ビーン博士の世界征服
某アニメシナリオ応募用に書いたものを落選後にジュブナイル小説に改稿しました。
ビーン博士の不思議な島
異国の港に夕闇がせまっていました。
港に今停まっている船の中で、いちばん大きな貨物船が横付けしているあたりには、今日中に積み込む予定の荷物がたくさん置かれています。大きなコンテナや木箱や麻袋の山が並んでいます。
その荷物の合間を、手をつないで走るふたりの子ども。ふたりの名はアスムとサユ。
「四十五、四十六、四十七・・・」
異国の少年が数を数える声が聞こえてきます。
おじいさんの仕事についてきたアスムとサユは、おじいさんが港のビルでお仕事のお話をしている間に、この港で遊んでいた子どもと友達になって、いっしょにかくれんぼをしていました。百まで数える間に、隠れる場所を探して走るふたり。アスムは小学五年生にしては、背が低いのを気にしていたけれど、走る速さではクラス一番の自信がありました。でも今は、小学校に入ったばかりの妹のサユの手を引いていたので、あまり早く走れないのです。
木箱の陰ではすぐにみつかってしまいそう。と、サユが後ろを指差しました。
「おにいちゃん、あそこ」
それはおイモが入った麻袋の山。ビニールシートと網でつつまれているけれど、隙間からシートの中へ入れそうです。
もぐり込んでみると、ちょうどふたりが丸まって隠れられるくらいの隙間でした。
「ここならみつからないよね?」
「シーッ。サユ、静かに」
ふたりは息を潜めます。
「七十七、七十八・・・」
異国の少年がこの国の言葉で数え続けているのが聞こえてきます。なんだか念仏を唱えているみたいに聞こえてきて、ふたりは眠くなってきました。この国はふたりのおうちがある日本とは時差があって、飛行機で今日やってきたばかりのふたりにとっては、今はもう夜なのです。おうちにいたらそろそろ着替えてふとんに入る時間です。
サユが寝息を立て始めました。やがてアスムも。
「九十九、ひゃぁく。よーし、捜すよ!」
荷物の山の間をあちこち覗き込みながら少年が捜すのですが、なかなかみつかりません。それでも異国の少年は、20分くらい辛抱強く捜し続けていました。
やがて、作業用ヘルメットを被った大人の人がいっぱいやってきました。貨物船は、今夜の出港なので、荷物の積み込みが始まったのです。かくれんぼ鬼の少年は、大人の人に追いやられてしまいます。少年はアスムとサユに、もう、まいったするから出ておいで、と呼びかけましたが返事はありません。
外国から来た子どもたちは、少年を置いてどこかへ行ってしまったのでしょうか。少年は夕日が沈んでしまうまで、貨物船にクレーンで積み込まれていく荷物を見送っていました。そのなかには、シートごと吊り上げられたおイモの袋もありましたが、外から見ても、子どもが隠れられるような隙間があるようには見えません。
「アスム! サユ! どこにいる?」
お仕事のお話が終わったおじいさんもふたりを捜していました。背広を着た大人も数人、いっしょに捜していました。おじいさんはあたりで積み込み作業をしている人たちにも訊いてみました。ヘルメット姿の人のひとりが、クレーンで運ばれる積荷を見上げている少年を指さしました。おじいさんが近づくと、少年は、
「アスムとサユは、ぼくをおいて、港の外へ行ってしまったんだよ!」
と言って走っていってしまいました。それで、おじいさんと背広姿の人たちも、港の外へ捜しに行ってしまいました。
夜の海へ、貨物船は出港しました。港の街明かりが遠くなっていきます。
航海が順調だったのは最初のうちだけでした。陸の明かりが見えなくなってしばらくすると海が荒れはじめました。でも甲板の上のシートの中のふたりは、すやすやと眠っています。船は波のうねりでおおきく揺れていましたが、ふたりは気持ちよく眠っていました。
やがて、雨と風が船を襲います。遠くで雷が鳴っています。海と雨雲の間に、龍のような稲妻がいく筋も立ちます。その龍の姿は、ずっと遠くに群れていましたが、急に一匹が群から離れ、貨物船に近寄って立ったかと思うと、
ガラガラ、ビシャーン!
貨物船の甲板を直撃しました!
船倉に積みきれずに甲板に置いた荷物を固定していたワイヤーがはじけとびました。船が大波で傾き、甲板の上の荷物がすーっと右舷にすべっていき、ぼろぼろっといくつか海に落ちてしまいました。おイモの袋もシートごと海に落ちてしまいました。落ちた荷物を拾おうとする船員さんはいません。貨物船はそれどころではありませんでした。雷で火事が起きていたのです。
アスムとサユを乗せたおイモの袋は、みるみる船から遠ざかってしまいます。こんなにたいへんなことが起きているのに、アスムとサユはすやすや眠ったままです。よっぽど疲れていたんですね。
翌日になりました。
照りつける太陽に抜けるような青い空、白く輝く砂浜。静かに寄せる波に運ばれて、おイモが流れつきました。とっても暑い南の島のお昼前、シートの中もすごい暑さ。アスムが、「う~ん・・・」目を擦りながら起き上がろうとするとシートにジャマされ起きられません。
「あれ?」
シートの隙間から出てみると、見たこともない場所です。砂浜のむこうはジャングルのような密林。その向こうには緑に覆われた山がそびえています。
「おにいちゃん、ここどこ?」
サユもシートから出てきました。
「わかんないよ」
アスムはなぜ自分たちが異国の港にいないのか見当もつきません。
「おじいちゃん、どこかな?」
「それもわかんない」
ふたりは黙り込んでしまいました。でも、泣き出したりはしません。「なるようになるものさ」って、いつもおじいちゃんに言われていたから、ふたりも、なにか困ったことにあっても、そう思うようにしているんです。
「あっちの方へいってみよう。だれかいるかもしれないし。なるようになるさ」
アスムはサユの手を引いて、砂浜に沿って歩き始めました。ジャングルに入ると遠くは見渡せなくなるので、とりあえず人を探すには、浜辺がよさそうだったのです。
歩いている途中も、サユはあたりの様子がおもしろくてキョロキョロ見回しています。足元をカニが歩いて横切ったり、ジャングルで鳥が飛び立ったり。見回していて、うしろを振り向いたとき、なにかに気が付きました。サユが立ち止まります。手をつないでいるアスムも引っ張られて止まります。
「おにいちゃん、へんだよ」
「え?」
「足跡が消えてる」
100メートルくらい先に、シートを被ったおイモの袋があります。そこからまっすぐ歩いてきて、波がかからないところを歩いていたので、足跡は残ってるはずです。でも、ふたりの足跡は4、5歩前あたりでうっすらと消えてしまっています。
いえ、今消えてるところです。
ふたりはしゃがみこんで、自分たちの一歩前の足跡をじっと観察しました。
足跡は、1ミリくらいの小さな白い砂粒の集まりの砂浜についています。その、へこんだところで、まるで虫が起き上がるように、砂粒がむっくり立ち上がります。足があるわけではありません。倒れていた砂が縦になって立ったのです。すべての砂粒が動いたわけではありません。ひとつの足跡の中で百個くらいの砂粒が動き始めました。
しかも、耳をすませると、なにかしゃべってるようです。とっても小さくて早口で、ふたりの知らない言葉だけど、おたがいにあっちを向いたりこっちを向いたりして相談していたかと思うと、せっせと、動かない普通の砂粒を運んで、穴を埋め始めました。
そのうち、ふたりがじっと自分たちを見ていることに一粒が気が付きました。なにかまたその一粒がしゃべります。どうやら仲間に警告したようです。「見られてるぞ!」って。するとその足跡の中の動いていた砂粒は、みんないっせいに倒れて動かなくなってしまいました。
「おにいちゃん、虫かなあ?」
アスムは、警告を叫んだ砂粒を指で拾い上げました。
「うーん、砂だよ。足もないし羽もない」
人差し指にのせてしばらくじっとふたりで観察します。やがて、あたりの様子を窺うように、砂粒はちょっと起きかけましたが、指の上で観察されてるとわかって、すぐにまた動かなくなります。
動かなくなった砂粒を、じーっとふたりが見ています。そんなふたりの100メートルむこうでは、おイモの袋がジャングルにむかってゆっくり動きはじめていました。指の上の砂粒を観察しているふたりは気が付きませんが、音もなくおイモの袋が動いていきます。無数の砂粒に運ばれているのです。移動したあとの引きずった跡も砂粒たちが埋めて隠していきます。
そういえば、この砂浜ではほかにも、遠くの町から流れ着いたペットボトルや発泡スチロールのかけらといったゴミが、ジャングルに向って動いていきます。
「見てると動かないんだな」
アスムは立ち上がって、指の上の砂粒をズボンのポケットに入れ、サユの手を引き、再び歩き始めました。
「やっぱりだれかを探していろいろ訊いてみようよ」
「うん」
ふたりが砂浜を歩いていると、ずっと先に傾いた船が見えてきました。
「いってみよう」
走って近づいてみると、それは、浜に打ち上げられた古い貨物船だとわかりました。傾いているし、ぽっかり大きな穴があいています。ちょうど波打ち際にあるその廃船は、錆びていて、人なんか乗っていそうにありません。
でも、浜にはほかに人が住んでいそうな気配はありませんでしたから、ふたりはその廃船に入ってみることにしました。大きな穴は船尾と船首の両方にあいています。中を覗くと、船の底には膝くらいの深さの海水が溜まっています。中はがらんどうで、部屋を仕切る壁もありません。機械類もずっと昔に取り外されているようです。木箱や棚が、すこしだけ転がっています。
「おにいちゃん、あそこ、だれか座ってるよ」
サユが指差した先には、木箱がいくつかあって、その一つにたしかに大人の人が座っているようなシルエットが見えます。でも、すぐに人じゃないとわかりました。それは、そのシルエットの肩や肘が、まるで操り人形のようにとっても細いからです。胴体は四角い箱のようで、頭はラグビーのボールを縦にしたような形と大きさです。
「人形かな?大きいね。マネキン?」
ピチャピチャと膝まで水に浸かりながら、ふたりは恐る恐る近寄ってみました。その人形は、『考える人』のようなポーズで座っています。前に回って下から顔を覗いてみましたが、顔がありません。頭はラグビーボールそのまんまで、目も鼻も口も耳もない、つるつるです。
不思議なもので、顔がないとわかると怖さはなくなりました。顔があったら、さっきの砂粒のようにしゃべりださないか心配だったのです。
「動かないみたいだね」
アスムが胸を張っておにいちゃんらしいところをサユに見せようとした瞬間に、人形の胸がテレビの画面のように明るくなったかと思うと、男の人の顔が映って、しゃべりかけてきました。
「やあ、こんにちは。あ、はじめましてって言うんでしたね? はじめて人と会うっていうことが、そもそもはじめてなもので」
アスムとサユは、目をまんまるにして、しばらく驚いて動けませんでした。
ロボット(お人形ではなくロボットだったのです)のお話はこうでした。ロボットの名前はエドガー。エドガーを作ったのはビーン博士。博士は40年前に乗っていた飛行機が墜落して、この島に流れ着きました。この島は無人島で、博士はなにも持っていませんでした。3年ほど経って、この船が流れ着き、船から部品を取って、博士はいろいろ造り出しました。エドガーが作られたのは30年前のこと。博士はエドガーを自分の助手にしました。でも、2年前に博士とエドガーはケンカしてしまい、博士と別れたエドガーは、それからずっとここに座っていたのです。
「どうしてケンカしちゃったの?」
サユが訊きました。
「博士は世界を征服するって言い出したんです。わたしはそれに反対しつづけていました。博士はわたしに言いました『おまえなんか作るんじゃなかった。出て行け』って。それで出てきたんですが、行くところもないので、自分の元になったこの船で座ってたんです」
エドガーの顔は胸の画面に映っています。本当の人間の顔ではなくて、人間の顔に似せた顔の画像です。でも、その表情は人間のようにいろいろ変わります。博士に言われた言葉のことを話すエドガーは悲しそうでした。
話を変えなくちゃ、って思ったアスムが訊きました。
「博士は30年も前にエドガーみたいなロボットが作れちゃうくらいなら、どうして島を出て帰らなかったのかなぁ」
「博士が40年前に乗っていた飛行機は、円盤に撃ち落とされたんだそうなんです。だから博士は、世界がその円盤の宇宙人に征服されるか滅ぼされるかしたんだと思って、円盤に対抗できるくらいいろいろ発明品が揃うまで、外との連絡を絶っていたんです。最近になって、通信を試そうとしてインターネットというのを見つけて、自分以外には円盤にやられた人たちなんていなかったって初めて知ったんです。でも同時に、世界がこの40年間、あちこちでずっと戦争を続けていて、博士が思っていたような科学が進んだ二十一世紀にもなっていなかったことにおどろいて、いっそ自分が世界征服して、平和で科学が進んだ世界にしようって思ったんですって」
「あ、じゃあ、この砂粒も博士の発明?」
アスムはポケットからさっきの動く(動いていた)砂粒を取り出しました。
「ああ、砂ロボットですね。それはこの島に流れ着くものを掃除するために砂浜の砂に混ぜられているんです。ガードマンも兼ねていて、もしも武器を持った相手なら、襲いかかるんですよ。あなたたちが武器なんて持ってなくてよかった」
でも、そのころ砂浜には、武器を持った人がやって来ていたところでした。
エージェント登場
アスムとサユが打ち上げられた浜には、もう、足跡もおイモの袋があった跡もありません。そこへひとりの潜水服姿の男が、海から上がってきました。
男は砂浜に上がると、潜水メガネを取り、潜水服を脱ぎ始めました。潜水服の下には、ビシッときまった黒い背広のスーツを着ています。潜水服を脱ぎ終わると、背広の胸ポケットからハンカチを取り出し、身体に付いた砂を払って、ポケットにハンカチを戻して、内ポケットからサングラスを取り出してかけてから、あたりを見回しています。スポーツマンのような体つきをしていますが、あんまり若くはないようです。四十代くらいですね。
まわりの砂ロボットたちが、彼の観察をはじめます。砂ロボットたちは、たちまち、彼が身につけたたくさんの武器を見つけました。
右の脇にはサイレンサーつきのピストル。内ポケットの万年筆は実は小型ロケット弾。足首にはナイフと小型拳銃。首の後ろのえりのところにも小さな投げナイフが3本。背広のボタンは、ちぎって投げる手榴弾。靴のつま先は、ナイフが飛び出すしくみです。
「さてと、上陸はなんとか成功か。しかし、あのサメのロボットはちょっとやばかったな。島にもなにかいるのか・・・・・・な?」
そう言う彼のうしろでは、あたりの砂ロボットが集合して、人型に固まろうとしていました。
その気配を感じて、さっと振り返った男の手には、いつの間に抜いたのか、サイレンサーつきのピストルが構えられています。後ろに立っていたのが人間の警備兵だったら、そのすばやい動きで男の圧勝だったでしょう。でも、振り返った先にいたのは、砂のかたまりです。
「なんだ! こりゃあ!」
そう叫びながら、すでに3発、人型の砂の胸や頭にあたるところにピストルの弾を撃ち込んでいました。しかし、弾が当たってるのに砂がすこし飛び散るだけです。そればかりか、ほかにも砂がむくむくと起き上がり、人型は5人になりました。
「こりゃあ、かなわん!」
波打ち際を男が走って逃げます。砂の人型はそんなに足が速くないようで、ひとまず逃げ出せそうですが、あたりは砂浜です。どこから、また、むくりと砂が起き上がるか分かったものではありません。
砂浜の中に、岩が突き出たところがありました。岩陰に隠れてピストルをしまい、あの砂の人型と戦えそうな万年筆型小型ロケットを準備します。キャップをはずして羽根が出てくるボタンを押して……。おや?岩がへんです。岩の端っこに人の目のようなものが現れました。男を横目で見ています。目は岩の表面をすすーっと動いて、男の手元の万年筆をじーっと見ています。
見られていることに気が付いた男の目と岩の目が合いました。
岩がむっくり立ち上がりました。高さは5メートルくらいあります。
「どうなってるんだ?」
男はとにかく駆け出します。後ろからは大きな岩と、砂の人型が追いかけてきます。タイミングを見計らって万年筆型小型ロケットを発射すると、白い煙を残して小型ロケットが飛んで行き、岩に命中して爆発しました。大きな岩がガラガラと崩れます。1メートルか50センチくらいのかけらに割れてしまいました。まわりに来ていた砂の人型も、爆風で壊れちゃったようです。
これで一息、かと思ったら、割れた岩は、それぞれむくりとおきてきました。砂の人型も、あたりの砂から、10体ほどつぎつぎに立ち上がりました。
砂に比べて岩は動きが早いようです。小さいかけらほど早いようで、ジャンプして襲ってきます。バスケットボールくらいの大きさの岩が、ドーン、ドーンと飛び上がっては落ちてきます。大きなものはズシーン、ズシーンと地響きをたてて跳ねてます。どれに当たっても、ただではすまないでしょう。
背広の男は、襲ってくる岩をぎりぎりのところで、ひょい、ひょいとかわします。かわしながら、あたりをきょろきょろ見回して、砂や岩に囲まれてしまわないように逃げる方向を選んでいます。
男が廃船を見つけました。アスムたちがいる廃船です。男は、今はじょうずに逃げ回っていますが、そろそろ息が切れてきました。このままではいつかやられてしまいます。いえ、今にも岩につぶされそうです。廃船に逃げ込もうと考えましたが、それまでもつかどうか。それに廃船に逃げ込んでも、岩や砂は追ってくるかもしれません。
廃船まではまだ100メートルくらいあります。廃船の大きな穴が見えてきました。おや?人影が見える。男は廃船で待ち伏せされてるのかと疑いました。人影は3人で、ひとりが大人、子どもがふたりです。
いえ、大人と見えたのは人間じゃありません。砂の人型でもありません。金属製の人形かロボットのようです。あ、なにかこっちに向って言っています。どうやらロボットの声らしい。何と言っているかと耳をすますと。
「……を捨てるんです。武器を持ってたら捨てなさ~い」
とても人がよさそうな声です。でも、ワナかもしれません。信じるべきかどうか……。男は直感で、信じることにしました。
とんでくる岩をよけながら、ピストルをポイ! 首の投げナイフと爆弾ボタンがついた背広を脱いでポイ! 足首に隠したナイフと小型拳銃を、けんけん飛びしながら取り出してポイ! 最後は、ナイフが仕込まれてる靴までポイ!
