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中編・子爵令嬢視点

子爵令嬢サイドです。お花畑注意!

 ──幼い頃から、欲しいものが手に入らないことなんてなかった。

 だから、初めて好きになった王子様と結ばれるのだと、信じて疑わなかった。

 王太子様の側妃になって、大事にされて、国民からも認められて、誰からも愛されて。

 そんな幸せを掴みたかった。

 私はただ、幸せになりたかっただけなのに──




 私の髪の色は、家族の誰とも違っていた。

 珍しいピンクブロンドは、お母様にそっくりの可愛らしい顔立ちによく似合ってはいたけれど、何かと男の子たちに苛められる原因となった。それでも、泣きそうになりながらも断固として抗議すると、苛めっ子たちはすぐにやめてくれたし、次の日からはまるでお姫様みたいに大事にされるようになった。

 初めて髪のことで容赦ない物言いをされた日、両親に泣きついたら、お父様はこんなことを言った。


『フィアルカは誰よりも可愛いからね。男の子たちはフィアルカにどうにかして話しかけたくて、綺麗な髪をからかっているだけだよ』


 当時の私は何を言っているのかと思ったけれど、お父様の意見は正しかったんだろう。お母様は、膝に突っ伏した私の髪を優しく撫でながら、『あなた、親馬鹿が過ぎましてよ』と苦笑していたけれど。


 お父様はいつも私に優しい。顔立ちが自分似のお姉様たちも可愛がってはいたけれど、私は三姉妹の中で一番愛されていたし、それはお母様やお姉様たちも笑って認めるところだった。

 でも、我が家の女性陣に私が愛されていなかったわけではない。

 泣き虫の私が抱きついたせいで、ドレスに涙と鼻水がつくのが分かっていても、お母様は私を愛しげに抱きしめてくれた。怖い夢を見た夜中に、『しょうがないわねえ』『怖がりなんだから』と言いながらもお姉様たちがベッドに招き入れてくれたのを、私は今でも覚えている。しつこく私を苛めてくる男の子を、声を張り上げて追い払ってくれたのもお姉様たちだ。


 ……けれど。十歳になるかならないかの頃、それまでもちらほらあった同性からの嫌がらせが頻繁になった。女の子たちには何を言ってもやめてもらえず、涙目で相談した私に、お母様とお姉様たちは以前と違う反応を示した。


『フィアルカ。貴女はそろそろ、男の子との距離の取り方を考えた方がいいわ』

『あのね、フィアルカ。貴女が仲良くしている男の子たちの中に、他の女の子の好きな子や婚約者がいるのよ。好きな人が別の女の子とばかり仲良くするのは、嫌な気分になると思わない?』

『お友達が多いのは悪いことじゃないけれど、それが男の子だけなのは駄目だわ。これからは女の子のお友達も作るようにしなきゃ』


 意味が分からなかった。

 お友達に男の子とか女の子なんて関係ないと思う。私はお友達のみんなが大好きだけど、彼らが他の子と仲良くしたって別に構わない。みんなは私をあんなに大事にしてくれるのに、いきなり邪険にするなんて申し訳ない。それに私にはお姉様たちがいてくれるから、女の子のお友達なんていらないと思う。女の子たちの嫌がらせからだって、お姉様たちが庇ってくれたでしょう?

 そんな風に言うと、三人は何とも言えない表情になった。

 どうしてそんな顔をするの?


