ただの馬鹿だったのねという言葉を飲み込んだ
目の前にいる見目麗しい男性は、王都で最も有名かつ英雄と称される元勇者の一人。名前はシュオン。貴族だけれど神殿に属しているから貴族名は名乗らないのがルールらしい。御年三十三歳。そうは見えない儚く美しい男の肌はきめ細かく、数年前よりは少し白髪が増えた程度でほぼ変わりない。むしろ旅をしていた時よりも身綺麗にしているので近寄り難い雰囲気を纏っている。
そう、口さえ開かなければ。
「どこに行くというのだ。私にも準備がある」
一瞬、本気で何を言われたのか理解できなかった。
「いや、あなたを連れて行く気は毛頭ないから」
なんでこいつを連れて帰らなきゃいけないのよ。意味がわからない。
え、いや、なんで絶句してんの、あんた。
ネッドがどうやら神殿側に不信感を抱かれたようだから様子を確認に来ただけなんだけど、どうしてこんな事態になったのかしら。本人確認が遠めでも簡単に済んでしまったからさっさと帰るつもりで体調不良と嘘をついたのに。
「では私はどうすればいいのだ。もう契約はなされた」
あんたが勝手に暴走していることで、どうして私が責任を取らなきゃいけないのよ!?
これはアレクとは違った困ったちゃんっぽい男につかまってしまった。いや、まだ逃げられる。
「困ったな。確かに私では移動するための手続きがかかる。わかった、ではあと半年待ってくれ」
全然わかった気がしないし、どうして私が待たなきゃいけないのかも理解できなくてイライラする。
「あなた、私をどうしたいのよ!?」
「私は君の僕だ」
「し、しもべ? ああ、僕ね。いや、そんな態度じゃないよ!?」
「ではこうしよう。今日から君のことをご主人様と呼べばいいのだな」
いろんな意味で悪目立ちしてしまう。これでは私が変態のように見えるのでは・・・
「もう今すぐ王都から出てってほしいのね、そうなのね! よしわかった。今日中に出ていくわ」
「なんだと! それは困る、せめてあと半年、いや、四か月ほど待ってくれ!」
「嫌ですけど!?」
旅をしているときは気付かなかったし、それどころじゃなかった。でもこの暴走男、ただの馬鹿だったのねという言葉を私は根性で飲み込む。部屋のドアが不意にノックされたからだ。
私たちは一瞬で冷静な顔を取り戻し、まるで最初から何もなかったように振る舞う。
「何事だ」
「シュオンさま、お嬢さまがお帰りになられるお時間でいらっしゃいますわ」
「そうか、彼女はどこに滞在している」
「それが・・・」
シスターの一人がしずしずと入室してきて、そっとシュオンに耳打ちする。シュオンが入室の許可を出さなくても入ってくるあたり、驚きだ。神殿ではそれが許されるのだろうか。それとも彼にはプライバシーすらないのだろうか。
「・・・なるほど、では馬車を手配しなさい」
「それが、乗ってきた馬車があるからとお断りされましたの」
「保護者と話がしたい。私も同行する」
「まあ!」
はあ?
ニコニコ笑って聞いていれば、なにやら好き勝手に決めだしたのだけど、この男本当にどうなっているの?
「私の養子にする」
「まあ。こんなにも愛らしいシスターが誕生するのですね、とても楽しみですわ」
えええええぇっ!?
さ、叫ぶところだった。何よりもお茶を少し噴出してしまった。シスターは気付いていないが、シュオンは呆れたように私を見ている。いや待って、あんたのせいだからね。
「おほほ、シュオンさまは冗談がお好きなのですね。わたくしの父の許可なく、また、わたしくの婚約者の承諾もなく決められることではございませんわ」
ごめんねアレク、こんな時こそ君の名前を最大限利用するわ!
「まあ。それは・・・たしかに難しいですわね。けれどお嬢さま。御安心くださいませ。シュオンさまのご決定は神々の決定と同義。きっとあなたさまを立派なシスターにしてくださいますわ」
いや、望んでないから。
「わたくしは恵まれない人々のためにモノを開発してお金を稼いでいます。神殿で祈るだけでは人々の暮らしは豊かになりませんわ。シュオンさまは素晴らしい方ですが、わたくしは田舎に帰ってお仕事の続きをしなければなりませんの。これにて失礼いたしますわ」
言外、なる気はないぞと伝えれば残念そうなため息が帰ってきた。
「・・確かに祈るだけでは腹は膨れぬ。だが、祈りは必要だ。苦しいときにすがる対象は必要だ」
「すがる余裕があるのは、まだ生きる希望を失っていない方だけですわ」
カーテシーを披露して背を向ければ、それ以上の言葉が追ってくることはなかった。
部屋を出るとネッドが廊下に立っていて、わずかにほっとした表情を浮かべた。
「さあ、帰りましょう」
「ええ・・・ネッド」
「はい」
名前を呼べば、彼はすっと腰を落として私に顔を近づけた。
「近いうちに王都を出るわ」
「・・・はい」
それはもう本当に、彼らしくない、とてもいい笑顔をくれた。




