黒い少女 sideアーシェ
「ラティーフさん! やめて!」
悲鳴のようなそれが聞こえたのはギルドの外だった。俺を含めた数名が瞬時に飛び出ると、先ほど出て行ったはずのラティーフが片腕を思い切り振り上げて、その足に幼い少女がしがみついていた。
「いいの、だいじょうぶ。わたしは、へいきだから!」
苦しげに呼吸する少女の前にはもう一人の冒険者。茫然と少女を見ていて、何が起こったのか分かってもいないのだろう。
ラティーフの怒りはその冒険者に向いているようだった。
「あのね、この髪も、この目も、気持ち悪いならちゃんと隠すよ。でもね、ラティーフさんを傷付けるのはやめて。このひとは、わたしを森で拾ってくれただけなの。なにも悪くないの!」
二ヶ月ほど前、ラティーフと他の冒険者が危険な無限の森で少女を拾い、ラティーフが責任を持って面倒を見ているという話は聞いていた。その少女が、黒い髪と瞳だということも。
冒険者の中にはその少女が魔物の類ではと今でも疑う声があるが、なんだあれは。
おびえたように震えながら、それでも懸命に相手を見つめる少女の瞳からは大粒の涙があふれている。
これまでその容姿で、どれだけ酷い言葉をあびせられたのだろうか。着ているローブはぼろぼろで、たぶんラティーフの亡くなった息子のお下がりだろう。
普段はあのフードで顔を隠しているのだろうことは、誰の目にも明らかだった。
ラティーフはしばらく困ったように固まって、それからおもむろに少女の頭をぎこちなく撫ではじめた。
「すまん、リーナ。嫌なところを見せちまったな」
ラティーフの静かな声があたりに響いた。
それだけ、多くの人間が彼らに注目して固唾をのんで見守っていたのだ。
「ごめんなさい、ラティーフさん。わたしのせいで」
なぜ少女が謝るのだろうか。
悲しげな顔を見ていると、関係のない俺の心もざわつく。
「なに謝ってるんだ? お前はもう俺の娘だろう? 言っておくがな、俺の息子はお前とは比べられないぐらいやんちゃで手が付けられない坊主だったぞ。お前もたまには我が儘を言ってくれなきゃつまんないだろうが」
へらっと笑ったラティーフは、確かに父親のような顔をしていた。
「ラティーフさん・・・」
「お前の髪や目が黒くたって、俺は気にならん。こんなキレイなのに隠すのは、本当は嫌なんだ。俺はお前の髪、目も、好きだぞ」
確かに彼女の瞳はとても綺麗だ。その瞳からあふれる涙もキラキラ輝いているように見えて神秘的で、でもどうか泣き止んでほしいとも思う。
「でも、みんなは嫌いでしょう? だから、わたしをみると怒ったり、逃げたりするんでしょう?」
「・・・そういうやつもいる。だが、だからお前が相手にいろいろ譲ってやる必要があるのか? おかしいだろう、そんなの。お前はキレイなんだから隠すな」
少女はしばらく何かを言おうとパクパク口を動かしたが、結局それ以上言わず、ただラティーフの足にしがみついて頭をぐりぐりこすり付けていた。
この少女は、きっと声を出して泣くことも許されないとでも思っているのだろう。
俺は黙りこくる連中の中を歩いて行き、少女のそばまで立ち止まると彼女に目線を合わせる為に跪いた。
「おいラティーフ、俺にもお前の娘を紹介しろ」
ラティーフは驚いたように目を見開いて、それから照れたような顔をして「リーナだ」と言った。
「君がリーナか。俺はギルドマスターのアーシェだ。よろしく。無限の森からよく生きて脱出した。俺たち冒険者でも難しいのに、お前さんはずいぶん頑張ったんだろう。ようこそ、グランツ王国へ。ようこそ、ゲベートへ。ギルドは君を歓迎しよう。君が生きていてくれて、俺はとても嬉しい」
がしっと頭を掴んで挨拶すると、リーナは驚いたように俺をしばらく見つめた。
そして、
「わたし・・生きていて、いいの?」
ラティーフが頭上で息をのむ音が聞こえた。
「当然だ。君には生きていてもらわないと困るよ。せっかく生き残ったのに死んだらもったいないだろう?」
しばらくリーナはぽろぽろと泣いていたが、一度ぎゅっと唇を結ぶと俺の深々と頭を下げた。
「リーナです。ラティーフさんにお世話になっています。よろしくおねがいします」
この子、ギルドに所属している連中よりずっと礼儀正しいぞ。
これはどこかの国の貴族の姫だったって話も嘘じゃなさそうだなと考えて、それは過去の話だよなと言葉を飲み込んだ。
まあ、貴族の話が嘘だろうと本当だろうと関係ないのだ。
そう見えるだけの品性を備えていることが問題なのだが・・・・・・
リーナがひかえめにはにかんだ。涙の跡が痛々しいが、それでも笑ってくれたことが嬉しくて俺は思わず彼女を抱きかかえた。
「ひゃあ!」
ラティーフよりも頭一つ分大きい俺が抱き上げると、リーナは驚いたように両手で俺の首に抱き着いた。
「なんて愛らしいんだ! 決めた。リーナを俺の娘にしよう!」
叫んだ瞬間左脚の脛を思い切りけられて悶絶したがリーナだけは手放さなかった。