黒の少女 sideシシリー
ラティーフが森から少女を拾って帰ったことも、その少女を養女としたことも街の皆が知っている。
ラティーフは優しい。誰にでも優しい。
あたしのように、冒険者だった旦那が魔物に殺された時も静かに慰めてくれた。
食堂にもよく来てくれて、彼が来てくれるのが嬉しくて、いつの間にか一人の男として好きになってしまった。
あの人が亡くなってもう何年も経つ。まわりも、ラティーフならいいんじゃないかって応援してくれている。
だけど、今日。
「俺の娘のリーナだ。よろしくしてくれ、シシリー」
彼は噂のあの子どもを連れてきた。
「こんばんは、いらっしゃいリーナ。あたしはシシリーよ」
なんとか動揺を悟られたくなくて笑顔を浮かべる。大丈夫、あたしだってこの仕事をもう何年もしてるんだから、笑顔ぐらい作れる。
そう思っていた。少女が、フードを取るまでは。
黒の化け物が、目の前に居た。
「こんばんは、シシリーさん。リーナです」
リーナと名乗った少女はすぐにフードを被りなおした。
失敗した。子どもとはいえお客さんなのに。
それでも彼女の黒い髪と黒い瞳は、何年か前に見た魔物にそっくりで。魔物はだいたい黒い毛皮で、あたしの旦那もそんなやつにやられて・・・
「ご、ごめんなさいね。珍しい色だから驚いてしまって・・・・いま、飲み物を持ってくるわ。ラティーフはいつものでいいかしら」
「・・・いや、酒はやめた」
「そ、そう、わかったわ」
ラティーフはいつも静かに酒を飲むのを好んでいたのに。
この子のせいで、変わってしまった。その時はなぜかそんなふうに思ってしまった。
気分を変えるためにも仕事に集中しなくちゃ。私は大急ぎで飲み物と食事を取りに行く。うちのメニューは日替わりで一つしかないから用意に時間がかからないのだ。
「お待たせ、今子ども用のも作ってもらってるから、待っててね!」
子ども用には大人の分の半分の量にしてもらい、さらに瑞々しいリンゴが付くのだ。
「お父さん、冷たくなっちゃうからはやくたべてね」
やめて。あなたのお父さんじゃないでしょ。あなたのものじゃない。
そんな思いが、口について出そうになるのを必死で耐える。
「ここのは冷めても旨いからいい」
「お待たせ!」
「わあ、おいしそう」
フード越しに笑みが広がる。だけどその時のあたしは、それすらも不気味に見えたのだ。
「うちのは美味しいよ、たんと召し上がれ!」
そして。彼女が手を伸ばして受け取ろうとした瞬間、あたしの手と彼女の手が触れ合った。
「きゃあ!」
無意識に悲鳴をあげて食器を全て床に落としてしまった。
早い時間から来ている客が驚いてこっちを見ているのがわかる。
「あ、ああ。ごめんね、驚いてしまって」
慌てて謝って落ちて割れた食器を集める。
「す、すぐに新しいものをもってくるから」
すぐ近くでラティーフが立ち上がる気配がした。彼は優しいから手伝ってくれるのかもしれないと思い顔を上げると、怒った顔であたしを見てた。
そうだ、彼は、この子どもを大事にしているのも有名だったのに。
「驚かせてごめんなさい。お食事はもういいです。お父さんが食べたら出ていきます」
その時、あたしたちの邪魔をするように子どもが静かな声で言った。
「リーナ!」
咎めるような声。こんなに声を荒げる姿を、ラティーフはあたしに見せたことはなかったのに。
「お父さん、大丈夫。本当はね、ご飯の用意は半分出来ていたの。だから、帰ってから食べるよ。また作り直してもらうのは悪いし」
「ごめんよ、すぐに新しいのをっ」
「・・・ううん、大丈夫。シシリーさん、気にしないで」
あたしは、ラティーフの子どもをようやくマジマジと見ることが出来た。それはあたしが皿を拾っていて、見上げたから。
口元は弧を描いていたが、その黒い瞳にはなにか諦めのようなものが見えた。
寂しくてたまらないって顔。森に置き去りにされた少女のことを、思い出した。
諦めることになれてしまった、悲しい瞳。
ああ、あたしはなんて酷いことをしてしまったんだろう。
「ごめんよ、ほんとうにすぐに新しいものをっ」
「リーナ、出るぞ」
「でもお父さん、ぜんぜん食べてないよ?」
「お前のつくったもんがいい。この店にはもう来ない」
え・・・
「・・・お父さん、また来たいよ」
「・・・じゃ、いつかな」
いつかって、いつ?
「金はここに置いておく。リーナ、行くぞ」
「はい、お父さん。シシリーさん、さようなら」
二人はすたすたと店を出て行ってしまった。
あたしはどうしたらいいかわからず、でも自分がどれだけしちゃいけない態度を取ったのかはわかっている。
その後、おかみさんに声をかけられるまで呆然と座り込んでいた。