月明かりの夜 sideネッド
「結論から言って、スタンピードを完全に防ぐことは不可能ではない」
月明かりだけが頼りだった。
差し入れられた葡萄酒に口をつけることもなく、俺は男を見上げる。
「というと?」
「この国以外では、きちんとスタンピードの発生を抑えることができている」
淡々とした口調の異国の男。なぜか奥様やお嬢さんはこの男を気に入っているが、俺はあまり得意ではない。だいたい眠っていたら突然脇腹に籠を落とされるとか勘弁してほしい。
ここは地下牢だぞ。
「リーナの考えは正しい。だが、そのやり方ではまとめるのに時間がかかる」
「時間がかかっても無駄じゃないんだろう」
「この国の識字率では何年もかかりかねない」
厳しいが、言うことは正しい。
「だからって、お嬢さんは諦めないぞ」
「そうは言うが、彼女にできることは限られている。たとえベルノーラが全力で取り組んだところで上手くいくかどうか」
「なに言ってんだ。お前も協力するんだろうが」
「なぜ? 手伝う理由がない」
「今葡萄酒飲んでるだろ。それ奥様のお気に入りのじゃないのか。お前が何度か依頼をこなさないと飲めないほどの高級品だぞ」
ちっと舌打ちが聞こえた。
籠の中には高級な葡萄酒とオリーブを使った油をしみこませたパン。こってりとしたチーズもあるが、俺は遠慮した。残念ながら今は手を使えないからだ。
「一番てっとり早いのは魔物を間引くことだ。要は数がいなければスタンピードにならない」
「魔物に対抗できる人間は限られている。だが育てる必要は確かにある」
ベルノーラがどれだけ頑張っても、もともと強い魔物たちに対抗するのは難しい。
「ところで、お嬢さんはどうしている?」
「またその話? どれだけあの子が好きなの」
「俺は彼女の旦那(仮)だからな」
「あんた、鏡見たことある? 相手はまだ十の女だよ」
呆れたように葡萄酒をラッパ飲みする男、お前だってな、その酒はそんな飲み方をしていいもんじゃないんだよ。俺にもよこせ。
「中身はもっと上だ。見た目なんて時間が解決してくれる」
「どうかなぁ。それに、この国の王族も簡単に諦めると思う?」
「しばらくは手を出せないだろう。その間に少しでも事を進めなければ」
お嬢さんに似合う花嫁衣装も用意しないといけないし。ベルノーラのお針子が頑張ってくれるといいが、彼女たちは時に強情で、ドレスのデザインは譲ってくれないかもしれない。
「・・・あんた、真面目そうな顔して今何考えているの」
「お嬢さんの花嫁衣装だ」
「俺の国でも、十三で花嫁になる娘はいるけど、あんまり良い事とは思えないよ。身体が小さいから子ども産むのも大変だし。結構それで腹を切る女も多いって」
「その辺は考えている」
嘘つけと言われたが、お嬢さんはすでに十五だ。年齢的には全然問題ない。むしろ十五に見えない幼さが問題であり、でも結婚すれば女は変わるというから・・・
何故か頭から葡萄酒がかけられた。赤いしずくをぺろりと舐める。芳醇な香りが旨いが、いかんせん量が足りない。
「目、覚めた?」
「目は覚めている。だが量が少ない」
「今の状況わかってる? あんたは地下牢で反省中。しばらく部屋はここって、夜は抜け出せない状況を作られていて、しかも両手両足鎖で拘束された罪人扱いだ」
全く、旦那様にも困ったものだ。こんな鎖なんかで俺の愛を邪魔できると思っているなんて。まあお嬢さんにも家族との時間は大事にしてほしいので、夜は邪魔するつもりもないんだが。
「にやにやして、気持ち悪い」
「明日になればお嬢さんに会えるからな」
「ああ、明日は商会のほうで話を詰めるからって、朝からいないみたいだよ」
な、なんだと!?
「俺を置いていくのか!?」
そんな馬鹿な。きっとお嬢さんは迎えに来てくれるだろう。うん、きっとそうだ。
もう、まったく。可愛い我儘なんだからと思っていると、今度は空の瓶が飛んできた。もちろん華麗に避けてやった。