はだしで走りだしたころには、廃船まであと30メートルくらい。波打ち際まできていました。岩が飛ぶ音がやんでいます。振り返ると岩はもとからそこにあったように砂浜でじっとしてます。砂は、アリが虫の死骸を運ぶように、ピストルや背広や靴をジャングルへゆっくり運んでいます。もう、何も襲ってきません。
はだしになった男は、廃船まで息を整えながら波打ち際をパシャパシャと、ズボンのすそを濡らして歩いてやってきました。サングラスをはずして、カッターシャツの胸のボタンのところにしまってから、さっきアドバイスしてくれた声の主にむかって、お礼を言います。
「ふう、ありがとう。助かったよ、ええと……?」
「エドガーといいます」
ロボットが答えます。
「ぼくはアスム」
「わたしはサユよ。おじさんは?」
「カーターだよ」
カーターと名乗った男はエドガーを舐めるように見たあと、アスムとサユのほうを見ました。
「アスムとサユはこの島に住んでるのかな?」
「いいえ。ぼくらはいつのまにかこの島に流されていて」
「エドガーと今さっき会ったところよ」
サユの口からエドガーのことが出てきたので、カーターはエドガーのことを訊きました。と言っても、カーターは最初からエドガーのことが知りたくて、うずうずしてたんですけれどね。
「エドガーくんは、この島に住んでるんだ。ロボットさんなのかな?」
エドガーが答えるより先に、サユが横から答えてしまいます。
「あのね、ここはビーン博士の島なんだって。エドガーを作ったのは博士なんだよ」
カーターは、サユにむかってにっこり笑ってうなずきましたが、アスムはその様子を見ていて心配になってしまいました。
「シッ! サユ、知らないおじさんにべらべら話しちゃいけないよ。このひとピストルとか持ってたんだよ。悪い人かもしれないじゃないか」
気まずい空気が流れました。
「あー、ゴメンゴメン。おじさんは仕事柄、いろいろ知りたくてね。実はこの島のことを調べにきたんだ」
カーターが謝りました。
「どんなお仕事してるの?」
「ん~、おじさんはA国の情報局ってところで働いていて、いろんなことを調べに、あちこちへ行くお仕事をしてるんだ」
カーターは本当のことを話しました。子供たちを騙したくなかったのです。
「最近、A国軍隊のコンピュータに侵入してきたハッカーがいてね。それが、最初はどうもインターネットの仕組みやコンピュータのことをよく知らないようだったんだけど、とても進んだ科学力を持ってるらしくて、簡単に軍のコンピュータの秘密情報を探り出していってしまったんだ。この島がある場所から通信してることは分かったんだけど、人工衛星のカメラだと、この島は写らない。古い海図にはたしかに小さな島が載っているのに、空からは海に見えるっていうんで、調査員のおじさんが調べに来たってわけさ。宇宙人じゃないかって言う人もいたんだけど、ビーン博士っていう人の仕業だったわけだ」
カーターの話を聞いて、エドガーがにっこりほほえみました。
「A国っていうと、博士の母国ですね」
エドガーは誰とでも打ち解けるようです。というか、エドガーは博士以外の人と話したことがなかったので、人を疑ったり隠し事をすることを知らないのです。
「え?ビーン博士っていうのはA国の人なの?……ビーン、ビーン……」
カーターは一所懸命に思い出そうとしていました。カーターは仕事がら、世界中のいろんな出来事を、勉強して覚えているのです。
「あ、40年前に試験飛行中に行方不明になったノーマル・ビーン博士のことか! A国軍隊の天才兵器発明家」
それを聞いて、エドガーの胸の顔が不思議そうな表情に変わりました。
「その記録は正確じゃないと思いますよ。博士はもともと平和のための技術を発明していたんです。研究の援助を申し出てくれた団体が、実は軍隊の関係団体で、いつの間にか、発明を兵器に利用されるようになってしまってたんだっておっしゃってました」
「なるほどね、それがいやで行方をくらましたのかな」
「いえ、博士の飛行機は、円盤に撃ち落とされたんです」
エドガーはアスムたちに話した博士のこれまで話をカーターにも話してあげました。博士が円盤に撃墜されたあと、この島でひとりで未来文明を築き上げたこと。エドガーは助手をしてたけど、博士が世界征服をするということに反対して、けんかしちゃったこと。
「うーん」
カーターは困った顔になりました。
「世界征服っていうのはまずいなあ。報告しなきゃいけない」
カーターはベルトのバックルをカチャカチャ触りました。ピッ、ピッと音がします。
「これで応援がやってくる」
アスムとサユが心配そうにしています。
「博士をやっつけちゃうの?」
ふたりは、まだ会ったことがない博士のことを心配していました。博士は、ふたりが友達になったエドガーの生みの親ですから。
その様子を見て、カーターも申し訳なくなってきました。
「博士は同じA国の人だから、あまり乱暴なことはしないと思うけど……博士が抵抗するとあぶないかなあ。応援が来るより先に、博士に世界征服なんてやめて、A国へ戻ってくれって説得しに行くよ。博士がいろんな研究を、A国や世界のために役立ててくれるなら、すばらしいことだからね」
アスムとサユの表情が明るくなり、ふたりはにっこりと顔を見合わせました。エドガーが立ち上がります。
「そういうことでしたら、わたしがご案内しましょう」
エドガーが先頭に立って歩き始めました。アスムとサユがつづき、最後にカーターです。あ、でもカーターははだしです。
「あっちっち!」
砂浜の砂はとっても熱くなってます。日なたの乾いた砂の上を歩くとたいへんです。
「あ、待っててください。靴を取ってこさせましょう」
エドガーが言いました。カーターやアスムたちはどういう意味かわかりません。誰が靴を取って来るのでしょう。
やがて、カーターが脱ぎ捨てた靴が、ジャングルから砂浜の上をすべるように進んできました。どうやら砂ロボットが運んでいるようです。
「この島のロボットたちは、博士の命令に逆らわないかぎり、わたしの命令を聞くようにできているんです。わたしは助手ですから」
「え? だったらあの靴は武器があるから博士の命令でだめなんじゃあ・・・・・・」
とカーターが言ってるときに、靴が彼のそばまでやってきて止りました。靴を見て、どういうことかわかりました。靴のつま先は、仕込みナイフごと、もぎとられて穴が開いていたのです。つまり砂ロボットは、武器を取り上げろという博士の命令を守った上で、靴を返しなさいというエドガーの命令を、じょうずに実行したのでした。
「なるほどね」
カーターは穴が開いた靴を履いて歩きはじめました。
博士の世界征服計画
ジャングルに入っても、エドガーが案内してくれると安心です。鳥や虫のかたちのロボットがたくさんいますが、みんなじっと見てるだけで何もしてきません。
カーターが、前を歩くエドガーに訊きました。
「海にいたサメロボットや、ここの鳥ロボットとかエドガーくんとかは、なんとか理解できるんだけど、砂や岩のロボットはどういうしくみなのかな?」
エドガーは歩きながら楽しそうに答えます。
「わたしや、動物に似せたロボットは、初期のものなんです。あの廃船から取ったもので作った、歯車やコードやモーターで動くロボットです。でも、博士は、歯車もモーターもなくても、自然にあるものをそのまま使って、生き物のように動かす方法を発明したんです。岩や砂粒のロボットは、たとえ割っても、それぞれがちゃんと考えて行動するロボットなんですよ」
カーターはおどろきました。
「想像もできない科学だなあ。博士はずいぶんと未来を先取りしているんだ」
「博士がおっしゃるには、今の外の世界が時代遅れなのが不思議だっていうことですよ。博士がこの島に来られた40年前の世界で、みんなが想像していた二十一世紀は、いろんなロボットが働いたり生活したりして、宇宙ロケットが別の星と行ったり来たりしていて、海中や空中に大都市があるような世界だったって」
「そういえばそうだな。そういうSF小説がたくさんあったころだ。博士は、そういうSF小説のまんまの世界をこの島で実現し、外の世界は、その間そんなに進歩しなかったわけだ」
エドガーとカーターの間を歩いているアスムとサユは、ふたりの話がよくわかりません。
そんな話をしていると、大きな岩で行き止まりになってる地点に来ました。
「ここが入り口です」
エドガーが岩に向ってなにか通信しました。すると、扉の役目をしている岩ロボットが動いて開き、通路が現れました。四人が中に入ると、扉役の岩ロボットが、また入り口を閉じてしまいます。通路は、いったん、まっくらになりますが、すぐに明るくなりました。エドガーの身体全体が光って明かりになったのです。
しばらく歩くと、今度は鉄の扉がありました。
「この扉の先が博士の研究基地ですよ」
扉が開くと、中はまるで博物館の展示室のようでした。さまざまな発明品がぎっしりと並んでいます。中は明るいので、エドガーはもう光っていませんでした。
ずっと先のほうでカチャカチャ音がしています。そちらへ歩いていくと、大きなドリルがついたマイクロバスのような乗り物の横で、白衣を来た老人がお仕事中でした。ボサボサの白髪頭の、背の低いその人が、ビーン博士でした。
そのあたりの空中には、字や図面がたくさん浮かんでいます。字が書かれた紙や板が浮かんでいるのではなくって.字そのものが浮かんでいます。まるで透明なシートにマジックで書かれた字のようですが、カーターが字を手で触ろうとしてもすり抜けてしまいました。しかも字は、博士がいる方向からは見えて読めますが、反対から見るとなにも見えません。
この島では紙が手に入らないので、博士が紙のかわりに空間に文字が書ける不思議なペンを発明していたのです。
「よーし! できたぞ」
博士が作業を終えて腰に手を当てて乗り物を見回しました。
振り返った博士はエドガーを見つけてニコニコしながら言いました。
「おお! エドガー。どうじゃ、わしの新しい地底マシンじゃ。ドリルが付いてるのはそれっぽく見せるための飾りで、実は岩を掘って進むのではなくて、自分の進みたい方向にある岩と、地底マシン自身の空間を入れ替えて進んで行くのじゃ」
いつもの調子でエドガー相手に発明の自慢をしましたが、エドガーとケンカしていることを思い出してしまいました。
「む! なんじゃ、エドガー。戻ってきたのか。戻っていいとは言ってないぞ。しかも、なんだ。外の人間を連れ込んで。まったく。おまえだけを、わしの命令に逆らえるように作ってしまったのは、まちがいだったな」
昔のように博士に声をかけてもらえて喜んだのに、急に叱られて、エドガーはしょんぼり顔になりました。カーターが前に進み出て博士に向って話します。
「はじめまして、ビーン博士。わたしはA国情報局のカーターと言います。エドガーに博士のところまで案内をお願いしたのはわたしです。ですからエドガーがここへわたしたちをつれてきたのはわたしの責任です」
「は! 情報局! こりゃまた、いきなりすごいのをつれてきたな、エドガー」
博士はカーターを睨みつけました。
「ここまで無事来れたってことは武器は持っておらんのだろう? わしを、素手で捕まえられると思ってるかもしれんが、わしがひとこと命令すれば、どうなるか想像はついとるんじゃろうな」
カーターはまわりの発明品を横目で見回しました。どれがどんな役目をするものかは想像できませんが、どれもが、博士の命令でカーターを襲ってきそうなものに見えます。宙に浮いた文字だって、襲ってくるのかもしれません。
「わかってます。無理やり捕まえようとか思って来たんじゃありません。お話ししたくて来たのです」
「ほほう、どんな話かな?」
カーターはちょっと考えました。これからの自分の話に、A国や地球の未来がかかっているのです。責任重大です。
「博士、A国へ戻って、A国や世界のために博士の発明を役立てていただけませんか。きっと、すばらしい世界になります」
「残念ながらそうはならんよ。A国の高官どもは、自分の国が世界で一番になるように利用できるものを利用するだけじゃ。わしが若いころだって、いろんなアイデアを提供したのに、兵器に使えそうなものだけを研究させて。二十一世紀になっても世界政府もなくて、戦争も無くなっとらん。わしの発明品と外の世界の時代のギャップがわかるか? 軍事利用されたら、世界を簡単に滅ぼしかねないものもたくさんあるんだぞ。たとえばエドガーだって、戦う気になったら、おまえたちの兵器じゃ、まったく歯がたたんのだぞ」
「博士は兵器や戦争を嫌っていらっしゃるようですが、ご自分の世界征服のためには、兵器を使って戦争をしかけるつもりですか?」
カーターは博士を怒らせないように、できるだけ穏やかに話しかけます。
「ふん! ばかどもといっしょにするな。わしの世界征服は最終目標じゃない。征服したあと、平和で進んだ世界をつくりあげることこそが目標なのじゃ。街を焼け野原にして征服したり、ミサイルで脅して従わせたりしたら、そのあとどうやって統治していくつもりだ? わしは、わしの絶対的優位を世界中に見せつけて、心底わしに屈服した世界を、そのあとずっと指導していくのだ」
カーターは説得する言葉を見失ってしまって博士に問い返しました。
「いったい、どうやって征服するんです?」
博士がニヤリと笑いました。
「ふふん! ・・・・・・あれじゃ!」
博士がビシッと指差した方向には・・・・・・木の古い机があって、その上にボロボロのブリキのバケツが載っています。どちらも、どうやら廃船から持ってきたもののようで、発明品には見えません。
カーターも、アスムもサユも、机とバケツをじっと見てますが、どういう意味だかわかりません。あのバケツか机が、岩や砂粒のようなロボットなのでしょうか。たしかに、家庭のなかにある普通の家具や道具が、博士の命令で動くロボットなら、人間はかないませんね。
そのとき、バケツの中の水が「ちゃぷん」と飛び跳ねました。
なにか生き物が入っているのでしょうか。魚とかカニとか。カーターは机に歩み寄ってバケツの中を覗きました。アスムとサユも机に近づきました。アスムはなんとかバケツより背が高いですが、サユは机の上に目を出すのがやっとです。
カーターが注意深くバケツの中を見ました。水がたっぷり入っています。透明の水です。バケツの底が見えます。
それだけです。なにもいません。
「博士、これはいったい……」
カーターが博士に向かってしゃべりかけたときに、また「チャプン、タプン!」水が大きく動きました。
カーターは、目をまんまるにしてバケツの水を見ました。カーターの口から、しぼり出すように言葉がもれました。
「……水ロボット・・・・・・!」
「大正解じゃ! きみはセンスがいいじゃないか。わしの助手になれる素質があるぞ」
博士は大喜びです。
「水のふりをしているわけでもないし、外の世界で流行の、ナノテクノロジーとかいうやつみたいに、小さなメカが水にまじっているわけでもない。水そのもので、わしの命令に従うロボットを作ったのじゃ」
博士は上を向いてお芝居のセリフのように両手を広げて大声でしゃべっています。
カーターは博士の話を聞きながらバケツの水に指をつけてみました。水が指先につきます。顔の前にその指を持ってきて水を見ていると、その水がみるみる丸まって指先でしずくの形になって立ち上がったかと思うと、ピョンととんでバケツに戻りました。
