後悔の日々 sideジェシー・ハーバード(ジェス)
今でもあの日のことは夢に見る。
「あんたがうちの可愛いリーナを傷つけたのかい?」
「な、なんだお前は!」
見知らぬ女に思い切り殴られた日。
小さな女の子の髪を切り落としたあの日のこと。
「お貴族さまだか何だかしらないけど、あたしたちのリーナに金輪際近づくんじゃないよ! このすっとこどっこい!」
一度名乗られたはずなのに、リーナというのが女の子の名前だったと気付いたのは、ずっと後になってからだった。
「中で準備ができております。いったん中へお入りください」
「ありがとうよ」
大人の女は僕を思い切り殴った後は、少女を抱きかかえて建物の中へ消えていった。
もう僕のことなんて、忘れてしまったかのように真直ぐに歩いて。
あの頃の僕は、欲しいものは何でも手に入った。
食べたいお菓子も、欲しい剣も。馬はあんまり好きになれなかったけど、貴族の嗜みだから仕方なく覚えた。家庭教師にも勉強で褒められた。
今ならわかる。僕を褒める大人たちは、僕が好きなんじゃない。僕の家が好きだったんだ。
使用人たちも、家庭教師も、愛人にかまけてばかりだったお父様も、宝石とドレスが大好きなお母さまも。
本当の僕を見てくれた人なんていなかった。
何をしても怒られたことなんてなかった。
でも、あの日。
今でもあの黒い瞳を思い出す。
夜に輝く星を集めたみたいにキラキラして綺麗だった。でもそれ以上に怖かった。
綺麗なモノって怖いんだなって思ったのを覚えている。
そして、僕の家は僕のせいでダメになった。
雪が降り止まない街の神殿に見習いとして連れてこられ、名前も変えられて数年。太陽なんて見えない日も少なくないこの街で僕は日々を静かに過ごしている。
この街で僕は、存在していないのと同じだった。
誰も僕のことなんて見ないし、話しかけても無視される。
僕を見るのは神官のヒルマイナ様だけだ。他の見習いたちは街の連中と同じ反応だ。それはそうだろう。もともとこの街の人間がほとんどなのだから。
先日神官は言った。
「ジェス。これが、あなたがしたことの結果なのですよ」と。
そうだ。彼女が再び現れたのも、その彼女が僕の存在を無視するのも。
人に見てもらえないことはもう慣れたはずだった。
僕の目の前を通り過ぎる彼女は、最初から最後まで僕を視界に入れなかった。
背が伸びた。頬がふっくらした。僕よりもずいぶん小さかった彼女は今、僕より少し背が低い程度。
どこか大人の女性を思わせる何かを秘めた空気を纏っていた。
それが色気と呼ばれるものだと知ったのは、少し後になってからだ。街の若い男たちが彼女を噂していて知った。
僕の時間はあの日以降止まった。体だけは成長しても、僕の知識や心は子どものまま。
時間の経過すら許されない。そんな気がしていた。
ボスっと窓の外で雪の塊が落ちる。ここではよくある音と景色。灰色の空も、冷たい雪も。ふと顔を上げたのはなんとなくだった。
何かが視界に入ったような気がして窓を見ると、何故か黒髪の少女が雪まみれで立っていた。
「!?」
慌てて窓に駆け寄る。蝶番を外して窓を開けると、彼女はよいしょと言いながら足をかけて入ってきた。
ちょっとまって、君は女の子だろう!?
「あー助かった。どうもありがとう、親切なお兄さん」
何を言えばいいのかわからない。むしろ彼女はなぜここに来たんだ。というかなぜ窓から。
質問してもいいのか迷ったので、結局何も言わなかった。
「ちっ、あの悪ガキども。ネッドがいない時を狙って雪玉をぶつけてくるなんてどういう神経かしら。こんど石を入れた雪玉をぶつけてやるわ」
何かとんでもなく怖いことを言っている気がする。
濡れた黒髪がしっとりしていて、暖房もないこの部屋では寒いだろうとタオルを差し出した。このタオルだってごわごわで、昔の僕なら視界に入れる前に捨てられるだろうってくらい使い古されている。
でも今の僕はお金もないし、身に着けるもの、持つものは全て支給されるものと決められている。だからこんなものしかなかった。
なぜだか無性に恥ずかしい。
「あら、ありがとう」
彼女は軽い口調で礼を言うと力の限り頭を拭いている。
だから、君は女の子だろう!?
心の中で突っ込みつつ慌ててタオルを取り上げ、できる限り優しく叩くように髪の水気を取ってやる。
彼女は以前と同じ綺麗な夜空の瞳で僕をみて、嬉しそうに笑った。




