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おまけ・第二王子視点

本編の裏側、四ヶ月ほど前の時間軸のお話です。

恋愛カテゴリなのに、あまりにも本編に糖分が足りないので、未来の公爵夫妻が素でいちゃいちゃする様子をジャロッド視点でお届け。うっかり筆が滑って別の糖分も混入していたり、むしろジョルダンの存在感が無駄に大きかったりしますけど。

「いらっしゃいませ、ジャロッド殿下」

「珍しいな、お前がわざわざ公爵邸(ここ)に顔を出すなんて」


 放課後、アルヴェシオン公爵邸を訪ねた俺を、異母兄と未来の義姉が応接室で迎えてくれたのだが。


「一体何をしているんですか、兄上」


 挨拶も返さずそんなことを言ってしまった俺は、無礼ではあるが悪くないと思う。そもそも兄上の姿勢が、弟とは言え客に対するものではない。


「何って、見ての通り」

「リアンナ様の膝枕で長椅子に寝そべっているようにしか見えませんが。そういうことは自室でなさったらどうですか」

「もっと言って差し上げてくださいな、ジャロッド殿下。ジェイル様ときたら、帰宅後はこのところずっとこんな調子ですのよ」


 そう言いながらさほど困っているようでもないあたり、リアンナ様は何だかんだと婚約者に甘いと思う。

 そもそもいくら婚約者が相手で、かつ事情があってのこととは言え、結婚前に同じ屋敷での寝泊まりを許しているあたりが、何と言うか非常に分かりやすい。当然ながらお二人の同居(同棲、ではまだないと思う。多分。きっと)は秘密になっており、公には兄上は昨年までと同様、学園寮で寝泊まりしていることになっている。


「少しくらいいいだろう? 正直言って、フィアルカ嬢の相手は疲れるんだよ。主に精神的に」

「ご自分がやると言い出したのですから自業自得ですわ」


 口ではそう言いながら、そっと兄上の額を覆う手はこの上なく優しい。

 兄上も目を閉じてその感触を甘受している。

 ……果てしなく邪魔者になった気がするが、来たばかりなのに帰るわけにはいかないし、ルンド子爵令嬢の件では兄上に言いたいことは山ほどある。


「全くです。そもそも何故、兄上が全面的に彼女を引き受ける必要があったのですか」


 勧められるままお二人の正面に腰を下ろして口にした言葉は、我ながら愚痴めいていた。

 兄とは言えたった一歳しか違わないこの人は、率先して厄介事を引き受けるくせに、荒事以外ではちっともこちらに頼ろうとしてくれないのだ。それがどうにも悔しくて寂しいし、自分の不器用さを思い知らされて情けなくもある。


 兄上がゆっくりと目を開けてこちらを見た。


「別に不器用とかいう問題じゃなく、単純にジャロッドには向かない役割だからだよ。最終的にはフィアルカ嬢を突き放す必要があるわけだが、『魅了使い』の能力によるとは言え一度親しくなった令嬢相手に、根っからの騎士気質(かたぎ)のお前がそれをできるか?」

「それは……正直、断言はできかねます」

「ジャロッド殿下はお優しいですものね。そこのところがまた、ご令嬢方に人気のあるところなのですけれど。後輩の皆様へ騎士として厳しく接する様子とのギャップが素敵だとか」

「リアンナ様。からかわないでいただきたい」

「あら、失礼いたしました」


 くすくす笑う未来の義姉には、これから先も敵う気がしない。

 おまけにその膝の上から追い討ちがかかる。


「ジャロッドは、千尋の谷に突き落としたのが女子供だったら、自分が助けに飛び降り……はしないまでも、率先して命綱を垂らすタイプだものな。リアなら、上から声をかけて安全なコースをアドバイスするってところか。当然セーフティネットは万全にした上で」

「セーフティネットはともかく、よほど切羽詰まっていなければ声まではかけませんわよ。ジェイル様は、登ってくる相手を上手く煽って発奮させるタイプでしょうね」

「ふうん、よく分かってるな。流石リア」

「当然ですわ。何年のお付き合いだとお思いですの?」


 ……仲が良いのは結構だが、膝枕をしたままお互いの頬を撫でたり指を絡め合ったりするのは、見ている方が居たたまれないのでやめていただきたい。身内の前だからと気を許してくれているのだろうが、婚約者も恋人もいない身には少々刺激が強い光景だ。

