トイレ事情が一番許せない
目覚めたらごわごわした毛布の中でした。
そうだ、せっかくの機会だと新薬を試していたんだ。
今はどのくらい時間が経過したのか、ゆっくり体を動かしながら変化を確かめる。
頭はこれ以上ないくらいすっきりしている。
なんて爽やかな目覚めだろうか。ここが牢屋の中でなければ美味しいお茶を所望するところだ。
しかしいかんせん場所は地下牢に間違いなく、そして目の前にあるのはトイレもどきと固くなった黒パン、虫が湧きそうな腐った水が置かれた甕。
毛布の傍に、格子の先からは見えないように置かれた見慣れない革袋。中には恐らく黒服が持ってきたのだろう、やや硬めのパンと水が入っていた。こちらを遠慮なくいただく。
正式な捕虜と言えない相手に対してなんて無礼なのだろうか。この落とし前をどうつけるつもりなのか説明を求めたい気持ちを押し殺しパンを食べきった直後、怒った顔をした王太子がやってきた。
おっとパンくずが。慌てて口元に手をやって誤魔化す。
「何故この扉が開かぬのだ! ああっ、こいつ、起きているじゃないか!」
どうやら地下牢の扉は黒服がいじったようだ。簡単には解錠できないよう中から細工をされたそれをちらりと見て、それから男を見上げる。
後ろには二人の若い男たちがおろおろとした表情でわたしを見ていた。
「ごきげんよう、殿下」
「王太子殿下と呼ばぬか!」
どっちでもええやん。
「わたくし、美味しいお茶が欲しいわ」
「捕虜の分際で茶を求めるな!」
カルシウム不足だろうか?
今日はやけにイライラしているな。それにしても地下牢に似つかわしくないキラキラした衣装だ。ひらひらがついた袖から蜘蛛が入ってしまえばいいのに。
「何故二日も眠ったままだったのか! お前、いったい何を考えておる!」
二日も経ったのか。いやぁ、背中がバキバキすると思った。そろそろお肉が食べたいわ。
「何をと申されましても・・・妃殿下たちのために夜を徹して品物をご用意しておりましたので、疲れておりましたの。ここは暇ですし、殿下はお金を払ってくださいませんし」
ほらー、って感じの目で王太子を見上げる男たち。それに気づかない男。
「あの、体調はいかがですか? ずっとこんなところで怖かったでしょう?」
ぽてっとした感じの二重瞼の男が心配そうに声をかけてきたので、これ幸いと顔全体を覆ってやった。よし、パンくずは取れたかな?
「わたくし、ただお仕事をしておりましたのに、そちらの殿下が強引に牢屋に閉じ込めましたの。腐ったお水やパンしかいただけず、お腹もすいておりますわ」
よよよと泣いたふりをすると、彼は更に申し訳なさそうな顔をして謝ってきた。
「かわいそうに、食料と飲み物は私が用意しましょう。ただ、申し訳ない。あなたをここから出してあげようにも、何故か扉が開かぬのです」
今やある意味絶対的に安全な籠城場所となっている地下牢。笑い話にもならないわね。
「ひどいですわ」
「ごめんね、とりあえずこれを着て。ここでは冷えるだろう」
自分の着ていた上着を脱いで、狭い鉄格子越しに入れてくれる男をちらりとみやり、こいつは情に流されてくれそうだとほくそ笑む。
「お腹がすきましたわ」
「うん、今メイドにご飯を持ってくるように伝えているからね。もう大丈夫だよ」
「勝手なことをするでない!」
「しかし王太子殿下。こんな扱いはあんまりです! 相手はまだ小さな子どもなんですよ! 私の妹よりも幼い!」
どうやら妹がいるらしい。いいお兄ちゃんだね。
「あの、王太子殿下、そろそろ戻りませんと・・・つぎの議会が」
「ちっ! とにかく、この扉をなんとかせよ! ベルノーラ当主が乗り込んでくるのだから、それまでに何とかしろ!」
もう一人の狐のように目が細い男がおどおどしたまま小さな声で言うと、怒鳴り返す王太子殿下。なんて器の小さい男だろうか。
それよりもベルノーラ当主ってあの人だよね。なんで来るんだろう?
考えていたら、男たちは騒がしく去っていった。何がしたかったんだか。
「お嬢さん、生きてる?」
「あの薬はちょっと効きすぎるわね。分量を間違えていないかしら?」
「ガキに使うなって言われたじゃん」
黒服2が姿なく声をかけてきた。やっぱり居たか。
「とりあえずしばらくここに居てね。旦那様がこっちに向かうって王に宣言したんだ。各地のベルノーラ商会は今のところ臨時休業。みんな久々にバカンスを楽しむって、いたるところに遊びに行ったよ」
「いいなぁ」
「一番遠出しまくってるあんたに言われると、皆複雑だろうね。ところで欲しいものあります?」
「綺麗なトイレかしら。この年齢でオマルはないわ。」
「毛布と一緒にカーテン追加しとくね。トイレは悪いけどこっちで頼む」
一瞬で現れる御簾とトイレ代わりの壺。取手付きで蓋付き。臭い消しの香水までご丁寧にありがとう。ちっ。
「この落とし前、全力で払わせるわよ」
「怒りどころが他と違いすぎるよ・・」
黒服はそう零して気配を完全に消してしまった。
しばらくして、何やら怖がっている様子の若いメイドが一人、食事を抱えてやってきた。




