般若がいました
「リーナ、心配したよ。大変だったね」
にこりと宿の玄関で微笑むのは数日前に分かれたはずのアレクだった。
あれおかしいな。なんか笑っているのに般若のお面が後ろに見えるような・・・
「ごきげんよう、アレク」
「ごきげんよう、愛しいひと」
ぶっふぉ、と大きく噴出した総一郎を無視して、私はアレクに笑みを向けた。
「ところで、そこの憲兵はどうしたのかな?」
「困っていた私を助けて、ここまで送り届けてくださったのよ」
「そう、感謝しないとね。君、所属は?」
「いえ、自分はしがない憲兵ですのでお気になさらず」
とても爽やかな笑みで総一郎は言い切った。よほど関わりたくないのだろうことがわかる良い笑顔だ。
「そう」
アレクも同じ笑顔で彼から視線を外した。
「それで、私の愛しい君はどうして誘拐なんてされたのかな?」
「どうしてかしら。きっとかわいい私に一目ぼれでもしたのでしょう。美しさって罪ね」
一瞬空気が凍った気がしたけれど、アレクが頭痛を抑えるように額に手をやって頭を振る。
「まあ、おいおい、じっくり調べるからいいよ。それより、怪我はないんだね?」
「ええ。でも疲れたからお部屋に入りたいわ。この姿で目立つのも嫌だし」
「・・・わかったよ。宿の者が案内するから先に向かって。ああ、君もご苦労だったね」
「いえ」
「またね、憲兵さん」
ひらりと手を振ると、総一郎は小さく一つ頷いた。
「あなたがいながらなんて失態ですか」
「・・・すまなかった」
そんな会話が後ろで聞こえたけれど、早く部屋に入らなければもっとネッドが責められると思い足を動かした。
宿は想像していた以上の高級さで、正直宿というよりお屋敷だった。私たち以外の客はいないのか時折メイドが深々と頭を下げるのが気になった。
年かさの女性に案内されたのは二間続きの広い部屋。湯も用意してくれるとのことだったので遠慮なく頼んだ。
先に湯につかり汚れを落とし寝室に向かえば、中にはネッドだけが居た。
「部屋は向かいを頂きました」
「ご苦労様、ネッド。アレクは?」
「明日も早朝より仕事のため城に戻りました」
何か言いたげな顔だ。
「少し話しておきたいのだけど、今良いかしら」
「もちろんです」
総一郎のことは詳しくは話せない。だけれど勇者を名乗る連中のことは話しておかなければいけなかった。
数年前、一度は私を拾っておきながら捨てた、あの男たちのことかもしれない。もしそうならば、彼らは私が魔物に恐れられる存在だということを知られている。
ネッドは先に飲み物を取りに部屋を出て、戻ってくると私の髪を優しくタオルで包んで乾かし始めた。手元には温かい紅茶のカップ。優しい香りと、丁寧に乾かしてくれる手に眠気に襲われるがそれどころではない。
お茶を一口飲んで、覚えている限り数年前の彼らの特徴と、あの森で何があったのかを話した。
ネッドは全てを聞き終えると、手櫛で私の髪を整えた。彼はそれからぬるくなった茶を飲んで一息ついたようだ。
「・・・わかりました。万が一勇者があなたのことを覚えていたら大変です。この王都に来ていることは知っている可能性が高いですし、やはりしばらくは変装を続けましょう。明日、別のウィッグを用意いたします。商会のほうには私から先に連絡を入れておきましょう。明日は大事をとって一日宿でお過ごしください。その間に手はずを整えます」
「ごめんなさい。到着したばかりでこんなことになって」
今日は本当に心配をかけたのだろう。珍しくネッドが落ち込んでいるように見えた。
「俺が勝手にあなたを心配しているだけですからそこは気にしないでください。ただ、しばらくは情報を集めたいのでおそばを離れることも増えるかと。商会を通じて護衛を用意しますので、しばらくはご容赦ください」
「それなんだけど、私に考えがあるの」
私はその直後、もう一度般若を見ることとなった。




