坊ちゃまのお気に入り sideアレクセイ
「先程は失礼いたしました」
「いえ、御苦労でした」
私の名はアレクセイ・デュガード。下級貴族の二男で、経済と礼儀作法を学ぶため、二年前からこの屋敷で世話になっている。
この商家は国内でも豪商として有名なところで、貴族といえでも簡単に中に入り込むことは出来ない。
「初めてお目にかかります、アレクセイ・デュガードと申します。お話の所申し訳ありませんでした」
「リーナさん、御挨拶を」
「はい、ワイズさん」
リーナと呼ばれた人形のように綺麗な少女が私を見てふわりと微笑んだ。
着ているものは平民のそれだが、立ち居振る舞いは貴族。それも高位の貴族のそれだった。
私よりもずっと高い所に居る。そんな人が、私にレディの礼をとった。
「ごきげんよう、アレクセイさま。リーナと申します」
つたないが、とても綺麗な声だった。
思わず見入ってしまった私は、ワイズ様の視線を感じすっと視線を落とした。
「・・・ごきげんよう、リーナ様」
次に顔を上げた時、彼女は嬉しそうに笑っていた。
「っ!」
噂では化け物だと罵られていた彼女。もしこれが化け物だと言うのならば、むしろ人間を惑わす存在なのではないだろうか。
「リーナさん、彼は私の助手として動くことが多いので、あなたの教師としても期待しています。今後関わることが増えるでしょう。仲よくするように」
「はい、ワイズさん。アレクセイさま、よろしくおねがいします」
そうか、私は彼女の教師役にも抜擢されているのか。中々期待されているようで嬉しいのが本音だが、もっと嬉しいのは、彼女のそばにいられることだろうか。
「アレクと・・・どうぞアレクとお呼びください、リーナ様」
「では、わたしのことも、リーナと」
良いのだろうか、こんな良家のお嬢さんを呼び捨てになんて。
おずおずとワイズ様を見上げると、彼は是とする頷きを返した。
「リーナ」
まるで満開の花のような愛らしい笑顔に、また目を奪われる。
「はい」
「よ、よろしくお願いします。私は教師役としてあなたの役に立てるよう努めます」
そこまで言って、ハタと気付く。
いやいや、そもそも私もまだ勉強の身。教えられることなんて特にないのだけど。
「リーナさん、彼は護身術にもたけていますし、歴史もしっかり勉強しているので色々学べますよ」
「護身術っ!?」
いや、私は多少の剣術ならなんとかなるが、護身術はむしろ護衛たちに頼んだ方が良いんじゃないか、あ、もしかして護衛たちの存在は秘密なのか?
だからと言って、私ができるのは最低限だ。
この日から私は人知れず剣術も護衛術も必死に習うことになるが、護衛たちの講義は命がけなので本当に大変だった・・・・・・・・・
「わたし、あの、初めてなのですが、いっしょうけんめい頑張ります。アレク、よろしくおねがいします!」
いや、あなたのはじめてが俺とか、なにそれどんなご褒美・・・・はっ、天井と背後から殺気が!
「ごほん。護身術は知っておいて損はありませんから、お互い努力いたしましょう」
「はい、アレク」
ああ、可愛い。坊ちゃんが気に入るのは当たり前だろう。
こんなプライベート空間に入れてもらえるほどの扱いなのだから当たり前だろう。
そもそも、俺はワイズ様のお茶すら飲ませてもらえたことはない。
彼はよっぽど気に行った相手か、大切な相手にしかお茶を淹れないのだ。
最悪、旦那様でさえワイズ様のお茶を飲むことは難しいらしいから、これは破格の待遇なのだ。
「それではアレク、早速ですがリーナさんに屋敷内を案内して差し上げてください」
「かしこまりました」
ワイズ様が淡々と言うので、私はむしろ誇らしい気持ちになって大きく頷いた。
「ではリーナ、こちらへ。屋敷をご案内します」
「はい、アレク。ワイズさん、ごちそうさまでした」
「いってらっしいませ、リーナさん」
呼び方はさん付けだけど、ワイズ様は明らかにリーナをお嬢様として扱っている。
街では酷い扱いを受けているらしいけれど、もしかして高位の出として近寄りにくい印象を受けている人もいるんじゃないか。
「アレク、ひゃっ」
何も考えずに歩いていたら、少し後ろで小走りについてきていたリーナが転びそうになった。
「あ、すみません。そうか、もっとゆっくり歩くべきでした」
いつもなら当たり前にしていたことなのに、今日はどうやら相当緊張しているようだ。
「・・・リーナ、私はまだまだ勉強中の身で、いたらないことばかりです。こんな私ですが、あなたの教師役の一人としてお役にたちたいと思います」
手を差し出すと、彼女は少しためらった後に私の手を握りかえした。
「あの、アレクはわたしの色、こわくないの?」
「怖い? ・・・・・・・ああ、この黒く美しい色ですか? とても綺麗です。私は直接魔物を見たことがありますが、魔物はきっとこんなに綺麗な色ではありません。だからあなたを怖いと思うことはありません」
話に聞く魔物の黒は、もっと明るく灰色に近い。こんなにキラキラした色ではない。
「ほんとう?」
「本当ですよ」
それに、こんなに不安そうな少女を厭うことなんてできるはずがない。
「リーナは綺麗です。さあ、行きましょう。まずはテラスへご案内しますね」
リーナは、とても嬉しそうに、でもどこか泣きそうな顔で笑った。
それがいつまでも心の奥に焼き付いて離れなかった。