待つ。その理由は
「なあお前、ただ逃げたいだけならさっさと逃げればいいだろ。なんで大人しく待ってんだよ?」
言われた直後、ネッドの大きな手が私の目を隠した。
もう慣れたこの大きな手の中で、私は戸惑う。
「さっきから黙って聞いていればどんな会話だ。二人ともいい加減にしなさい」
優しい声で言う彼の様子はわからないが、部屋の温度が急激に下がったような気がした。
「あんたも、優しくすることだけが正解ってわけじゃないだろう。こいつ、無自覚なんじゃねえの」
「お前には関係ない」
どういう意味だろうか。
「ネッド、どうしたの?」
「・・・いえ、そろそろメイドたちが来ます。部屋にお戻り下さい」
一つ頷くと、ネッドがそっと手を離して私を静かな目で見た。彼らしくない行動に戸惑いが隠せないが、確かに時間はなさそうだ。
二人は静かににらみ合って、それから総一郎のほうが先に視線をそらした。
「・・・もう一度寝るから、襲うなよ」
「人を痴女みたいに言わないで」
「俺の尻をあんだけ触っといて何を言ってやがる」
あれは荷物を受け取っていたのであって、違うわよネッド、そんな残念な子を見るような目で見ないで!
「この痴漢」
「違いますーっ!」
違うからぁっと叫びながら出て行ったわたしは、この二人の静かな会話を聞き逃した。
「あいつ、ほんとは誰を待ってんだ」
「おそらくご家族だろう。だが、来ることはない」
「それは本当に家族なのか?」
「・・・腹に子がいるようだ。今無茶をして街の連中を刺激したら、どうなるかわからんからな。全員を守るためには、距離をとる必要があるんだよ」
「その全員の中に、あいつは入ってないんじゃないのか」
「今は時間が必要なんだ。彼女にも、ご家族にも。この街の連中にもな」
「はん。どうだか」
悲しげなネッドのため息を見ていたのは総一郎だけだった。
数日に一度、家族からの手紙がネッド経由で届いた。
他愛ない内容は、ほんの二、三行程度。
元気ですか、ご飯は食べていますか。今日はいい天気ですね。
元気ですか、昨日は雨が降りましたね。体を冷やさないようにしてください。
元気ですか、庭の花が咲きました。思っていた色と違いましたが可愛いです。
全部、シシリーの字だった。
毎回元気ですか、から始まる。
でも、それだけ。そんな手紙をなんども読み返して、心を決めた。
「ネッド」
「はい」
「彼はそろそろ戻ってくるかしら」
「おそらく」
「そう」
シシリーの手紙の字はいつも丁寧だ。優しくて、でも、帰っておいでとは書いてくれない。まだその時ではないからだろうか、それとも。
待ち人はそれから四日後に姿を現した。