 この際、少し水を差させてもらおう。


「では、ジョルダンならばその場合どんな方法を取るでしょうか?」


 金髪の天使を思わせる容姿に、煮ても焼いても食えそうにない性格を併せ持つ異母弟を話題にすれば、狙い通り兄上は何とも言えない複雑な表情になり、異母弟の従姉であるリアンナ様は美しい顔に苦笑を浮かべた。


「ジョルダン殿下ですか……そうですわね。色々と思い付くことはありますけれど」

「思い付く色々がどれもこれもえげつないやり方なんだが、どうすればいい?」

「俺が想像したのは、急勾配で必死になっている相手に『ここで問題です! 正解すれば引き上げてあげますよ』と言いつつ、一見簡単と見せかけたとんでもない引っかけ問題を出題する、ですね」

「で、不正解なら『残念でした! このまま挑戦を続けてくださいね』とか満面の笑顔で言い放つだろうな。正解だとしてもショートカットで登った分、嬉々として追加の試練を課す気がする」

「……その追加の試練は、更にややこしい代物になりそうですわね。ジョルダン殿下なりに気に入ったからこそなのでしょうが、相手には伝わりにくいことこの上なくて厄介ですわ」

「俺はきっとそのフォローに駆り出されるんでしょうね……」


 思わず溜め息をつくと、兄上が呆れたようにこちらを見てくる。


「自分で持ち出した話題で黄昏(たそがれ)てどうする。ジョルダンも何だかんだと人たらしな上に学習能力も折り紙付きだから、そのうち自分でフォローするようになるだろうし、心配ないと思うぞ。……まあ話を戻すか」

「はい、お願いします。……そもそも何の話でしたっけ?」

「お前をフィアルカ嬢と絡ませない理由は、騎士らしく女子供に優しいからだって話だ。あともう一つ、彼女みたいに小柄で可愛らしいタイプは、お前の好みのど真ん中だろう? そんな令嬢に言い寄られたら、妙な能力の影響がなくとも本気で惚れ込む恐れは高いんじゃないか」

「……いくら外見が好みだとしても、兄上を誑かしてリアンナ様から引き離そうとする女性に本気になるほど、俺は馬鹿ではないつもりですがね」

「俺もそうだとは思うが、側妃様がお前の恋愛について妙な心配をしていらっしゃるからなあ」

「母上が何か?」


 思わぬ人物が出て来て首を捻る。

 疑問の答えはリアンナ様が教えてくれた。


「先日、側妃様とご一緒した王妃様のお茶会で、ジャロッド殿下の婚約者をどうするかという話になりまして。その際に側妃様が、『ジャロッドは生真面目すぎるところがありますので、恋に落ちたらその女性以外は何も見えなくなってしまいそうで。もしその相手が婚約者以外で、正妻にできない身分だったなら、勘当覚悟で恋人と駆け落ちをしかねないので、下手に婚約者を決めてしまっていいものかと心配なのです』とおっしゃって」

「……母上……」


 頭痛がした。いくら何でも息子を信用しなさすぎではなかろうか。


「ジャロッドが生真面目なのは、兄の俺としても否定できないところだしな。もし婚約者以外と恋に落ちたとしたらどうする?」

「そもそも恋い慕えそうにない相手を婚約者にするつもりはありませんよ。一生を共に過ごす相手なのですから」

「あら素敵。もしかして、候補者の中でどなたを正式な婚約者にするのか、既に決めていらっしゃるの?」


 リアンナ様の目が輝く。恋愛沙汰に興味を示す女性は多いが、リアンナ様もそこは他の女性と変わらないようだ。膝の上に兄上がいなければ、こちらに身を乗り出してきたかもしれない。


「その決心を固めるためにこうして伺ったのですが……それに関連してもう一つ、ジョルダンのことでリアンナ様に相談がありまして」

「ジョルダン殿下がどうかなさったのですか?」

「はい。ジョルダンの婚約者の最有力候補が、西の王国の第四王女だというのはご存知ですね? 実はその第四王女が、何故かジョルダンではなく俺に嫁ぎたいと言い出したそうなのです」