「何度蒸発しても、凍っても、水ロボットは水ロボットのままだし、小さく分かれても大きくまとまっても水ロボット。自分で考えて動けるが、ふつうの水とまったく同じで飲んでも平気。しかも、この水ロボットはまわりの水を改造して自分と同じ水ロボットに変えられる。実際、そのバケツには、もともとただの水が入っていて、ほんの一滴の水ロボットを混ぜただけだったのじゃ」
カーターは、穏やかに話そうと思っていたことをすっかり忘れて、ビーン博士につめよりました。
「これをいったいどうするつもりです!」
博士はにんまり得意顔です。
「なあに、今そこで、ちょいとバケツをひっくりかえすだけじゃよ。そうするとそこの排水溝から海に出る。そうして増える。たくさん増える」
博士は、歌うようにしゃべりはじめました。
「増えたらどうなる? 世界の水はわしのいいなり。言うことを聞かないやつが治めている国から水をとりあげることもできる。海の水をよそに移動させ、川だって流れなくできる。津波洪水はお手の物。・・・・・・まあ、そんな酷いことをするつもりはないがな……。身体に入った水だって命令を聞くぞ。言うことを聞かないやつの身体の中で水を暴れさせることもできる。言うことを聞くやつの病気を、身体の中から直してやることもできる。どうだねカーターくん。水を支配するわたしにたてつくものは、今の世界にいるかね?」
カーターは、ことの重大さを理解して、言葉を失っていました。
「ひょっとしたら、この計画を知ったやつは、水ロボットが増えるまでに、わしをつかまえてしまえばいいと思うかもしれない。そのための用心が地底マシンじゃ。このマシンで、わしは地底数キロのところにもぐっておく。今の外の世界では、海底1万メートルや宇宙ステーションまでなら、わしを追って来られるやつがいるかもしれんが、地底数キロまでわしを追って来られるやつがいるかね?」
博士は自信たっぷりです。
「そのバケツをひっくりかえして、地底マシンに乗り込めば、世界征服は成功したも同じじゃ。ふぁっはっはっは・・・・・・」」
「そんなのだめよ!」
サユの声が、博士の笑い声をさえぎりました。つかつかと博士の前まで歩いていきます。博士がかがみこんでサユの顔を覗き込むようにします。
「おさかなさんはどうなっちゃうの。海や川の水を勝手に動かしたら、あったかくなったりさむくなったりしておさかなさんがたくさん死んじゃうわ」
「え? ・・・・・・魚かぁ」
博士は言葉につまりました。
「海は人間だけじゃなくて、みんなのものよ。勝手なことしちゃいけないわ」
これには、博士は言い返せません。
「ううむ、ほかの生き物のことは考えておらんかった。環境問題をおろそかにする支配者は、民衆から尊敬されない。わしゃ、そんな支配者にはなりたくないからなあ……ううむ」
実際には、博士の水ロボットは、今起きている海や川の環境破壊を解決することもできる、すばらしい発明なのです。しかし、博士が、サユに言われるまで、川や海の流れを自由に操って、自分の力を世界に見せ付けようと思っていたのは事実です。そして、博士は、ほかの人が悪いことをしているからと言って、同じ事を自分もしていいんだとは言いたくなかったのです。
「ううむ……ううむ。どうやらこの手はいかんなあ」
博士が、水ロボットによる世界征服を、考え直した瞬間でした。ドドーンと爆発する音がして、鉄の扉が吹き飛びました。武器を持った特殊部隊の兵隊が二十数人なだれ込んできました。カーターがベルトのバックルで呼んだ応援が、もう着いたのです。
兵隊たちは必死です。ここまでたどりつく間に、砂に襲われ、岩に襲われ、鳥や虫にも襲われて、仲間や戦車は、大半がやられてしまっていました。しかも、この部屋の発明品は、どれも自分たちを襲ってくる怪物に見えます。
いきなり銃撃がはじまりました。マシンガンや小銃でバリバリバリ!とあたりのものを撃ちまくります。中には爆弾を発射する兵士もいます。
カーターは、アスムとサユをかばって伏せます。伏せたまま叫びます。
「やめろ! 撃ち方やめ! 攻撃をやめるんだ! ここに兵器はない! 武器を持ってなければ襲われないんだ!」
でも、銃撃は止みません。カーターはエドガーの手を引いて、子どもたちといっしょに伏せさせました。
「人形のふりをして、子どもたちにくっついてろ。動くなよ」
エドガーにそう言うと、カーターは、銃弾が飛び交う中に立ち上がって両手を広げ、大きく振って、兵士たちに合図しました。
「撃ち方やめ! 撃ち方やめ!」
やっと兵隊のリーダーも、彼の言葉に気が付き、いっしょに叫びはじめました。
「撃ち方やめ!」
銃撃が止みました。あたりに火薬のにおいと白い煙がたちこめます。
「攻撃されたくなかったら、武器を捨てるんだ。武器を持っていなければ、博士の命令がないかぎり、なにも襲ってこない」
カーターに言われて、みんな武器を置きます。ゴトゴトゴト、と銃やら爆弾やらナイフやら、すごい量の武器です。
カーターは博士のところへ行きました。博士は、兵士四人に捕まえられていました。
「どうだね、カーターくん。これが君たちA国のやりかただ」
博士はそう言って、あごでアスムたちのほうを指しました。カーターが振り返ると、ひとりの兵士が、エドガーにすがりついたアスムとサユを捕まえて、無理やり連れて行こうとしています。
「こら! やめろ! その子たちは関係ない。この島に漂着してきたばかりの民間人だ。A国人でもない。博士だけを丁重にお連れするんだ」
エドガーは、カーターに言われたとおり、ぴくりともせずに人形のふりをしてがまんしていました。兵士は、アスムとサユを離します。
博士を捕まえた四人の兵士が、博士を出口へと連れていこうとします。カーターは目配せで、アスムたちに地底マシンへ行くように合図しました。このあとここへはA国の調査隊がやってきてたいへんなことになるでしょう。エドガーといっしょに、地底マシンで逃げろという合図でした。エドガーなら、博士が作ったマシンを運転できるでしょうから。
このときになって、カーターは、水ロボットのバケツのことを思い出しました。机の方を見て、「あっ!」と小さく叫んでしまいました。バケツには、銃撃で穴が空いていました。水が穴から机の上へ吹き出し、吹き出した水は、机の下にしたたりおちて、排水溝へ流れ込みはじめていました。
困った顔のカーターの横を、四人の兵士に掴まれた博士が、通りすぎながら言います。
「心配いらんよ、カーターくん。わしはそいつらに世界征服の命令を出したりはせん。ふぁっはっはっは」
博士は高笑いしながら連れ出されていきました。おそらく、博士の言葉は本当でしょう。嘘なら、今すぐ水ロボットに命令して、兵隊をやっつけてしまうはずです。
「戦闘部隊は撤収だ。全員外へ出て、まだ戦っている者には、武器を捨てるように言うんだ。この島へは、武器を持って入るなと伝えろ」
カーターは、そう命令して、最後の兵士の後から部屋を出て行きました。アスムたちのことを心配しながら。
だれもいなくなってから、アスムはエドガーに呼びかけました。
「エドガー。起きてよ。だいじょうぶ?」
エドガーの胸に、顔が、パッと映りました。
「はい。ふたりもけがはないですか?」
三人は立ち上がりました。
エドガーは部屋を見回します。
「ひどいありさまですね」
この部屋は、エドガーにとって、ビーン博士との思い出がいっぱい詰まった部屋なのです。
「カーターさんが、地底マシンで逃げろって合図してたよ」
「ええ。多分、また大勢やってくるのかもしれませんね。さあ、マシンに乗りましょう」
地底マシンの胴体の横のハッチを開けて、三人が中へ入ると、しばらくして「ヒュィィィィン」とドリルが回り始めました。ドリルが床を向くように、地底マシンが斜め下を向きます。ですが、博士が言っていたとおり、ドリルで土を掘るのではなく、パッ、とマシンとドリルの前にあった地面とが入れ替わってしまいました。その入れ替わりをくりかえして、マシンは地中深く潜っていってしまいました。
砂浜では、博士とカーターを乗せた軍隊のヘリコプターが飛び上がるところでした。ヘリコプターの横の扉は開いています。カーターは、手すりを持って身を乗り出して、島を見下ろしました。アスムたちは、無事に地底マシンで出発したでしょうか。
島には、調査用のブルトーザーやショベルカーが上陸していました。小さな船や人もたくさんいます。そして、島のまわりにはたくさんの軍艦が集まっていました。ヘリコプターは、さらに沖に浮かんでいる大きな大きな原子力空母へ向かっていました。そこから飛行機でA国へ帰るのです。
ニュースにならない大事件
地底マシンに乗った、アスムとサユたちがどうなったかのお話の前に、A国へ連れて行かれた博士が、どう扱われたかのお話です。
博士がA国へ帰国したことは、ニュースにもなりませんし、博士の親戚にも知らせられませんでした。普通なら、大ニュースになって、博士はテレビや新聞・雑誌にひっぱりだこになったはずです。博士のご両親はもう亡くなっていたし、兄弟はいませんでしたが、いとこや親戚はいましたから、引き合わされて、感動の再会、とかも記事になったはずです。しかし、博士の40年ぶりの生還は、国家機密とされたのです。
ビーン博士の島の科学は、あまりにも進歩しすぎていたのです。しかもそれが博士ひとりの手によるものです。そんな人がみつかったとニュースになったら、博士の発明を利用しようとする国や企業や人が、博士のところに殺到することになるでしょう。A国政府は、博士の発明と博士の頭脳を、ひとりじめするか、少なくともほかにもらさないようにしたかったのです。
でも、博士の研究を生かして、人々の暮らしを良くしていく、なんてことにはなりませんでしたし、博士の研究を兵器に生かして、A国軍を世界最強にする、なんてことにもなりませんでした。博士の発明は、すごすぎて理解できる科学者がいなかったのです。
だれも理解できないからといって、博士本人にまかせるのは危険です。また、世界征服をしようとするかもしれません。今回だって、サユが止めなきゃ世界征服に成功してたかもしれないのですから。
結局、A国の偉い人たちは、博士がA国のために働こうと改心するまで、博士を閉じ込めてしまうことに決めてしまったのです。そりゃあ、博士は世界征服をしようとした「悪い人」なのですが、裁判もなにもせず、いつまで閉じ込めるかも決めずに、いきなり閉じ込めたのです。
しかも、博士を閉じ込めた場所は、普通の牢屋ではありませんでした。博士だけを閉じ込めるために用意された、特別な部屋でした。
そこは、A国の政府の建物の地下にある、核シェルターを改造したところでした。
この核シェルターは、もしも世界が核爆弾を使った戦争になってしまって、地上で人間が住めなくなったときのためのものです。A国のえらい人だけが、地上で人間が住めるようになるまで、数年間暮らしていけるように、地下に作られた隠れ家のような部屋のでした。
そこは、小さなアパートのように、ひととおり暮らしていくのに必要なものが揃っていました。でも、外の世界とは、分厚いコンクリートで隔てられ、ただひとつしかない出入り口も厚さが1メートル近くある鉛の扉でした。
電気や水道は外とつながっていません。核シェルターの内側に、発電できる機械があり、水も同じ水をきれいにして何度も使うしくみがあり、外からの水が入ってこないようになっています。
博士を閉じ込めることにした人たちにとっては、そのことが重要なことでした。博士は、普通の科学では考えられないようなことができてしまう科学者です。電気を外から部屋に送っていたら、その電線を使って、外の世界のコンピュータを乗っ取ってしまうかもしれません。水道の水を外から部屋に送っていたら、その水に、あの水ロボットが混じっているかもしれません。
博士が、核シェルターの中で新しい発明品を作ってしまうことも、できないようにしなければならないと考えられていました。道具になりそうなものは、全部外へ運び出されていて、工具のようなものや、電気製品もありません。壁や天井に、埋め込み式になっている照明や冷暖房はありますが、その中を分解したりできないように、ふたが開けられなくなっていました。食べ物も保存食で、カンきりもないので缶詰はなく、ビン詰めや袋入りの食べ物だけが博士の食料です。そこに保存されている食料は、何年も前に運び込まれていたものだから、水ロボットは混じっていないはずのものです。
博士を閉じ込めた人たちが一番苦労したのは、博士の見張り方です。監視カメラとかは、逆に博士に使われてしまうかもしれません。また、長時間様子を見ずに放っておくと、博士が中でなにか作ってしまうのに、気が付かないかもしれません。結局、6時間に一回、博士の様子を点検しに、人が入ることになりました。
四人の強そうな兵士と、ひとりの背広を着た役人が、その点検役でした。
点検の時間になると、博士の部屋の外のベルが鳴ります。ベルの音は、厚い鉛の扉を伝わってシェルターの中にも響きます。そうすると、博士は扉がある居間の椅子に、座って待たなければなりません。そこには、木の机と椅子がひとつづつあり、椅子に座ると、扉と向き合うようになります。椅子に座った博士から、扉までは5メートルくらい。机と扉の間には何にも置いてありません。
まず、扉の上の方にある覗き窓から、兵士が中を覗きます。分厚い扉に小さな窓なので、ほんの狭い範囲しか見えません。椅子に座った博士の顔が、やっと確認できるような位置にある窓です。
博士の顔が見えると、扉の鍵が開けられます。鍵は電子式とかではありません。博士が細工できないように、昔ながらのかんぬきや錠前やくさりが、何重にも使われています。
扉が開くと、まずふたりの兵士が扉の左右に立ちます。兵士は後ろに手を組んで、足を肩幅に開き、あごを、つん、とあげて不動の姿勢をとります。続いて背広の役人が入ってきて、博士と机を隔てた位置に立ちます。
「ごきげんよう、博士。外は今、朝の5時です。ご気分はいかがですかな?」
彼は、決まってこういう挨拶をします。
役人につづいて、さらにふたりの兵士が入ってきます。このふたりは部屋のチェック役です。博士が部屋の中でなにか作っていないか、ベッドやトイレを探します。
「あんまり気分はよくないな。ここへ来て、この三日間、きみに毎朝早く起こされてしまうからな。寝不足になりそうじゃ」
博士はふてくされていました。
「ご希望の本をお持ちしましたよ。『モンテ・クリスト伯』でしたね。あんまり感心な題材とは思えませんが。先日の『ロビンソン・クルーソー』はもうお読みになりましたか?」
役人は、ポケットから古びた文庫本を取り出して、机の上に置きながら言いました。
「まだちょっと読み終えてないんじゃ。もう一日貸しておいてくれ」
と言いながら、博士が机の上の本に手を伸ばすと、その本を役人が、さっ、と取り上げてしまいました。
「では、これはそれと引き換えに。一度に一冊のお約束でしたから」
博士はふくれっつらになって、そっぽを向きました。
「それで、博士。そろそろ考えていただけましたかな? わが国のために研究を続けるか、それともこのまま危険人物として幽閉されつづけるか」
役人は博士を見下ろして冷たく言いました。
