変化の兆し
トトリというお店で食事が出来なかった夜。私は大急ぎでご飯を作った。
昼の残り物のスープに色々足して、硬いパンを浸して食べるだけの簡単なもの。
お店で見た者は美味しそうなトマトの香りがしたが、トマトは朝の早い時間に売り切れるから、うちじゃああんまり食べられない。
もったいないことをした。でも、私を大事にしてくれるラティーフが怒らないはずがない展開だった。
赤い髪のシシリーさん。私が生きていたら同じくらいの年齢に見えた。
多分だけど、ラティーフに好意をもっていた。私が、現れるまでは。
ラティーフの再婚のチャンスを邪魔しちゃったみたいで申し訳ない気持ちだ。
「リーナ、見守り隊とかいう連中から荷物が届いたぞ。この前の菓子の礼だそうだ」
「え、あれはお礼だったのに?」
「子どもがそんなこと気にするんじゃない。取り合いになるほど旨かったらしいぞ」
呆れを隠さない顔でラティーフが言えば、その姿を想像しておかしくなる。
「ふふ、喜んでくれたなら嬉しいな」
砂糖を使っていなくて、甘さもかなり抑えられているのに喜んでくれるほど、ここでは甘味が不足しているのだろう。
「おう、また材料があれば作ってやってくれるか」
「うん! その時は、お父さんもたべてね?」
「当たり前だ」
そう言いながらラティーフは・・・いや、父は私に不格好な袋を差し出した。
「これ!」
「今度は違うもんも食いたいと言ってな、いろいろ詰め込みやがった」
中には瑞々しい野菜から、希少価値の高い砂糖まで入っている。
「こんな高いものもらえないよ!」
「何言ってやがる。服も人形も本も喜んでたじゃないか」
不思議そうに言う父に、もう、と憤慨したい気分だ。
「本もお洋服も人形も腐らないよ!?」
「そこか? まあいいじゃないか。ほら、これなんか旨そうだぞ」
そう言って、真っ赤なトマトを口に運ぶ姿を見て、やっぱりこの前のトトリという店の件を申し訳なく思ってしまう。
この人はそれを言うと絶対に私のせいじゃないといってくれるだろうけど、それが余計に苦しいのだ。
「今日は、トマトのスープを作ろうかな」
「お、いいな。楽しみにしているぞ」
「うん!」
その日は、大家と三人でトマトのスープを堪能した。
翌日、早朝から作った大量のお菓子を持ってギルドに向かう。ちょっと寝不足だけど今日くらいなら大丈夫。
私がドアを開けようとしたところで一人の男が出てきた。本来ならばこの時間多くの冒険者は稼ぎに出ているはずなのにと驚いて顔を上げると、そこにはいつか会ったグリノラと呼ばれた男が立っていた。
「なんでお前が・・・」
呆然と私を見つめる男の視線から逃げるように、軽く頭を下げて中に入る。
「こんにちは、あの、ギルドマスターはいますか?」
「少々お待ちください」
前回同様すぐにギルドマスターを呼んでもらえて安心する。
「ああ、どうした俺の可愛い子」
デジャブ・・・・いや、今のは無視しよう。
「こんにちは、アーシェおじちゃま。あの、たくさんのお野菜とか、お砂糖も、お肉も、ありがとうございました」
「んふふふふふふふ。どうだ、これならリーナも喜ぶだろう!?」
「はい、とても嬉しいです。でもこれ以上はダメです。とくていの、冒険者の子どもをかわいがるのは、たぶんよくないです」
ですから今後はお気持ちだけ頂戴します。と深々と頭を下げると、顔を覆って蹲ってしまった。
「リーナが正しい! 正しすぎるっ! 俺は寂しい!」
うわあ。そんなバカ正直に言われるとどうすればいいのって話なんだけど。
「リーナ、言っておくがな、俺は知っているぞ!」
知っている? なにを?
「・・・・あ、はい、お父さんがトマトを好きなのを知って、わざわざプレゼントしてくれたんですよね? とても嬉しかったし、おいしかったです」
「ちっがーう! なぜ俺が男に贈り物をせねばならんのだ!? リーナ、君に贈り物をして喜んでほしいのだ!」
「はい、とても嬉しかったです」
「じゃなくて!」
じゃなくて?
「トトリであったこと! 俺たちは知っている!」
ああ、そっちか。
「・・・気にしてくださったんですね、ありがとうございます」
でも大丈夫ですよと言葉を続けようとした瞬間だった。痛いほどの力で両肩をガシッとつかまれた。いや本当に痛いって。
「君はまだ七歳だ! 無理に大人にならなくていい!」
これでもかと顔を近づけられてそんな風に怒鳴られた。
ぽかんと口を開けて彼を見つめる。
「シシリーの旦那は魔物に殺された。だから彼女が必要以上に君に対して警戒する気持ちはわからんでもない。だが、君はただの女の子だ。魔物ではない! なんでもかんでも我慢するな、それは君のせいじゃないんだ!」
それはなんども父が言ってくれたことだ。わかっている。自分が一番知ってる。
私は剣も握れないし、体力もないし、森で一人で生き延びる力もないし。
でも、この街では私は魔物と同じような存在で、だから皆厭うのだ。
大家さんが優しいのは目が見えにくいからよくわかっていないだけだろう。父やその友人が守ってくれるのは森の中で私と過ごしたからだ。
シシリーの反応こそ、この街のほとんどの人の反応だ。あれが普通の反応だ。
「冒険者は十一歳からだ。君はまだ七歳だ。つまり子どもだ、わかるか? 君は、ただの子どもでいていいんだ」
真剣な瞳で私に言い聞かせるギルドマスターは、とても綺麗な瞳をしていた。
父が空の色を持っているなら、この人は激しい炎のような赤い瞳だ。
「でも、わたし、とてもよくしてもらっています」
「当たり前だろう! まだ子どもなんだからな、大事にしてなにが悪い! だいたい俺達冒険者は親を魔物にやられた子どもや、旦那を亡くした女には一定の支援をしている。冒険者は毎年それなりに金を払って支え合う制度が確立されているんだ!」
それは、保護者が居ないひとが対象なんじゃ・・・
「それに、俺は君の見守り隊の隊長だぞ。堂々とこれからも甘やかせて俺がいないと生きていけないくらいにしてやる」
なにそれ怖い。
ちょっと感動してたのにそのセリフで一気に残念感が・・・と思ったのは私だけじゃなかったらしい。
「ちょっとギルマス、いえ隊長。我々も見守り隊の一員なんですからね。なに自分だけ恰好つけているんですか」
それは、この前も、そして今日も対応してくれたギルド職員だった。