(閑話)リーナがいない間のシシリー
ラティーフが家の鍵をくれた。
食堂で住み込みをしているあたしは、自分の家がない。前は旦那とアパートで暮らしていたが、女の一人暮らしで払える家賃じゃなかったから、住み込みの仕事を探したんだ。
旦那との思い出は消えない。でも、ラティーフのことは、一人の男として見ている。
いつかこの人と一緒になれたら。そう願っていた。
それをダメにしたのはあたし自身。
彼が拾った子どもに酷い態度をとってしまった。それから彼は店に現れなくなった。
謝りたくても、謝れなかったあたしと彼をもう一度つないでくれたのは、彼が拾った子どもだった。
たくさん傷ついたはずなのに、花をくれた。彼を店に連れてきてくれた。そこから、時々会いに来てくれるようになった。
王都へ旅立った彼女は、旅立つ前にラティーフのことを頼むと言ってきた。きっとあたしの気持ちを知っているんだろう。敏い子だから・・・
「よかったじゃないか、シシリー」
女将さんに肩をたたかれたあたしは、ハッとして顔を上げた。
今は早朝。ラティーフは仕事に行く前に来てくれたのだ。
「頑張るんだよ」
手の中に残る彼の家の鍵。
「ええ、女将さん。あたし・・・今度こそ頑張るわ」
一時は諦めた。でももう、諦めたくない。
その日から毎日食事を作りに行った。ラティーフとは仕事の都合で中々会えないけど、いつも残さず食べてくれた。いつも、お金と一緒に一本の花がテーブルに置かれていた。花はいつも違うものばかりだけど、これをラティーフがあたしに買ってくれるのが嬉しくて、会えなくても一緒にいるみたいでドキドキした。少しずつ増える花を部屋に飾り、眺める時間が大好きになった。だけど何日も経つとそれだけじゃ我慢できない自分がいることに気付いた。
あたしはどんどん我儘になっていた。
もっとあたしを見てほしい。彼と家族になりたい。だけど、そんなことできるわけがない。そんな思いの繰り返し。
そんな日々の、ある日のこと。
朝から雨が降っていて、市場にもあまり人の姿がない。ラティーフもきっとすぐに帰ってくるだろう。女将さんから、雨が酷いようなら無理に帰らなくていいから、ラティーフに泊めてもらえと言ってくれたけど、まだそんな関係じゃない。
でもラティーフは、夕方早くに帰ってきて、今夜はもっと雨が酷くなるからうちにとまっていけ、って言ってくれた。
初めて、二人きりで夕食を済ませた。会話なんてほとんどない。ラティーフは温かい風呂を沸かしてくれて、先に入れと言ってくれた。
もしかして何か変わるのかもしれない。そんな緊張と幸福を胸に部屋に戻ると、ベッドを好きに使ってくれて構わない。と言われた。
そんな、惚れた男のベッドとか、緊張して眠れないよ!
あたしはとりあえずラティーフが戻るまで居間のソファに座って待つことにした。
色々と覚悟をきめなくちゃ。あたしだって生娘じゃないんだ。ああでも、男と一晩を過ごすのは何年振りか・・・
そんなことを悶々と考えているうちに、いつの間にか眠ってしまった。
「シシリー?」
ああ、ラティーフの声が聞こえる。なんて幸せな夢だろう。
夢うつつで、ラティーフがあたしを抱き上げてどこかへ運んだ。
「シシリー」
少し硬いマットの上、ラティーフの香りに包まれて、あたしは夢の世界へと完全に落ちてしまった。
朝、目覚めたあたしの目の前に、ラティーフはいなかった。だけど何故か彼のベッドで眠っていた。
え、ちょっとまって。あたしの服は乱れていない。でも彼のベッドの中だ。
え、え? ええ?
あれは夢じゃなかったの!?
あたしはなんて惜しいことをっ! いや、そんな破廉恥な。でももったいない!
ラティーフもどうしてあたしに触れてくれなかったんだろう。女としての魅力がないんだろうか。ショックを受けたけど、優しいラティーフが意識のない女に手を出すはずもないだろうと納得して、とりあえず彼の匂いのついた布団を堪能した。
あたし、ちょっと変態っぽい?
トトリに戻ると女将さんが嬉しそうな顔でお帰りと言ってくれた。私の話を聞いて、とりあえずラティーフを絞めてくるよと包丁を持ち出したので全力で止めた。
そんな、日常の一コマである。