『……薄々感じてはいたけれど、甘やかし過ぎたようね』

『お母様だけのせいじゃないわ。私たちにも責任はあるし、お父様のフィアルカの甘やかしぶりときたら砂糖菓子みたいだもの。ただ流石にそろそろ、淑女教育は始めた方がいいと思う。……正直ちょっと遅すぎる気もするけれど』

『私たちを大好きでいてくれるのは凄く嬉しいわ、フィアルカ。でも、貴族の子息令嬢は十六歳から王立学園に通うきまりになっているのは知ってるわよね? フィーナ姉様と私は三年後に入学だから、それからは貴女の側にはいられなくなるのよ』


 と、フィオーラお姉様が言い聞かせてくる。


『それに、私たち姉妹は、お嫁に行くかお婿を取るかで結婚しなきゃいけないでしょう? 貴女が今までみたいに男の子とばかり仲良くしてたら、良い相手との結婚はできなくなってしまうわ』


 ──貴女だけじゃなく、私たちも。

 多分そんな副音声があったのだろうけれど、多大なショックを受けた私は全く気づかなかった。……ショックがなくても、お姉様の言葉でなくとも、副音声を聞き取る耳なんて私には備わっていなかったと自覚したのはずっと後のことだ。


 ただあまりにも酷いことを言われたと思った私は、最大かつ無条件の味方だったお父様のもとへ涙ながらに駆けつけた。

 私の一方的な言い分──『私は良い相手と結婚できないとフィオーラお姉様に言われた』とだけを聞いたお父様は、一瞬だけとても怖い顔になったが、怯える私にすぐ笑いかけ、頭を撫でながら力強く保証してくれた。


『安心しなさい。こんなにも愛らしく素直なお前に、良い相手が見つからないなんてことがあるものか。いずれ社交界にデビューすれば、数々の貴公子がお前を取り囲むだろう。それこそ私が選ぶのを苦労するくらいね。だから何も心配することはない』

『お父様……ありがとう』

『だが、それはそれで父親としては憂鬱になるな。もし王子殿下に見初められでもしたら、この上なく喜ばしくはあるが、父親でも会うことが難しくなってしまう』

『王子様……? ええと、今の王様には三人いるのよね?』


 小首を傾げた私に、お父様は王子様たちの説明をしてくれた。

 私より二歳年上の第一王子、今は公国となった東の帝国の皇女を母とするジェイリッド様。一つ年上で、女官出身の側妃から生まれた第二王子ジャロッド様。アルヴェシオン公爵の妹である現王妃が産んだ、二つ年下の第三王子ジョルダン様。

 三人ともまだ幼いけれど、それぞれに違う方向で頭角を表し始めているらしい。

 話を聞いて少しだけ興味が湧いたものの、泣き疲れて眠気が襲ってきたためそれどころではなくなった。

 大きな欠伸をする私を見て、寝室までエスコートしてくれたお父様は、赤い目を冷やす物を持ってくるよう侍女に言いつけて出て行った。


 その後、お父様はすぐさまお母様たちのもとへ行き、三人を──特にフィオーラお姉様を怒鳴り付けたそうだ。

 お母様やお姉様たちがどんな反応をしたのか、翌朝まで熟睡していた私には分からなかったけれど、その日の朝食の空気はとても重たかった。

 経験のない雰囲気に私が恐る恐る挨拶すると、お姉様たちからは酷くそっけない反応をされた。


『おはよう、フィアルカ。よく眠れたようで何よりね。私もフィオーラも、昨夜は腹が立って眠れなかったのよ』

『まさか可愛い妹に、一方的に悪者にされるなんて思わなかったわ。これなら多少の苛めや嫌がらせがあったって、私たちがわざわざ庇う必要もないんじゃないかしら』

『フィーナ!! フィオーラ!! 幼い妹に何を──』

『あなた』


 お母様の厳しい声と一睨みがお父様を黙らせた。

 それからお母様は私に座るよう促し、明日から私の淑女教育を始めると、厳しい口調のまま告げた。


 淑女教育とは、社交界デビューをするデビュタントの年を迎える前に、淑女としての振る舞いや作法、国内情勢や社交界の在り方などについて、令嬢たちに学ばせることである。魔法適性の高い子たちは、それとは別に魔法の基礎も最低限習得しなくてはならずとにかく忙しいが、ルンド子爵家のような地方貴族にはまず適性は宿らないからあまり関係はない。