「わしゃ、このままがいい。無人島よりずっといい暮らしじゃ。あんたみたいなやつが相手でも、一日に4回も人と話ができるようになるとは、わしにとっては夢のような暮らしじゃからな」
「……そうですか。ま、じゃあ、今回はこれの話をしましょう」
役人は、写真を取り出して机の上に置きました。その写真は、博士の島で見つかったものの写真です。ライフル銃のような形のものが、長さをしめすものさしといっしょに写っています。
「われわれの優秀なスタッフの調査では、これはおそらく原子分解銃ですね。しかし、起動スイッチが見当たらない。どうやって起動するのか教えていただけますか?」
博士は写真をちらりと見て、役人を見上げていたずらっぽく笑いました。
「おお、これを見つけてくれたのか。これは、わしが島に作ったゴルフコースで使っていた、サンドウェッジじゃよ。こいつを使うとバンカーから一発でボールが出せるすぐれものじゃ。起動スイッチなどあるわけがなかろう? サンドウェッジにはスイッチなどいらんからの」
さすがに、これが博士の嘘だということは、誰にだってわかります。からかわれた役人は、すこし怒ったようでしたが、怒鳴るのを我慢しました。
そのとき、奥を調べていた兵士が、調べ終わって戻ってきました。手に『ロビンソン・クルーソー』の文庫本を持っています。
「なにも変わったものはありませんでした。ただ、この本の98ページ目が3センチ角ほど破りとられていて、その切れ端がみつかりません」
役人は本を受け取り、98ページを開きました。文字が印刷されていないスペースが、四角く破りとられています。
「博士、どういうことか説明していただけますか?」
「いやぁ、すまんすまん。読んでる最中にあたらしい発明のアイデアを思いついてな。メモをしようと思ったんじゃが、よく考えたらペンも鉛筆もここにはない。本を破ったことが見つかるといけないから、細かくちぎってトイレに流してしまった。実はさっき、まだ読み終わっていないと言ったのも、破ったのをバレないように嘘をついたんじゃ」
役人はしばらく、本と博士を見比べていました。でも、紙の切れっ端で、なにかできるとは、彼には想像もできません。それより、さっきのサンドウェッジの話の仕返しを思いつきました。
「トイレにはへんなものを流さないでください、と言ってあったでしょう。本も破られてはこまります。守っていただけないなら、もう、本はお貸しできませんな」
役人は『ロビンソン・クルーソー』をしまいこんでしまいました。もちろん、『モンテ・クリスト伯』も貸してはくれません。
「では、今回はこれで」
役人は兵士を連れて扉の外へ出ます。扉の見張りをしていたふたりの兵士が最後に扉を出て、鍵をかけています。博士は、扉の外の人の気配が消えるまで、本が貸してもらえずがっかりしているふりをしていましたが、人の気配が消えると、笑い出しました。
「ふぁっはっはっはっ。岩窟王は読めんでもいいよ。この牢獄とは、もうおさらばじゃからな」
役人は博士の部屋を出ると、長い長い廊下を歩いていきます。岩盤をくりぬいて、コンクリートを吹き付けた通路です。その先の部屋で着替えをしてボディチェックを受けなければいけません。服を全部脱いで、持ち物を預け、X線やいろんな検査を受けて、自分はシャワー室で洗浄を受けます。もともと核シェルターなので、出入り口に放射性物質を洗い流す施設があるのを利用しているのです。博士が何をするかわからないので、用心に用心を重ねているのでした。
脱いだ服から、小さな虫のようなものが、ぴょん、と跳ねたのに、だれも気が付きませんでした。
それは、1センチくらいの大きさの折り紙のカエルでした。
そのカエルは、本物のようにぴょんぴょん跳ねて動きました。人の目を盗み、シャワー室の排水溝近くに跳ねて行きます。
それは、『ロビンソン・クルーソー』の切れ端で、ビーン博士が作った折り紙ロボットでした。博士は、紙を使ってロボットを作る特殊な折り方を発明していたのです。でも、ちゃんとした道具がない部屋で、いそいで作ったので、あまりたくさんのことはできないロボットです。この折り紙ロボットの使命は、核シェルターから出て、博士の命令を伝えることでした。
排水溝近くの水に、折り紙のカエルが話しかけました。
「おい、ここにいるのか?」
博士の声です。
すると、それに答えるように、小さなしずくが、ひょい、と立ち上がりました。博士の島の研究室の排水溝から海に流れ出した水ロボットが、シャワーの水に混じっていたのです。
「仲間を増やしてわしを助けにくるんじゃ」
命令を伝え終わると、カエルは動かなくなってしまいました。
水ロボットは、周りの水を自分の仲間に改造し始めました。水ロボットは、自分が分裂したり成長したりして増えることはできませんが、自然の水がまわりにあると、それを水ロボットに変えることができるのです。
あっという間に、まわりの水を仲間にした水ロボットは、折り紙を排水溝に流してから、自分の力で、通路の隅を博士のシェルターへ向かって、流れるように進みはじめました。斜面でもないのに、水溜りが移動していきます。
さて、そのころカーターはというと。
ビーン博士の世界征服を未然に防いだカーターは、ビーン博士とA国に戻ってから、休暇をもらってのんびりしてました。ところがこの日、休暇中にもかかわらず、長官に呼び出されてしまいました。
情報局の建物の中ではたくさんのパソコンを前にたくさんの人が働いています。その、大きな部屋を抜けて、奥にある長官の部屋に入ると、外の騒がしい音はピタリと止みました。薄明かりの、窓がない部屋の中で、長官が大きな机を前に座って待っていました。
あんまり良い話ではないようです。
「休暇はどうだった? カーター」
長官は言いました。「だった」ということは、休暇はもうおしまいということです。まだあと二日あったはずだったのに。
「今度はどんな任務ですか? ボス」
長官は机のスイッチのひとつを押しました。すると、横の壁がスクリーンになって、写真が大きく映し出されました。
「この子達に見覚えはあるな?」
「あれ、この写真いつ撮ったんですか? あの島じゃないですね。ビーン博士の島にいたアスムくんとサユちゃんですね。無事に家に帰ったのかな?」
写真は、アスムとサユが、アスムたちのおじいさんと三人でお屋敷の中を歩いているところです。
カーターは笑顔でしたが、長官はニコリともしません。
「いっしょに写っているのは新しくA国に駐在されることになった日本国大使だ。ふたりのお子さんは、四日前に行方不明になった大使のお孫さんだ。あの場へ残すよう指示したのはおまえだそうだな。今度の博士のことでは大手柄だったが、それはそれ、これはこれだ。」
カーターは、ふたりが日本国大使の孫だったことより、あれから三日も経ってるのに、まだ帰っていないことのほうにおどろきました。エドガーがちゃんと送ってくれると思ったのに。
「ふたりは、あの島で保護されたんではないんですか?」
「いや、調査隊が博士の研究室に入ったときには、子どもたちはいなかった。なにやら、ふたりにおまえが合図していたのを見た、という兵士の証言もある。どこにいるか、こころあたりがあるんじゃないのか?」
「いやあ、もうとっくに家に帰ってるころだと……」
そう思っていたのは嘘じゃありません。
「とっととふたりを探し出して大使のところへお連れしろ! ちゃんと送り届けるまで報告もいらん! これは最優先命令だ!」
怒鳴り声に追い立てられるように、カーターは外に飛び出しました。
カーターはかっこいい二人乗りのスポーツカーを走らせながら考えていました。スポーツカーが走っているのは、砂漠のような平原にまっすぐ続く道です。
調査隊が研究室に入ったときに、ふたりがいなかったのなら、やはりエドガーが地底マシンで連れ出してくれたのです。調査隊の報告書を見ても、エドガーと地底マシンは見当たらず、床の一部が土になっていて、その上に土が積まれていたという報告もありました。おそらく、地底マシンが、地下の土とマシンを置き換えて進んでいった跡でしょう。
だったらなぜ、ふたりは帰っていないのでしょう。なにか事故があったのでしょうか。それとも、エドガーが運転できない機械だったのでしょうか。
あの地底マシンがどんな運転方法なのか、そしてエドガーが運転できるのかどうか。あるいは、なにかの事故があったならどうやったら助けられるか。すべての答えを持っているのはビーン博士だけです。
なにしろ、あの地底マシンは現代の科学では追いかけることができません。地面を掘って進んでるわけではないので、進んだあとにトンネルが残ったりもしていません。マシンの後ろには、マシンの前にあった岩盤がどんどん置き換えられてつまっていってしまいます。同じようなマシンでなければ、追いかけられないのです。
長官が最優先命令だと言ったおかげで、カーターがビーン博士のことを問い合わせると、国家機密にもかかわらず、博士の居場所や境遇が、全部分かりました。ひどい閉じ込め方です。カーターは、ビーン博士がかわいそうになっていました。連れ出すことは許されませんが、面会は許されることになりました。でも、会うまでにいろんなチェックが必要なようで、たいへんみたいです。
建物もなにもないところで、カーターのスポーツカーは、道をはずれて右に曲がりました。この先にある秘密の建物の、地下のシェルターに博士はいるのです。
前方に、建物とそれを囲う金網のフェンスが見えてきました。門があって、そこには番兵が立って・・・・・・いません。
ヘンです。見張りが立っていないなんて。
カーターは門の前で、ゆっくり車を止めました。あたりを見回します。
見張りのための小屋がありますが人影はありません。エンジンを止めて、車から降りてみました。おや、小屋の陰でなにか動いてます。軍人の靴が見えました。ピクピクけいれんしています。
慎重に近寄ってみると、番兵が倒れています。かがみこんで、番兵のあごの後ろに指を当てて確かめると、脈は正常です。気絶しているだけのようです。揺すって起こそうとしたとき、フェンスの中の建物のドアが、バタン、と開きました。
開いたドアからは、ビーン博士が出てきました。ひとりで悠々と歩いています。見張りもなにもついていません。博士は、車をみつけ、カーターにも気が付きました。
「お~お、ちょうどいいところに来たな。う~む。なんだか、四十年前とたいして変わらん乗り物だがこれでもないよりましか」
博士が車に近寄ります。
「博士。閉じ込められていたんじゃなかったんですか? いったいどうやって・・・・・・」
カーターは鍵が壊れているゲートを開けて、ビーン博士が出てくるのを車のそばで待っていました。
「ここのやつらは、あまりにも、老人の扱いがなっておらんので、こいつで懲らしめてやったのじゃ」
博士は地面を指さしました。そこには大きな水たまりがあり・・・・・・博士の横を、博士と同じ速さで動いていました。
「さて、わしが脱走したのを知って、捕まえに来たにしちゃあ早すぎるな。カーターくんと言ったかな。水ロボットに乗って移動することもできるんじゃが、こいつは乗り物ではないから、移動は早くても乗り心地が悪い。その車に乗せていってもらえるかな?」
カーターは考えました。今の自分は最優先命令を受けた任務中です。アスムとサユを大使に届けることが最優先の任務です。博士を逃がしたのは自分じゃなくて、博士がたまたま脱走してきただけです。ここで水ロボットと戦っても任務は達成できません。博士の協力が必要な任務ですから。これはむしろ、カーターの任務にとっては、ビーン博士の協力を得ることができるような、チャンスです……と割り切ることにしました。
本当なら、この状況を長官に報告して、どちらを優先するか、判断を仰ぐべきです。もし長官に、ビーン博士が逃げ出して目の前に立っています、と報告したら、博士を捕まえることが最優先命令になることでしょうけれど。
「『ちゃんと送り届けるまで報告もいらん!』だものな」
長官の顔を思い出すと、クスリと笑い、助手席側にまわってドアを開けました。
「わたしの用事を済ませるのが先ってことでいいですか? 実は相談なのですが……」
ビーン博士とカーターがいるA国では、博士の脱走のほかに、もうひとつ、決してニュースになることがない大事件がひっそりと起こっていました。
そこはA国の大都市の下町。高層ビル群からすこし離れた、古いビルとビルの間のゴミゴミした路地でした。
一匹のネコが、大きなゴミ箱の横から出てきて、路地を横切ろうとしていたとき、ネコのヒゲに、ピリピリ、と電気が走りました。次の瞬間、バリバリバリ! とあたりに稲妻のような光が飛び交って、ネコが叫び声を上げて逃げまどいます。ドカン! と音がしてゴミ箱にずんぐりした円盤がぶつかって稲妻がおさまりました。円盤はなにもない空間から現れたのです。直系が2メートルくらいで、高さは1メートルくらい。表面はすべすべしていて銀色に光る金属のようでした。
ゴミ箱に衝突した円盤から、煙が立ち昇っています。円盤の上のドームが、ぱかっと開きました。中から、十二歳くらいの少年が出てきました。
「いててててててて……あ~あ、壊れちゃったかな?」
少年は、灰色の潜水スーツのような服を着ています。頭を押さえながら、円盤から這い出してきます。円盤の中はとてもせまくて、身体を丸めて乗っていたようです。円盤の中のメカが「ピ・ピ・ピ・ピ」と鳴り出しました。
「や、やばい!」
少年は、あわてて飛び降りると、走って逃げ出しました。ボン! と円盤の中で小さな爆発があって黒い煙が、もやもや、と上がり、火が燃えはじめます。あのまま乗っていたら、大やけどだったでしょう。
「ふう、あぶないあぶない」
少年は、安全な場所まで離れて、服についたほこりを払いながら、あたりを見回します。やがて、斜め上を向いて動かなくなりました。高層ビル群の方を見ながら、呆然としているようです。
「なんだ? ここは? 未来じゃなくて、過去に来ちゃったのかな……?」
少年の後ろでは、火を見つけた人が「火事だ!」と叫び始めていました。やがて遠くから消防車のサイレンが聞こえてきます。
どうやらボヤですみそうですが、円盤は燃えてしまいました。少年にとっては、今は円盤が燃えたことより、あたりの様子の方が一大事のようです。高層ビル群を見ながら、大通りにむかって歩いて行くと、通りの角にスポーツ店がありました。プロバスケットボールの大きなポスターが貼ってあります。今年のリーグ戦開催のポスターでした。そこには、2009年から2010年にかけてのシーズンの試合であることを示すロゴが大きく載っています。
「・・・2010年・・・。どういうことだ?ここはちゃんと、十年後の未来じゃないか。なんでこんな昔みたいな街なんだ?災害でも起きて文明が退化しちゃったのかな?」
彼は、自分の腕の時計のような装置を操作しました。通信を送っているようです。
「誰か応えてくれないかな?この十年間でどうしてこんなになっちゃったんだろう。・・・あ!エドガーの反応だ! なんだ、まだちゃんとエドガーがいるんじゃないか。よかった」
やっと笑顔になりました。けれどこの少年は、エドガーとどうして知り合いなのでしょう。エドガーはずっとビーン博士の島で暮らしていて、外の世界を知らなかったのに。
日本大使館はどこですか?