「まあ」

「ああ、あれか」


 目を丸くしたリアンナ様の隣、ようやく起き上がってソファに座り直した兄上が妙に楽しげにつぶやいた。


「兄上の耳にも入っているのですか?」

「三日ほど前に、西の王国から使者が来て、お前と第四王女の縁談を持ちかけてきたらしいな。こちらとしてはジョルダンとの縁談の予定で、西の国王も了解済のはずなのにと、父上も最初は混乱していたぞ。年齢的には王女がジョルダンの一つ年下で釣り合いが取れているから、他に問題があるとすればお互いの相性か、それとも単なる王女の我が儘なのか……」

「王妃様や母上の方にも、王女の母君である正妃様よりお手紙があったと聞きました。何でも王女ご本人が、『嫁ぐのなら意地悪で怖い第三王子より、優しくて格好よくて守ってもくれた第二王子がいい!』とごねたのだそうですが……どうもその言い分に納得ができないと言いますか、違和感が拭えないのです」

「つまり、格好いいなんて自覚はなく、優しくしたわけでも守った覚えもないってことか?」

「そういう意味ではなくてですね。いや、自分を格好いいと思ったことなどありませんが」


 と、俺は兄上とリアンナ様に、一度だけ王女と話をした時のことについて説明を始めた。




 二ヶ月ほど前、第四王女の誕生パーティーに出席するため、王妃様やジョルダンと共に西の王国を訪問した時のこと。

 王女とジョルダンの縁談については以前から取り沙汰されており、パーティーは二人の顔合わせを兼ねてもいた。第一印象は二人とも悪くなかったようで、楽しそうに談笑したりダンスを踊ったりしていた。

 翌日に交流を深めるための時間が取られ、俺はジョルダンの護衛の一人として、二人と同じ中庭の東屋にいたのだが。


『ジョルダン様、その黒猫はジョルダン様のペットなの? 王宮でもたくさん猫を飼っているけれど、こんなに綺麗な毛並みの子はいないわ』

『ペットじゃなくて僕の使い魔だよ。ルチアっていうんだ』

『使い魔……ですか?』

『うん、他にもいるんだけどね。ルチアはリアンナ姉様が──あ、姉様は僕の従姉で上の兄の婚約者なんだけど、僕の十歳の誕生日にプレゼントしてくれた子なんだ。本来の使い魔は召喚した術者専用なんだけど、姉様は術をアレンジしてルチアを僕用の子にしてくれたんだよ』

『そんなことができるなんて、リアンナ様は凄い魔術師なのね』

『うん、姉様は凄いんだ! 魔法は勿論だけど、お顔も姿もとっても綺麗で所作も上品で、性格は少し厳しいけど本当は優しくて──』


 ……ジョルダンにスイッチが入ってしまった。

 こうなってしまうと止まるまでが長いのだが、いくら何でも婚約者予定の王女の前で延々とこれが続くのは不味い。強制的にでも止めなければ。

 王妃様の許可があるとは言え、他の護衛には強行手段は取りづらい。ここは兄である俺がやるしかないだろう。

 そう思って足を踏み出した時だった。


『……よ』

『──え?』

『……何よ、こんな猫なんか! 目障りだわ、どこかに行っちゃえ!』


 涙目で叫んだ王女はルチアの体を掴み、力任せに遠くへ放り投げた。

 所詮十三歳の少女の力などたかが知れており、普通の猫にも何の影響も与えないだろう。まして使い魔ならば尚更だ。ルチアはくるりと空中で体勢を整えて着地し、何処へともなく消えて行った。


 肩で息をしながらそれを見送る王女のすぐ近くから、酷く物騒な気配が漂ってくる。


『……カトリン王女。君、どういうつもりなの? ルチアを放り投げるなんて』

『……ひ……っ!』


 我が国の直系王族特有の翡翠の瞳に冷たい軽蔑を宿し、立ち上がったジョルダンは震える王女を見下ろして──


『やめろ、ジョルダン。王女を怯えさせてどうする』

『どいてください、ジャロッド兄上。僕は彼女に言いたいことが──』

『駄目だ。お前に彼女を責める資格はない』


 後れ馳せながら二人の間に割って入り、ジョルダンの視線から王女を隠した。


『何故ですか! 彼女はルチアをいじめたんですよ!?』

『それは確かに良くないことだが、その前にお前が王女を蔑ろにしたのが悪い。婚約者となる予定の女性の前で、他の女性を口を極めて誉め称えるなど、無礼もいいところじゃないのか。彼女を責める前に、まず自分から頭を下げるのが筋だろう。──逆に、王女がお前の知らない男性について、可愛らしく頬を染めながら誉めちぎるのを目の当たりにしたら、どんな風に思うんだ?』

