ラガーが美味しすぎるので引き抜こうと思います
「無理だ」
「なんでよ」
「気候があうかわからない。お前のところは湿度があるんだろう」
「いいじゃない。試してみないと」
実った麦のような男の名前はマリド・ゲーニー。
この工場の主だった。
年上に見えたが、わたしより三つ上なだけで、ちょっと老け顔だ。まあ、わたしも書類上はもう少し下なんだけど。
自宅のリビングに案内してくれたマリドは、木製のカップにラガーを注いでくれた。
家もレンガの壁だったけど、ところどころにタペストリーがあったり、小さな絵が飾ってある。木製の椅子やテーブルも年季が入っていて温もりがあった。
作られた翌日のラガー。ぬるいが旨い。
これを毎日欲しい!
「ベルノーラがもつ販路なら、もっと売れるわ」
「いまでも精一杯だ。無理をするつもりはない」
「じゃあ製法を教えて。水が違えば味も違うはずよ。ついでにあなたが時々様子を見てくれれば安泰だわ」
そう、そもそもビールは鮮度が命。そして何より水に影響を受けるものだ。
日本でも、地域によって味が違った。水が違うからだ。
しかしどの地域のビールも、その土地や近くで作られているから郷土料理によく合う。
つまり、どこでも美味しいのだ!
「ついでに、特別なラガーとして高額で売りつければいいのよ。そうしてあなたは、もっと研究費を得られるし、各地の美味しいものに出会えるわ!」
「俺はここで満足している」
「うそだわ。本当にそうなら、弟子を取るはずがないもの」
男は困ったように首を横に振った。
「街の連中が、もっと作れとうるさいんだ。昔はなじみにだけ下ろしていたんだが、騎士たちを通して広がってしまった。俺は、別に偉くなりたいとか、この酒をもっと広めたいとか思っているわけじゃない」
なんて夢のない男だろうか!
こんなことではわたしがラガーを楽しめなくなるではないか。うちからどれだけ離れていると思っているんだ!
「だめよ」
「なんでだ」
「わたしが、これを毎日でも欲しいからよ」
男ははじめて、わかりやすく眉をひそめた。
「若いうちから酒に溺れるのは見過ごせない。やはり下ろすのはこの街だけだ」
なんてこと!
「わたし、あなたとそう変わらないわ! 家も工場もこっちで用意してあげるからうちに来て!」
そしてわたしに旨いビールをたらふくよこせ!
「・・・いや、そんな急に言われても」
体は大きいが、心は優しい。まるで大型犬のような男だ。
強引にでも勧誘しなくては、そして気が変わらないうちに契約までこぎつける! そう心に誓ってぐいぐいいっていたら、男は呆れたようにため息をついて固いパンとチーズ、それから生ハムを出してくれた。
最高じゃないか。
「・・・うまいか」
「天にも昇るほど美味しいわ」
もう今死んでもいいね。
次に死ぬならトイレ以外と決めているので。
「毎日食べたいわ」
「・・・そうか」
男は頷いてさらにつまみをくれた。ザワークラウトいりのすっぱいスープだ。
こいつは人を欠食児童かなにかだと思っているのだろうか。
ありがたく頂戴します。
「これ、面白いわ」
「そうか」
あまり口数が多い方ではないのだろう。私が三杯目のラガーをあけたところで、当たり前のように次のラガーを出してくれる。
昼というかまだ朝の時間にこんなにいただくとは罪深い。
ほろよい気分に鼻歌が出そうだ。いや、実際に出てしまった。
懐かしい日本の歌を歌いながらいただく白いソーセージ。
ああ、今日はなんていい日なの。
この第二の人生でもっとも良い日だ。
「やっぱりあなた、うちに来て。生活は心配ないわ。わたしが保証する」
「ほら、そろそろやめよう。あんた、もう酔ってるだろう」
「酔ってないわ。まだまだこれからよ」
「酔っ払いはみんなおんなじ事を言うんだ」
「酔ってないったら。いいから、あなたはすぐにでもうちに来るべきよ。そうだわ、星祭りなんて無視してあなたを連れて帰りましょう」
男がおや、とわたしを興味深そうに見た。
「一緒にいく相手もいないのか?」
「いないと言ったら噓になるわ。でも自分で望む相手ではないわ」
自他ともに認める公認ストーカーとか、アレクとか、王太子とか、どうでもいいわ。
チキン先輩とかノアとか、総一郎はちょっと会いたいけど。
なんだか頭がうまく働かないのが、完全に酔っぱらっているせいだと気づけなかったわたしは、男が次に口にした言葉の意味に気づけなかった。
「・・・じゃあ、俺といくか」
「あなたがうちに来るならいいわよ」