 デビュタントの年齢は十三歳から十八歳と幅があり、高位貴族だったり領地が王都に近い貴族ほど早い傾向にある。淑女教育も同様で、早ければ六歳頃から開始される家もあるが、殆どの地方貴族は十歳くらいから始めるのが平均的だった。令嬢の結婚可能年齢は十六歳からであるため、比較的のんびりした地方貴族の間では、デビュタントは学園入学直前に済ませることが多い。学園が王都の郊外にあるのだから、一度に片付けてしまおうというわけだ。

 そんなわけで、お姉様たち同様、私も六年程度で淑女教育を終えるようにカリキュラムを組まれていたのだけれど。


『……もう無理! できないわ!!』

『フィアルカ様』


 先生に溜め息をつかれてしまった。でも仕方ない。分からないものは分からないしできないものはできないのだもの。

 ダンスや歌、ピアノといった芸術は素敵だし楽しめるけれど、マナーはあれこれと厳しすぎるし、座学はどれもつまらなくて退屈。国や他国の歴史なんか面白くも何ともないし、各地の名産品を覚えたって何の役に立つの?


『恐れながらフィアルカ様は、意欲そのものに欠けすぎているのが呑み込みの悪さに拍車をかけています。お姉様方は同じお年で遥かに先を学ばれていましたよ』


 そしてことあるごとにこう言われる。私はお姉様たちとは違うんだから、同じようになんてできないわ。

 最初の授業の時、頑張ってカリキュラムを早く消化すれば、お姉様たちと一緒に同じ内容を学べるようになると言われて頑張ったけれど、量が多すぎて理解が追い付かず、私のやる気はとうの昔に尽き果てていた。

 大体、先生がもう少し面白くて分かりやすい授業をしてくれれば、私だってまたやる気を出せると思うのよ。

 ──内心でだけ呟いたつもりが声に出ていたと気づいたのは、先生の顔色が変わったせいだった。


『──そうですか。フィアルカ様は、わたくしではご不満だと、そうおっしゃっているわけですね』

『え、あの、私』

『わかりました。ではわたくしはこれより、お姉様方の教育にのみ専念させていただきます。その旨、子爵夫人にご報告してまいりましょう』


 座学担当なのにマナーの先生と同じくらい綺麗な礼を披露して、先生は誇り高く顔を上げた美しい姿勢で私の部屋を出ていった。


 残された私は困り果てていた。

 ──どうしよう。怒らせた。謝らなきゃいけない。

 ──でもわざわざ頭を下げて、またあの理解できない授業を受けるの?


 明確な結論を出す前に、お母様が私の部屋へやってきてしまった。


『フィアルカ』

『……はい』


 最近のお母様は苦手だ。淑女教育が始まる前は、いつも優しく愛情たっぷりに私を受け入れてくれたのに、今は声も態度もとても厳しくなった気がする。

 私にだけじゃなくお姉様たちにも厳しい時はある。『愛してくれているから厳しいのよ』と笑って言ったのはフィーナお姉様だったかしら。でも私は優しいお母様が好きだから、あまり厳しくしてほしくない。


 怒られてしまうと身構えていた私に、お母様は淡々と、これから私の教師はお父様に選んでもらうと告げた。

 ──つまりは、お母様は私の教育に今後一切関わる気はないという宣言だったのだが、私はそんなことには気付かずほっとしていた。お父様なら私の希望通り、楽しくて分かりやすい教え方の先生を選んでくれると思ったから。


 生徒と相性の合わない教師が入れ替わることなど別に少なくはないのに、どうしてお母様がそこまでの決意に至ったかと言えば、おばあ様の年齢に近かったあの先生は、現王妃様やリアンナ様の淑女教育も手掛けた、大変有能で影響力のある人だからだそうだ。

 本来ならば引く手数多で生徒を選べる立場にある人を、お母様は私たちのために手を尽くして呼び寄せてくれたのに、私は先生に無礼を働いて見限られた。そんな令嬢にまともな教師がついてくれる見込みなどどこにもない。

