嫌いなものは何ですか
後日、久々に会った総一郎の疲弊は半端なかった。
「俺、しばらく虫は見たくない。なんだあの部屋、汚部屋なんてもんじゃねえぞ。あれで定期的に掃除してるって嘘だろうが」
何やらブツブツ言っているのは、彼がついでに元勇者の部屋の掃除を買って出たかららしい。
というかあまりの汚さに話をすることもできなかったそうだ。
「そんなに汚いのね」
確かに先日会ったとき、彼はいつ洗ったかわからないシャツを着ていた。あれは古いから汚く見えたわけではないということか。
「異臭は酷いし部屋の中を何かが這いずる音がするし、空気はいつ入れ替えたかわからんし、なんなら俺を見た瞬間襲ってきやがったから、思わず劇薬ぶちまけて部屋はさらに混沌を極めるし」
最後はあなたが原因では・・・
「なんか知らんが俺が大家に怒られるし」
総一郎はとにかく機嫌が悪かった。
空は今にも泣きだしそうな暗い雲が覆い、市場では雨に濡れてはたまらないと多くの店が片づけを始めていた。
足早に人々が歩くさまをぼんやり見つめ、わたしは数日ぶりの外出を静かに過ごしている。市場のそばにある公園のベンチに座った総一郎が、幽鬼のような様子のせいで人々に遠巻きに見られているというのも関係があるかもしれない。
おかしいな。今日は絶対的に安全だからと、珍しくネッドが外出を許してくれた日なのに。というのも、件の元勇者が今朝、憲兵隊の地下牢に入れられたからだ。
入れられたといっても彼が罪を犯したわけではないとして毛布や飲み物、食べ物もたくさん支給しているらしい。
今一番心配されているのは、彼の酒の量なので、しばらくは禁酒させることも目的の一つらしい。医者や神殿関係者が彼のもとを訪れ、なんとか彼を回復させようと頑張っている。
そして総一郎といえば、わたしの隣で愚痴っているのだ。
なにせ毎日顔を合わせては錯乱する男の相手をしているからか、とにかく心が疲れているらしい。
「で、どうなりそうなの?」
「知るか。もう俺は疲れたんだ、なんでこんなことしなきゃならんのだ」
いじける姿はまるでアーシェのようだなと一瞬思う。案外二人は気が合うかもしれない。
「嫌だったらもうやめてもいいんじゃない? どうしても難しいなら、元凶のわたしが会いに行くっていうのはどう? 恨まれてないと知れば少しは改善しないかな?」
「危険だろう、上からの許可は下りないぞ」
「相手は檻の中なのに?」
総一郎が難しい顔で一度首を横に振る。まるで難しいパズルを解いている人みたいな様子に少しだけおかしくなった。
「笑い事じゃないんだ。わりとマジでヤバいぞ、あいつの妄想。お前を完全に化け物扱いしていやがる。酒のせいってだけじゃないだろうな。なあ、あの森で何があったんだ? 俺もあそこは知ってるが、魔物が多くて複雑なつくりってだけだろう?」
確かに総一郎は一度あの街にやってきた。だからこそ森を知っているのだ。でも、彼はわたしとは森を抜けていないから知らない。わたしがあそこを通る時にどうなるのか。
ネッドから口止めされているから本来ならば言うべきではないが、彼だってわたしと同じように、この世界にある日突然来たのだ。
「本当に、魔物は襲ってきたの?」
「うん? ああ、酷かったぞ。わりと真剣に死ぬかと思った」
異世界人だというのは理由にならないのだろうか?
「何もなかったの。わたしがあそこを通るときは、何にも襲われない」
「・・・・それでか」
「多分、怖かったんだと思う。わたしが初めてこの王都に来るとき、護衛として数人の冒険者を雇ったけれど、彼らもだんだん私を怖がるようになったもの。わたしが、普通じゃないのはわかってる」
「・・・・あの森を一度でも経験するとそういうふうになるかもな」
うーん、と総一郎はついに泣き出した空を見上げ、わたしを促してどこかのお店の軒先に入った。
「あのな。お前もしかして気付いていないかもしれないから一応言っておくけど、それ多分ギフトとか、祝福とかってやつだと思う。他の国にも俺らと同じようにこっちにやってきた人間がいるのは知ってるか?」
ギフト? 英語で言う才能とか、プレゼントって意味?
「それは一人一人形が違うんだって聞いたことがあるんだ。例えば、必要以上に人に好かれたり、身体能力が著しく向上したり、おれはこれ。こっち来てから、体力バカだし、体術だって習ってないのに今じゃあ、お手の物だ。だから憲兵隊で働ける。他にも言語に困らないとかな。お前、こっちの言葉習ったか? 習わずに使えるだろう?」
「うん。そっか、そういうものなんだ」
「ほかの国ではわりとハッキリ伝えるんだって、違う世界の人間ですって。そうしたら貴族とか金持ちが保護してくれる。ただ保護が行き過ぎることもあるらしいけど、酷い場合は神殿に逃げ込んだ人もいるんだと」
それは大変だ。わたしはいい人に拾ってもらったんだな。
義父の、最後に見た横顔を思い出して胸が痛んだ。彼は今どうしているのだろう。
「この国にはあまり居ないと言われているんだが、実は居るんだ。何人かは保護された記録が残っていた。ただ、全員が短命だったらしい」
え・・・
「わたしや、総一郎もそうなるの?」
「いや、この短命ってのも理由があってな。そもそも昔はそういう人が少なかったから人体実験みたいなこともしていたんだ。それで記録が残っているだけなんだよ」
なにそれ怖い。でも以前ネッドが言っていたこととかぶるから、もしかして本当なのかもしれない。
「じゃあ、今わたしたちが名乗り出たら、ひどい事されちゃうの?」
「いや、今はいろんな国とのやり取りで、決して珍しい存在じゃないことがわかっているからな。むしろ国をあげて保護の対象になるよ。ただし、本人が望まない場合はその限りじゃない」
少しだけ安心した。
「前に海賊のお兄さんと知り合ったんだけど、そういう人とお友達だから手紙を届けてくれるって。一度橋渡しをお願いしたの。やっぱり他にもいたんだね」
「お前、海賊って! 俺も会いたい!」
ああ、うん、そっかと頷く。
「何よ、あなた本当に憲兵隊やめたら海のほうに行きたいのね」
「当たり前じゃないか、あ、でも海賊は危ないよな。しかし海の男ってなんか格好いいじゃん。憧れるわー」
隊長さんが聞いたら泣きそうなセリフだ。
しとしと、ぽたぽたの雨がだんだん強くなってきた。
「お嬢さん、お待たせしました。そろそろ帰りましょう」
憲兵隊の地下牢に出向いていたネッドが、ローブを雨合羽がわりにして走ってきた。息が切れないのはさすがだ。
「それから、今後のことを憲兵隊で話し合いたいということです。明日は憲兵隊に出向きましょう」
「うん、わかったわ」
「ソウ、お嬢さんのこと、ありがとうございました」
「おうよ」
ネッドの代わりに護衛を務めてくれた彼だけど、どちらかというとわたしが相手をしてあげた感じだ。
わたしたちはそこで一旦分かれた。雨は本格的に酷くなり、遠くでは雷が鳴っていた。
望まない来客は、その夜やってきた。




