潮風とともに sideノア
リーナが帰ってから随分立った。背も少し伸びて、仕事も順調だ。
彼女の暮らす街は、港町ダルヤからの旅路は決して楽ではない。危険な森を避けての移動は大変時間も金もかかる。だが定期便が出るほどには行き来があった。
だから、どうしてもと頼まれて定期便の馬車に乗った。
下働きを無事卒業し、正式に商会に雇われたのは明らかにリーナが関係していた。
大きなお屋敷の広間で緊張に震える僕の前に一人の壮年の男。まさか商会のトップにいきなりの目通りなんて最悪だ。
「ようこそ、ノア・アルロ君」
まるで貴族のようにふるまう男に頭を下げ続ける。
「ああ、顔をあげたまえ。君はリーナと仲がいいそうだね。ちょっとしばらくこちらで頑張りなさい」
意味がわからない。大事な荷物を運ぶように頼まれただけなのに、馬車の中にはよく見る商品や書類、魚介類しかなかった。
いくら乾燥させたからって、魚と一緒に運ばれた僕は良い匂いとは言い難い。
こんな大物に会わなきゃいけないなら、せめて着替えたかった。
「お初にお目にかかります、大旦那様。あの、頑張る、というのは・・・?」
「君はリーナの足枷だ。しばらくこの街から逃げないようにしておきたいんだよ」
「逃げる・・・彼女の行動力はばかになりません。本気で逃げると決めたなら、たとえ僕がどうなっても逃げ切るように思います」
「彼女はああ見えて身内にとことん甘い。君の死体を見たくないだろう」
待って。僕、殺されちゃうの?
「これから王都は、王位継承問題で更に荒れる。しばらくは外に出したくない。君は優秀な子だ。こちらでしばらく経験を積むと良い。そのあとは別の街に・・・ああ、そうだね。なんなら王都にも行かせてあげるよ」
荒れる宣言されてる王都に行けと? なんて鬼畜だ。
「ええと・・・まずは、こちらで勉強させていただきたく」
「もちろんだ。君の部屋も用意してある」
「お勉強は、商会のものですよね?」
「当たり前だろう? “うち”に住み込みで学ぶと良い」
いやいや、待って。なんか変だ。
商会に住み込みっておかしくないかと思った瞬間、気付いた。
うちって、ここか!?
「いえ、僕のようなしがない男がこのようなお屋敷にお世話になるわけにはいきません!」
「大丈夫だよ。ここの子たちも、普通の子に慣れる良い機会だ」
普通の子ってなに!?
「よろしく頼むよ」
これ以上の話はないという風にひらりと手を振った大旦那様。
黒い服の男たちが僕の背をそっと押して、いや、二人がかりで押さなくても歩けますけど。
部屋から追い出された僕はそのまま建物の二階に案内された。
「先日まで別の方が使っていらした部屋だが、まあ住むぶんには問題ないだろう。何かあればその鈴で人を呼ぶといい。食事はあとで呼びに来る」
「あ、はい、あのノア・アルロです! よろしくお願いいたします!」
「ああ、俺たちのことは黒服とでも呼んでくれ」
なんで?
「じゃあな」
淡々と告げて部屋を出ていく男たち。
驚きつつも、広々とした豪華な部屋に息をのむ。一生をかけてもこんなすごいところに住むことなんて、もう二度とないだろう。
ふと目に入った、勉強机に向かった。
使い慣れた文房具の数々。なぜここにあるんだと恐ろしくなる。
誰だ、勝手に僕の荷物を運び入れたのは。
大きいベッドに座り心地良さそうな椅子。平民では手に入らないふかふかの絨毯。これ一枚で家族が二年分は食べていけるだろう。
まさかと思ってクローゼットを開けると、僕の服が・・・だから誰だ、勝手に僕の荷物を運び入れたのは。
そんなことを想っていたらいきなりドアが開いた。




