ノアの大変な一日
最近、ダルヤからノアがやってきた。誰も言わないけど、行儀見習いとしてよりもわたしへの足枷のつもりだろう。
まあしばらくは、妹が可愛いからどこにも行く予定はないけど。
シシリーの様子もだんだんと落ち着いてきたし、次の家出用に資金も貯めたいし。
そしてノアだけど、どうもメイドたちに随分と気に入られたみたい。
毎朝服を着替えさせられそうになっては悲鳴を上げ、風呂に入れば奉仕しますとか言われて悲鳴をあげ、食事すら手ずから食べさせられそうになっては逃げるという、なかなか面白いことになっている。
諦めて受け入れてしまえばいいのに、毎回オーバーリアクションだから面白がられて構われるのだ。
「ぎゃあああああっ! 痴漢んんんんんっ!」
今朝も随分と元気なことだ。
「助けてリーナ! トイレまでのぞくってどうなの!?」
「まず手を洗ってきて。その汚い手でパンを食べたら病気になるわよ」
「だって! だって!!」
涙目で訴える男を追い出し、声もなく笑う黒服たちに目をやり黙らせる。
「痴漢だなんて滅相もございません。皆様のお食事の間に御不浄を清掃したかっただけですわ。お寝坊なさった方が悪いのです」
メイドがニコニコ笑っていうセリフか。
「だいたいもう“お済”だと確認の上で入りましたのに」
誰が確認したのかは聞かないが、黒服の一人がそっと顔を逸らしたので犯人は確定した。
「あまり虐めないように。彼に逃げられていいのかしら?」
「申し訳ございません。しかし彼は将来有望でございますね。今後が楽しみですわ」
おほほほほ、と笑いながら出て行ったメイドにため息がとまらない。
「だからっ! 一人で食べれますから! ちょ、なんですかその量は、死にますから!」
彼は初日からずっと、わたしや奥さまが使用する食堂は使わず、使用人用の食堂で食べている。もちろん本来ならば声が届くはずはないのだけど、なかなかの声量だと毎回感心するほどだ。
「死ぬほどの量とはいったい・・・なんでございましょうね? 大旦那さま」
「ま・・・ちょ・・・ま・・・・今、腹が・・・ぐっ・・・」
静かに爆笑する大旦那さま。今日も平和だ。
「なんで今蜂蜜たらしたんですか! 脱がさないでください、変態ですか!」
彼はそのうち女性恐怖症になりそうだわ。
「少々騒がしいですね」
呟けば、次の瞬間彼の悲鳴が止まった。怖いから何があったのかは確認しなかった。
また午後。昼食休みを取っていたわたしは、妹と昼寝を楽しんでいた。
食後の、うとうとした暖かな時間。その至福を壊す悲鳴が聞こえてきたのは眠りに落ちた直後だった。
「ネッド、今度は何があったの!?」
テラが起きないのが不思議なくらいの声で、すでに聞きなれた彼の悲鳴。
「かたくなに服を着替えないのに外を歩いたせいで虫がたかったようですよ」
「蜂蜜のシャツ、まだ着ていたの!?」
寝落ちた瞬間起こされたせいで頭痛がするわたしは、わずかに頭を振った。それを見てネッドが何かを呟いたけど聞き取れなかった。
「とりあえず、今風呂場にぶち込みましたからもう大丈夫ですよ」
「わたしが大丈夫じゃないわ」
何だろう、どっと疲れた気がする。テラに癒しを求めてぷにぷにのほっぺに額をくっつけてぐりぐりする。嫌だったのか、眠ったまま彼女に頭をたたかれた。痛くはない。むしろかわいい。
「あとでノアを呼んで。話をつけるわ。あとメイドたちも、そろそろいい加減にするように伝えて。ゆっくりお昼寝も出来ないわ」
「承知しました、お嬢さん」
そのまま目をつぶってお昼寝を再開したわたしは、しばらくしてネッドに起こされた。ノアが到着したようだ。
「ノア、いい加減にして。うちの妹の睡眠を邪魔しないで」
「それは悪いと思ってるけど・・・っていうか、こっちの建物初めて入った。なんでこんなに奥に広いの、ここ」
「どうでもいいけど、なんでそんなに顔を赤くしているのよ。もしかして熱でもあるの?」
「そうだ、聞いてよ! メイドたちが無理やり風呂に入ってきたんだ。しかも二人も! 二人とも裸でさ! 僕はもう子どもじゃないのに!」
そういえば彼に会ったのはだいぶ前だ。見た目が幼いから忘れがちだが、二十歳ぐらいの若い男だ。裸の女二人と風呂とか、彼にとってはご褒美だったのでは?
「女の裸を見たぐらいでごちゃごちゃ言うんじゃないわよ、童貞か」
「童貞ですけど!?」
「あんた、まだ童貞なの?」
「ひどい! セクハラ禁止!」
なぜか泣き出してしまった。
「だいたい僕の好みは、天然で、清楚で可愛くて、おっぱいの大きい、人の嫌がることをしない優しい年下女の子なんだ! 年上は好みじゃない!」
「あら、わたしが好みだったのね。でもごめんね、あなたは好みじゃないの」
「僕の話きいてた!? 君が当てはまるのは“ちょっと”可愛いの部分だけだろ!? 可愛いだけの女の子はいくらでもいるじゃないか!」
あ、ネッドに殴られた。
「お嬢さんの良いところは控え目な胸と、大胆すぎるほどの度胸だ! だいたい、ちょっととはなんだ、十分可愛いだろうが!」
控え目な胸は余計よ。
「ネッド、あなた今夜は地下牢に入りなさいね」
「そんな!」
何をびっくりしているのよ、この変態が。
その後テラが泣き出したけど、ノアが抱えてあやすとすぐに泣き止んだ。
テラが懐くなんて珍しいと思っていたら、そっとカーテンからヴィルドラが凄い形相で彼を見ていた。まるで恋人を取られた人のように憎しみのこもった瞳から、そっと目をそらした。