 本当はお母様も私を矯正しようとしてくれたと思う。けれど、本来それに協力すべき立場のお父様が、お母様や先生の鞭など役に立たないくらい大量の飴を、私に求められるままに与え続けていた。お母様がいくら咎めてもやめようとしないばかりか、逆に何度も怒鳴り付けられ、お母様の心は折れてしまったのだろう。夫と末娘に失望し、完全に見切りをつけたのだ。

 お姉様たちは躊躇わずにお母様に味方し、ルンド子爵家は真っ二つに割れてしまった。でも私はそんなことは全く知らなかったし、これまでの家族の形は何も変わったりなどしないと、何の根拠もなく無邪気に信じきっていた。


 次に来た先生は、二十歳を過ぎた年頃の、とても綺麗で優しい女性だった。授業そのものは教科書通りであまり面白くなかったが、私がわからないと言っても怒ることなく、そのつど休憩と称した二人だけのお茶会を開いてくれる。時々そこにお父様も顔を出すようになり、まるで三人家族みたいに楽しいひとときを過ごした。

 この楽しい時間をお姉様たちとも共有したい。本当はお母様も一緒がいいけれど、授業の進み具合を聞かれたらまた厳しい目で見られそうなので、お姉様たちとだけでも。

 そう思った私はある日、お二人を誘ってみた。

 結果は……言うまでもないだろう。


『ごめんなさい。私たちもマナー担当のグロリア先生と、勉強がてらのお茶会をしているのよ』

『え! グロリア先生は、私とは一度もお茶会なんてしてくれたことはないのに、ずるいわ!』

『それは単純に貴女の授業がそこまで進んでないせいよ。私たちのマナー授業がお茶会形式になったのは十二歳になってからだもの、十一になったばかりのフィアルカには早いわ』

『ところで貴女のお茶会だけれど、お父様は……貴女に指摘なんてするわけがないわね。その新しい先生からはマナーのアドバイスをもらっていないの?』

『毎回一つずつ教えてくれるの。でもすぐには直せなくて、次もまた同じ失敗をしちゃうんだけど、モニカ先生はとっても優しくて、まだ先は長いから気長に取り組めばいいって言ってくれるわ』

『『うわあ……』』


 お姉様たちは頭を抱えた後、何やらひそひそ話し始めた。どうしたのかしら。


『……どうしたらいいと思う、フィオーラ? このままじゃこの子、芯から甘やかされてますます駄目になっちゃうわ』

『どうもこうも、お母様は放っておけって言うんだから。私たちが厳しく指摘したって、お父様やモニカ先生とやらがよしよしするんだから意味がないわよ。またこの子が泣いてお父様に言いつけられて、理不尽な怒りが飛んでくるなんてことにもなりかねないし。別にお父様は怖くないけど、無駄なストレスは溜めたくないわ』

『そうね……フィアルカも楽な方にしか行こうとしないから。自分の教師がお父様の愛人だってことにも全然気づいていないみたいね』

『気づくような視野の広さを持ってたら、男の子たちを周りに侍らせることなんか、私たちに言われる前に止めてるわよ。淑女教育が全く進まないせいで遊ぶ暇がないのが幸いだわ』

『あの、フィーナお姉様、フィオーラお姉様?』

『ああ、ごめんなさいねフィアルカ。そういうわけだから、お招きは嬉しいけれど参加はできないわ』

『グロリア先生から許可が出たら私たちのお茶会にも同席できると思うから、しっかり頑張りなさい』


 笑顔で勉強部屋に戻っていくお姉様たちを見送りながら、私はとてつもない孤独感を味わっていた。


『……お父様』


 その孤独を埋めるため、私はお父様を探しに行った。




 結局その夜まで、お父様には会えなかった。

 モニカ先生との逢瀬に忙しかったお父様は、寂しさに泣きながら部屋にこもった私を心配して、ドアを何度もノックしたが、悲しみが落ち着きすっかり拗ねていた私はドアを開けなかった。

