オウジサマが帰るようです
いやもう、笑っちゃうなって思いながら渋面を無理やり作る。
無理するせいで、お腹とほっぺたがぷるぷるするけど仕方ない。
シシリーに背中を踏みつけられるオウジサマの図が、あまりにも滑稽でどうすればいいの。
「うちの、子を、二度といじめないでおくれよ」
「重々承知いたしました、マダム」
護衛の騎士たちもどうしたことか、全員が目を逸らしていて無茶苦茶だ。
屋敷の前、荷物は別便で必要な分だけ送ったらしい。帰りは人数が減ってしまったので馬で帰るとのこと。といっても、馬も森の前で降りなければならないから借りものだ。
盗賊対策として、王族にも見えないように地味なマントと飾りのない剣を用意し、髪にはわざと土をつけて清潔さを誤魔化している。
それでも滲み出る育ちの良さは本物だろう。
クマの置物と化した父はどこを見ているのか、何故か遠い空を眺めている。ちょっと現実見てよ、あなたの奥さんよ。
大旦那さまや奥さまは朗らかな笑みを浮かべ、午後のお茶のおやつは何かしらとか言っているし、黒服たちはメイドの後ろに立って呆れた目をこちらに向けている。
いや、わたしにどうしろと。
昨夜急に帰宅を告げたオウジサマに、全員が諸手をあげて大喜びし、本人に渋面を作らせたのは記憶に新しい。
だってようやく帰ってくれるのだ。
思わず小躍りしても罰は当たらないだろう。
かと言って、腐っても王族。わたしを利用しようとも王族。
さすがに土下座させるのも、その背中をぐりぐりする、骨みたいにやせ細ってしまった足も論外だろう。
「おかーさん、今日は調子良さそうだね。久しぶりにスープが飲みたいなぁ」
仕方がないと思って助け舟を出せば、シシリーがぱっとこちらを見た。
「トマトのスープが飲みたいの」
作って、と言えば、シシリーが嬉しそうに笑った。
なんだ、こんな甘えで良かったのか。
「ではシシリーさん、こちらへ。僕と一緒に作りましょう!」
シェフもいい笑顔で連れて行ってくれたので一同ホッとため息をついた。
「おとーさんも何とかしてよ」
「俺がシシリーを止められるわけないだろう?」
何それ使えない。
「それより、シシリーのスープには旨いパンが必要だ。シェフに言ってくる」
そう言ってさっさと逃げ出した背中に視線をやり、ため息をついた。
「では殿下、ごきげんよう。さようなら、どうぞ二度とお会いすることはありませんように」
「素直すぎるだろう。女性に踏まれたのは初めての経験だったぞ」
よいしょと言いながら、全然痛そうに見えない様子で立ち上がった。
「それにしても軽すぎだ。もっと食わしてやれ」
「・・・良い経験ができましたね。さようなら」
ちっと舌打ちして馬に跨る男を見上げる。多少体重は増えたほうなんだ、あれでも。
「いい加減、ちゃんとした見方を作る努力をなさってください。次はないですからね」
「ふん。わかっている。だがアレクセイ以上の従者なんてなかなかいないんだから。あいつあれで優秀だったんだぞ。お前のせいで逃げられたけどな」
「あなたの爪が甘いからですよ」
「違うな、私よりお前を選び続けたからだ」
「そんなこと、最初からわかっていたでしょうに。それでもあなたの傍にありたいと思わせられなかったあなたの落ち度ですよ」
人のせいにするんじゃないよと遠回しに言えば、憮然とした顔でそっぽを向いた。
「今年はもうあれだが、来年の祭りには来い。会わせたいヤツが居る」
「会いたければ自分で来るように言ってください」
オウジサマは少し考えるそぶりを見せたが、やがてそっと首を横に振った。
「・・・無理だ。だから、待っている」
森を抜けられないタイプの人なのかもしれない。総一郎なら来られるから、彼じゃない。誰だろう?
「わかりました。でも来年はきっと難しいので、再来年にしてください。殿下のお金で、最高級の宿と馬車を用意できたらご連絡ください。あと王都名物一緒に送ってください」
しばらく王都は近づきたくないんだよ!
「はあ!?」
「旅費と宿を用意するのは招待した人の義務ですよ。まさか子どもからお金をとるつもりですか?」
忘れてません? わたし、こう見えて子どもなんですけど。
「・・・ちっ!!」
盛大な舌打ちをして、殿下の操る馬は動き出した。
「必ず呼ぶからな!」
行くとは言ってないんだけどね。
「ほら、爪が甘くていらっしゃる」
ふん、と笑えば、大旦那さまがぼそっと呟いた。
「君といい勝負だね」
ちょっとそこ、聞こえてますけど!?
こうして、はた迷惑なオウジサマはようやく帰っていったのだ。




