勇者 過去にとらわれた神官 sideシュオン
幼いころに家を出て神の道に入った。後悔はなかった。日々の暮らしは変わらず静かで、争いのない生活が好きだった。
生まれが貴族で、見目もある程度整っており、医療や算術に強い私が勇者に選ばれた時も、まわりは静かに応援してくれた。旅は大変なことも多かったが、神殿の中では経験できないこともたくさんあり、日々刺激にあふれていた。色も、においも、感触も。それこそ知らないことばかりだった。
彼女に出会ったのは旅の終わりの頃だった。
双黒の少女は、一切表情が変わらず魔物の化身のようだった。
しかし神殿の正常な空気に慣れていた私は、他の勇者たちとは違いその清廉な空気に驚いた。この少女は魔物などではない。むしろ驚くほど神聖な存在だ。
だが同時に、どこか歪なものも感じさせた。
本来は別の姿なのではないか。わざと子どものふりをしているのではないだろうかと訝しく思うほど、どことは言えないが不自然な子ども。
他の二人が置いていこうと言うのを何故か止められなかった。
これ以上関わってはいけない。彼女は私たちとは違うのだから。
「シュオンさま、どうなさいましたか。本日のお祈りには、お心がこもっておられませんでしたわ」
シスターの一人が心配げにこちらを仰ぎ見る。神殿の中でも私は背が高く、多くの人は私を見上げる。
「・・・すまない。ここ最近、心が騒いでしかたがないのだ」
神殿には多くの人が訪れる。そこでは街中の噂が集まることもあるのだ。もちろん、本来ならばそのような下世話な話に耳を傾けることはない。だが、ある日、とある貴婦人が言った。
あるお店で売っている少女の絵がとても愛らしい。なんでもどのような苦境にも立ち向かう強さと、どのような相手でも受け入れる慈愛を持つ稀有な存在。黒い髪に黒い瞳の美しい少女。貴族の若君に髪を切られてもまわりを気遣うことができる高貴な存在。
「街では不思議な少女の噂が流行っているようですね。この神殿にも来てくださるでしょうか」
もし、あの少女だったら・・・
いや、そんなことがあるはずはない。
あの森は危険な森だ。私たちが渡した食糧で抜けられる距離でもなかった。
私は、私たちは、彼女を見捨てた。彼女を見殺しにしたのだ。
生存の可能性にかけたと、聞こえの良い言い訳を盾に。
そしてこの王都へ戻った私たちは、互いに一切の接触を断った。
きっと皆思ったのだろう。また他の二人に出会うことがあれば、きっとあの少女のことを思い出してしまう。
神に祈りを捧げながら、私は常に言い訳を重ねていた。
「ええ・・・そうですね・・・」
どうか、来てくれるな。どうか、関わってくれるな。
思い出したくない罪なのだ。
私が祈るのは、自らの罪をなかったことにしたいという我儘。決して、善意などないのだ。
「シュオンさま、お荷物が届きました。お手数ですが事務所へお越し願えますか?」
他のシスターが呼びに来たので頷いて歩を進めた。
豪奢な祈りの場を抜けきり進んだ先には、一人の男が立っていた。
「こんにちは、ベルノーラ商会よりお荷物をお持ちいたしました」
口元に笑みを浮かべた茶髪の男は、一見地味な見た目をしていた。
「頼んでいない」
どこかで見たことがあるような気がするが、どこで見たのかわからない。
だがなぜか隣のシスターがハッとしたように男をジッと見つめた。男はその視線に気付いたように彼女に笑みを向けると、シスターは怯えたように一歩下がる。
「シュオンさま、この男、この間報告のあった男ですわ」
報告?
「・・・ああ、私を探っているネズミとやらはあなたか。嘘までついてわざわざこんな場所に来るなんて、ご苦労なことだ」
男はぱちりと瞬きをし、それからふっと優しく息を吐きだすように笑った。
「なんのことでございましょう? わたくしめは、ベルノーラ商会の使いに御座います。商会長が寵愛しているご令嬢が後日こちらに参る予定となっておりまして、本日はその打ち合わせと、ご挨拶を兼ねて当商会自慢の一品をお持ちいたしました」
はて、違ったのだろうか。男はまるで無害だとでも言いたいのか笑みを浮かべ続けている。残念ながら私には人を見る目はなさそうだ。これは旅の途中何度も思ったことだが。
「神殿へいらっしゃるご令嬢のことは伺っておりますが、お品物はお持ち帰りくださいませ! あなたさまが、こちらのシュオンさまをコソコソと調べていたのはわかっているのですよ!」
「・・・そうですか、承知いたしました。それでは、こちらの一品は持ち帰らせていただきます。ただ、一つお願いがあるのですが」
「まあ、なんて厚かましい方かしら!」
シスターが憤ると、男は慌てたように両手をこちらに開いて見せて言いつのった。白い手袋が慌てたようにふられる。
「わっ、あの、落ち着いてください。僕は田舎から出てきたばかりで、噂の勇者サマがどんな方なのか知りたかっただけなのです、決して、ええ、決して悪意があったわけではありません!」
「確かにシュオンさまは美しく聡明で、この神殿に必要な方ですから、田舎から出てこられたあなたが憧れる気持ちはわかりますわ」
いや、全くわからないのだが・・・
「ですので、お願いというのはその・・・ぜひ、あの、握手を・・・僕、勇者サマに憧れていて・・・」
照れたように言う男に、シスターはようやく納得したようだ。
「まあ、それでしたら仕方がありませんわね」
何が仕方ないのか理解できないが、なぜか私には拒否権がないようだ。二人の期待に満ちた眼差しに背を押され、ため息をついて手を伸ばした。
男は嬉しそうに笑い、同じように手を伸ばしてきた。