『………っ!』


 悔しそうに唇を噛む様子は実に年齢相応のもので、状況によっては微笑ましく見守るところだが、今はそうもいかない。


 弟とにらみ合いを続けていると、腰の辺りの服を軽く引かれる感覚があった。

 見れば、座ったままの王女が大きな瞳を潤ませ、すがるようにこちらを見上げてきている。


『大丈夫ですよ。申し訳ありませんが、しばらくそのままでいらしてください』

『!!……は、はいっ……!』


 安心させるように微笑みかけると、ぽんっ、と音でもしそうな勢いで真っ赤になった王女はすぐに俯いてしまった。服を掴む手はそのままだったが。


『……兄上。僕の婚約者を誑かさないでもらえますか』

『人聞きの悪いことを言うな』

『そ、そうですっ! それにまだ私、誰の婚約者でもないもの!』

『……だそうだぞ、ジョルダン。婚約者として認められたかったら、それにふさわしい振る舞いをすべきだな。まずは勿論、先ほどの件への心からの謝罪だろうが……すぐには難しいなら、散歩でもして少し頭を冷やして来るといい』

『……分かりました。しばらく王女をお願いします』

『ああ。だが、万が一にも危険があったら呼べよ』


 切れすぎる頭脳と精神の成長が上手く噛み合っていない異母弟が、足早に東屋を出ていくのを、俺と王女は黙って見送った。




「という次第です」

「へえ、ジョルダンがリア以外の女性を、それも出会って早々に『僕の』扱いし出すようになるとは。察するところ、第四王女は相当に可愛らしい女の子なんだな」


 一通りの話を聞いた兄上は、にやにやと実に人の悪い笑みを浮かべた。


「そうですね。客観的に見ても将来が楽しみなご容姿でした。ジョルダンが戻るまで少し話をしましたが、中身も愛らしいだけでなく聡明なご様子でしたし。その後はお互いに謝罪して、文通で交流をするという話になったはずなのですが……問題はそれから二ヶ月も経っている点です。今更あの時のトラブルを理由に、縁談の相手を変更したいというのは、流石におかしいと思いませんか? それとは関係なく、最近になってジョルダンがまた何かをやらかしたのだとしたなら、場合によっては国際問題にもなりかねません。ならば少なくとも我々兄弟やリアンナ様には話が伝わってきそうなものなのに、それもないので変だと思ったのです」

「確かにわたくしも何も聞いていませんわね。ジョルダン殿下については一昨日、王妃様から『ジャロッド様と比較されて嫌なことがあったそうなの。拗ねてしばらく籠城するつもりのようね』とお手紙の中に──」


 言葉の途中で何かに気づいたように目を見張ったリアンナ様は、おもむろに婚約者を振り返って尋ねる。


「──ジェイル様。ジョルダン殿下とお顔を合わせたのは、最近ではいつになります?」

「んー、ちょうど三日前だな。使者が来てすぐに、ジョルダンからも事情を聞きたいからと、父上に命じられてすぐに部屋まで呼びに行ったから」

「……ジェイル様直々に、ですか。使用人任せにはできない案件ということですわね。つまりジェイル様は当然、皆様と同席してお話を聞いたのでしょう?」

「否定はしないが、何がそんなに引っ掛かかる?」


 無意識なのだろう、ずいずいと兄上の顔を覗き込むようにして身を傾けるリアンナ様を、兄上は片手を細い腰に回して、自分の肩にもたれかからせるようにして抱き止めた。……やけに慣れた仕草なのはいいとして、距離が近すぎやしないだろうか。それともお二人にはこれが普通なのか?