さて、エドガーといっしょに、地底マシンに乗っていったアスムとサユは、どうしているのでしょう。あの、三日前の、博士の島から逃げ出した直後のころの話からです。
地底マシンの中は、運転席のほかに、小さなお部屋がありました。丸いテーブルとイスが2つ。まわりには飲み物や食べ物を作り出す機械とか、ふわふわ空に浮かんでいるような寝心地の、空気ベッドもあります。この中でしばらく暮らせるようになっているのです
エドガーは、運転席からアスムとサユがいる部屋に戻ってきました。
「とりあえず、深さ3キロメートルまでもぐっておくように指示しました」
エドガーが部屋に来ると、アスムがお礼を言います。
「エドガー、ありがとう」
「ありがとう」
サユもお礼を言いました。
「いいえ、逃げ出せたのは、カーターさんのおかげでしょう」
エドガーは久しぶりに博士の発明品に囲まれて、居心地よさそうです。
「ねぇ、エドガー」
アスムが言います
「このテーブルとイスをご覧よ。テーブルにイスがふたつ用意されてる。博士は、この地底マシンに、エドガーと乗るつもりだったんじゃないかなあ」
エドガーの胸の顔が、テーブルをみつめます。
「・・・そうですね。このテーブルは、毎日午後のお茶のときに、博士とわたしが使っていたものです。そちらが博士の席で、こっちがわたしの席です」
しばらく、博士といろんな研究をしていたころを思い出していました。
「博士はどうなっちゃうのかなあ」
アスムが心配しました。
「博士は、笑って平気そうでしたし、あんまりひどい扱いだったら、ご自分で脱出するでしょう。わたしがなにかすると、また怒られてしまうかもしれない」
エドガーは、博士を心配する気持ちを切り替えて、アスムたちに訊きました。
「それより、あなたたちをおうちへ送らなくては。おうちの場所をおっしゃってくださいな」
アスムとサユは顔を見合わせました。
「おにいちゃん、どこだっけ」
「ちょうど、新しい国へお引越しするところだったんだよね。新しいおうちに引っ越すまでは、ホテルに泊まってたんだよ」
「わたしたち、おじいちゃんと住んでるの」
「おじいちゃんは、大使館ってとこでお仕事するんだ。いろんな国に何度もお引越しするんだ。今度はA国で大使になるって言ってたよ。A国の日本大使館に行けばいいんじゃないかな」
アスムたちは、あたらしいおうちがどこなのか、まだよく知らなかったのです。
「A国の日本大使館ですか。とりあえず、A国まで行ってみましょうか。そこで誰かに、日本大使館の場所を教えてもらうことにしましょう」
エドガーも、博士の島の外のことは、あんまり詳しく知りません。
エドガーが運転席に戻ろうとすると、サユが呼び止めました。
「あ、待って。A国って、カーターさんや、あの怖い兵隊さんたちの国なんでしょう? この地底マシンやエドガーは、鉄砲で撃たれちゃうかもしれないわ」
「うーん、そうか。カーターさんはいい人みたいだったけど、たしかに、他の人たちにエドガーが見つかったら、たいへんなことになるかも」
アスムも心配になりました。
「エドガー。普通の人はね、この地底マシンやエドガーが動いているのを見たら、驚いちゃうと思うんだ。A国についたら、あまり人がいない場所で地上に出て、ぼくたちを降ろしてくれる? ぼくたちが、人を見つけて訊いてみるよ。どうせ今すぐA国へ行っても、おじいちゃんが引っ越すのは、まだ、明日かあさってのはずだもの」
「なるほど、人がいないような場所ですね。わかりました」
エドガーは、博士といっしょにインターネットで見た情報を思い出しました。たしか、おおきな国立公園の様子を博士が見せてくれました。あそこならあんまり人がいないように見えました。自然がたっぷりで、とてもきれいなところでした。
その12時間後、アスムとサユは、大自然の中でふたり並んで景色を見ていました。
背が高い杉の大木の森の向こうに、大きな岩山が連なっています。そこはA国の国立公園の中の、舗装された道路の脇でしたが、もう、1時間あまり待っているのに、車一台通りません。
「おにいちゃん、だれもこないね」
「うん……もうちょっと人里に近いところじゃないとだめかもね」
「ここって、熊さんやオオカミさんとかいないのかなあ」
サユは、もし、熊やオオカミがいたら見てみたい、というつもりで言ったのですが、ほんとうに出てきたら、どうなるか、って想像してしまいました。そして、この場所は、ほんとうに熊やオオカミが出てきそうなのです。
ふたりは怖くなってきました。
「エドガーのとこへ戻ろう!」
「あ、待ってよ! おにいちゃん!」
アスムが森に向かって駆け出し、サユも追いかけていきます。直径が5メートルくらいありそうな杉の大木の向こう側に、地底マシンとエドガーが待っています。
「エドガー、だめだよ、ここ。だーれも通らないよ」
「もうちょっとだけ。ちょっとだけ人がいるとこへ行ったほうがいいと思うの」
ふたりは、先を争うようにエドガーに訴えかけました。
地底マシンは、その中で十分暮らしていけるものが、すべて揃っていましたから、不便はありません。今日一日、いろいろびっくりすることを経験したふたりは、地底マシンのベッドの中でゆっくり眠ることにしました。
次の日は、広い農場があるところへ行きました。今度は、1時間ぐらい待っていると、大きなトラクターに乗ったおじさんに会うことができました。
おじさんにアスムが訊きました。
「日本大使館はどこか知りませんか?」
おじさんは知らないようです。
「日本? 知らないなあ。どこの州の町なんだい?」
「いいえ、日本は国です」
「うーん、町の方へ行きゃあ、だれか知ってるかもしれないなあ。それよりぼうやたちは、どうやってここへ来たんだい? 町からは20キロもあるぞ。町まで送って行ってやろうか」
ふたりはあとずさりしました。
「え、あ、いいんです。ありがとうございました。」
「ありがとうございました」
ふたりはペコリとおじぎをして、走ってその場を逃げました。地底マシンは、そのちょっと先で、上のハッチだけを地面から出して停まっていました。エドガーの手を借りて、ハッチから中へ入りながら、アスムが言いました。
「もっと町に行かないとわからないって」
「でも、町に行ってもだいじょうぶなのかしら」
サユは心配そうです。
「さっきのおじさんに怪しまれちゃったから、ここから離れたところの町へ行こうよ」
アスムが提案しました。
今度は、荒野の真ん中にある小さな町でした。まっすぐな道路が一本、東西に走っていて、町の真ん中を通っています。
アスムとサユは、その道路の端を、手をつないで町に向かって歩いていました。地底マシンがみつからないように用心したため、エドガーと地底マシンは、町はずれから500メートルほど西の、道から見えない窪みの中に停まっています。
「おにいちゃん、暑いよ」
サユはポタポタ汗をかいています。
「がまんがまん。エドガーが人に見つかって撃たれたらたいへんだろ?」
アスムも汗をかいています。
実際には、エドガーは鉄砲で撃たれたくらいでは、かすり傷もつかないほど頑丈にできていましたし、地底マシンは、マグマの中も走れるようにできているので、爆弾やミサイルにもびくともしないものでした。でも、そんなことはアスムやサユは知りません。エドガーも、自分たちの丈夫さは知っていても、島の外の世界の、武器の弱さは知らなかったのです。
ふたりが、ようやく町外れについたころ、大きなトラックが何台も連なって、ふたりを追い越して走っていきました。
トラックの群の先頭の車は、町に入ったところのガソリンスタンドに停まりました。あとのトラックもそれに続いて停まります。順番に給油しているようです。車の列は、町の外まで続いていました。
ふたりは、並んで停まっているトラックの横を歩いて行きました。それぞれのトラックの運転席からは、思い思いの音楽が大音量で流れています。その音を掻き消すような、トラックのエンジンの音もしています。
窓が開いていて、顔を外に出している運転手がいました。かざりのついたカーボーイハットをかぶって、窓から外に出している腕には、すごいイレズミがあります。
アスムはその人に声を掛けました。
「すみません! あの! すみません!」
なんとか聞こえたようです。帽子のつばを人差し指で上げて、アスムたちを見下ろしています。
「あ?」
「あの! おじさんは、日本大使館ってどこだか知ってますか?」
「あ? 日本? おお! この車、日本製だぜ。だからって日本に詳しいわけじゃないがな。がはは」
ごっつい腕で、バンバン! とドアを叩きながら答えてくれます。
「多分、このまんま東のほうに走っていけば、あるんじゃないかな? おれたちは首都のほうへは行かないんだけど、政治のことなら多分そっちだ。どうした、ぼうず、家出か? ヒッチハイクか?」
見かけによらず、気のいい人のようです。
「いえ! 場所が知りたいんです。ええと、その場所の座標はわかりますか?」
アスムの問いかけに、おじさんは目をパチパチしています。
「ざ、ざひょう? なんだ? それ」
アスムは、エドガーに言われたことを思い出しながら言います。これがわかれば、地底マシンでその場所に行けると、エドガーが言っていたのです。
「ええと、緯度と経度のことです。・・・・・・それか……ええと」
アスムが忘れたので、サユが横で教えてくれます。
「ホウガクとチョクセンキョリよ、おにいちゃん」
「あ、そうそう。ここからの正確な方角と直線距離でもいいんです」
しばらくおじさんはかたまっていました。自分はそれに答えられないようです。でも、おじさんはアスムたちのために真剣になっていました。
「まってろよ、ぼうず、だれか知ってるはずだからな!」
おじさんはトラックを降りて、後ろのほかのトラックへ歩いていきます。運転席の横に来るたび、ドアをバン! と叩いて仲間の注意を引きながら、大声で次々に訊いていきます。
「おい! だれか首都の座標を知らないか? 緯度と経度だ! それか、方角と直線距離だ! だれかわかるやつはいねぇか!」
ドアを叩かれた車の運転手さんが、順に窓から顔を出し、仲間の真剣そうな様子を見て、ぞろぞろと車を降りてきます。
十台ほどのトラックから、運転手さんたちが降りてきて、道端で立ったまま、議論をはじめました。みんな真剣な顔です。あたらしい仲間が議論に参加するたび、最初の運転手さんが、アスムとサユを指さし、あの子たちの頼みなんだ、と説明しています。そのたびにアスムたちは身が縮む思いをしていたのですが、運転手さんたちはすごく真剣でした。
アスムとサユは怖くなってきちゃいました。エドガーから渡された通信できるシールに向かって、こっそり呼びかけました。それは、地底マシンを離れるふたりと、エドガーが通信するために、ありあわせのものでエドガーがちょちょいと作ってくれた通信機で、小さなばんそうこうのような形でした。アスムの右手の甲に貼ってあります。
「エドガー、なんだかすごいことになっちゃった。人が集まってる。助けにきてよ」
そこまでしゃべったとき、最初の運転手のおじさんが、ふたりの方へ、のっしのっしと歩いてきました。その後ろからは、議論に参加していた運転手さんたちが、ぞろぞろ付いてきていました。みんな真剣な顔なので、子どもにとっては逆に怖い感じがします。
「おい、ぼうず! ぼうずが言っていた座標っていうのがわかるやつはいねぇんだがな、あのスタンドに行きゃあ、でっかいロードマップっていうのがあって、国じゅうの道が載ってるのもあるんだ」
「それに、スタンドならパソコンでインターネットも調べられるから、座標がわかるかもしれないぞ」
別のおじさんが肩越しに付け足します。このおじさんは、髪の毛をぜんぶそっていて、頭にドクロのイレズミをしています。このおじさんたちが言っていることは、とっても重要なことで、この話がエドガーにそのまま伝われば、すべて解決していたかもしれないのですが、残念ながらアスムとサユにはどういう意味か分かりませんでした。
