行儀見習いとの邂逅 sideワイズ
わたくし、とある屋敷で家令を務めさせていただいております、ワイズ・ホクマーと申します。
わたくしが幼い時分よりお世話になっている屋敷には三人の坊ちゃんがいらっしゃいますが、三男のアーシェ様だけが結婚もせず仕事漬けの日々を送られておりました。
女性が好きでいくつもの浮名を流しているくせに、妻を娶ろうとはしない坊ちゃんには、我々使用人一同やきもきしておりましたが、ある日突然「娘ができた。俺はあの子を全力で可愛がるから」とのトンデモ発言をかましてくれました。
屋敷中混乱の嵐でございます。
いったいいつの間にそんな相手がと探ってみれば、別に坊ちゃんの子どもというわけではなく、むしろ全然他人の子どもの事でございました。
もしかして坊ちゃん、子どもが欲しかったのでしょうか? それならいくらでも相手を見繕って差し上げましたのに。
しかし坊ちゃんは誰も良いわけではないようで、その子どものために色々と行動を開始し、ついには昨夜帰り着くなり行儀見習いを一人入れると、旦那様の許可もなく勝手に決められてしまったのです。
旦那様としばらくお部屋で話された後、わたくしを見つけた坊ちゃまはとても良い笑顔でかけよってこられました。
「ワイズ、明日から行儀見習いを一人いれるから、お前に面倒を頼みたい。明日、俺と一緒にギルドまで来てくれ!」
「かしこまりました」
「その子は、俺が大事に思っている子どもだ。決して無体にするなよ? いじめたら駄目だからな?」
「噂の方なら存じております。扱いは心得ておりますのでご安心ください」
坊ちゃんが黒い魔物のような少女を可愛がっていることは、街の誰もが知っていることだ。名門ベルノーラ家の三男であり、若きギルドマスターの動向は誰もが気になるところ。そんな人物が可愛がっている相手のことは有名すぎるほどだった。
黒い瞳と黒い髪。抜ける様な白い肌。
異国の貴族の姫だったという噂もあれば、魔物が人の形を取っているという噂もある。市場では酷い扱いを受けており、その顔は常にフードで隠されているそうだ。
子どもとは思えぬほど思慮深いともきく。
はたしてそんな子どもがいるものだろうか。
坊ちゃまのことだ。その子どもの将来を考え、知識も礼儀作法も教え込みたいのだろう。多少だが、坊ちゃまのポケットマネーから給金も出すとのことだ。旦那様はとくに反対もされなかったようだが、その意図はどこにあるのか・・・・
「ギルドの朝は早い。よろしく頼むぞ」
「はい、お任せくださいませ」
わたくしは深々と頭をさげて彼を見送ったのだった。
そして今日、わたくしの目の前には妖精かと見紛うほど可憐な少女がくるくるとまわっている。嬉しそうに父親に報告する姿はなんと愛らしいことか。
なるほどこれなら坊ちゃまが可愛がるはずだ。
そしてようやく挨拶の時がめぐって来た。
「おはようございます、お嬢さん。ワイズ・ホクマーと申します」
少女は、わたくしの顔を、いや目をジッと見つめてきた。その深い闇色の瞳にわたくしだけが写りこみ、まるで深淵を覗かれているようだ。
少しして、ふわりと少女がほほ笑んだ。
「おはようございます、はじめましてワイズさん。わたしは、リーナです。おせわになります」
これが、七つの子ども?
わたくしは思わず呼吸を止めてしまうほど驚いた。
所作は拙く、けれど物おじしないのは子どもだからではない。子どもならもっと別の、悪い言い方をすれば品の乏しい反応が返ってくるはずだ。
だがこの子どもは違う。礼の取り方はなっていないが、他人と話すことに抵抗がない。
街で酷い扱いを受けているとは思えない程、堂々とした立ち居振る舞いだ。
これは仕込めばどんな貴族令嬢にも負けない品性を身に着けるだろう。
わたくしは久々にわくわくする心を止められそうになかった。
「朝食は、おすみですか?」
「はい、父と、大家さんと、いっしょに食べました」
慎重に紡がれる言葉。拙いが言葉を知らなければこんな言い方は出来まい。
「リーナさんはどれほど文字をご存知ですか?」
屋敷までの道のりを二人で歩く。本当はすぐ近くに護衛も潜んでいるのだが彼女は流石にそこまでは気付いていないようだ。
「・・・ほとんどわかりません。アーシェおじちゃまにいただいた絵本で、すこしだけ」
ピタリと足を止めて彼女を見た。彼女もわたくしを静かに見上げている。
「・・・今日からは、坊ちゃまの事は旦那様とお呼びするように。あなたの雇い主はあの方です。仕事中は特に気をつけなさい」
「はい、ワイズさん」
素直に頷く少女に、もう一度問いかけてみた。
「では、あなたが知る文字は、この国にありますか?」
驚いた様に目を見開き、わずかに閉口した彼女は、そっと首を横に振った。
「いいえ、“ありません”」
わからない、ではない。ありませんと答えた。つまり、探しても見つからなかったということだ。それは、彼女が故郷では読み書きができる身分だったということだ。
子どもでも読み書きを教わる場所はある。
貴族やうちのような商家ならば学校に通うし、平民は教会などで文字を教わる。だがわずか七歳で読み書きができるのは明らかに良い家の子どもだけだ。
子どもは家の仕事を手伝うことがほとんどで、教会で教えてくれるのも最低限だ。
「・・・そうですか。わかりました。それでは、紙とペンを差し上げますので、覚えた方が良いことはメモをとるように」
彼女が唯一持っている知識を、なくしてしまうのは惜しいことだ。
そう思って伝えると、彼女ははじめて本物の笑みを見せてくれた。
「ありがとうございます。ワイズさん」
そうか、君はこんな風に笑うのか。
人知れず、わたくしの口元にも笑みが浮かんでいた。