悲鳴すらあげられなかった sideテファ
少し前からベルノーラ家に行儀見習いをしているリーナさんは、少々変わったお立場のお嬢さん。
危険な森で拾われて冒険者の養女になったけど、なにかのご縁で坊ちゃまに行儀見習いをするよう勧められたようだ。
ベルノーラ家は国内外で有名な豪商。下級貴族ですら下手に口出しできない程度には力を持っている。
さんさんと降り注ぐ太陽の下、私と数人の使用人、そしてリーナさんは、ベルノーラ家が支援をしている教会の大掃除に借り出されていた。実はこれ、ベルノーラ家の人々も一緒にやるくらい大切な仕事なの。
ベルノーラ家は街で暮らす皆さまの、そして坊ちゃまは個人的にギルドの皆さまの無事を祈願するためよくこの教会を訪れていた。
事件はそこで起こった。
未だにリーナさんを厭う人々が多い中、あまり人目につかないようにと裏手側で作業をしていただくようお願いしていた。
それが聞こえたのは、本当に突然だった。
「お前みたいな化け物が淹れる茶を飲んでやると言っているんだ! 感謝しろ!」
なんて悪意に満ちた言葉だろうか。
気づいた時には走り出していた。
「・・・申しわけありませんが、お茶の葉をもっていないんです。すぐに、他の者をつれてまいりますので」
淡々とした言葉が響く。私と十歳も違うとは思えない大人びたセリフ。
「そうか、お前化け物だから茶の淹れ方も知らんのだろう! ははっ!」
「やめてください!」
恰好からして貴族だとは思っていた。
「なんだ貴様! この僕に指図しようっていうのか!?」
この偉そうな態度は間違いない。嫌な貴族そのものだ。
「こ、こちらのお嬢様はベルノーラ家が責任を持ってお預かりしております。万が一にも今の様なお言葉はおやめください!」
「なんだと!? たかがいっかいの商人風情が生意気な! 僕はハーバード家の嫡子だぞ、わかっているのか!?」
ハーバードの嫡子と言えば有名な我が儘坊ちゃん!
なんてことなの、こんな時にワイズ様がいてくだされば!
「と、とにかく、酷いことを言わないでください!」
余裕を無くした私は、思わず何もかも忘れて叫んだ。
だけどその瞬間、黒く綺麗な錦糸があたりにちらばり、私は悲鳴をあげることすらできなかった。
茫然と目を見開く私を支えたのは小さな両の手。軟らかくて暖かい、こどもの手。
「ジェシー・ハーバードさま」
静かで、どこまでも凪いだ声が印象的だった。
「な、なんだっ」
今まで偉そうだった貴族が怯えたように後ずさる。今気づいたけど、後ろに三人も剣を持った男たちがいた。私設の護衛だろう。
私は、私のすぐ上で風にさらわれる黒い錦糸を目にして、なぜだか涙があふれた。
「あ・・・・あ・・・・・!」
この涙の意味はわからないけれど、これがとても良くないものなのはわかる。
「ハーバード家では、女や子どもに武器を向けることが正義と教えているのですか」
「う、うるさいっ、ちょっと脅してやろうと・・・だいたい、メイドのくせに生意気だ!」
「おだまりなさい」
それはまるで別人だった。
ぴしゃりと相手の言い分をはねのけた彼女は、胸元から一本の細い笛を取り出した。
「もう、けっこうです」
彼女のために坊ちゃまが特別に用意した銀製の笛。何かあれば吹いて周りに知らせなさいと教えられたもの。でも、今まで一度も使ったことのない笛だったのに。
澄んだ高い音があたりに響いた次の瞬間、ふと、後ろに気配を覚えてふり返ったら、能面のような顔で護衛たちが立っていた。
「お嬢様がた、お待たせいたしました」
「ありがとうございます。お客さまがお帰りですので、出口までご案内してさしあげてください」
しばらく彼らはリーナさんの言葉をかみしめるようにじっとしていたが、音もなく動き出した。
「うわっ、なにをする、なんだお前ら!」
護衛の一人が貴族を抱え上げ歩き出すと、他の人たちも歩き出した。
「リーナ!」
護衛たちのすぐあとに執事見習いのアレク様もやってきた。こちらも貴族だが偉そうな態度は決してとらないし、なにより彼自身リーナさんのナイトのような気持ちでいるらしい。
茫然と座り込む私と、髪を切られたリーナさんをみて、彼は一瞬ためらったように男達が去った場所を振り返ったが、それでも小さな少女をそっと抱きしめた。




