、斥力場か?竜を使った俺の知らない技術や機能、そういうものがあってもおかしくはない。)
焦りながらも思案を巡らせるアジル。その後、ミアを見上げて笑う。ミラの瞳が青く光っている。
「竜の血。」
一体いつ服用したのかはわからない。だが、それは竜の血を体内に取り込んだ時に怒る現象だ。竜の血を服用した場合、通常は網膜が青く染まる程度だというが、ミラの瞳は、瞳そのものが青く染まり、鈍く輝く宝石のようだ。
「素晴らしいよ、素晴らしいな、ミラ。どんな竜の血を使ったんだ?この力を俺と共有しないか?超常的な力じゃないか!竜の血で人が自在に斥力場を操れるのならば、コロニー1つ築ける財産になる!なあ、俺と組まないか?ミラ!俺がお前達を最高の舞台に立たせてやる。」
アジルは歓喜していた。恐怖は心の内に強くある。だが、それ以上に好奇心を刺激される。見たことのない英知が、そこにある。未知がそこにある。人は永遠にそれに惹かれ続ける。
「警告代わりにいくつか、教えておくよ。」
静かにミラ・ライトバードはアジルに言う。
「私はね、善悪っていうものに実感が無いんだ。ヨシュアが嫌うことが悪、好むことが善ぐらいの認識なの。勿論一般的なものはどうなのだとか、そういう勉強はしてるし、自分なりにそれをシミュレートしているよ。」
そうミラは事実を並べる。
「何の話だ……?」
アジルは、ミラの含意を理解しかねて尋ねる。
「だから、まあ、なんとなくは出来はするんだよ。でも、さっきも言ったように実感が無い。別に善だろうと悪だろうと感じる事は一緒。ただの言葉遊びだ。このくくりに意味はあるか?と考えるの。」
「だから、何の話をしている!」
叫ぶアジルにミラは、冷徹に言う。
「あなたは悪党だよね?っていう確認。殺してもいい生き物だよね?っていう確認。わからないから、確認しているの。」
そう言い放つミラを見上げるアジル。
(な、なんだ……あれは……。)
ミラ・ライトバードはそれが当たり前のことであるかのように空中に浮かんでいた。。機銃の弾が切れる。アジルの部下が大慌てでマガジンを再装填しようデッキのマガジンを掴む。だが、ミラは再装填を許さない。宙空に飛んでいたミラは稲妻の如き速さでアジルの乗るボートへ飛行する。
「なっ。」
誰もが目を疑うその瞬間で、ミラは機銃を掴み捻じ曲げる。アジルの部下たちは慌てて銃を取り出してミラに向けて撃つ。弾丸はミラの体に触れない。全て静止する。
ミラは面倒そうな顔で2人の部下の腕を掴み、くるりと捻った。腕があらぬ方向に曲がる。悲鳴があがり。痛みに悶え苦しみ嗚咽があがる。
「まだ、生きているんだ……運がいいね、アーノルド。あとでヨシュアに感謝をしてね。」
ミラはアーノルドに視線を向けて言う。アジルは目の前で起こっていることに面を喰らいつつもすぐに自分が視界にすら入れられてない事に気づいた。この化け物は、自分よりもあんな男に関心を持っている。それがアジルのプライドを傷つけた。
「化け物め!こっちを見ろおおお!!」
アジルは、拳銃でミラを撃つ。弾丸は当たらない。ミラはアジルに顔を向ける。その視線は冷たく、鋭く、どこか美しく。
「お前さあ、ヨシュアにとって害になりそうだからさ、ここで消えておこうか?」
そう囁くように言ってミラはアジルの首を掴もうと手を伸ばす。
「ひひひゃあ!」
アジルは、声にならない声をあげてミラから逃げる。あの手に掴まれたら死ぬ。そう理解した。逃げなければ、ならない、逃げなければ……。
(どこへ、逃げると?)
狭い高速ボート。周囲は泥海。人間は泥海を生身で泳ぐことは出来ない。船の外に出れば死。あの青い瞳の化け物に掴まれたら死。
(なんだ、これは、あんまりじゃないか。理不尽じゃないか!非現実的じゃないか!くそ!)