 翌朝、ようやく部屋から出てきた私を、お父様は王都に行かないかと誘った。


『フィアルカは勉強を頑張っているが、そればかりでは気も滅入るだろう。気分転換も兼ねて、どうだい? 王都は華やかで色々な物がある。滞在は三日間だから、フィアルカに似合う綺麗なドレスやアクセサリーも見て回ろう』

『本当!? 嬉しい! ……でも私、まだ勉強があんまり進んでなくて』

『ああ、フィアルカは本当に真面目でいい子だね。大丈夫、モニカ先生も付いてきてくれるそうだ』

『わあ、モニカ先生と一緒の旅行なんて楽しそう! ありがとう、お父様!』


 お母様やお姉様たちが聞いたら鼻で笑いそうなやり取りを交わした二日後、私はお父様と先生と一緒に王都に旅立った。

 ──そこで私は、王子様と出会ったのだ。




『……はぐれちゃった』


 滞在三日目の午後。お父様が王宮に用があると言うので、私とモニカ先生は二人、中央広場と大通りで開かれている市場へ来ていた。

 先生とは姉妹みたいに仲良く手を繋いで歩いていたのだけど、急な人波に呑まれて離ればなれになってしまった。


『ええと、こういう時は動かない方が……あ、でも確か、『何かあったら噴水の所へ』って先生と決めたんだっけ』


 広場には目印にちょうどいい大きな噴水があったから、そちらで合流できるだろう。

 行動が決まった私は、目的地へ向けて歩き出した。


 もうすぐ噴水が見える辺りに来た時。


 どんっ!


『きゃあ!』


 誰かに突き飛ばされるように強くぶつかられて、出店と出店の間の路地の奥に転がり込んでしまった。

 そこは土だらけで、お父様が買ってくれた新しい外出着が汚れてしまう。急いで立とうとすると、右足首に激痛が走った。


『痛っ……! どうしよう、立てない……』


 捻って熱を持った足首を押さえて泣きそうになる。

 見える範囲の通行人の中に、先生の姿はない。みんなの視線は当たり前だけど出店に向いていて、薄暗い場所に座り込む小柄な私の姿なんか目に入らない。

 ──誰か。私を助けて。お願い──!

 心細さに声も出せず、私はただただ涙するしかなかった。


『──あら? 貴女、そんな所でどうしたの?』


 不意に、凛とした清流を思わせる声がした。

 顔を上げると、見事な黒髪を腰まで伸ばした、見たこともないくらい綺麗な女の子が、迷いない優雅な足取りでこちらへ近づいてきた。着ているものはそれなりに上等だが、庶民も買える程度のワンピースなのに、何故か最高級のドレスを纏った幻が見え、思わず涙に濡れた目をこする。

 女の子が全く躊躇わず隣に膝を突くと、さらりと長い髪が揺れ、ほのかに甘い香りがした。


『ああ、怪我をしたのね? 少し見せてもらえるかしら』


 優しい、気遣いのこもった声にはその実、無条件に聴く者を従わせるような響きがある。

 ──ああ。この女の子は多分、貴族だ。それも子爵家なんかよりずっと高位の……


『──ひゃあ!』

『ごめんなさい、急に驚かせたわね。足首が腫れているから、冷やした方がいいと思って』


 足首を包むように触れた華奢な手から、心地よい冷気が伝わる。人間の体温とは全然違う。私も私の家族も適性なんてないけれど、これが魔法だということくらい分かった。


『え、と。あの、ありがとう、ございます……』

『どういたしまして。もう少しじっとしていてね』


 間近で微笑む顔は、やっぱりとんでもなく綺麗だ。お姉様たちと同じくらいの年齢だと思うけど、作り物でも出来すぎなくらい整った顔立ちのせいでもっと年上に見える。

 路地の薄暗さにも鮮やかな透き通るような肌と、対照的な漆黒の髪と瞳のコントラストが、こう……何とも言えず、そう、『艶っぽい』って多分こういう感じなんだと思う。よく分からないけど。


