貞子を思い出した
「ぁっぶねー! うちのお嬢さまに傷の一つでも入れたら俺らが殺されるじゃねえか!」
黒服がすぐ目の前に来たことに気付いたのは、耳が痛くなるような刃物の音が近くで聞こえた後だった。
あまりにも素早い動きに何も見えなかった。
「ネッドのしつこさに比べると、可愛いとこあるよな、こいつら」
「いやいや、あいつの変態ぶりに比べれば、まだ人間なだけましでしょ」
なにやら失礼な言葉が聞こえるが、わたしは口をはさむことなくシシリーを抱きしめる。
ここでシシリーが動けないことを悟られると、人質に取られる可能性がある。今わたしにできることは、寝たふりをして動かないこと。
「ネッド、この前めっちゃいいワインのんでた」
「あれ大旦那からかすめ取ったらしいぜ。あいつも腕をあげたよな」
ちょっと、そんな話は初耳よ?
もしかしてネッドがいつまでも牢屋にいるのって・・・
わたしもだけど、絶対にシシリーが起きないと思っていた彼らは軽口をたたき続けた。
「それにしてもお嬢さんは、ほんっとにネッドでいいんですかね? あいつ昔は、巨乳女と三日間ぐらい部屋でさかってて仕事さぼったりしてたんですよ」
「でもすぐ挽回すんだよね。ああいうところな。気に入らない。てゆーか、何が気に入らないって、毎回違う女って言うのがね」
「そー! あんな根暗のどこがいいのって思うけど、なんか女にモテるんだよ! しかも巨乳美人ばっか!」
「あいつ的には尻が大きいほうがいいとか言ってたけど、お嬢さん、どっちも小さいしね」
お前たちはもう黙りなさいって言いたいのに、この状況だから何も言えないし。早く敵を倒してくれないかしら。
お喋りしていても体力が減らない様子を見ると、敵のほうが困惑したのか、少しずつ動きが鈍くなっていく。
「まあでも、将来有望なのは確実か」
「将来は嫁さんに食わせてもらうのか、いいなぁ」
あとでチクってやると心に決めた瞬間、ふいにわたしの腕の中からシシリーが消えた。
なかなか止まなかった雨が弱くなったころ、目の前はカオスだった。
わたしの後ろには敵を屠った冒険者たちが呆然とした表情で立っているし、わたしもどう反応するのが良いのかわからず立ち尽くしている。
位置を悟られないために消された火。夜の雨に体温を奪われたから寒いのだ。これはきっと、目の前の女性から出る深い怒りや殺気のせいではない。
そもそも薬を飲ませたはずなのにどうして動けるのか。
それよりも、目の前の女性が、昔映画で見た貞子のように見えるのはわたしだけだろうか。不自然に下を向いた頭から零れ落ちる赤い髪は、明かりがないせいで黒く見え、浮き出た血管が肌の白さを強調する細い手首は黒服の襟首をつかんでいる。
敵はとうにこと切れて、味方であるはずの黒服は涙目でシシリーを見上げている。
「おい、こりゃあどういうこった?」
クルークがドン引きしたような顔をわたしに近づけて聞いてくる。
「シシリーがどうしてか起きちゃったの」
「あんだけ派手にやりゃ、起きるだろ」
「ベルノーラのお薬なのに」
「お前ら何を目指してるんだ」
いやもう、ぜったいベルノーラ商会まともじゃないし。
「で?」
「うーん。なんというか、聞き取れないんだけど、怒ってるのはわかる」
ぶつぶつ、ぶつぶつ何かを言い続けているシシリーは、黒服の一人に向かって時折体を揺さぶっては小さく口を動かしていた。二人のうち一人は隅っこで体を縮めてシシリーを見ないようにしているし、掴まれているもう一人は時々小さな悲鳴を上げている。
これをカオスと呼ばずなんだろうか。
もうどっちが敵なのかわかったもんじゃない。
暗い場所でぼさぼさの長い髪を乱れさせて男の襟首掴むとか、もう貞子しかない。
「シシリー、怒ると怖い」
「見りゃわかる」
「止められそう?」
「おめえの母ちゃんだろうが」
えー、ちょっと待ってよ。ホラー映画真っ最中の現場に入るとか自殺行為じゃん。
どうしようかなって思っていたら、ふと風が動いた。
冒険者たちがぎょっとしてまた武器を構える。
「お迎えに上がりました、お嬢さん」
灰色の瞳の、ほくろの男が淡々とした口調で言った。




