ネッドという男
殿下の前から下がった私たちは、無言で部屋に戻った。ネッドがベッドに私を下すと、着替えのために他のドレスを出してくれた。
無言でそれを見て、しばらくネッドの動きを追うだけの私に、とうとう彼はしびれを切らした。
私の前に膝をつき首を差し出すようにした姿に眉を顰める。
「いくらなんでも、さきほどはやりすぎです。相手はこの国の貴族を束ねる王族なんですよ。簡単にあなたも、そして私も殺せる立場にあります。そんな相手の部屋に突入するなんて何を考えているの」
ある意味で窮地を救ってくれたネッドに、感謝よりも先に攻めてしまった。
ネッドが部屋に入った瞬間、王子は片手で護衛たちの動きを止めてくれたけれど、その視線は刺すように強く痛いものだった。わずかでも下手を打てば彼は簡単に私たちを処分しただろう。それができる人なのだとわかった。
作り物の温かい空気は簡単に霧散し、ネッドが本能で私を守ろうとするのもうなずける痛いほどの何かが部屋を満たしていた。
ネッドは、顔を上げない。
「あなたが、困っていたようだったので」
「部屋の外でよくわかりましたね。確かに、しつこくて困っていました」
遠回しな脅しもあった。だから困っていたのは本当だ。でも、
「それでも、あんな馬鹿な真似しないで! あなたに何かあったらどうするんです!」
不敬罪で殺されても文句は言えない状況だったのだ。簡単に力で押さえつけるだけの権力を彼は持っているのだから。
「・・・不安にさせたことは謝りますが、俺は間違っていたとは思えない」
「間違ってなくても正しくもなかった!」
本当に、危なかったのだ。今回は気まぐれに許してくれただけ。そんなことがわからないはずはないのに。
「俺は、あなたを守るためにいるんだ。ベルノーラ商会も、旦那さまたちも関係ない」
「その旦那さまたちに命じられてここにいるのでしょう! ひいてはベルノーラ商会の方々にどのようなご迷惑がっ」
「俺は、あなたを守るためにいるんだ」
ネッドは同じ言葉を繰り返した。普段は決して見せない強い瞳をもって。
「気付いていますか、あなたは怯えていた。ほら、今だって震えがとまってない」
音もなくそっと持ち上げられた手は、確かに震えていた。
それだけあの空気が恐ろしかった。
「・・・ネッド」
「お叱りは受けます。でも、あなたを守るためならなんでもする」
きっと森での一件を彼はとても気にしている。小さな子どもを守る優しい大人なのだ。
「・・・叱ったりなんてしません。助けてくれて、ありがとう」
私に触れる彼の手を握ると、彼もわずかに口元をほころばせた。
「ところでお嬢さん、俺はいつからあなたの子どもなんですか」
「あら何のことかしら」
「大の男をつかまえて私の子とか言われると中々くるものがあります」
どこに、なにが、くるというのかわからないが不快にさせたのかもしれない。
「ごめんなさい」
「責任を取ってこれからも俺を傍においてください。俺は良い子なんでしょう?」
おや、意外とネッドは甘えん坊なのかもしれない。
かわいいやつだと思ってニマニマしていたら、呆れたような視線が来た。
いかん、つい顔に本音が・・・
「それにしてもアレクシスの上司は少々ヤバそうですね。どうしますか、もうヤツには会ったし、このまま帰っちゃいますか」
あ、その手があったか。
「うーん。でも王都のベルノーラ商会には挨拶に行きたいし、どうしましょうね」
「・・・仕方ないですね、我慢していきましょう。せっかく雇った護衛も解雇しましたし」
「そうね。そうしましょう」
王都なら珍しいモノがたくさんありそうだし、今後のことも考えて色々見ておくのは良いだろう。それに、街のみんなへのお土産も選ばなきゃだし。
「あ、そうだった。お嬢さん」
「なあに、ネッド」
ネッドは握ったままの私の手を口元にもっていくと、指先に唇を落とした。そういえばさっきも似たようなことをされた気が・・・
「アレクシスの件は、どうするんですか。王都に行けばあなたはあいつの婚約者だ」
真剣な瞳が私を射抜く。確かにこのままいけばなし崩しにそういう扱いになるだろう。
「今夜、話をします」
「・・・護衛はお任せください」
ネッドは深々と頭を下げた。
その下でどんな顔をしていたのか、私はついぞ知ることはなかった。