歩いて迫るミラに、アジルは恐怖して、泥海に飛び込んだ。もはや、正常な判断がつかず、ただ、ミラの目の前に居ることを嫌ってのことだった。
アジルは、泥の海に飲まれ沈んでいく。ミラはそれを無表情に見つめている。静かにアジルは海へと……。
「姉さん!!!!!」
そう、叫ぶ声があった。ミラが誰よりも聞き慣れて、誰よりも大切に思っている者の声だ。そこでミラ・ライトバードは理解する。どうやら間に合ってしまったらしい。
「マーカー設定して!今溺れた人を助けるから!」
「で、でもさー、ヨシュア、今の奴は死んでもいいと思う!!」
「黙って言う事やれ!!さっさとしろ、馬鹿姉!!!!」
「うー、私の苦労も知らないで、この馬鹿弟!」
ミラはすぐに自分達のレッカー船に戻り、端末を操作する。
その情報を受け取って泥海から上がってきたヨシュアは再び泥海に潜航する。エアジェットを吹かす。残存した空気量はもうほとんどない。だが、ヨシュア・ライトバードは迷わない。死んでいい人なんて居ない。綺麗事だと言われようと、そう思う。そして、何よりも姉に人殺しはさせない。そんな最悪は嫌だと、ヨシュアは心の中で叫ぶ。溺れたアジルを掴む。もうエアジェットには泥海を上がる程の空気はない。けれど、今、それとは別にヨシュア達が引き上げているものはある。
ヨシュアは自分の体を盾にして、エアジェットを潜航するように吹かす。目的地は引き上げていた竜の死骸。その斥力場の中。そこでならば、自力で浮上しなくても海上に戻ることが出来る。
斥力場とぶつかったことで体に衝撃が走る。
(こ……のまま!)
アジルを抱え込むようにして抱く。極力斥力場貫通の際の衝撃の負担がアジルにかからないようにする。斥力場の壁を抜ける。背中が斥力場の地面にぶつかり弾力で跳ねる。その時の反動でヨシュアはアジルから手を話してしまう。斥力場の地面を転がるアジル。ヨシュアは、バッグから注射器を取り出す。その注射器の中には青く光る液体が入っている。
ヨシュアは意識を失って倒れているアジルに駆け寄り、
「間に合え!」
注射器を首筋に打ち込んだ。
※※※
引き上げられる竜の死骸。竜の死骸の斥力場は大気に触れると霧散する。斥力場が拡散するのは竜が死んだことで制御されていないため、泥の殻がなくなると力の行き場をなくしてしまうからだ。
ヨシュアがアジルをレッカー船にあげて応急処置をしているのを見て、ミラは言う。
「これが良いことなのかなぁ?」
アジルをミラは助ける価値の無い人間だと判じた。けれど、ヨシュアはそれを助けた。その違いがわからず首を傾げる。
「まったく、世界は未知に満ちていて面白いな。」
アジルは助かるだろう。打ち込まれたのは一般で取り扱われている劣化した竜の血ではない、生きた竜の血だ。
肺から泥を吐き出すアジルにヨシュアは声をかける。ミラは、その様子を見て、泥海に浮かぶ世界には知らないものが溢れているなと、そう面白そうに眺めるのだった。
【5.泥の星、竜の子守唄】
干からびた空に星が灯っっている。彼の人が作り上げたイルミーネーションは静寂な世界で唯一の楽しみだ。干からびた空の上には果ての無い空があるのだという。自分たちは星を守る役割を終えた後、空へと帰り、本当の星になるのだと彼女は父と母に教えられた。
「その空で星になったお父さんを見てみたい。」
父を失って少しの時が過ぎた後、少女はそう言った。
仲間たちは少女を諭すように言う。
「我々がここにいることで、この星は生きているんだ。だから、そんな事を考えちゃいけないよ。我々がここに居なくなれば星は死んでしまう。血も肉も皮も翼も全ては星の為にある。そうして、役目を終えた後、最後に星になることを許されるんだ。」
大地に居るものは誰もが言う。過去に空の向こうに行った仲間は居なかったのか?と尋ねる。
「居なかったわけじゃない。でも私達は生きてあの泥の空を超えることは出来ないんだ。だから、誰も空の向こうへ行ったものは居ない。命を終えた瞬間だけ、空へ行くことだけが許されるんだ。」