『顔が赤いわ。熱が出てきたかしら?』

『いえ、大丈夫です!』

『そう? ならいいのだけれど』


 切れ長の目に心配そうに見つめられ、何となく居心地が悪くなった。

 痛みが徐々にひいていき、何とか立てるかなという頃になって、路地の入り口からまた別の声がした。


『リア、そこにいるのか? どうしたんだ?』

『ええ、少し待ってくださいな。こちらに怪我をした子がいるので、軽く手当てをしましたの』

『怪我人? 身元は?』

『まだ聞いていません。貴女の名前とお住まいを教えてもらえる? よければおうちまで送りましょう』


 女の子は、近づいてきた男の子から私に目を移したのだろうが、その時の私の意識からは彼女の存在は消え去っていた。

 だってその男の子は、彼女と同じくらい大人っぽくて綺麗な顔で、背も高くて、浅黒い肌で──とにかく格好よかったのだ。

 力強い足取りで近づく彼の姿を記憶に留めておきたくて、その翡翠の瞳に見つめられたくて。私は火照る頬と潤んだ瞳を自覚しながら、食い入るように彼を見つめ──


 むか。


『ひえっ!?』


 すぐ隣からとてつもなく恐ろしい気配がして、私は反射的にそちらを振り向く。


『リア、顔が怖いぞ』

『生まれつきですわ! 放っておいてくださいませ!』


 ぷいっと顔を背けた彼女は、ぽんと私の肩を叩く。

 その途端──不意に足首の痛みが消え去った。


『……え? あれ? 痛くない……』

『冷やして腫れが引いたら、後は自然回復に任せようとも思いましたけれど。ご家族に心配をかけてしまいそうですから、手っ取り早く治しました。服の汚れも消しましたので、また転ばないようにお気をつけくださいな』


 見れば確かに、土まみれだったはずの外出着は染み一つなくまっさらになっていた。

 うわあ……魔法って凄い。ううん、この女の子が凄いのかな?


『立てますか?』

『あ、はい! ありがとうございます!』

『リアこそ早く立った方がいい。お前が服を汚して帰ったら俺が怒られる。ほら』


 一人で立ち上がった私をよそに、彼は女の子に手を差し出し──男の子が私以外の女の子を優先するなんて初めてだった──、慣れた様子で彼女を立たせると、そのまま握った手の甲に軽くキスをした。

 あまりにも自然すぎる仕草は、二人のどちらもごく普通の平民服なのに、まるで絵本に描かれた舞踏会の一幕のようで……


『……王子様みたい』


 零れた呟きはしっかり彼の耳に届いたらしく、私を振り向いた彼は悪戯っぽく片目をつぶり、秘密だよと言いたげに唇に人差し指を当ててみせた。

 その笑顔の記憶は、それから数年間ずっと私から離れることはなかった。




 それからほどなく先生と合流できた私は、そのまま王都の子爵邸に戻ることになった。

 帰り際に男の子から名前を聞かれ、何となく恥ずかしくなった私は、つっかえながらもフィアルカ・ルンドと本名を名乗った。

 男の子はジェイル、女の子はリアと名乗ったけれど、どっちも間違いなく偽名だと思う。

 でも貴族なのは間違いないし、年齢も近そうだから、もしかすると王立学園で会えるかもしれない。そう考えて未来が楽しみになった私とは対照的に、モニカ先生は難しい顔をしていた。