アスムとサユは、スタンド、と指差されたほうを見ました。
スタンドは、警察署の隣でした。
ふたりは、直感的に、「まずい!」と思いました。
「あ、いいです! ごめんなさい!」
「ありがとう! ご親切に!」
ふたりは、その場を走って逃げ出しました。
「え、おい待てよ! いいのか?」
おじさんが呼びかけるのを振り切って、道から離れます。50メートルほど離れると、エドガーが迎えにきていて、地底マシンの入り口が地面にぽっかりあいています。
ふたりが地底マシンにもぐりこむと、運転手のおじさんたちからは、穴か何かに落ちたように見えました。
「あ! おい、たいへんだ!」
運転手さんたちが、どどどどど、とみんなで駆け寄ります。でも、そこには穴もふたりの姿もありませんでした。
運転手さんたちが、ふたりのことを探し回ったり、幽霊じゃないかと話し合ったりしていたころ、ふたりはエドガーと情報伝達をしていました。
「東の首都にあるんじゃないかって」
おじさんたちはあんなに一所懸命だったのに、これだけしかエドガーに伝わりませんでした。
そうやって、すこしづつ、人の多い場所で話を聞いて、やっとそれらしい答えが聞けたのは、島を出てから三日目でした。なかなか情報集めが進まなかったのは、人目が多いところでは、地底マシンから降りるところを見られないようにするのがたいへんだったからと、アスムとサユがふたりだけでいると、警察につれていってあげようとする親切な人がいて、そういうときふたりは逃げなきゃいけなかったからです。
警察に行けば、ふたりはおじいさんのところへ帰されるかもしれませんが、エドガーは行くところがなくなってしまいます。ふたりは、おじいさんにお願いして、エドガーといっしょに暮らそうと思っていたのです。
さて、やっとのことでわかったことは、A国の首都に行けば、よその国の大使館があるということと、首都のだいたいの場所でした。
でも、教えてくれた人と、地底マシンを運転するエドガーの間に、アスムとサユをはさんでいるので、ふたりが正確に伝えてくれていないと、また、違うところへ行ってしまうかもしれません。
エドガーが自動操縦をセットして、アスムたちとテーブルを囲んでくつろいでいたときです。エドガーは、急に、自分を呼ぶ通信を受け取りました。
「あ、呼んでる!」
エドガーは、目も鼻も口も耳もない、ラグビーボールのような頭の両側を手でおさえて、聞き耳を立てるポーズをとりました。
「これは、博士が使われる通信用の波動です」
今、地底マシンは地下2キロを走っています。普通の電波では届いたりしません。
「博士からなの?」
「なんて言ってるの?」
エドガーはしばらく聞いているようでしたが、難しい顔をしています。
「ただ、わたしを呼んでいるだけです。どういうことでしょう」
「行ってみようよ。博士が自由になってエドガーを呼んでるのかもしれないよ。どこで呼んでるの?」
「・・・・・・そうですね。ちょっと寄り道になりますがいいですか? A国の首都じゃないみたいです。ええと、A国で一番の大都市のようですね。そんなに遠回りにはなりません」
この三日間の聞き込みで、結構A国つうになっていた三人でした。A国がとっても広いことや、一番の大都市が首都ではないことは、もう知っていました。
二十分ほどで、波動の発信源の真下につきました。
「大都市じゃあ、人に見られないようにするのは無理だよね。さっと行って、博士を乗せて、さっともぐっちゃえば?」
アスムの案が採用になりました。真上に人がいないのを確かめて、地底マシンが浮上します。地底マシンは、進む方向の空間とマシンを入れ替えて進みます。だから、下から上ると、最後の一歩は岩や土がない空間と置き換わって地上に出ます。そのままだと入れ替わってできた穴に落ちてしまうので……というか、これまで落ちてしまったことがあるのですが……さらに一歩前に進みます。だから、地上に出たときは地底マシンの後ろには、マシンがすっぽり入る大きさの穴が開いているのでした。
そこは、高層ビルに囲まれた広い公園でした。てっきり博士が待っていると思って、三人は地底マシンの横のハッチを開けました。ところがそこにいたのは、あの、円盤に乗っていた少年でした。
「あれ? 博士じゃないや」
アスムが言います。
「あなたがわたしを呼んでいたのですか? どうして呼んでいたんです?」
エドガーがたずねました。その腰のあたりからサユも顔を出していました。
「エドガーのお知り合い?」
サユがエドガーの名を呼んだのを聞いて、少年が言いました。
「エドガー? エドガーって、きみ、どうしてロボットになっちゃったの?」
エドガーたちは、エドガーを呼んでいたのが博士じゃなかったことに驚き、少年の方はエドガーがロボットだということに驚いているようでした。
あたりが騒がしくなってきました。街の人たちが遠巻きに見て、いろいろ言っています。なにしろ見たことがない乗り物が地下から現れて、変な格好をした少年と、おかしなロボットが話しているのです。
ただ、アスムやサユが心配したように、鉄砲で撃とうっていう人はいないようです。大都会の人たちだったので、これはなにか新手の宣伝だって思ったのです。携帯電話のカメラで写真を撮ったりしながら、これから何が始まるのか見物しています。新しい車の宣伝か、それとも、有名ロック歌手のライブが始まるのだと思っているのでした。
でも、少年やエドガーやアスムやサユは、そんなこととは思いませんでした。このままここにいたら、つかまったり撃たれたりしてしまうと思ってしまいました。
「エドガー! 人が集まってきたよ! もぐろう!」
「はい! あ、でも彼は?」
サユが少年に手を差し伸ばします。
「あなたも乗って!」
少年も迷ってはいられませんでした。すばやくハッチに飛び込みます。ハッチが閉まって、ドリルが「ヒュィィィィン」と回り始め、地底に向かって。パッ! と消えて土と入れ替わりました。後にはマイクロバス一台分の土の山と、地上に出るときに開いたマイクロバス一台分の穴が残りました。
「おおお!」
「すごいすごい」
まわりの観客から拍手が起こりました。どうやらみんな、マジックショウの街頭パフォーマンスだと思ったようです。家に帰ったら、テレビで、マジックショウ開催のコマーシャルがあって、今日のパフォーマンスの映像が流れるしくみなんだと納得していました。最近の宣伝は手が込んでいて、なんでもアリなので、こういうことにはみんな慣れてしまっているのでした。
過去から来た少年
地底マシンの中では、少年と三人が向き合っていました。少年はマシンの中の博士の発明品を見回し、エドガーを見ました。
最初に、沈黙に我慢できなくなって口を開いたのはサユでした。
「はじめまして。わたしサユ。おにいちゃんのアスムと、お友達のエドガーよ。あなたがエドガーを呼んだの?」
「たしかにエドガーに信号を送ったけど、それはエドガーに迎えをよこしてもらうためで、呼んでいたわけじゃないし……彼とは人違いなんじゃないかと思うんだ」
少年は、円盤を降りてからというもの、異世界に来たように落ち着かなかったのですが、この地底マシンの中に入って落ち着いたようです。
「ぼくはジョンっていうんだ。二十世紀からタイムマシンで未来を見にやってきたんだよ」
「タイムマシン?」
アスムはタイムマシンのことを、漫画や小説で読んだことがありましたが、ずっと未来の話だと思ってました。でも、今は二十一世紀だから、二十世紀と言えば昔のことです。
「二十世紀にタイムマシンがあったの?」
「まだ、1号機ができたばかりで、ぼくが、はじめての時間飛行のテストパイロットだったんだ」
「まだ子供なのに、テストパイロットなんだ」
自分より子供のアスムに言われて、ジョンはちょっとムキになりました。
「子供っていっても、ぼくはもうすぐ大学院を卒業する、りっぱな研究所員だもの。まあ、テストパイロットに選ばれたのは、1号機の運転席が狭すぎて、大人が乗れなかったからだけど……」
「へぇ、すごいんだ」
アスムとサユはなんだかわからないけど感心していました。
「すごいって言えば、きみたちは何なの? さっきまでいた町は、まるで昔の世界みたいに科学が遅れていたけど、この乗り物や中のものや、そのエドガーさんは、ぼくが住んでたところと同じような科学や、もっと進んだ科学が使われてるみたいだね。この十年で、世界はまたバラバラになって、地域格差ができちゃったの?」
話がうまくかみ合いません。世界がバラバラになった、っていうのはどういう意味でしょう。世界はひとつになったことなどないのに。
「よくわからないけど、ここにあるようなすごい発明品は、外のどの国にもないと思うよ。エドガーもこの発明品も、ビーン博士って人が、無人島でひとりで作ったものなんだ」
「ビーン博士が無人島にだって?!」
ジョンはビーン博士を知ってるようです。驚いているポイントは、博士が無人島にいたことのようです。しかもすごい驚きかたでした。
「いったい、いつからそんなことになってしまったの?!」
「40年前からですよ」
「40年?! っていうとぼくの時代の30年前じゃないか! そんなのおかしいよ」
「なにがおかしいのですか?」
「だって、ビーン博士が世界統一政府をお作りになったのは25年前、今からなら35年前じゃないか。40年前っていうと、博士が当時のA国科学者協会で、科学者による世界統治を提唱なさったころだ!」
しばらくジョンとエドガーは、どういうことが起こっているのか考えていました。アスムとサユは話についていけません。
「……どうやら、ジョン君の歴史と、今のこの歴史は違っているようですね」
「ビーン博士が40年前に行方不明になってしまったこの世界の歴史と、行方不明にならなかったぼくの世界の歴史だね。ぼくは十年未来にタイムトラベルしただけじゃなく、違う歴史をたどった世界へ来てしまっているんだ」
ジョンとエドガーは、なんだか納得してうなずきあっています。でも、サユにはわからないので、別のことを訊ねました。
「ジョンのとこでは、エドガーってどんなエドガーなの?」
「ぼくの時代では、エドガーを知らない人はいないよ。エドガーは、ビーン博士がお作りになられた世界コンピュータだよ。世界の二百億人の人たちを同時に世話することができる大コンピュータなんだ。この時代でもエドガーに呼びかけたら通じたから、ぼくを家か研究所へ連れていってほしくてコールしてたんだ」
「ところが、この世界では、エドガーと言えば博士の助手ロボットのわたしのことだったわけですね。通信手段やコール信号が同じだったのは、どちらも博士がお考えになったものだからですね」
「ぼくの世界だと、博士の助手は十二人の科学者だよ。ぼくは研究所員としては下っ端で、博士と直接お話ししたことなんてないけれど、ぼくのおとうさんは十二人の助手のひとりで、博士の主席助手なんだ」
ジョンはおとうさんのことを自慢していて、家族のことを思い出してしまいました。
「どうしよう。タイムマシンは燃えちゃったし、未来ならタイムマシンになにかあっても大丈夫だと思ってたのに。十年前より科学が遅れてるなんて、元の世界へ帰れるんだろうか」
落ち込んでるジョンをサユがはげまします。
「なるようになるわ。おじいちゃんがいつも言ってるの。あ、そうだ! ビーン博士ならなんとかできるんじゃないかしら!」
「サユ、たしかに博士ならなんとかできるかもしれないけど、博士はA国の兵隊に捕まって、どこにいるかわからないじゃないか」
アスムもおじいさんに「なるようになる」って教え込まれていますが、博士になんとかしてもらうのは、とても難しそうです。
ところが!
