空色の子ども
行きついた先は建物の東側。お屋敷の中でも結構日当たりのいい部屋で、庭に出られるように大きな扉もついていた。
部屋の中はどこかさっぱりとした柑橘系の匂いがして、花よりもカラフルな果物のイラストが描かれた壁紙が印象的だった。
たくさんの魚の人形と、果物の形のクッション。大きく目を見開いた小さな子ども。
見慣れた空色の瞳を持っているその子は、一度父を見て、わたしを見て、それからまた父を見た。
「お前の妹だ」
わたしも、父と小さな子を何度も往復してみる。
「おとーさんと、おんなじ色ね」
「お前の妹だからな」
なんか、そのセリフ気に入ったの?
「そっか。ふうん」
なんども、いろんな人から聞いていた。血のつながりのない妹ができたことを。
でも本当は、多分ぜんぜん実感がなかった。
じっと見つめ合っていると、ふいに両手をわたしに伸ばす子ども。わたしも何も言わずに抱き上げた。首がすわっているから、慣れていないわたしでも大丈夫そう。
ちょっと重い。
「・・・あなた、だあれ?」
「ばぅあ」
わからないわ。そういって首を横に振ると、歩き出した父についていった。
子どもって重たいのね。小さな体なのに、ずっと抱き上げていると腕がぷるぷるする。
「シシリーはまだ熱が下がらなくてな。最近はこれでも調子がよかったんだが・・・ああ、寝てるみたいだ。おいで、リーナ」
小さく手招きされてベッドルームへ入る。
壁には小さな花がたくさん描かれていて、わずかに開いた窓からは爽やかな風が吹き込んでいた。白いレースのカーテンがゆらめいて、それを子どもはキラキラした瞳で見ている。
「ほら、シシリーだ」
大きなベッドに寝かされた寝間着姿のシシリー。
最後の記憶は、目も合わせてくれない彼女しかない。
まだちゃんと家族になれなかった。
浅い呼吸を繰り返し、苦し気に眉を寄せている。
「・・・お薬は?」
「取ってくる。ついでに水も変えよう」
額に乗せるタオルを洗う桶を持って、父は部屋を出て行った。
「・・ねえ、教えてくださる?」
天井に声をかけると、黒服の男が音もなく降り立った。
ネッドの同僚だ。顔はいつも下を向いて隠しているからわからないけれど、時折見える右耳にほくろがあるのが印象的だった。
「シシリー殿の熱は心の疲弊からくるものです。日に三度薬を飲ませていますが、効かなくなることが増えました。最近は水を飲むのもやっとで、酷い時にはハンカチに水を湿らせて口にあてるなどということもしております。お嬢さまがお戻りになると聞いてからは調子が良かったようですが、昨夜からこのとおり、臥せっておられます」
ストレスの原因は明らかにわたしだ。
「そう、ありがとう。この子を専用のベッドへ」
「承知」
男は音もなければ、わずかな体臭もないから、本当に忍者みたいだ。
義理の妹を抱き上げて、真新しい赤ちゃん用のベッドへ連れて行った。
シシリーは痩せた。頬はこけ、落ちくぼんだ目元。わずかに出ている青白い手首は、はじめて会ったころからは想像もできないほど細くなった。
スタンピードのせいなのか。わたしのせいなのか。どっちだ。どっちもか。
会えば何かが変わればよかった。こんな風に苦しんでいる姿ではなく、言葉が欲しかった。
「ねえ、わたし、帰ってきて良かったの? あなたは、わたしと関わらなければ今でも街で暮らせたでしょう? こんなに苦しむこともなかったはずよ。ねえ、あなたはどうしたいの? どうして、あんな三行だけのお手紙を書いたの?」
どうして、誰も子どもの名前も教えてくれない。さっきもそうだ。父でさえもこの子の名前を呼ばない。だから未だに知らない。
「わたしに子どものことを隠したのはどうして?」
どうして教えてくれなかったの。もしかして、わたしが虐めるとでも思った? そんなことしないわよ。
「あなたが、もう二度と帰ってこないと思ったからだそうです」
まだいるとは思わなくて、おもわず振り返った。ベッドに連れて行ったはずなのに、なぜか抱き上げて優しくゆすっている。慣れた様子から、普段からこうしているのだろうとわかる。
「たくさん泣いていましたよ。どうか、話をしてあげてください」
「追い出したのは二人のほうだわ。ちゃんと言ってくれれば納得して避難したわ。それをあんな形で・・・普通の子どもなら泣きわめきそうな展開よ」
「あなたはいい子です。それを俺たちは全員知っています。でもいい子過ぎて、つい甘えてしまう。親だって完璧じゃないから、楽なほうへすがってしまう。今の言葉も全部、ちゃんと伝えなさい。俺はネッドと違って、あなたがこれ以上逃げることは良くないと思います。今向き合わないと、手遅れになりますよ」
男は灰色の瞳でシシリーを見やった。
痩せこけたシシリーの体は今にも壊れてしまう。
これが最後のチャンスだと言われているようだった。
「・・・ネッドは、どこにいるの?」
「あなたを甘やかしすぎるので、今は独房にぶち込みました。出てきたら鍛えなおします」
なにそれ怖い。
「だいたい、良い年した男が十一の女に手を出そうとは情けない」
「わたし、まだ手を出されていないわ。ちゃんと処女よ」
「そんなことは後で医者が確認しますが、とりあえずネッドには仕置きを与えます」
今のは聞かなかったことにしよう。
不穏な言葉を聞いていたら、バタバタと音を立てて部屋の扉が開いた。