 私は知らないことだけれど、私たちの背中を見送ったジェイルさんとリアさんは、酷く真剣な相談を始めた。


『ルンド子爵令嬢か。あの髪色の少女が現れるのは平民か子爵以下の貴族だっていうのは本当だったな』

『ジェイル様、ご気分は大丈夫ですか?』

『最初は結構強烈に目まいがしたけど、今は平気だ。彼女の注意がリアに逸れた途端に楽になったから、能力者本人の意識次第で効力は変わるんだろう』

『つまり、あの子の近くにさえいなければ影響はないということになりますわね』

『それはそうなんだろうな。でも流石に『魅了使い』なんて厄介すぎる存在は、広く一般にとは言わなくとも、せめて貴族の間にくらいは周知させるべきだと思わないか?』

『確かに、標的になりやすい王族や高位貴族のみが知っているだけの現状は、どうにも危ういとは思いますけれど……』

『だろう? だから考えたんだが──』




 子爵邸に着いてからも考え込んでいる先生に、私は理由を尋ねてみた。

『先生、どうしたの?』

『……さっきの男の子のことなのだけど。確か、翡翠のような目の色をしていたわね?』

『はい、確かにそうでしたけど』

『フィアルカさん、忘れてしまった? 翡翠の瞳は、我が国の王家直系の証なのよ』

『……あっ!! じゃ、じゃあ、ジェイルさんは……』

『黒髪と浅黒い肌をした王族男子というと、間違いなく第一王子ジェイリッド殿下でしょうね』

『ジェイルさんが、本物の王子様……』

『あら、フィアルカさん。もしかして殿下のことを好きになってしまったのかしら?』

『そ、そんなこと!』


 慌てて否定しても、モニカ先生はごまかされてくれない。

 楽しそうに笑いながら、しばらく王家の制度のことを中心にお勉強しましょうねと提案してくれた。


 それから数ヶ月をかけて王家について学んだ後、先生は子爵令嬢は王子の正妻となるのはほぼ不可能だということと、国王や王太子は正妃以外に側妃という公認の愛人を持つことができ、それは子爵令嬢にも手が届く地位なのだと説明してくれた。そして側妃には公務をする義務はないのだとも。


『じゃあ、ジェイリッド様が王太子になれば側妃を持てて、私がなれる可能性もあるんですよね?』

『可能性だけならそうね。ただ、ジェイリッド殿下が王太子になれるかという問題があるけれど』

『えっ、ジェイリッド様は第一王子で、お母様の身分も一番高いんだから、王太子になるのが当然じゃないんですか?』

『そうとも限らないのよ。倒れた王朝の血を引く子供の立場はとても複雑なの。いい機会だから、自分で調べてみたらいいわ』


 優しく促す先生の言葉は、私にはどうしても納得できなかった。

 調べるまでもなく普通なら、ジェイ様──私は頭の中で彼をこう呼んでいた。私だけの彼の愛称を作ったのだ──が王太子になるのが当然だからだ。

 ジェイ様の能力が弟たちに明確に劣るならともかく、三人の王子は甲乙付けがたい有能さだと言うし、それならものを言うのは血筋と後見だ。その点で母親の身分が低い第二王子は除外される。

 残る二人はどちらも正妃の産んだ息子だけど、ジェイ様の母親である皇女様は彼を産んですぐ亡くなり、その後に嫁いだのが第三王子の母親である今の王妃様だ。でもジェイ様の婚約者は王妃様の姪であるリアンナ様──あの時のリアさんだろう──だから、そこで後見の差は埋まっているはず。ジェイ様の立太子を阻む理由なんか何処にもないのに。


 私はやっぱりジェイ様の側妃になりたい。王太子妃なんて私には身分以前に絶対に務まらない役割どころか、誰より綺麗で優しくて頭もいいリアンナ様じゃないと無理だと思う。私はリアンナ様みたいにはなれないけど、公務に疲れたジェイ様を慰めるくらいはできるし、してあげたい。リアンナ様は優しいから、私が側妃になることくらい許してくれると思うし、仲良くしてももらえるだろう。

 普通の愛人なら肩身の狭い思いもするけど、側妃ならむしろ家の名誉になる。だからお父様やお母様、お姉様たちだって、私が側妃になれば喜んでくれるはずだ。確かお姉様たちは王宮侍女を目指すと言っていたから、姉妹みんなの希望が叶えばいつでも簡単に会えるようになる。今は勉強が忙しいせいで、同じ家にいても顔を合わせる機会は少ないけど。


 うん! やっぱり私が側妃になれればみんな丸く納まるんだ。頑張らなきゃ!

