一夜明け
一夜明け屋敷の玄関。テラを抱えて仁王立ちするヴィルドラさんの前に、オウジサマが目を逸らしながら困った顔をしていた。
「い、いや私のせいでは・・・」
「あなたのせいで、テラ様がひもじい思いをしたのですよ。ほぼ食事をとられなくなり、泣いてばかりいたのですよ。だいたい、何しに来たんですか。傷ついた母親を更に攻め立てるような態度を取りやがって、そりゃあ彼女だって焦るに決まっているでしょう。結果、テラ様が被害を被ったんですよ」
一番被害を被ったのはわたしだと思う。テラはもう離乳食始まってるじゃん。
森から帰ってきて、まだお風呂にも入っていないのに。
ちなみにシシリーは護衛の人たちがさっさと連れて行った。メイドたちも動いていたから先に湯あみをしてから食事だろう。いいな、わたしも行きたい・・・
「昨日はテラ様のお好きな芋のケーキだったのに! たった一切れしか食べませんでした!」
「結構食べるんだな、赤子とは」
一切れは食べすぎでは・・・
わたしや、屋敷の他の護衛たちは呆然とヴィルドラさんの様子を見守っている。
「たったの、一切れです! 人参のスープにいたってはお代わりをしなかった! 大好物なのに! ミルクだってあまり召し上げってくださらず、どれだけ心配したことか」
今朝は朝からショートパスタ食べてたよ? めっちゃ食欲あるみたいだよ?
「そ、そうか、それはすまん。しかし私とて王族としての義務をだな」
「何が義務ですか! 結局観光ばかりで仕事などしていないではありませんか。いつまで婚約者用の贈り物探しに手間取っているのです。だいたい、急に来られても困るのですよ、こっちには小さい子どもがいるというのに!」
オウジサマ、そこでわたしを見てくれるな。助けられるわけないだろう。こんな面倒くさそうな男から。
そっと目を逸らすと、なぜかムッとした顔で睨んできた。
「その子どもがテラか。しかし私は一度も挨拶をしていないぞ」
まあまだ赤ちゃんだからね。貴族だって最低限の挨拶を覚えるまでは人前に出ないらしいし。
「当然です、我がベルノーラの究極の至宝ですよ。王族ごときが近づけるとでも?」
「ごときってなんだ! ごときって!」
不敬な会話を横目に、ふと視線を感じて目をやる。
アレクの代わりにオウジサマのお供をしていた騎士だった。
わずかに違和感を覚える程度の害意と焦り。これはあれだ。街の人と一緒の目だ。
隠そうとしていてもわかるほど、わたしはこの視線に慣れていた。
「それにしても賊に襲われたと聞いたぞ、大丈夫だったのか?」
「殿下、話はまだ終わっていません。テラ様の素晴らしさをきちんと理解していただかなくては」
「いや、それはもう十分・・・おい、いい加減助けろ!」
涙目でそんなことを言われても、わたしもヴィルドラさん怖いし。
いやわかったから、そんな情けない顔で見ないでよ。
「・・・まあ、冒険者たちが助けてくれましたので。心配したということでしたら、冒険者たちに支払うお金に色をつけてくれていいですよ。ついでにお小遣いください」
「いくら欲しいんだ?」
「ざっとこのくらいでいいですよ」
指を四本立てる。仕方ないなと言いながら、逃げる口実ができて嬉しいのか、銅貨をとりだすので首を横に振る。
ちなみに銅貨四枚で白いパンが一つ買える。銅貨五枚で日持ちがする黒パン十個だ。まあ、日本で言う四百円程度だ。
「今時銅貨四枚って。むしろ王族なのによく持ってますね。もちろん、その十倍はいただきますよ」
「ぼったくりだな!」
ぎょっとして叫ぶが、そんな単語どこで覚えてきたんだか。
「良心的でしょう・・・ヴィルドラさん、まだお話したいそうです」
「しかたない、こちらをあげよう」
四千円近く貰って溜飲を下げたわたしは、にやりと笑って礼を述べた。
「ヴィルドラさん、テラが風邪をひくといけないから、そろそろ部屋に戻ってくれるかしら?」
「かしこまりました」
はたと気付いたような顔をして軽く頭を下げると、音もなく消え去った。無駄に忍びみたいな人だ。
「オウジサマ、お茶でもいかがかしら? わたしは湯あみをして着替えてきますから、待っていてくださる?」
「うむ、まあいいだろう」
ホッとしたような顔で息をつく殿下。よっぽどヴィルドラさんが苦手なのかしら。
メイドに案内されて奥へ進む殿下の後ろをついていくお供に声をかけた。
「あなたはこちらよ。これから先はベルノーラの当主が許可した方しか入れないの。控えの間に案内させるから、あなたはそちらにいらして」
「私は殿下の護衛でございます」
「あらそう、ならば湯浴みに付き合いなさい」
男の言葉を無視して歩き出すと、くぐもった声が後ろから聞こえたが無視した。
ここはベルノーラのお屋敷。わたしに害意を向けるものを放置するほど、甘い世界じゃないのだ。




