勇者 過去にとらわれた騎士 sideギニラール
とある王族から面会の申し出があったのは二日前のことだった。
名誉職である勇者を退官し、現在は国王の傍で近衛として日々を過ごしていた私に、王位継承権4位をもつ王子が面会を求めたのは、これが初めてだった。
生まれつき彫りの深い顔、吊り上がった灰色の瞳。くすんだ金髪。良くも悪くもない顔立ちの俺は、あの旅が終わり、婚約者であった令嬢と結婚し、昨年末に第一子が誕生した。男の子どもだったので我が一族はこれで安心だ。両親はあと一人男の子どもを作るように妻に迫っているが、しばらくは体を休ませてやりたい。
小さな我が子を初めて抱いた瞬間、なぜか私はあの森に捨てた少女のことを強く思い出した。
「この子はなにを考えているのだろうか」
私と同じ瞳を持った子が、じっとこちらを見ている。笑いもしない。
「いやだわ、旦那さま。赤子はまだ難しいことはわかりませんよ」
「昨日も私をこんな顔で見ていたぞ」
ふふ、と軽やかな声を落とした妻は、わずかに首を傾げた。
「起きている時間も長くないのですし、一生懸命あなたさまのお顔を覚えているのでしょう」
「物覚えはよくないのだろうか」
「生まれたての子どもは、いろいろと覚えることに大変なのです。けっしてそのようなことはありませんわ」
困ったように微笑む妻に、そういうものかと頷く。
「子どもが何を考えているのかわからない場合はどうすれば良いのだ」
「じっくりその子と向き合うのです。すぐに心を通わせることなんてできませんわ」
「・・・この子の瞳には、私はどのように映っているのかわからぬ」
「あなたさまはどのように見られたいのですか? あの大変なお勤めの後、あなたさまは変わられました」
「うん?」
ふと、妻の声が変わった。
「あなたさまは、いつもと変わらぬおつもりかもしれませんが、わたくしにはわかりますわ」
「・・・」
妻の目は私の心の奥を覗いているかのようだった。まるでいつかの少女のように。
「ご自身の息子に対し、何を怯えていらっしゃるの。あなたさまは、あの旅で何があったのです。子どもに、とくに女の子に対して苦手意識をもったのはあの旅の後からでしょう。そろそろ話してくださいませ」
妻は、いつの間にか母親の顔だった。自らの子を恐れて強く抱くこともできない夫に、戸惑いとわずかな怒りを覚えていた。
私は、その視線から逃れるようにそっと子どもに視線を落とした。
「最近あまりお休みになれないのは何故です。わたくしが気付かないとでもお思いですの?」
柔らかな布の上に息子をそっと寝かせ、私は妻に向き直った。
子どもと同じ柔らかな布で織られた部屋着に身を包み、人前では必ず上げる髪もおろし、薄化粧だが美しい妻の目は、まっすぐに私を見つめていた。
「・・・・・――――――」
私は、何も言えなかった。
「私の前でぼんやりするなんて、ずいぶんとお疲れだね?」
ハッとして相手の顔を見ると、式典でも、それ以外でも何度も顔を合わせた王子。
子飼いの騎士が穏やかに微笑みながら私を見ている。だがその瞳の奥は笑ってはいない。口角を上げて目を細めても、その奥にある冷たい何か。嘲りと、怒りのような。
ずいぶんと若い男だが、こんな目で見られることに慣れていない私は戸惑った。なぜこの少年騎士はそんな顔で私を見るのだろうか。
「殿下、申し訳ございません。しかしどのようなご用件でしょうか。殿下が私に会いたいなどと、今まで一度も御座いませんでした」
「君に子どもが生まれたと聞いていたのだけど、今までいろいろと忙しくてね。きちんとお祝いをできなかったから。今日はそれを持ってきたのだよ」
気まぐれで王子からの祝いなど・・・きっと私が勇者だったからだろう。旅を終えて以降、このようなことは度々あったが、それでもこの方から頂くのは初めてだ。
祝いの品は従者に預けているようで、私の後ろで従者が頷いている。
「男の子だったね。君のご実家はさぞ安心だろう。実はね、私もそろそろと考えてはいるのだけど、君のような華々しい何かがあるわけではないし」
華々しい、のあたりであの少年騎士がわずかに指先に力を入れた。
「ああ、この子が気になる? これは私のお気に入りなんだ。アレク、ご挨拶を」
「アレクセイ・デュガードと申します」
流れるような動作ですっと胸に手を当てるが、決して腰を落とすことはない。まるで私と対等であると言いたげな態度に、更に驚いた。
ここ数年、どんな相手であろうとも王族以外にはこのように不遜な態度をとられたことはない。王族でも私の顔色をうかがう方すらいらっしゃるというのに。
「アレク。彼は勇者サマだよ?」
「・・・勇者、ですか。ところでユウシャサマ。とある森で黒い髪に黒い瞳の少女に出会いませんでしたか?」
驚きのあまり目を見開いた私に、アレクセイという少年騎士はついに鼻で笑った。
「アレク、あんまり意地悪いうと彼、泣いてしまうよ? あと不遜すぎて怖いよ」
「私がお仕えしているのは、そこの騎士ではなくあなたさまですが」
「彼に心酔している人は多いから、外では気をつけなさいね」
「承知致しました、殿下」
にこやかだが、冷ややかな声だ。王子もかばう気はないようで、人の悪い笑みを浮かべている。
「・・・・どのような、ご用件でしょうか」
私はまた同じ言葉を繰り返した。
「いえ、ただ。ただ、彼女を傷つけた下郎がどんな顔をしていたのかと気になって見に来ただけです。安心しました」
安心? 彼女?
まさか、とアレクセイの顔をマジマジとみる。
「生きて・・・・いるのか・・?」
「思っていた以上の下衆で安心しました。この程度の男ならば彼女にもう二度と近づくことはないでしょうし」
「君は、いったい・・・」
抑えきれない怒りを理性で抑えているのだろう。今にも剣を抜いて切りかかってきそうな凶暴さを、王子が視線だけでとどめていた。
彼は、
「私は」
彼女の夫となる男です。と、もう一度胸に手を当てて不敵に微笑んだ。




