【死神の子どもたち】case1 死神の寵愛
ある男が子どもを連れて名付け親を探していました。
『神様は裕福な者に与え、貧しい者から奪う』
『悪魔は人を騙し、悪の道へと誘う』
『ああ、そうだ。死神はすべてに平等だ。』
そう思った男は死神の下へ行き、名付けをしてほしいと頼みました。
死神はそれを快く受けました。
*
case1 死神の寵愛
*
柳高校2年。6月。
僕のクラスには“さっちゃん“と呼ばれている子がいる。
古川砂月。
長い黒髪と切れ長な目が綺麗な人。
彼女はいつもニコニコと笑っていて、嫌いなものや他人の悪口など一切口にしない。
本当に、いつでも、何をされても、静かに微笑んでいる。
だから、サンドバッグのさっちゃん。
彼女は1年の中頃から虐めの標的にされていた。
*
教室内がピリついている。
息をすれば喉が痛むような気がするほど鋭い空気。
クラスメイトたちはガヤガヤと話し声を立てているが、そのトーンはいつもより低い。
まるで息を潜めた影の住人のよう。
この緊張の正体は明らかで、少しでもその正体から目を背けるために口を動かしている。
廊下に置かれた机と椅子。
それを前に立ち竦む“さっちゃん“。
接着剤で留められたそれらは微動だにしない。
容赦のないイジメの執行。
7時50分。クラスメイトの男子が1人入る。
フッと全体を支配する視線から解放されて皆が一間の息を吐く。
視線の主。窓際の席に座る女子3人が入ってきたクラスメイトの表情を伺うように見つめる。
いじめの主犯格3人。
きっと彼が砂月さんに声をかけたかどうか、あるいは先生に報告したかどうかを判断しているのだろう。
息を吐いたのも束の間、教室内の全員がそれぞれのグループで話しながら、入ってきた彼へと視線を配る。
彼はその視線にいち早く気付き、若干の戸惑いを見せた後にいつものグループに声をかけた。
クラスメイトたちは若干安堵したようなそぶりを見せて会話を続けた。
(トントントン、何の音?)
(風の音。ああ、よかった。)
体を構えて耳をすませて。
窓際の彼女たちが怖い音を立てていないか逐一確認する。
さっちゃんは家の外。
暗闇の中で佇む彼女を中に入れてあげることすらできない。
そんなことをすればあの窓際の彼女たちが首を絞めに入ってくる。
早くホームルームになれと皆が祈っている中、突然1人の女子生徒が教室の扉を開けて入ってきた。
別のクラスの住人。双子の妹、千懐。
キュッと口を結んだ彼女が僕の元へと来て耳元に口を寄せる。
「ねぇ、懐戸。接着剤ってどうやって剥がすの?」
他の人には聞こえないようにしているのは彼女なりの気遣いなのだろう。
純粋な彼女は砂月さんがこのクラス全体からハブられていることを知らない。
澄んだ瞳に悲しげな色を滲ませる彼女。
僕は筆箱を持って席を立つと彼女の手を引いて廊下へと出た。
そこには穏やかな笑顔を浮かべる砂月さんがいて、その違和感に体の底が冷えていくのが分かった。
なんて、温い笑みなんだろう。
「接着剤の剥がし方なんて分からないけど。とりあえずカッターで切れば動かせる」
僕は適当にそう言えば、千懐は安心したように顔を綻ばせた。
窓際の3人が僕たちを裁くことはできない。
明確な理由は知らないけれど、多分手を出すのが“怖い“のだと思う。
千懐は彼女たちの存在すら知らずに砂月さんを救っているけれど。
「2人ともありがとう。」
そう言って微笑む砂月さんは接着剤が取れる前と変わらない顔をしていた。
*
「ねぇねぇ。懐戸ってさ、さっちゃんと仲良いの?」
放課後。
図書室で暇を潰している僕の元に主犯格の3人が来た。
マナさん、リナさん、サナさん。