そう言い含められてきた。しかし、それで納得いかなかった。少女は果敢にも仲間に隠れて、泥の空へと上がることにした。だが、その試みは失敗に終わり、少女は現実を知った。泥の海は厚く長く、自分の力だけでは登りきれるものでは無かったと……。泥の向こうへ行く為には力が持たないのだ。少女は命の危険を感じて、泥の下の世界に戻った。そして、戻った所を仲間たちに見つかってこっぴどく怒られた。
「でも、わかっただろう。我々はあの空の向こうにはいけないんだ。」
仲間たちは諭すように少女にそう言う。けれど少女は諦めきれなかった。何か方法は無いかと考えた。そして、考えついた。
1人の仲間が死んだ。死んだ仲間は泥の空へと上げられる。
「ごめんなさい。」
そう言って少女はその遺体の懐に潜り込んだ。自分の体を仲間の体で隠すのは罪悪感があったが、それでも少女は空への憧れを止めることが出来なかった。そうして、竜の遺体と少女は泥の海を登っていく。。
少女の体は空気さえあれば、健康的な状態を維持出来た。だから、空腹とは無縁だった。だが、少女は途中で自分の考えが甘かったことを知る。死骸の斥力場の中にあった酸素が尽きかけていたのだ。もう、今の死骸の中にいられないことを少女は知った。けれど、戻るには既に高く上がりすぎている。もう戻れない。
「じゃあ、空に行こう。」
少女はそう決意して、自身と共に旅をした死骸に別れを告げて、泥の海へと出る。斥力を操り泥の海を駆ける。少女は理解している。きっとこのままでは海上に行く前に力尽きてしまう。だから、少女は探した。別の仲間の遺体を……。
運良く少女は仲間の遺体を見つけた。斥力場の中に入る。まだ、その中には酸素があった。それから少女は酸素が尽きそうになったら、遺体を転々と移ることで、登り続けた。
そして、少女は泥海の上に出た。
初めて見る果ての無い空。押しつぶされそうな渇いた空では無い。広く、広くどこまでも続いている空。その光景に少女は息を飲んで翼を広げた。暗い夜空に、数え切れない程の星が輝いていた。
ふと、泥海に沈みいく物体を見つけた。それは少女がまだ名前を知らぬものだったが、泥海を渡る船だ。少女は、それを泥海の上に住まう人なのだと察して、すぐさま助けにいった。助けられたのは1人の少年だけだった。
少女は少年を背に乗せて空を飛んだ。どこか少年の落ち着ける所を探したかった。けれど、泥海には孤島1つ無い。大地がないのだ。
少女は泥海の世界の現実を知った。少年が目を覚ます。自分が空を飛んでいる現状を理解出来ず叫んでいた。少年は少女の事を恐れていた。仕方もないことだろう。少年と少女は、そもそも違う生き物だ。少女は泣き続ける少年をどうあやしたらいいか考える。やはり、一番いけないのは自分の姿だろうか?少女はそこで、自分の姿を変える事が出来るか試した。少年をよく観察し、少年に近い見目形で、少年を安心させるように……、
少女は、変異を遂げた。少女は少年に向き合う。少年は斥力場で空を飛んでいる状況に驚き慌てふためいていた。
「お姉ちゃん誰!僕は何で空を飛んでるの?さっきまで居た大きいのはどこ?」
少女はどこだろうね?と笑い少年を抱きしめる。柔らかい皮膚の感触が新鮮だった。温かさに涙を流した。少女は、もう泥の下に帰ることは出来ない。
それから少女は少年と空を飛んだ。少女は少年から人間が作った『ころにー』という人工的な島があることを知った。2人で夜空の中で、それを探した。
「あれだよ、お姉ちゃん!」
そういって少年はコロニーを指差す。少女は、その指の先を見て、驚きに眼を開いた。それは果ての無い空を見た時よりも衝撃的で、夜空に煌めく星星を見る時よりも未知だった。
泥海の上には人工の星の光が灯っていた。少女には、それがかけがえのなく美しいものに見えた。
これにて完結です。
最初期は1万字ぐらいのつもりで考えていたのですが、予想以上に字数が膨らんでしまい大慌てでした。
評価や感想などを頂けると、モチベーションになるのでよろしくお願いします。