 激しく突っ込みたいが、真剣な話題に水を差しかねないので耐える。


「だってわたくし、思い出しましたのよ。西の王国の外務大臣──正妃様の父君でもある御方が、最近急に体調を崩されたと。それに、一昨日と言えばちょうどお父様が、緊急の任務で数日間留守にすると言ってお出掛けした日ですもの」

「魔法騎士団は団員の能力が多彩な分、暗部と連携するケースも多いから、そういうこともあるだろう」

「暗部と連携しなければならない事態が()()、ジョルダン殿下が引きこもったのと同じ日に起こったということですのね?」

「そんな偶然もないとは言い切れないと思うぞ」


 ぬけぬけと言う兄上だが、本気で言い逃れようとしているわけでもなさそうだ。ここは俺も参戦しよう。


「──俺も思い出しました。西の王国では後宮が非常にごたごたしていましたね。特に第二王子と第三王女を産んだ側妃は、国一番の財力を有する伯爵家の出で、正妃とその子である王太子と第四王女をあからさまに敵視しているとか。娘の第三王女も、異母妹とは生まれ月が違うだけだから自分を娶った方がいいと言いながら、滞在中は頻繁にジョルダンへ接触を試みてきました。大抵はルチアの威嚇に怯えて引き下がっていましたが……」

「後宮なんて、大抵いつでも揉め事があると言うか、揉め事の発生源みたいなものだからな。この国みたいに平和で波風が全くない方が珍しい。──まあ、第四王女とジョルダンが婚約者としてそれなりに親しくなっていたなら、二人の間でもしもの時のSOSサインを決めていたとしても、さほど驚くことでもないんじゃないか? 王女が聡明だと言うなら尚更」


 あっさりとこともなげに明かされて、痛み出したこめかみを押さえる。

 つまり第四王女からの唐突なご指名は、ジョルダンへの助けを求める符丁だったということか。わかってしまえば納得できなくもない。

 しかし。


「……ジョルダンも人騒がせと言うか、前もって俺にも教えておくべきだったろうに」

「気持ちは分かるが、俺は勿論、父上や王妃様も初耳だったそうだから、本当に二人の間だけの符丁だったってことだ。数日中にアルヴェシオン公爵ともども帰ってくるだろうし、それから存分に兄として叱りつけてやるといい」

「そうします。ただ、叱りつけるのも既に順番待ちになっていそうなので、それを確かめてからになるかと」

「だな。真っ先に王妃様で次が父上、三番目はリアか?」


 兄上が腕の中を見下ろすと、リアンナ様は怒りに体を震わせていた。元来が少しきつめの顔立ちなのでなかなかの迫力があるが、至近距離の兄上は全く怯まず、腕も揺らぐ気配すらない。


「……その前にわたくしは、貴方がたお二人を叱りたいですわ! いくらお父様が付いているとは言え、まだ十四歳の末の弟君が、自室を抜け出して隣国まで忍んで行ったというのに、何故そんなにも落ち着いているのですか!」

「いや、そう言われてもなあ……」

「あのジョルダンが、自分の行動でどこにどれだけの影響が出て、最悪の場合はどうなるかなど、想定していないはずがありません。その上であえて第四王女のために自ら動くことを決めたのですから、考えうる最高かつ最善の態勢を取っているでしょう。ならば外野があれこれと慌てるだけ無駄というもの。それに兄上も俺も、落ち着いているからと言って全く心配していないわけではありませんよ」


 最後の一言で、リアンナ様の怒りはあっさりと鎮火したようだった。


「……その通りですわね。失礼いたしました」

「フィアルカ嬢のことがなければ、俺もジョルダンに付いていって監視もしつつストレス解消できたんだろうが、流石に一週間留守にするのは無理だった。学園や生徒会は問題ないとしても、フィアルカ嬢を放っておくのは不安しかないからな。標的を俺からジャロッドに変えたり、無駄にリアに接触を図る可能性もあるし……何故だか知らないが、今日も『リアンナ様はご一緒じゃないんですか?』と聞かれたんだよ。俺が学園内でリアに近づけないのは誰のせいだと思っているのやら」


 心底うんざりしている兄上の指は、背中に流れるリアンナ様の髪をくるくると絡めて弄んでいる。……何故か、リアンナ様の髪が猫じゃらしのように思えた。


「変えられたところで俺は相手になどしませんが、確かに彼女は何故かリアンナ様を気にかけているようですね。それも押し退けるとかそう言った敵意からではなさそうなのが、今一つ理解に苦しみます」