「あ! 博士が呼んでる。今度はまちがいなく博士だ!」
エドガーが立ち上がって叫びました。そして、エドガーは博士からの呼びかけを音声で、アスムやサユやジョンにも聞かせてあげました。
『こら、エドガー。いったいどこにおるんじゃ。子供たちはいっしょか?いっしょなら今すぐ島の海底研究室まで戻って来い。もたもたするな。地底マシンの緊急加速装置を使えば、地球のどの地点からでも5分で来られるはずじゃ』
「はい! 博士! すぐに行きます」
通信は一方通行で、エドガーの返事は向こうに伝わらないようですが、博士の声を聞いて、エドガーは大喜びです。やはり博士のことがずっと心配だったのですね。あわてて運転席へ向かいます。そして、ジョンとサユは手を取って喜び合いました。 ひとりあぶれたアスムはつぶやきました。
「ほんとだ、おじいさんの言ったとおりだ。なるようになっちゃったや」
タイムトラベルのなぞ
ビーン博士の島は、A国による調査の真っ最中でした。A国海軍の船が島を幾重にも取り囲み、砂浜ではブルトーザーやショベルカーが砂ロボットや岩ロボットを集めています。ついこの間まで、人間は博士ひとりしかいなかったこの島は、いまでは千人以上の人が、調査のために上陸していました。
ビーン博士とカーターは、カーターのスポーツカーで大きな川まで走り、そこからはスポーツカーに乗ったまま、水ロボットに運ばれてすごいスピードで水の上を走ってきました。島の近くまで来ると、海軍の船にみつからないように、大きなあぶくで車を包み、そのまま海の中へもぐって来たのです。
島には、海中に入り口があって、そこからしかいけない研究室が、海底研究室です。いずれA国の調査隊が潜水艦で入り口を発見するかもしれませんが、今は地上ばかり調べているので安全です。ここは地上からの入り口がない場所なのです。
ビーン博士は、カーターとの約束を守り、まず、子供たちを捜す手伝いをしてくれました。エドガーへの通信を送ってくれたのです。エドガーから返事を送る手段はないので、受け取ったかどうかはわかりませんが、ビーン博士は、エドガーがすぐに戻ってくると自信を持ってカーターに言いました。
そして、ちゃんと、エドガーは3分もたたないうちに海底研究室にあらわれました。
研究所の床から地底マシンが飛び出し、例によってすぐ前の空間とマシンを置き換えて穴の前に停止しました。その様子を見て、博士が感心しました。
「ほほう。さすがエドガーじゃ。うまい運転方法を考え出したな」
実は地上に出るときの問題は、博士も気がついていたのです。最後の1回、土がないところとマシンを入れ替えてしまうと、マシンが穴の上に浮かんだ状態になって、放っておくとマシン一台分の深さの穴に落ちてしまう問題です。博士は、地底マシンで地上に出るときは、斜面や崖を使って、上向きじゃなく前向きに進んで地上へ出るのように考えていました。平らな土地では、真上に向かって地上に出ずに、斜めに上ってくるつもりでした。その方法より、エドガーの方法のほうが、スムーズに地上へ出られます。
地底マシンの横のハッチが開いて、エドガーと子供たちが降りてきました。おや? 子供がひとり増えていますね。ジョンのことは、ビーン博士もカーターも知りません。
ジョンは、ビーン博士に会える、と、喜んでいたのですが、いざ、ビーン博士の前に出たときに、ジョンが飛びついていった相手は、ビーン博士ではありませんでした。
「おとうさん! ぼくだよ! ジョンだよ! 十年前からタイムマシンで着いたんだ!」
抱きつかれたカーターは困ってしまいました。泣きながら喜んでいる少年は、たしかに自分の子供のころとそっくりです。でも、
「いや……、きみ、人違いだと思うよ。ぼくには子供はいないし、結婚もしてないんだ」
ジョンはそれを聞いて、今度は悲しくて泣き出しました。
「そんな! じゃあこの世界では、ぼくは生まれてないの?」
横で聞いていたビーン博士が声をかけます。
「うーむ。タイムマシンとは興味深い話じゃな。ま、ゆっくりそっちで話そう。そっちの部屋じゃ。まだ、客が来たことはないんで椅子は二つしかないんじゃがな。この島の部屋はどこもそうなんじゃ。みんな来て適当なものに座りなさい」
二つとは、もちろん博士とエドガーのぶんってことでした。この島では、ずーっと、椅子に座るのは博士とエドガーだけだったのですから。
地底マシンが着いた大きな部屋のとなりの、すこし小さな研究室に、みんな移動しました。そこも、いろいろな発明品が置いてある場所でした。博士のデスクは、廃船から持ち込んだらしい古い木のデスクでした。
「みんな適当な場所に座りなさい。発明品に気をつけてな」
言われる前に、ちょうどいい高さの木箱に座ったアスムは、勢いよく座りすぎて木箱の上にあったものを落としてしまいました。「ガチャン!」落ちたのは、小さなアンテナのようなものが無数に生えたきんぎょばちのようでした。
「発明品に気をつけて、と言ったろう」
博士は、アスムを指差してしかりましたが、あんまり怒っているようではありません。
「ごめんなさい」
アスムは素直に謝りました。落ちたものを拾おうとするとサユも手伝ってくれました。床から持ち上げたとき、ポロッとなにか落ちました。小さな5ミリくらいのアンテナがひとつだけ取れて落ちたのです。アスムとサユは顔を見合わせましたが、そのことを博士に告白する前に、ジョンのタイムトラベルについての話が始まってしまっていたので、あとで告白することにしました。
ジョンは泣き止んでいましたが、まだ落ち着かないようでした。研究室では、カーターの横にくっついて、同じ木箱の上に座りました。カーターが自分のことを知らなくても、ジョンにとってはおとうさんと同一人物なのですから、そばにいると少しでも落ち着くのです。
「ぼくは、スン教授の研究グループで、タイムマシンの実験に参加していたんです。2000年に一回目の有人実験が行われることになり、ぼくがパイロットになりました。最初の実験では十年後に行ってみることになりました」
みんなが座っている横で、エドガーが飲み物を用意していました。といっても、コップは人数分ありませんから、ビーカーやらなにやら、実験用の容器に注いで渡します。
「ところが、ぼくが着いたのは、たしかに十年後ですが、歴史が異なるこの世界だったんです。どうやら、ビーン博士が行方不明になった世界と、ならなかった世界の違いらしいんです」
「ほほう」
ビーン博士はさらに興味を持ったようです。
「むこうでは、わしは歴史にどんなふうにかかわるんじゃ?」
「かかわるもなにも、ビーン博士こそが歴史を作られたんです。博士は科学者による世界統治を提唱なさって、実際に世界統一政府を作って世界を治めてきたんです。博士が発明した『頭脳活性機』でたくさんの天才科学者が生まれて、さまざまな方面で科学が発展しました。タイムマシンを考案したスン教授もそのひとりです。そしておとうさんも」
ジョンはとなりのカーターの顔を見上げました。
「とうさんは、大学生のときに『頭脳活性機』で能力を活性化されて、今ではビーン博士の主席助手をやってるんです」
「なるほど、主席助手か。こっちでもそっちでも気が合うようじゃな、カーターくん」
カーターはほめられてるのか、からかわれているのか困った様子です。
「大学には行かなかったよ。軍隊の学校に入ったんだ。そこで情報局にスカウトされた。大学に行きたかったけど奨学金がもらえなくてね」
「じゃあ、ぼくがこっちの世界で生まれなかったのも博士の失踪のせいなんですね。おとうさんは、ビーン博士の特別奨学金を受けて大学に入ったんだし、おかあさんとも大学で出会ったんだもの」
「ふむ、じゃが、そっちの世界のわしは、このわしよりも優秀なのかの。なあ、エドガー。たしかわしも『頭脳活性機』を作ってみたが、失敗作だったんじゃよな」
「ええ、ご自分に試してみたけど、効果がないとおっしゃってました」
ジョンがその会話にとびつきました。
「そ、それ有名なお話です! 歴史の授業で習いました。博士は最初にご自分に試して、効き目がなかったんですが、それは、実は博士の頭脳がもう十分に活性化された頭脳だったので、それ以上にならなかっただけなんだって。失敗じゃなくて、博士以外の万人に効果がある大発明なんです」
その話を聞いて、しばらく博士は『頭脳活性機』を試したときのことを回想してみました。
「……エドガー、たしかあれは……」
「壊して別の発明の部品にしてしまわれましたよ」
「うーむ。失敗作の設計図は残してないしな。もったいないことをした。ま、この島にいた間は、ほかの人間向けの発明じゃあ意味がなかったがな」
博士はあんまり気にしていないようです。
「ねぇ博士。ジョンを元の世界に戻してあげられる?」
サユが訊ねます。
「うーむ」
博士はちょっと考えて、質問をはじめました。
「おまえさんが乗ってきたタイムマシンはどうなった?」
「着いたときにぶつかった衝撃で発火して、燃えてしまいました」
「ふむ……ひょっとして、タイムマシンというのは円盤のような形をしておるのかな?」
「ええ!ええ、そうです。原理がお分かりになるのですか?」
ジョンは期待をこめて訊きました。でも、博士の答えはあっさりしていました。
「わからん。タイムマシンというものを作ろうとは思わんしなあ」
「じゃあ、どうして円盤型だと?」
カーターが尋ねます。
「わしの主席助手のくせに、わからんのか?」
そんなこと言われても、主席助手なのは、あっちの歴史で『頭脳活性機』にかけてもらったカーターです。でも、こっちのカーターもなかなかのモノです。すぐに、エドガーに聞いた話を思い出しました。
「あっ! 円盤って、博士を40年前に撃墜した……タイムマシンだったんですね?」
「おそらく正解じゃ。そのタイムマシンは、ジョンくんの歴史の流れから、1970年にタイムトラベルした。ジョンくんより後で、現在よりも前にな。2002年か3年か9年か、いつかはわからんがな。そいつが歴史を変えるためにわしを攻撃した。まんまと成功して、歴史は変わってしまった。まあ、1970年で時間の流れが枝分かれしたようなものじゃ」
「どうしてジョンより後で今より前なの?」
アスムはがんばって質問してみました。
「ふむ。その犯人は、わしが世界統一政府を作った歴史の枝からさかのぼった。で、歴史を変えたからその枝はその先伸びなくなった。わしがおらんのでは世界統一政府はないんじゃからの。そのかわりに伸びた歴史の枝が、今の歴史じゃ。ジョンくんはあっちの枝から未来へ出発した。つまり、2000年にはまだあっちの枝の先がある。しかし2010年まではあっちの枝が伸びてないから、こっちの枝の2010年に来てしまった。つまりあっちの枝の先は2000年から2010年の間で止まっとる」
博士はやさしく説明してくれたのですが、アスムにはちょっとむずかしかったようです。でも、カーターやジョンには理解できました。
「じゃあ、博士。どうやったらジョンは元の世界へ戻れるんです?」
カーターが尋ねます。
「ふーむ、理論的には簡単じゃが、問題がたくさんある。ま、理論を先に言えば、じゃ、まず、歴史が枝分かれする前の1970年に行って、わしが撃墜されないように助ける。そうすると、わしが世界統一政府を作る枝が伸びる。これは実は3本目の枝なんじゃが、最初の枝とそっくりのはずじゃ。2000年を超えたあたりで、わしを撃墜したやつがタイムトラベルするが、それは邪魔しちゃいかん。そいつが1970年に行ったけれども、わしが助かった、というのがこの3本目の枝なのじゃから」
その場の全員がうなずきながら聞きます。アスムとサユもなんとなくうなずいています。
「それで、問題っていうのは?」
ジョンが訊ねました。
「まずは、1970年に戻る方法じゃ。タイムマシンは残っとらん。作れるのはスン教授じゃが、ただのスン教授ではなくて、わしの『頭脳活性機』で天才になったスン教授じゃ。この時代のスン教授がみつかったとしても、わしの『頭脳活性機』がない」
「でも、まあ、もしなんとかタイムマシンができたとしよう。1970年に行って、あの円盤に勝つだけじゃなく、わしにそのことを気付かせないようにやらにゃならん。わしが何か気付いたら、歴史が変わるかもしれんからの」
「さらに心配なことがひとつ。その犯人が今もこの時代にいるだろうということじゃよ。わしがずっと島に隠れていたから、わしが生きているのは知らんかったかもしれんが、この数日のA国の動きで知ったかもしれん。犯人は、あっちの歴史の二十一世紀の科学を身につけておるんじゃから、やっかいじゃ。ジョンくんがこっちの歴史に来ておることだって犯人は知っておるはずじゃ。ジョンくんが出発した2000年のあっちの歴史を体験しておるからな。せめてもの救いは犯人は犯行後40歳も歳を取ったっていうことじゃが、ジョンくん、あっちの老人はどうかな?」
「みなさんお元気ですよ。科学の進歩で、人間の平均寿命は150歳を超えるだろうと言われています。100歳を超えるスポーツ選手もたくさんいらっしゃいます」
ジョンが答えました。さすがビーン博士です。あっちの世界の様子が分かっているみたいです。
「ふむ、このへんまでは、まあ、なんとかなる問題じゃ。ここからがむずかしい。つまり問題は、どこに帰るか、というか、いつに帰るか、ということじゃ」
「2000年から来たんだから、2000年に帰るんじゃないの?」
アスムが不思議そうに言いました。
「だめじゃだめじゃ。ジョンくんが今ここにいるのに犯人が過去へ行ったということは、犯人が出発するまでジョンは帰らなかったという証拠なんじゃ。だから帰るんなら2010年あたりじゃ。しかし、この2010年には、3本目の枝の歴史のジョンくんもやってくる」
「え?ジョンがふたりになっちゃうの?」
サユが訊きかえしました。
「本当の意味で、ここにいるジョンくんがその歴史の流れに『帰る』には、その3本目の枝のジョンくんは邪魔者じゃ。2000年に帰ってもらっては困るし、説得でもして2010年に留まってもらったとしても、居場所は1人ぶんしかない」
ジョンも、博士が指摘する問題の大きさがわかってきました。博士はわざと逆に言いましたが、3本目の枝の歴史にいるジョンの家族は、その3本目の枝のジョンのもので、自分のほうこそがよそ者なのです。
ジョンはうつむいてしまいました。これでは彼には帰る場所はないことになります。
ジョンが暗くなったのをちらりと見たビーン博士は、声を大きくして、わざとおおげさに言いました。
「で、最後にひとつ最大の問題がある」
みんなが注目します。ジョンも顔を上げました。
「わしにやる気がないっちゅうことじゃ。ジョンくんには申し訳ないが、わしはこっちの歴史のほうが好きじゃ。あっちのわしは、その~なんというか、成功しすぎじゃ。そんなに簡単に世界を征服できてどうする」
「あ、いや、博士は世界征服したわけじゃなくて・・・」
ジョンは否定しますが、博士にとっては同じことのようです。
「うまいこと言いくるめて世界統一政府とかを作って、ちゃっかり自分が指導者になるっていうのは、言葉による征服にちがいない。しかも、なんちゅう楽な征服じゃ。面白みもなにもあったもんじゃない」
「でも博士、あっちの歴史なら、博士がきらいな戦争もなくて、平和で科学が進んだ世界なんでしょ?たくさんの人が助かるんじゃないんですか?」
アスムの言葉に、博士は困った顔をします。どう説明したらアスムが分かりそうか、と困ったのです。
「ふ~む。これはな、事故を未然に防いで、たくさんの人の命を助けてあげる、とかいうことではないんじゃよ。それぞれが歴史なんじゃ。たしかにあっちが本物かもしれん。だが、こっちも嘘じゃあない。さっき言った修正を行えば、こっちの歴史のほうはあり得ないものになってしまう。こっちのわしの島での生活は無かったことになるし、きみたちだって生まれてないかもしれないんだぞ」
博士の説明は難しかったのですが、アスムはひとつ思い当たりました。
「あ、そういえば、あっちではロボットのエドガーはいないって・・・。エドガーが生まれなくなっちゃうんだ」
アスムはどっちがいいかわからなくなってきました。しょんぼりしたアスムを元気付けるように、博士が陽気に言います。
「それにな、こっちの歴史だって、これから平和で科学が進んだ世界になるぞ。わしが世界征服するからな」
「まーだ、あきらめてないんですか?」
カーターがあきれて言いました。
「ふぁっはっはっは。それでは、第二計画発動じゃ」
博士は立ち上がって両手を広げました。
世界征服第二計画発動!