 気合いを入れた私はまず、苦手だったマナーの授業に身を入れるようになった。時期が遅かったのもあって、一緒にお茶会ができるようになる前にお姉様たちは学園に入学してしまったけれど。


 そして何とかマナーに合格点をもらい、座学はモニカ先生いわく『本当にぎりぎり最低限をクリアね』と苦笑されながら、私は社交界デビューを終えて学園に入学した。


 目当ての人は入学式当日にすぐ見つかった。ジェイ様は生徒会長、リアンナ様は副会長をしているようで、噂によると相変わらず仲は良いみたい。時々中庭で、ジェイ様がリアンナ様の腰を抱いてエスコートするみたいに歩いている姿を見かけるけれど、嫉妬する気持ちも失せるくらい美しい光景だった。


 お二人の間に割って入るのは心苦しいけど、でも私はジェイ様が好きでずっと側にいたいし、側妃を目指すのは家族のためでもある。いずれ正妃となるリアンナ様を蔑ろにするつもりはないのだから許してほしい。

 決意を固めてジェイ様に近づくと、五年前の出会いを覚えてくれていて、とても優しく微笑んでくれた。私はきっと全身真っ赤になったと思う。

 それから徐々に話ができる機会が増え、ジェイ様と呼ぶ許可も貰い、数ヶ月後には『フィアルカは本当に可愛いな』とか『君を見ていると、幸せとはこういうものなんだと思える』なんて、恥ずかしくなるほど甘く囁かれるようになった。


 ジェイ様と仲良くなる一方、リアンナ様と会う頻度は極端に減った。私はリアンナ様とも親睦を深めたいのに、なかなか上手くいかない。

 思い切って三年生の教室に行ってみたこともあるけれど、リアンナ様に会いたいと言ったら先輩たちに変な顔をされた。未来の正妃と側妃が仲良くしようとするのは、何もおかしなことじゃないと思うんだけど。

 くじけずもう一度頼もうとした時にジェイ様が来て、いつもの笑顔で私を中庭までさらっていってしまったので、結局リアンナ様には会えなかった。

 うん、それはそれで物凄く嬉しいんだけど、私はリアンナ様に会いたいし、会わなきゃいけない。何より側妃になるためには、リアンナ様に許可をもらう必要がある。本当はお友達になってからきちんと話をしたかったけど、それはもう難しそうだ。

 ジェイ様にも側妃になってほしいと言われたから、絶対に会いに行かないと。学園では他の先輩方に邪魔されるだけだから、無礼になるけど公爵邸に直接伺うことにしよう。うん、決めた!




 ──そう思って意気込んで来たのに、リアンナ様との話は全く進まなかった。あまりにも思い通りにならなくてイライラして、余計なことを言ってリアンナ様を怒らせてしまったくらいだ。


 そもそもジェイ様は公爵家に婿入りするので王太子にはなれないのだと言う。

 ──ジェイ様は血筋正しい第一王子なのに、どうして国王陛下は婿入りなんて決めてしまったのだろう。ジェイ様も何故逆らわなかったのか。

 そうしなきゃならない『よっぽどの理由』があるって言うけど……モニカ先生が言っていた『倒れた王朝の血を引く子供』だから? でもたかがそのくらいでどうして……


 私が考えに没頭していた時だった。


「──動くな」


 低く、感情のこもらない声と同時に。

 私とリアンナ様、二人の首筋に突きつけられたナイフが、シャンデリアの光を反射して酷く不吉に煌めいた。


「むしろリアンナが王子様だろう!」と、書いていてセルフ突っ込みしました。

仕方ないんです、設定上ジェイル殿下は他人にかける治癒魔法が苦手なので……(そういう問題じゃない)


突っ込み所しかないお花畑文章が意外に書きやすかったお陰で、前編よりかなり文字数が増えてしまいました。後編はさらに長いです(^^;

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