「わたくしも彼女に嫌われている感じはしませんけれど、だからと言って楽しくお話をしたり、お茶をご一緒したいなどという気には欠片もなりませんわ。それこそわたくしのストレスが無駄に溜まるだけですもの」

「ではせめて、兄上のストレスだけでも軽減しましょうか。久しぶりに稽古にお付き合い願えますか?」


 渡りに船とばかりに申し出れば、兄上の顔も俺同様に不敵な表情をたたえる。


「俺としては願ってもないが、他にもリアに相談があったんじゃないのか?」

「また日を改めます。相談と言うよりはお願いで、今日すぐに片づくものでもありませんし、ジョルダンが帰ってきた後の方がリアンナ様のご都合もよろしいでしょう」

「お気遣いいただき恐縮ですけれど、ジャロッド殿下の想い人について聞かせていただく機会が後日に延びてしまうのは、少しどころではなく残念ですわ」

「俺の想い人には違いありませんが、俺が彼女の想い人だとは限らないので、その点についてリアンナ様の判断を伺いたかったのですよ。意に染まない縁談を押し付けるのは不本意ですからね。そういうわけなので、次の訪問までに探りを入れておいていただけると大変有難いです」

「最終候補のお三方は、宰相の次女、辺境伯長女、それに財務大臣の三女でしたわね? ではその皆様を、来週にでも学園サロンのお茶会にご招待いたしましょう。宰相のご令嬢は来年入学ですから、下見も兼ねていらしてくださるようにと、生徒会書記の姉君経由でお伝えすればよろしいかしらね」

「そうすると、俺はそこにフィアルカ嬢が乱入しないように足止めしておく必要があるか。……うわ、面倒だな」

「兄上、本音が駄々漏れです。ご面倒をおかけするのは重々承知ですが、俺のためと思って少し辛抱していただけませんか?」

「分かった分かった。全く、兄ってのはつらい立場だよなあ」

「何をおっしゃるやら。弟は弟で苦労はあるのですよ。おまけに俺はジョルダンの兄でもあるので、兄と弟の両方の苦労を日々味わっているのですからね」


 心からの本音を口にすれば、リアンナ様がくすくすと笑いをこぼした。


「これはジェイル様の負けですわね。珍しいものを見せていただきましたわ」

「……無駄に口が回るようになったな。すっかり可愛げがなくなってお兄様は悲しいぞ」

「生憎、そのお兄様や父上の教育の賜物(たまもの)ですので。ではリアンナ様、申し訳ありませんが中庭をお貸しいただいても?」

「中庭よりは、別棟に新しく出来た地下稽古場がよろしいでしょう。ご案内しますので着いていらしてくださいな」

「そんなものが出来たのですか?」


 初耳の話に問い返すと、歩きながら兄上が答えてくれた。


「公爵と俺の手合わせのたびに中庭を使って被害が生じるのは、流石に庭師たちにも申し訳ないからな。もともと魔法実験に使っていた場所の隣に、防御機能を三倍くらいに強化したスペースを増設したんだよ。機能強化を最優先にしたから、広さそのものは大したことはないが、それだけに頑丈だから手加減抜きに暴れても問題ないぞ」

「ほう、それは良いですね」

「万一にも別棟が崩れるのは嫌なので、最後のリミッターは外さずにお願いいたしますわね。何かの折にはシェルターとしても使用予定ですので」


 バトルジャンキーな兄弟の台詞に苦笑するリアンナ様だった。




 その後、ジョルダンと公爵が無事に帰国したと思ったら第四王女も一緒だったり、西の王国がある程度落ち着くまで彼女が王宮に滞在することになったり、リアンナ様に会ってからというもの、王女が目を輝かせて「リアンナお姉様!」と呼ぶようになったせいでジョルダンが不機嫌になったり(どちらに嫉妬しているのだろうかと、兄上と真剣な議論になった)と、騒がしいながらも平和な日々が戻ってきた。

 ……まあ、巨大魔獣出現により騎士団が出動したり、南の軍事国家と小競り合いがあったり、旧帝国派によるアルヴェシオン家への夜襲があったりもしたが、被害そのものはほぼ皆無だったのでさほど騒ぐことでもない。『魅了使い』、もといルンド子爵令嬢の件の解決には、まだ時間が要るようだ。


