ミック・ワクシェアという男 sideイロアス
ミック・ワクシェアが私の部下になったのは偶然ではない。
もともと数年前から王位継承をめぐり、兄妹たちの動きがきな臭くなっていた。
こいつは、その中でも私を嫌っている妹の従者だった。
なぜ入り込めると思ったのかは定かではないが、アレクセイの最後の置き土産として彼を採用した。
「あなたは敵が多い反面、せっかくの味方を使いこなせていません。この機に少しお勉強してくださいね」
最終日にあいつが言った言葉に今になって、まずい薬を大量に摂取したような気持ちだ。
「お前がいてくれたら問題ない」
「ダメですよ。あなたよりもリーナを選んだことは皆が知っていることです。もう、あなたの傍には居られない」
「私の懐の深さを見せる絶好の機会だと思わないか?」
「殿下が、懐が深くて、優柔不断で、この国や婚約者が大好きなのは皆知っていますよ。だからこそ、敵をその無防備な懐に入れる可能性があることも。ベルノーラに手紙を書きます。紹介状としてお持ちください。きっと助けてくれることでしょう」
ただではないでしょうが、と付け加えられた言葉にゾッとしたのはだいぶ後になってからだった。
だいたい、かの悪名高い辺境伯に嫁を見つけてこいって、なんだその無茶苦茶な要求は。
王都に戻ったら私は周りにどんな目で見られることか!
「お頑張り下さい、殿下なら、きっとうまくやれますよ」
穏やかな声は、普段ならば私に向けることのない彼の最後の優しさだ。
だから危険な森も抜けてきたし、明らかに殺意を抱かれても顔色一つ変えず日々を過ごした。
思い出に浸ったのは一瞬。
目の前の男に目を向けると、今まではギリギリ及第点だった殺意も、痛いほどむき出しにしている。私を見たことで多少意識が戻ったのか。
よだれをたらし、野犬のような凶暴さを隠さない男が叫んだ。
「私の、殿下が陛下になるべきだ! なぜ、お前のような出来損ないが私の主のようにふるまう!」
いやだって、お前今、私の部下だもん。
「私の殿下ならばもっとうまくやれる! 少し、たった二年生まれが遅かったために、なぜお前ごときが!」
唾を飛ばしながら全力で不満を伝える男は、鎖で縛られていることすら頭にないのだろう。どんどん鎖が食い込んで血をまき散らしている。
これ、わざと緩くしているのか? 普通ならこんなふうに血が飛ぶことはないのだが・・・悪趣味だなと横を見ると、口もとに笑みを浮かべる黒服の男がいたので瞬時に目をそらした。
「たった二年? 違うよ、私はその二年を無駄にしなかった。お前の主は男と酒と快楽におぼれ、昼夜を問わず閨に誘っているだろう。私の部下を誘ったときは殺してやろうかと思ったよ」
当の部下は、王族だろうが娼婦とかわらんですなあ、と笑って同僚にどつかれていたが。
「知識も、人々を従えるだけの技量も持たない無能が、私の上に立てるわけがないだろう? だいたい、我が国の次期国王は私じゃない。私は、国なんて背負いたくないからね。そんなものは兄上にあげるよ」
「だったら王位継承を破棄すればいいじゃないか!」
「いやだよ」
何を言っているんだ。そんなことをしたら彼女を守れないじゃないか。いつ暗殺されてもおかしくない世界なのに。
「お前なんかがいるから、殿下が後ろ指をさされるのだ! 殿下の辛さもわからぬくせに!」
わかりたくもないね。
「でもね、お前を見ていたらやっぱり思うんだ」
何を言っているんだという顔で見てきたので、思わず笑みが広がった。
「お前ごときで私をどうにかできると思い込んでいるアレは、やはり無能だと」
我ながら性格が悪い。
怒り狂って何かを怒鳴り始めた男から目を逸らして背を向けた。
もう二度と会うことはないだろう。
「私がお前を連れずに王都に戻った瞬間、アレは悟るだろう。だが安心してくれ」
黒服が先導して歩き出した。
「我が王家に無能はこれ以上いらないよ。アレにはふさわしい伴侶を与えてあげる。そうだな、さしあたって隣国の第五王子はどうだろうか。きっとアレとよく似あう」
暴力的かつ色狂いで有名で、まだ三十手前なのに離婚を四度している男に嫁いでもらおう。離婚と言っても、四人中三人は行方不明で、恐らくすでに死亡しているだろうと囁かれている相手だ。さぞ面白いことになるだろう。
さて、帰る準備をしなければ。これ以上この地に留まる理由もなくなったし。
「あのリーナの母君には謝らないとな」
「手配しましょう」
「よろしく頼むよ」
黒服が淡々と言うので、こちらも淡々と返した。
部下との距離はこのぐらいのほうが楽だなと思いながら。




