雪道
さく、さく。歩くたびになる音に心を少しだけ浮上させた。
危ないから視線を下に固定したまま歩く私の手を、ネッドが黙って引いていく。
二人とも浅い呼吸を繰り返して時折頬に当たる白い雪に体が震える。寒かったのは最初だけ。今は全身汗だくだ。
口を開けていると喉が寒さで痛いから、必死で鼻呼吸を繰り返す。顔に巻いたタオルは早々に凍ったので今は外している。
これは鈍器として使えそうだと阿呆なことを考えて意識をそらす。
時々ネッドがクッ、と喉を震わす。どうやら笑っているみたい。なんて失礼な人かしら。
「ネッド。言いたいことがあるなら言いなさいよ」
休憩をとったのは実に四時間ぶりだ。下手に休むと歩けなくなると言われて限界を超えても我慢したから。それでも雪山だから平地と比べて進みはかなり遅い。
「だってお嬢さん、ずっと興奮したみたいな呼吸するから。もう鼻息が獣じみてましたよ」
「口で息を吸うと空気が痛いのよ!」
「だから顔隠せっていったじゃないですか」
「大人用のマスクは大きすぎて顔全体をおおわれるのよ! 絶対今度子どもサイズのマスクを開発してやるわ! スカーフもタオルも全然役に立たないし、上着を巻いてもすぐに落ちるし!」
ぶはっと息を吐きだすネッド。本当にどこまでも失礼な男だわ。
「それより良かったんですか、ご家族に残したのは伝言だけって」
「・・・いいのよ。そのほうが確実だし。それに、ギリギリまで言わないほうがいいと思ったのよ。街を出たのが夜だったのもそのためだし。あなたには無茶をさせたわ」
街の人になるべく知られないように、私たちは夜遅くなってからの出発になった。伝言役を引き受けてくれた彼にも申し訳ないことをしてしまった。
「俺は別にいいですが、しかしよく奥様がお許しになりましたね」
「お許しは大旦那さまに頂いたから問題ないわ。奥さまが許すわけがないし」
ネッドがカバンから筒を取り出し、器用に火を起こした。雪深い地方では簡単に燃えるものを確保できないから、燃えやすいものを前もって用意しておくらしい。
たった数分で体は芯から冷えて、わたしはガクガク震えながらその様子を見る。
「でもこれで針仕事から抜け出せましたね」
「まったくだわ。肩が凝って仕方ないもの。高貴な人は大変ね」
まあベルノーラ商会は貴族じゃないけど。
「他人ごとみたいに・・・アレクセイと夫婦になったらそういう毎日かもしれませんよ」
そんなのは嫌だ。
「わたし、自立した女になるの」
「ほほう」
ネッドが温かいココアを入れながらフッと笑う。意地悪なものじゃなくて、純粋におかしかったような笑いだった。
「もう十分自立心はお持ちじゃないですか。あとは体が小さいのが問題ですね。今後も好き嫌いなく食べてくださいね」
指先が暖められてジンジン痛みだした。すぐに冷めるから早く飲めと言われた。甘くて美味しいそれは、私をちゃんと温めてくれる。
「もちろんよ」
そういえば、晴れやかな顔で彼は頷き、おもむろに焚火に二本、カエルのようなものが刺さった木を近づけた。傾けた角度で倒れないようにそっと調整して焼いていく。
え、ちょっとまって。
「ネッド、それはなに」
「今日の飯ですよ。鳥の肉みたいに淡白な味ですが、栄養価はとても高いんです。この雪の中でも生きていける、たくましい生き物ですよ」
いやいや、だってそれカエルにしか見えないよ!?
「ここじゃあウサギや鳥を見つけることは難しいですから、地元民はこういう生き物を食べるんですよ。本当はスープに入れるのがおすすめなんですが、俺にはそういう芸当は期待しないでくださいね」
ニコニコ笑って楽しそうに皮を剝がしたカエルもどきを両面焼いていく。焦げ付く香りは腹にダイレクトにくるけど、見た目はかなりヤバい。
「好き嫌いしないって、言いましたよね?」
閻魔大王みたいだと思ったのは、口にしないほうがいいだろう。




