空色の涙 sideハリエット
セレニアと出逢ったのは十七の春のことだった。
春の空のような、美しい瞳の少女が急に近づいてきたときは緊張した。まさか俺に声をかけると思わず、三回ほど声をかけられてようやく自分かと気付いたほどだ。
まわりには従者以外いなかったのに。
そもそもなぜ俺に声をかけてきたのか不思議だった。少女は誰が見ても美しいと思うほどに整った容姿をしているし、軽やかな声も愛らしかった。
俺にブーケを差し出して、代わりにハンカチーフを寄こせと言った。俺だって知っているぞ、それは婚約者同士がすることだ。社交界デビューしたあとは、互いの持ち物を交換するのが習わしだそうだ。
俺のハンカチーフは急遽用意したものだったので、俺の名が刺繡されていないシンプルなものだ。本来ならば参加することは叶わなかったはずなのに、兄が俺の代わりに死んでくれたから王都に来た。
俺は人の上に立つような器ではなく、ただ戦うことしか出来ない。兄のほうが領主として優れているはずなのに。どうして死んでしまったのだろう。
彼女は手渡したハンカチーフをまじまじと見て、それから「あなた、お名前は?」と聞いてきた。このタトゥーを見れば出自はわかるだろう。だから家名は告げず、名前だけ。
「・・・ハリエット」
「私はセレニアですわ。我が家は子爵家ですの」
セレニア。名前まで綺麗なんだなとぼんやり思う。このぼんやりしているのがダメだとベルノーラにも言われたことがある。
「我が家には借金がありますの。あなた、代わりに返済してくださいまし。私があなたの奥さんになってご恩をお返ししますわ」
借金の形に結婚か、まあ珍しくはない。
父にも早く結婚相手を捕まえてこいとせっつかれているし。彼女がそれで良いなら、俺としては別にかまわなかった。
「いくらだ」
「ざっとこのくらいですわ」
指を四本立てた彼女。なるほどとうなずく。実は俺が考えた桁が二桁も違ったのは後になって知った話だ。その場のノリで頷くべきではなかった。
父や母には呆れられたが、家財をいくらか売れば調達できた。ベルノーラが色をつけて買い取ってくれたというのもあった。
「その代わり、最低でも四人は産んでもらうぞ。うちはすぐに子どもが死ぬんだ」
本当は、俺が兄さんたちの代わりに死ぬべきだったのに。
「わかりましたわ。私、お尻が大きいからきっと元気な子を産みますわ」
都会の女の子はずいぶんとハッキリしているのだと驚いた。
「君は俺が怖くないのか、こんなのだぞ」
もしかして冒険心が強すぎるタイプだろうか?
「私は強い人が好きなの、あなた、強いのでしょう? この王城で帯剣を許されるほどの実力があるということは、近衛騎士ぐらいには強いのでしょう?」
「うーん・・・近衛騎士は対人戦闘の達人集団だし、俺は対魔物戦闘以外はからっきしだぞ」
騎士のような紳士を期待しているのなら今すぐ諦めてほしい、うちは何事も実力主義なんだ。じゃないと生き残れないから。
「いいの。普通の男はつまらないわ」
「ふうん」
彼女の望むままに領地に連れ帰り、そのまま実家に帰すことなく翌年には一人目を産んでもらった。初産は大変そうだったが、産んで一か月もすれば、次はいつにすると言ってきたのでこちらが慌てた。
頼むから無理をしないでほしい。
子どもたちのタトゥーも、彼女が最初に入れた。心の臓の上に、我が家の家紋を刻みながら泣いていた。
俺はなんて酷いところに彼女を連れてきたのだろうか、それからも彼女は五人の子どもを産んでくれたが、二人の息子がスタンピードで亡くなった。まるで兄たちみたいに。
残された子どもたちは、一応社交界デビューしたが、誰も伴侶を見つけられなかった。
一度息子二人に話を聞いたら、母ちゃん以上に強い女じゃないと満足できそうにないからと言われ、娘に話を聞いたら、こんな傷だらけの女を求める男が存在するはずがない。次のスタンピードは私が出ると淡々と言われてしまった。
娘にもひどい事をしてきたのだと痛感した。あの子は嫁ぐことも、婿を取ることも諦めている。
我が家の場合、王家に相談すれば相手はいくらでも見つかるだろう。人身御供のように相手を手に入れることができる。なぜなら、この地を守れるのは我が一族だけだからだ。
昔渡り人が居て、我が家に嫁いできたことがある。渡り人にはギフトと呼ばれる恩恵があり、かの人がいる時は魔物が大人しくなる。スタンピードが起こっても規模が小さかったと言い伝えがあるのだ。
我が家に渡り人が居ればと思ったが、街を騒がす少女がどうやら怪しいと思い調べた結果、本当に渡り人だった。
王家が彼女を求めているらしい。家臣としては逆らう理由がない。それでも思う、彼女がこの街に居続ければスタンピードが起こっても被害を減らせるのではないかと。
そして・・・
「お前に何がわかるというの。子どもたちの胸には、我が伯爵家の家紋を刻んだわ。私が、直接刻んだのよ。我が子にそんなことをしなければならない絶望を、お前ごときがわかるとでも言うつもり? 滅びるなら滅びてしまえばいいのよ、こんな街!」
妻の心の叫びを聞いたのは、ずいぶんと久々だった。