こちらを見下ろして薄い笑みを浮かべる姿はまるで悪役だ。
「べつに。」
短くそう答えれば彼女たちが笑みを深める。
千懐の部活が終わるまでまだ時間がある。
適当にあしらって逃してもらわなければいけない。けれど。
「じゃあさ、ちょっとウチらに協力してくんない?」
「協力?」
「そう。今度の体育って女子が外で男子が座学でしょ?そん時にさっちゃんのお弁当に虫入れてくれない?」
サプライズでさ。
そう言ってクスクスと笑う彼女たちの顔には多少の悪戯心と妙な執着心が窺えた。
そんなことをして何の意味があるのか、とか。
何故自分に依頼するのか、とか。
そんなどうでもいい疑問が浮かんだけれど、彼女たちに投げても無意味だからやめた。
本当に。どうでもいいから巻き込まないでほしい。
「やりたくない。」
「なんで?」
「ふつうに。面倒だし。」
「さっちゃんの味方するの?」
「味方とか、そういうのないでしょ。」
「虫入れてくれるだけでいいからさ」
「それがしたくない。」
「じゃあさ、協力してくれないなら千懐ちゃんに意地悪するって言ったらどうする?」
「は?」
思わず低い声が出てしまった。
しかし彼女たちは圧されることなくキツイ目でこちらを睨んでいる。
ああ、なるほど。
これは儀式か。
きっと彼女たちは安心したいのだろう。
あのクラスに誰も、砂月さん以外、自分たちの敵がいないことを確認したいと。
これはその儀式。
僕がただ彼女たちの味方をするといえば、あるいは今後一切砂月さんを無視するといえば虫を入れずとも許されるはず。
けれど、千懐はそれを容認しないだろう。
だから、僕に直接手を下させることで傍観者から加害者になる儀式をさせたいんだ。
くだらない。
「アンタらの要求は飲まない。」
「は?じゃあ千懐がどうなってもいいんだ?」
「やれるもんならやってみればいい。けど、アンタらがどうなっても僕は知らない。」
「ハハッ。なにそれ。気持ち悪」
目を吊り上げ、歪に笑う彼女たちから僕は視線を逸らした。
途中まで読んだ文章を再び目で追う。
これ以上話す気はないことを態度で示せば、強く舌打ちをして踵を返した。
瞬間、図書室の扉が開いて砂月さんが入ってきた。
胸に抱いた本を返しにきたのだろう。
すごい形相のマナさんたちを見て彼女がキョトンとする。
それが気に食わなかったのか、マナさんが砂月さんに詰め寄って言った。
「アンタの代わりに千懐のこと虐めることにしたから。身代わりが出来て良かったね」
吐き捨てるようにそう言って図書室を出て行く。
変わらずキョトンとしたまま砂月さんが僕を見る。
「千懐さんが…虐められてしまうのですか?」
「うん。そうみたいだね」
長い髪を耳にかけ、少し悩む仕草をして。
「気が変わってしまったのですね」
と、呟いた。
*
烏が鳴く。
その時を待って。
ゆっくりと舌舐めずりをしながら。
*
次の日。すでに事は始まっていた。
朝から鳴り止まない千懐の携帯。
表示されるのは知らない番号。
千懐はとても困惑した顔で1つ1つ着信拒否をしていく。
あらかた、どこかのサイトに電話番号をばら撒かれたのだろう。
僕は千懐の携帯を取り上げて電源を消した。
「今日の放課後、番号変えに行こ。それまでは消してていい」
「あ、そっか」
ホッとする千懐の頭を撫でて安心させてやる。
怖がっているというよりも困った様子だった。
到底誰かに虐められているなんて思考には至っていない。
「今日さ、昼休みは僕のとこ来て」
「え?なんで?」
「気分」
「気分…?まあ、いいけど…」
もって1週間といったところだろう。
それまで僕が守らなきゃ。
予備の着替えと靴を隠し持って学校へと向かった。