 王女滞在は三ヶ月ほどで終わり、国境まで見送るジョルダンに付いて俺も同行した。

 王女本人はこらえているようだったが、アクアマリンの瞳が涙に潤んでたいそう可愛らしい。

 より近い距離で、プラス上目遣いのコンボを食らったジョルダンは、案の定だが暴走した。 ……いくら正式に婚約者に決まったとは言え、相手国の使者もいる前で唇にキスをするのは大問題だぞ弟よ。

 しかも、平手と共に放たれた「初めてなのに酷いわ! ジョルダン様の馬鹿ー!」という言葉からして、王女にとってはファーストキスだったらしい。……帰途でジョルダンを(たしな)めると、「実は眠ってる隙に何度かしてるんですけど、やっぱり気づいてなかったんだなあ。本当にカトリンはそういうところに鈍くて可愛い」と、赤く腫れた頬を擦りながら返され、こちらが頭を抱えてしまった。

 何と言うか、こんな弟に惚れ込まれてしまった王女にはひたすら申し訳ないと思いつつも、間違いなく逃げられないと確信もしているので、リアンナ様共々、できるだけ彼女の相談に乗るようにしようと心に誓ったのだった。


 それからしばらくして、無事にルンド子爵令嬢の件に片が付き、後れ馳せながら俺の婚約者も正式に決まった。

 リアンナ様によれば、俺同様に彼女の方も、二年前の出会いで一目惚れしてくれていたらしい。とても楽しそうに報告してくれた。

 そして今夜、御披露目も兼ねた王宮舞踏会に初めて彼女をエスコートする。

 屋敷の玄関に足を踏み入れた先、ホールに佇む姿に思わず見とれた。

 彼女は柔らかな頬を綺麗に色づかせ、抱きしめたくなるような甘く無防備なまなざしで俺を見ている。


「……ジャロッド殿下。とても素敵です」

「君こそとても美しい。舞踏会仕様の君を見るのは陛下の誕生パーティー以来だが、取り分け今日は格別だな。他の男になど見せず、独占してしまいたくなる」

「まあ……そのようなことをおっしゃらないでくださいませ。わたくしだって、正装なさった殿下を他の女性の目に晒したくなどありませんのに」

「では、このまま二人で舞踏会になど行かず、俺の部屋で夜を過ごそうか?」


 ゴホン


 ……無粋な邪魔が入った。


「失礼ながら殿下。娘はまだ殿下の()()()であって、妻ではございません。申し上げるまでもありませんが、今夜は確・実・に! 我が家まで送り届けてくださいますように!」

「まああなた、婚約したばかりの二人の邪魔をなさってはいけないわ。心配なさらずともジャロッド殿下ならば、()()()()()()()()この子を帰してくださるでしょう。それよりもほら、わたくしのエスコートをきちんとなさってくださいな」


 あからさまに警戒心まみれの父親より、笑顔でぐっさり釘を刺す母親の圧力の方が恐ろしい。

 苦笑いしながらも婚約者に手を差し出すと、手袋に包まれた華奢な手がそっと委ねられた。


 ……本当にこのままさらっていってしまいたい。


 兄弟に聞かれれば間違いなく血は争えないとからかわれそうなことを思いながら、愛しい女性とともに結婚への第一歩を踏み出した。

……ジャロッドがこんなにも甘くなるとは予想外。脳筋設定は何処へ?いや、脳筋と激甘は必ずしも矛盾しないからいいのかしら。


さて問題です。ジャロッドの婚約者は誰でしょう?

