叫び
どこのマッドサイエンティストだ。素手でわたしを殺すつもりなのか。
「わたしを調べたのに、どうしてわたしを使わないんです」
「お黙り、お前のような痴れ者を使うほど、我が伯爵家は落ちぶれていません」
そうだろうか。
ベルノーラ商会よりもボロボロの屋敷。殺伐とした空気。
もうしばらくはスタンピードも起きないだろうと誰もが予測しているのに、彼らの表情が晴れることはない。
もし次にスタンピードが起こったときは、残された三人の子どものうち誰かが犠牲になるだろう。現伯爵は若くして子どもを五人も産ませた。今、彼の息子たちはすでにいい年齢にも関わらず、誰も婚姻を結んでいない。つまり跡継ぎがいないのだ。
「お前に何がわかるというの。子どもたちの胸には、我が伯爵家の家紋を刻んだわ。私が、直接刻んだのよ。我が子にそんなことをしなければならない絶望を、お前ごときがわかるとでも言うつもり? 滅びるなら滅びてしまえばいいのよ、こんな街!」
ふわりと、風が頬を撫でた。
いつの間にか窓が大きく開いていて、彼女の叫びが外に響く。
赤茶色の長い髪がひらりとなびく。その様子をぼんやりと見つめる。暗めの茶色い瞳は、私の目とよく似ている。そこに映るのは悲しみか、諦めか。
この人は多分、人間が嫌いではない。他の兄弟たちもそうだろう。
だから本気を出して戦おうとしない。もし互いに本気だったら、もうどちらかが地に伏せているはずだから。
今は静かに、何かを諦めたような顔で母親を見ていた。
「私は望まれた通りたくさんの子どもを産んだわ。みんな死ぬために生まれたのよ! 生まれてすぐから、様々な模様を刻んだ。どれだけ生きてほしいと願っても、二人とも死んでしまった。お前にわかる? 我が子の腕だけが戻ってきたときの私の気持ち! どうして貴族だからと私の子が死ななければならないのよ!」
街の人は、ベルノーラ商会には感謝する。それは直接的な支援をしてくれるのがベルノーラだからだ。伯爵家が身を挺してかばってくれることも知っているが、その姿をみていないからわからない。
ただ伯爵の子どもが二人、スタンピードで亡くなったという事実しか知らされていない。
その場所で多くの人をかばって死んだことなんて、冒険者でもなければ知らないのだ。
彼らのタトゥーは生き残ってほしいという願いが込められているのだろう。だがその異様な見た目から、どうしても忌避されてしまう。目が黒に近い色というのも、原因の一つかもしれない。
見慣れた空色の瞳より、少しだけ明るい色からとめどなくあふれる涙が、彼女の叫びを代弁しているようだった。
恐らく覚悟を決めて嫁いできたのだろうが、それでも我が子が若くして死んでいく姿を見続けることの恐怖と絶望は言葉に表せないほどなのだろう。
滅びてしまえばいい、というのも、あながち嘘ではない。だが彼らはまだこの街にいる。こんなにボロボロになってしまった屋敷で、息をひそめるようにひっそりと生きている。
空色の瞳が泣くのは嫌だな。最近もみたもの。そう思ったら、自然と言葉が出ていた。
「スタンピードが起こるのは、夏に雨が少なかった年が多い」
「・・・え?」
「スタンピードが起こるのは、東の国で虫が大量に発生した年が多い」
「お前、何を言っているの」
「スタンピードが起こるのは、西の国で暖冬だった年が多い。各地の資料を一通り読んできました。この国では夏に雨が少なったとき、秋の終わりにスタンピードが起こりやすい。特に、一部の植物が多く育った年は必ずと言っていいほどどこかでスタンピードが起こっています。おそらく、魔物はその植物を口にしているのだと思います。あの森にもたくさん栽培されていました。人間が食べても問題はありませんが、魔物が食べると狂暴化しやすいのかもしれません」
商売のために調べていた各地の情報、突き合わせて確認すると、スタンピードが起こる年には何かしらの前兆があった。
もしもある程度予測がつくのならば、対策も立てられる。
「時間をください。ベルノーラの総力を上げて情報を集めてみせます。わたしにはたくさんの友人がいます。違う国の情報を得る手段もあります。この地だけでは見えないならば、外からも情報を集めましょう」
もう一度、彼女の目を見て言った。
「わたしに、時間をください」
するすると、細い指先が離れていく。
「・・・時間がないのは、お前のほうじゃない」
「いいえ、そのために、あなたがわたしの時間を守るのです」
王族なんかに捕まったら調べられない。
「どうやって、そんなことがわかるの」
「各地でためてきた過去のデータをすべて洗います。我がベルノーラならば可能です」
「それで、本当にわかることがあるの」
「貴族の方ならば、情報は何よりも強力な武器になるとご存じのはず。何を疑うのですか。もし疑いがあったとしても、わたしが直接現場に出ればいいのです。スタンピードが起こったとき、わたしを現地に連れて行けばいい。弱い魔物はわたしに近寄れません。それが、わたしに与えられた神々からのギフトだから」
ハッとしたように目を見開いて、それからしばらく空色の瞳がわたしを見つめた。