学校に着いてからは虐めのオンパレードだった。
隠された上履き、破かれた教科書。
机の上の落書きと、忍ばされた虫の死骸。
よくもまあ、昨日の今日でここまでできたものだ。
その行動力を慈善事業にでもあてられたら良いものを。
当の本人はというと、やはり困惑した様子ではあるけれど泣き出したりはしなかった。
まあ、当然といえば当然か。
千懐は同様のことを中学の時にもされている。
「明日から学校休む?」そう問う僕に、
「ううん。これくらいなら大丈夫」千懐が苦く笑う。
そんなことを校舎裏で話していれば上から水風船が落とされて2人してびしょ濡れになった。
さすがの千懐も僕が巻き込まれたことに驚いてわたわたと慌てたけれど、着替えを持ってきたことを伝えれば少し落ち着いた。
「懐戸が嫌なら学校休む」そう言う千懐に、
「これくらいなら大丈夫」僕は千懐を真似て答えた。
罪を重ねて。
針が重なる。
放課後。
昨日と同じく図書室で時間を潰していると廊下から短い悲鳴が聞こえた。
千懐の部活が終わるにはまだ早い。
けれど、もしかしたら早退してきたのかもしれない。
そう思って慌てて廊下に飛び出ると、そこには蹲っている砂月さんと彼女を見下ろすようにして立っているマナさんたちが居た。
砂月さんは胸に抱えた本を守るように蹲っており、そんな彼女を3人が囲んで蹴っている。
とてもじゃないが見過ごせない光景に1つ足を踏み出した。
「なにしてんの。」
僕の声に気づいた3人が此方を見遣る。
悪魔にでも取り憑かれたのか、目を吊り上げた彼女たちは平常を装うことすらできないようだった。
「なにってなにが?」
「それ。蹴ってるの。」
「べつに?アンタには関係ないでしょ?」
「関係はないけど。いい気分ではないから。」
「前から思ってたけどその遠回しの言い方うざいよね」
「嫌な気分にさせてたのなら謝るよ。ごめんね。」
「なにそれ。煽ってんの?」
「煽ってはないけど。」
「…まじキモいんだけど」
僕と彼女が言い合っている内に砂月さんが輪から逃げ出して僕の後ろに隠れる。
ふわりと甘い匂いが鼻を過った。
「ありがとうございます。本が傷付いたら困るので助かりました」
さっきまで蹴られていたはずなのに、彼女は大事そうに本を見つめていた。
「その子、返してよ。ウチらストレス溜まってんだよね」
「ストレス溜まってるなら別の方法で解消すれば。」
「別の方法で解消できないからソイツ使ってんの」
「…?」
意味ありげな言い方に胸が騒つく。
眉間にシワを寄せた僕に彼女がニヤリと笑った。
「あー。知らなかった?アンタの妹、今は別の奴らに貸してんだよね」
は?
カッと頭に血が昇る。
昨日の今日でそこまでしないだろうと甘く見ていた。
ああ、そうだ。
僕は知っていたはずだ。
汚い人間はどこまでも汚いと。
“悪魔に名付けられた子どもたち“は目先の欲の為にその身すら捧げると。
「どこにいる?」
「さあ?」
「誰が共犯だ?」
「しらなーい」
怒りを露わにする僕が心底面白いらしい。
ニヤニヤと笑うその顔は醜く歪んでいる。
どうする?
携帯は繋がらない。
どうせ学校の近辺では事を起こさないはず。
あ、そうだ。
僕は窓を開けて外を見た。
ジッと目を凝らせば黒い塊が飛んでいるのが見える。
バタバタと青黒い羽を動かしているのは数羽の烏。
あそこだ。
僕は彼女たちを押し除けて階段を駆け下りた。
その刹那、視界の端で捉えた砂月さんは、
穏やかに微笑んでいた。
学校を飛び出して烏が飛んでいた場所まで走っていく。
蘇る中学の時の記憶。
同じ過ちを繰り返してしまった。
もう、千懐の泣いている姿は見ないと誓ったのに。
くそ…ッ!