一応、話に出た三人のうちの誰かです。身分や大雑把な年齢以外は明らかにしていないので、当てずっぽうにしかならない気がしますが、決まってはいます。

正解しても何もありませんが、回答してくださる方は是非感想欄へ。


以下、登場人物紹介です。長いです。


☆第二王子ジャロッド(17)

銀髪に翡翠の瞳、褐色の肌の青年。身長は187cmで兄より高く、体の厚みも兄より上。顔立ちそのものは割と繊細で貴公子めいたつくりなので、体格とは結構なギャップあり。

学生生活を送る傍ら、既に騎士団の一員として活躍中。腕っぷしは現時点でも国内有数なので、暫定王太子であるジョルダンの外出に頻繁に駆り出される。護衛という名の歯止め役とか言ってはいけない。本人自覚してるけど。

騎士らしく女子供に優しく、動物も好き。居眠りしてたら鳥が飛んできて止まり木にされたり、猫や犬が膝に乗って丸くなる程度には動物にも好かれている。

体術に関しては前述の通りで、魔法も使えなくはないがかなり限定的。主に武器の火力増加や防御に使用。得意な属性は火なので、文字通りの意味でも攻撃の火力は恐ろしく高い。防御壁は専ら遠くの部下や一般人を守る際に使い、近距離なら仮に魔法攻撃でも、剣に直接魔力を込めてぶった斬るとかいう身も蓋もないことをしてくれる。兄もかなりのチートだがこの子も大概化け物。


☆第三王子ジョルダン(14)

チート兄弟その三。金髪に翡翠の瞳、白い肌の、天使に例えられる清らかな美貌の王子様。ただしお腹は真っ黒通り越して闇レベル。誰に似たのやら。……両親のハイブリッド?

身長は160cmとまだ小柄。でも婚約者が留学してくる三年後までには15cm以上伸びる予定。もし乙女ゲーム設定を持ち込むとしたらその頃からで、彼がメインヒーローになると思われる。……何があっても絶対攻略されないと思うけど。カトリンは色んな意味で頑張ってほしい。

正式決定はまだだが、実質的な王太子として国内外に認知されており、本人も自覚済み。唯一認知していなかったのがフィアルカだけという事実が彼女の残念ぶりを物語る。

戦闘能力は次兄とは正反対で、体術は護身術程度(ただし王族基準なので大抵の輩は瞬殺可能)だが、魔法に関しては大陸最高レベルを誇る使い手。純粋に魔法のみで対抗できるのは、国内では宮廷魔術師長と王妃、リアンナだけ。国王と長兄、伯父の公爵は短時間なら何とかなる、というくらい。なので暴走すると非常に危険だが、いざそうなったら間違いなくチートな兄たちの手で取り押さえられると思われる。

「俺とジャロッドは歯止め役か?」

「まあ、俺の場合は今もそんな感じですし。むしろ兄上が暴走した方が厄介では?」

「うーん、その時は僕か母上がジェイリッド兄上の魔力行使を封じて、リアンナ姉様か伯父様に手足を氷付けにしてもらってから、ジャロッド兄上に気絶させてもらえばいいかな。無傷で確保するならこれが一番だと思うんですけど」

「……真顔で具体的なシミュレーションをするなよ」


☆西の王国第四王女カトリン(13)

現国王の末娘でジョルダンの婚約者。柔らかに波打つプラチナブロンドとアクアマリンの瞳の、花の精を思わせる美少女。身長は150cmで、現状でもジョルダンとは割と釣り合いが取れている。最終的にはあと10cm伸びるかどうかだが、体型はいい感じに成長して妖精らしくなくなる見込み。

見た目のせいで弱々しいタイプと思われがちだが、環境のせいもあって芯はとても強く、学力でも機転の意味でも頭が良い。西の王国の場合、腹違いの兄弟が仲良くなることはまずないため、カトリンには「お姉様」という存在への根強い憧れがあり、そこにリアンナがぴったりはまったというオチ。

なお同母兄の王太子(20)は王立学園に留学経験があり、後輩のジェイリッドとは未だに交流のある仲。リアンナをしつこく口説きにかかり、彼に腕を脱臼寸前になるまで捻り上げられたのはいい思い出。

「兄上酷い」

「何だよ、ジョルダンはリアが口説かれてても止めないのか?」

「せっかく兄上は風系が得意なんだから、沈黙の魔法を使えばいいんですよ。悪質な相手なら窒息させるのも手ですけどね」

「……その選択肢が出るお前の方がえげつない」


*各国の位置関係について

リアンナたちの住む王国は大きな大陸の中央部を占め、その四方に別の国が位置しています。

それぞれ、北の聖皇国(宗教国家)、東の公国(旧帝国)、南の諸侯連合(軍事国家)、西の王国ですが、これはあくまでもリアンナたち王国人による呼称。本来は個別の国名があります。決めてないだけで←

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