小さい肩を抱きしめずにはいられなかった sideネッド
お嬢さんが殿下に呼ばれて数十分が経った頃、俺はさすがに我慢できなかった。もともと部屋の前で他の騎士とともに待機していたが、部屋の中の様子が少しおかしく感じたのだ。
「そろそろお時間です。お嬢さんには部屋に戻っていただきます」
「それはできない。現在殿下が話をされている」
護衛騎士二人がドアを守るように張り付いていて、聞き耳を立てることもできない。
「王位継承権三位の方とお話しするようなことはないでしょう」
「アレクシスの婚約者殿をもてなしたいという殿下のお心を無碍にするつもりか?」
アレクシスなんてどうでもいいし、そもそも正式な婚約者ではない。
「ではなおさら、お嬢さんだけが中というのは状況的に許されませんよ」
「お前の立場では入れないことぐらいわかるだろう」
平行線だ。
中の気配はどんどん悪化しているように感じるのは、俺が長年彼女を見てきたからだろうか。本能が、そう告げるんだ。
「どいてください。中で何をしてるんですか」
「お前はここで待っていればいい」
焦る俺をいぶかしげに見やると、偉そうに顎をそらして鼻で笑いやがった。
「どけと言っています」
「黙れ。騒ぐようならばここから退け」
あ。だめだ。こいつら本当に人の話を聞きゃしない。
「ふぅ」
一度息を吐きだして、次の瞬間には腰を落とした。
広くもない宿屋の、狭い廊下での大立ち回りは静かに終わる。二人の護衛が驚いている間にドアを蹴破って突入した。
慌てて立ち塞がる部屋の中の護衛たちをかわし、見慣れた黒髪の女の肩を強くつかんだ。そのまま俺の胸へと引き上げる。
「・・・まあネッド。お茶がこぼれてしまいました」
驚いたのかそうじゃないのか、リーナがパチパチと目を瞬かせる。
「躾がなっていないね?」
ゾッとするような殺意に顔を上げると、殿下が俺を見てにこりと笑った。
これが王族の気配か、目の前に来ると威圧感が半端ない。こんな男と話をさせるなんて。
「わたくしの可愛い子なのです。この子のことはわたくしの責任、ただわたくしを助けようと来てくれただけなのです。罰はわたくしが受けますわ」
・・・・・は?
何を言っている。あんたはこんな男と一緒にいちゃいけない。こいつはヤバい。優男の仮面の下にどんな恐ろしい顔を隠しているかわからん。笑顔のままでどんな非道な命令だって出すのだろう。経験から、こいつは危険だと判断した。
ぎゅっと抱きしめると、リーナが慰めるように俺の手を軽くたたいた。
「王位継承三位のわたしに対する暴挙、見逃せないね」
「はい。承知しております」
確かにこれは許されることではない。
部屋の窓は二つ、蹴破って飛び降りて街を逃げることは可能だ。
ざっと様子を確認し、俺はさらに力を入れようとしたところで静かな瞳とかちあった。
「ネッドは、あの森を抜ける際、ずっとわたくしを守ってくれました。雇った護衛たちに見捨てられ、危険な状況をたった二人でぬけてきたのです。その時の不安が今も消えていないようです。彼のしたことはすべて主人であるわたくしの責任。どうぞ、わたくしを好きになさってください」
「ふざ」
けるな。と続けようとした口を、小さな手がふさぐ。
「ネッド、良い子ですから黙っていらっしゃい」
そんな俺たちを見て、殿下は何を思ったのかいきなり笑い出した。
「ふっは、ふはははははは! おもしろっ、さすがアレクの婚約者」
その瞬間部屋の中の空気が雪解けの春のように軽くなった。リーナもそれを感じ取ったのか、ホッと息を吐きだし即座に否定した。
「違います。アレクはわたくしの父に婚約の許可をもらっていませんし、わたくしも了承していません」
「え。そうなの?」
「はい、ですから殿下は現在、未婚の少女を軟禁しておられるのですわ。そしてネッドはその哀れな少女を救いに来ただけなのです。国の英雄と名高い騎士さまたちが悪漢よろしく無抵抗な少女を拘束していたなんて悲しい事実です」
強引だけどそんな風に見えなくもない。騎士たちもおろおろと情けない顔をしている。
「いやいや君、自分からこの部屋に入ったじゃない」
「わたくしの護衛とは離されてしまいましたわ」
「いやだってそれは、ねえ、仕方ないし」
「王族の権威をかさにとられてしまえば、平民風情のか弱いわたくしに逃れる手はございません」
よよよ、とわかりやすい泣きまねをするお嬢さんに引いていいだろうか。
未だに俺の口元にある小さな指先に、一瞬だけ強く唇を押し付け、俺は彼女の肩から手を離した。
「ということで、この件はそもそもなかったことにしてくださると嬉しいです」
「かなり無理があると思わないのかい? 本来ならば不敬罪だよ」
「では仕方がありません。ネッドの罰をわたくしが受け、そのことをベルノーラ商会に通達、王都からベルノーラ商会を引かせることでいかがでしょうか。ところで殿下の護衛騎士さまたちは思ったよりも動きが愛らしいのですね。アレクはすごいと聞いていましたがこの分ではあまり期待できそうにありませんわね」
鬼だ。俺が結構すごいだけだし、そもそもふいをついたんだし。こいつら可哀想。半分以上俺のせいだけど。
「・・・それもう脅しだよね? そもそも罰を受ける気ないよね?」
「まあ殿下、わたくしのようなか弱いものに脅しなんてマネはできません」
よく言うわ。まあやっぱり俺のせいなんだけど。
「ところで殿下」
「なにかな?」
「ドレスが汚れてしまいました。お部屋に下がってもよろしいですか?」
「ああ・・・君がわたしの話を聞く気がないのはよくわかったよ」
「どちらにせよ平行線ですわ」
「まあ、そうだね。でもこんな逃げ方するんだから次は覚悟しておいてね?」
「いたいけな少女に無体を働くなんて、殿下はひどいお人ですわ」
ニコニコ笑って言う言葉だろうか。延ばされた手を無意識にとり抱き上げる。わずかに震える体を誰にも見せないように腕に閉じ込めた。
「それ絶対アレクには言わないでね。わたし、いじめられちゃうでしょ」
「まあ、アレクは弱い者いじめなんて無様な真似はいたしませんわ」
おほほ、と笑い、それではと言葉をつづけた。
「御前、失礼いたします」
「うん、下がっていいよ」
ひらりとふられた手を彼女はじっと見つめ、それから俺に「いきましょう」と言った。部屋を出る際に護衛騎士たちにかなり睨まれたけれど、俺は素知らぬ顔で堂々と歩いた。