息をするのも忘れてひたすら走って、赤く染まる信号に苛立ちを覚える。
ようやく辿り着いた先は真っ暗な路地裏。
そこにいたのは、地面に座り込んで泣きじゃくる千懐。
「うっ…ぅっ…ごめんなさい…ごめんなさい…」
それから、地面に伏した男3人だった。
「千懐!」
「ぁ…懐戸ぉ…」
千懐に駆け寄って強く抱きしめる。
彼女の乱れた呼吸がもっと辛くならないように無理矢理自分の荒い呼吸を整える。
酸素が薄い体は肺が張り裂こうと心臓が潰そうと必死で、それよりも目の前の千懐の泣いている姿の方がよほど心を締め付ける。
大丈夫大丈夫と言いながら遅いテンポで体を叩いてやる。
カタカタと震える彼女の服は僅かに乱れていて、そっと気付かれないように直した。
「大丈夫。大丈夫だから」
「ごめん、なさい…わたし、また…また…」
「大丈夫。千懐は悪くない」
「だって、…また、…ッ、」
また、殺しちゃった…っ、
絞り出すようにしてそう叫んだ千懐の背中を優しくさすってやる。
もう二度と泣かせないと決めたのに。
ああ、可哀想に。
こんなにも他人の為に泣いてやるなんて。
千懐の背後。影の住人。
僕らの名付け親、“死神“が静かに此方を見守っている。
過保護な僕らのパパは僕らに危害を与えようとする人間をすぐに殺してしまう。
そう、命の灯火である蝋燭の火をフッと簡単に消してしまうのだ。
だから僕たちはかつてクラスメイトたちから怖がられていた。
中学の時。千懐を虐めていたクラスメイトが死んだ時。
僕らは“死神の子どもたち“と呼ばれた。
「千懐。大丈夫だから帰ろ」
僕は千懐が他人のために泣くのが許せないから、あの日から守ると決めたのだ。
次の日。
千懐が熱を出したため、僕はその看護のために学校を休んだ。
担任から電話がかかってきて、マナさん、リナさん、サナさんが亡くなったという話をされた。
いくら彼女たちが千懐を虐めていたとしてもこんなに早い制裁はありえない。
せめて“13日の審判“があるはずだ。
ふと部屋の隅の暗闇を見つめればゆらりと揺れる小さな炎が見えた。
暗闇の中であったらどこにでも現れる、命の場所。
大中小とさまざまな長さをしている蝋燭はそのものの寿命を示す。
けれど、僕が1つ息を吹いてしまえばそんな寿命なんて関係なく消すことができる。
死神の子どもに与えられた特権。
13日の審判を待たずとも殺すことができる。
千懐が悲しむからしないけれど。
そんなことを考えているとチャイムが鳴った。
出てみればそこには見舞いの品を持った砂月さんがいて、いつもの笑顔を浮かべながら言った。
「どうか彼女たちのことは気に病まないでください。あれはただ、“13月の審判“が終わっただけですから」
ああ、なるほど。
彼女も僕たちと同じ“死神の子ども“なのか。
「アンタは…いつも笑ってる。それは、名付け親に誰かを殺されるのが嫌だから?」
彼女に千懐を重ねてそう問えば、彼女はキョトンとして言った。
「いえ…。私はただ、火が消えるのが悲しいだけです」
「火が消えるのが?」
「はい。…私はあの闇に入って蝋燭を眺めるのが好きなんです。ゆらゆらと危うく燃えるあの火がとても尊くて、切なくて、だから1つでも消えると悲しいのです」
「だから虐められても平気だったの」
「虐め…たしかにあれは虐めだったのかもしれませんね。でも、私からしてみればあれは…必死に燃える蝋燭の火にしか見えませんでしたよ」
そう言って穏やかに微笑む彼女は虐められていた時と同じ笑顔を浮かべた。
けれど、
「それに、たとえ火が反抗してこようとも。いつかは消える儚いものですからね」
そう付け加えて笑った彼女の顔はとても冷たく見えた。
「最後に聞いてもいい?アンタ、親は生きてる?」
僕の問いに彼女は3つ間を置いて、少し悲しげに笑った。
「いえ。私が3つの時に」
「…そっか」
おそらく彼女はそこで心を壊されたのだろう。
いつでも、何をされても、静かに微笑んでいるさっちゃん。
サンドバッグのさっちゃん。
彼女は死神の寵愛に守られ、縛られている。