ご紹介『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』
あのマップを使えばイングランドのハンプシャー州にも訪問できます。そりゃ実物に勝るはずないけど、プライバシーの侵害と評判良くないけど、見知らぬ土地を空から覗くのは好奇心が満たされます。
画面越しに航空写真を眺めれば、1970年代から変化ないのではと思わせる田園風景がひろがります。点在するポイントからの景色はのどかすぎるのに、季節には荒涼とした佇まいになるのをネット経由でも隠せません。
州北部へとドラッグしていけば、畑と牧草地が混ざる中にウォーターシップダウンを見つけられます。その丘こそが、半世紀も前に若い野ウサギたちが冒険を繰り広げたファンタジーの舞台です。
文庫本を手に記念撮影が投稿されているので、多少は聖地化されているでしょう。でも観光地の様相はほぼ無し。そんなものかなと残念だけど安堵。車両荒らしの警告と画像もあって、ちょっと怖い。丘を見上げると想像していたように低くゆるやかで、画面越しでも夕暮れ時のシルフレイ! 後ろ足で立ち、耳をそばだてるウサギたちが見えてきそうです(五十年過ぎても生息しているのかは未確認)。
この草っ原に寝ころびたいな、コロコロした糞を踏んじゃうかもなと夢想しつつ、多くの方の記憶の蔵書目録からはずれていそうな『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』を、いまさら推させていただきます。色褪せぬ魅力がありますので。
――そこにあるもの。手の届く自然。
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サクラソウはおわっていた。いばらが茂るみぞと古いさくのところから、森のはずれまでの斜面を見上げると、それでもまだ五、六ヵ所、セイヨウヤマアオイやカシの根の間に、色褪せたうす黄色い花が見えた。
※評論社刊行『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』
リチャード・アダムス著 神宮輝夫訳
1989年発行初版4刷より引用
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出だしの一文になります。
作者の故郷イングランド南部のヨークシャーにある、さもない片田舎。全編を通じて詳細に描かれるその自然に、なじみのない草花や生物がでてこようと関係なし。なにしろ、茨が茂る溝と古い柵から見上げているのですから。ありふれた地べたから、壮大でちっぽけな物語が始まるのです。
作者は大きな自然でなく、そこにあるものを宝石のように記述していきます。幼いころから慣れ親しんだ自然こそが、宝物だったのかもしれません。線路わきの雑草だって、放牧された牛だって、小さかろうが人の手がかかっていようが自然なんだよと語りかけてきます。手に届くものこそが、かけがえないんだよと教えてくれます。
――異性を求めて0.5里
そんな素晴らしき自然讃歌でさえ、作中では添え物になっています。散りばめられたウェットは日本人になじみなかったり、さすがに古典と感じてしまうかもしれません。
なぜに擬人化されたアナウサギの冒険が名作と呼ばれたかは、無茶危険無謀危機の連続と、魅力ある登場ウサギたちのおかげです。野生の連中ですから、かなり身勝手です。正義面をしようが、やっていることは野武士に近いです。それが魅力なのです。
第Ⅰ章は、危険が差し迫った村(巣穴)から十一匹の若い雄ウサギが出奔し、よその群れに騙されて逃げだすまでです。主人公であるヘイズルは野心満々。強靭なビグウィグや賢いブラックベリーらが彼を助けます。弟くんは別格の存在。
第Ⅱ章で一行はウォーターシップダウンにたどり着きます。村(しつこいけど巣穴)ができたので、雄どもは雌ウサギを奪いに遠征して、返り討ちにあいます。物語をダイナミックに動かすユリカモメ――空を支配するキハールが登場します。
第Ⅲ章でも、懲りないヘイズルたちは策略を用い、巨大な村から雌ウサギをお持ち帰りします。ビグウィグが大活躍。物語のクライマックスかと思いきや。
最終章で、雌を奪われた村が報復にやってきます。力でも数でも圧倒されるなか、勇気と知略と根性で撃退します。
ウサギたちの生態がリアルかつファンタジックに描きだされています。げっ歯目の親戚なので非力で臆病ですけど、人から見れば狭い範囲で、ずる賢くも必死に冒険へと飛び込んでいきます。ダンディライアンが語る寓話よりも懸命にです。さらには雄同士の硬派な友情が、読者である人間様までも熱くさせます。
ちなみに田園地帯に住むウサギなので、人間との接点ありまくりです。というか害獣であり食料です。残酷ぽい描写もあります。それにすら、ウォーターシップダウン周辺で生きるものへの、作者の慈しみが隠せません。リチャード・アダムスさんは伝えたかったに決まっています。
『ちっちゃくても美しくても、自然とは残酷なんだよ、人同様にね』と。
最後に、本作を検索すると『トラウマ』『ガンダム』がヒットします。欧米チックでつまらないアニメに残虐シーンがあるのと、登場ウサギがモビルスーツ名などに使われたからで、本編となんら関係ございません。人のことは言えないけど。
以上、古典名作動物ファンタジーから着想させていただいたなんて言えぬほど別物になってしまいましたが、素人駄作な近未来ファンタジーの紹介も兼ねた紹介でした。ヘイズルの和名が榛です。
よろしければ
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