博士が両手を広げたのが合図だったのか、博士のまわりの空間に、テレビの画面のようなのが浮かび上がって、島の様子を外から映し出しました。画面は4つあって、それぞれ島を見る角度が違います。
それぞれの映像が映し出す場面の中心は島の海岸近くの海面です。そこから白いしぶきを上げて、4台のロケットが飛び上がりました。
すごいスピードで空高く飛んでいきます。映像は角度を変えて、ロケットが宇宙へ向かって飛んで行く場面をとらえました。ロケットは煙を噴出したりしませんし、アスムたちが知ってるロケットのように炎を出したりもしていませんでした。どうやってとんでいるかを理解できたのは、博士とエドガーとジョンだけでしょう。
島を調査しているA国の調査隊は、いきなり飛び上がったロケットに驚いていましたが、どうすることもできません。
「いったい何を打ち上げたんです?」
カーターが博士に詰め寄りました。
「安心したまえ。爆弾や細菌などという、低俗な脅しや破壊はせんよ。あれは衛星になって地球全体を囲うんじゃ。そして、ある波動を地上のあらゆる場所に送り始める。たとえ地下5キロにもぐっても、この波動からは逃げられん」
「その波動に当たるとどうなるんですか!」
カーターはなおも詰め寄りました。博士は、その迫力にすこしびびってしまいました。
「お、おちつきたまえ、カーターくん。たいしたことはない。ちょっと、気持ちの置き換えをするだけじゃ」
世界征服する手段なのに、たいしたことがないなんてありえませんよね。
「人間の征服欲ってやつを眠気に置き換える波動なんじゃよ」
「眠気ですって?」
「そうじゃよ。征服欲が強い者ほど、ぐっすりと寝てしまうのじゃ」
博士は自信満々になりました。
「この世界には、わしの世界征服をじゃまするやつが多すぎる。そいつらをまとめて眠らせてしまうのじゃ。征服欲というのは、他人を力でねじふせて、自分の思い通りにしたいという欲のことじゃ。利用する力にもいろいろある。腕力に権力、武力や言葉の力もそうじゃ。ひょっとすると、大人はみんな持っておるかもしれんな。ふぁっはっはっは・・・」
「だめよ! そんなの! 大人がみんな、急に寝ちゃったらたいへんなことになるわ」
サユが博士の笑いをさえぎりました。博士は今度は余裕たっぷりです。
「お譲ちゃん、そう言うだろうと思ってたよ。『バスの運転手さんが、運転中に急に眠くなったらどうするの?』とか言うつもりじゃろ?」
博士が笑って言いました。サユは自分が言おうとしていたことを言われてふくれっつらになりました。
「そういうご指摘はごもっとも。そこでわしは波動に改良を加えておる。波動をあびても、人の命をあずかるようなことをしておる最中の場合は、眠気はすぐには襲ってこないんじゃ。その仕事をさっさと片付けてから眠りたい、と思うだけでな。危ない場所にいたり、立ってる人間が、すぐ眠って倒れて怪我をすることもない。自分の命がかかってる状態だと、脳がわかっておるからの。ちゃんと安全な場所にすみやかに移動して、横になってから眠りだすのじゃ」
カーターがあきれ顔で言います。
「博士、あなたも科学力という力で、他人をねじふせようという欲を持っているんじゃないですか?」
そのとおりです。そんな波動が当たれば、一番にぐっすり眠ってしまうのは、ビーン博士のはずです。
「ふぁっはっはっは。そんなことくらいわかっておるよ。じゃからわしは、これをかぶるのじゃよ」
博士は、アスムのそばに歩いていって、さっきアスムが落としたアンテナがいっぱいついたきんぎょばちを手にとって、頭にかぶりました。
「このヘルメットをかぶっておるかぎり、波動の影響は受けないんじゃ。ライバルどもがぐっすり眠ったら、征服欲を持たない民衆とわしで、新しい世界を作る。これは世界征服の偉大なる第一歩であり、統治の決め手でもある。世界征服したあとも、わしにかわって誰かを征服しようと考えるやつが出てきたら、そいつはなにか行動を起こす前に眠ってしまうのじゃからな。このヘルメットをつけたわしだけが征服者でいられる。このヘルメットは征服者の王冠のようなものじゃ」
アスムはあわてました。あの発明品が、そんな大事なヘルメットだったなんて。
「あ、あの、博士・・・」
アスムが告白しようとしたとき、博士の周りの4つの画面が数字を表示しました。
『3・2・1・0!』
「ん?」
博士がアスムの方を振り返ったときには、カウント・ゼロでした。博士はビクン! と背筋を伸ばし、自分の椅子に戻って座ると、机に突っ伏して、いびきをたてて眠りはじめてしまいました。
「博士! 博士! どうしたんです!」
カーターとジョンとエドガーはあわてました。博士が眠ってしまうなんて思わなかったからです。カーターは博士をゆさぶって起こそうとしますが、博士はぐっすり眠っていて、起きそうにありません。
「いったいどういうことなんだ。博士のヘルメットが失敗作だってことなのか?」
カーターはエドガーに問いかけました。エドガーにはわかりません。
「さあ。さっきのロケットも、このヘルメットも、わたしを追い出してからお考えになったものだと思います。わたしが知らない発明品です」
カーターは、次にジョンを見ました。ジョンにもわかりません。
「ぼくの世界でも、博士のこんな発明品は、聞いたことがありません。どういう原理か想像もつきませんよ」
「あのう……これ」
三人にむかって、アスムが手を差し出しました。さっき外れてしまった小さなアンテナが手にのっています。サユもアスムと並んで、すまなさそうにしています。
「さっき座ったときに落として壊しちゃったんです。そんなに大事なものだと知らなくて、お話の後で、ちゃんと、壊したことを謝るつもりだったんです」
カーターたちは、博士が眠ってしまったわけを理解しました。カーターは、今度は、ヘルメットが治せるか? という質問を目配せでエドガーとジョンに向けましたが、ふたりとも首を横にふりました。あ、エドガーが振ったのは、胸の画面の首のほうですが。
「ふう、どうしよう」
カーターは座って、考えました。多分、世界じゅうで同じことが起こっています。征服欲がある人間があちこちで眠っているのでしょう。カーターは情報局の長官の顔を思い浮かべました。長官はいまごろデスクでぐっすりだろうな、と思いました。
実は、世界中で、ほんとうにたくさんの人が眠ってしまっていたんです。車を運転していた人は、安全な道端に車を停めてから眠っています。歩いていた人は、道のすみっこのじゃまにならないところに座ったり寝転んだりして眠っています。そして、もちろん、いろんな国で人々を思い通りにしたいと考えていた、総理大臣や大統領や国王も眠っています。
「なんとか博士を起こさないと、世界中、今ごろたいへんなことになってるぞ」
カーターが言いました。アスムとサユは責任を感じてしまいました。博士が眠ってしまっては、波動を止めるように説得することもできません。
「アスムくんのせいじゃないよ。博士がいけないんだから、そんなにしょんぼりするんじゃないよ」
カーターは、アスムの肩に手を置いて慰めました。アスムとサユは、すこし気持ちが軽くなりました。
そんなカーターを見てジョンは不思議顔です。
「おとうさんは……じゃないや、あなたは眠くならないの?」
「ん?」
言われてカーターもそのことに気が付きました。ぜんぜん眠くありません。
「ああ、そうだな。多分、今の問題をなんとかしないと、人命にかかわると思ってるからかな?」
カーターはそう言いましたが、エドガーはにっこり笑っていいました。
「征服欲なんていうものと、無縁な大人もいるんですね」
子どもたちは、ニコニコしてカーターの顔を見ています。
カーターは咳払いして立ち上がりました。とっても恥ずかしそうです。
「そんなことより、なんとかして波動を止めるか、博士を起こすかしなくっちゃ。エドガー、衛星と通信はできないのか?」
エドガーはしばらく試してみました。
「通信はできますね。でも、命令できません。博士の命令が優先しています。博士の命令は、『自分が新たな命令を出すまで、地球全体に波動を当てつづけろ』というものですから、博士が目をさまして、なにか命令をださないかぎり、わたしの命令は聞きません」
「なるほど、その命令だとすると、とにかく博士がなにかもう一度命令すればいいんだな。波動を止めろと命令しなくても、博士が命令しさえすれば、今度はエドガーの命令を聞くわけだ」
カーターの話に、エドガーの胸の顔がうなずきました。
「そのとおりです。博士が『軌道を変えろ』とか命令すれば、波動は止めないで軌道を変えるでしょうけど、わたしの命令で波動を止めても、博士の命令にさからったことにはならなくなります。あなたの靴をもどしにきた砂ロボットと同じですね」
「すこし希望が見えてきたな。次は博士の命令を出す方法だ。なにか通信機を使っているのかな?」
今度はエドガーは困り顔になりました。
「いいえ、博士は自分の発明品に命令を伝えるのに通信機は使いません。その白衣を着ていると博士は波動を自由に操れる身体になれるんです。直接博士の考えを波動で伝えられるんです。これは博士が発見された三十二の波動のうちの一つを使ったもので、他人には絶対に博士のふりをして命令することができません」
その話を聞いて、アスムが思いつきました。
「じゃあ、博士が眠ったまんまでも、夢の中で考えたら、命令したことになるのかな?」
「そうですね。たしかにそういうことになります」
エドガーはアスムのアイデアに感心していましたが、カーターはまだ困り顔です。
「でも、博士の夢をどうにかできるわけじゃないしなあ」
それを聞いたジョンが、自分の腕時計型の機械をはずして、差し出しました。
「この時代には、『夢見時計』は発明されていないんですか? 好きな夢をセットして、毎朝気持ちよく目覚める機械です。バスケットの大会で優勝した夢とか、エリダヌス座イプシロンへ旅立つ殖民宇宙船の船長に選ばれた夢とか。ぼくも、ときどき使いますよ。この腕輪にもついてるんです」
どうやら希望が大きく膨らみました。
カーターは次の課題をあげました。
「じゃあ、次はそれでどんな夢を博士に見せるか、だ。どんな夢を見たら、衛星に命令すると思う?」
みんなは、う~ん、と首をひねりましたが、すぐに思いつきました。
そしていっしょに笑顔で言いました。
「世界征服に成功した夢!」
それぞれの居場所へ
博士は、いったん世界を征服したあとも、博士にかわって征服しようと考える人が出てきたときのために、衛星をとめないつもりだったようでした。だから、夢では、もう完全に世界が統一されていて、みんなが博士を尊敬している世界を見せてあげなければなりません。
ジョンが夢の内容を夢見時計にセットして、エドガーに渡します。
エドガーはその腕時計型の機械を、眠っている博士の腕にとめています。その様子を、腕組みして笑顔で見ているカーターの横で、ジョンがうれしそうに、その笑顔を見上げました。そしていたずらっぽく、カーターにだけ聞こえるように言いました。
「ほーら、もう世界を救えたも同じなのに、おとうさんはぜんぜん眠そうじゃない」
カーターは照れています。なにも言い返しません。
ジョンは征服欲なんていうものと無縁なおとうさんが、大好きでした。お仕事を一所懸命にしているおとうさんのことを、ほこらしく思いました。世界統一政府の指導者、ビーン博士の主席助手でも、世界平和を守るA国情報部のエージェントでも。
「準備完了です。スイッチをいれますよ」
エドガーが夢見時計のスイッチを入れて、博士から離れます。みんな、博士の様子をじ~っと見つめます。
ピクリ、と右手が動きます。そして、博士が寝言を言いました。
「……うん! やったぞエドガー、世界征服は完全に成功じゃ……むにゃむにゃ……」
夢の中の博士は、エドガーといっしょのようです。
博士の言葉ににっこりしていたエドガーは、衛星の様子をキャッチして言いました。
「あ、成功です。博士は衛星に波動を止める命令を出されました。これなら、わたしから命令する必要はないですね」
それからすぐに、博士がおおきなあくびをしました。
「ふわわわわわ」
博士は夢見時計のおかげで、すっきりと気持ちよくなったようです。目をさましてあたりを見回し、さっきの世界征服成功が夢だったことに気が付きました。
アスムとサユが博士の前に進み出ました。アスムがアンテナを差し出して謝ります。
「ごめんなさい博士。さっき、そのヘルメットを落として壊しちゃっていたんです。すぐに言い出せなくて、ごめんなさい」
ふたりがペコリと頭をさげます。博士には何が起こったのか、すべてわかったようです。やさしいおじいさんの顔になって、ふたりの頭を撫でて言いました。
「いいんじゃよ。今回のわしの発明は、欠陥品じゃった。この世界征服作戦は取りやめじゃ。もし、きみたちがヘルメットを壊していなくても、わしがヘルメットを被ったまま転んで壊していたかもしれん。そうなったら、世界は指導者をすべて失って、人類が滅んでいたかもしれん」
そのころ、世界のあちこちでも、眠っていた大人たちが起きはじめていました。なにが起こったのか、理解できている人はいません。世界征服をしようとしている博士がいるということすら、知っているのはほんの一握りの人たちだけですから。
海底研究室は、和やかな空気に包まれているようでした。これで、博士が改心してくれていたなら、世界は平和だったかもしれません。しかし、それはムリな話でした。
博士は世界征服の野望を捨てていません。その野望は、ジョンの話を聞いて、ますます膨らみました。だって、自分が指導しているあっちの世界では、科学がどんどん進んでいて、とっても住みやすそうです。世界は、ビーン博士に指導されるべきなのです。今回の世界征服は失敗でも、次こそ成功させなければいけません。
「うむむ。次こそ成功させるために、作戦の練り直しじゃなあ。地下にでももぐって、じっくり考えてみるかの」
「まだ、あきらめないんですか」
カーターはあきれています。そのカーターの隣にいるジョンにむかって、博士が言いました。
「さて、ジョンくん。きみもわしといっしょに来ないか?」
「えっ?」
ジョンは、博士にそう言われて、カーターの方を見ました。ジョンは本当は、カーターといっしょにいたいのです。この世界のカーターには子どもがいなくて、ジョンのおとうさんではありませんが、やはり、ジョンにとってはおとうさんに見えてしまいます。さっきも「おとうさん」と呼びかけてしまっていました。
カーターは、ジョンがいっしょに暮らしたいと言ったら、連れて行ってくれるかもしれませんが、それではたいへんな迷惑をかけることになってしまいます。ジョンはこっちではいないはずの人間なので、カーターといっしょにいたら、へんに思われてしまいます。そしてもしも、違う歴史の世界から来たのだと知られたら、つかまっていろいろ調べられたりするかもしれません。そんなジョンをかばっていたら、カーターの情報局のお仕事はたいへんでしょう。
それに、ジョンにとっては、この十年後の世界は、とっても科学が遅れた世界なのです。ここの暮らしはとても不便なものに感じます。でも、ビーン博士といっしょなら、自分が住んでいた世界と、同じように暮らすこともできます。
「はい、博士。おねがいします」
ジョンは、ビーン博士の前に進み出ました。
「よーし。優秀な助手の誕生じゃ」
博士とジョンのそんなやりとりを、エドガーは静かに見守っていました。ビーン博士といっしょのテーブルを囲むのは、もうエドガーではないのです。博士とエドガーは、今でも友達には違いありませんが、博士が世界征服を望む限り、エドガーは博士の手助けはできません。
ビーン博士はエドガーの方を見ました。博士にも、エドガーが世界征服の手伝いをしてくれないことは分かっていました。
「エドガー。おまえ、これからどうする?この島にはもうすぐ居場所はなくなる。A国の情報局にみつかったら、解体されかねないぞ」
「どこか、目だたないところへ行って、人形のふりして座っています。あ、そうそう、博士が前に教えてくれた、あの国立公園はすてきでしたよ。あそこでずっと座っているのもいいですね」
「待って、エドガー。わたしたちといっしょに行きましょう」
サユがエドガーにしがみつきました。
「そうだよ、ぼくらのおじいさんにお願いしてみるよ。いっしょに暮らせるように。へんな人には見つからないように、おうちの中にいればいいよ」
アスムはエドガーの手を取って言いました。
「ふむ。わしの助手一号は、しあわせ者じゃの。うーむ、じゃがエドガー。おまえ、その子たちに迷惑を掛けないか心配なのじゃろう? その心配をわしが消してやろう」
博士はエドガーに歩み寄り、手をかざしました。エドガーは博士から送られてくる波動を感じました。
「これでよし。今、わしがお前につけていた制限のうちの、最後のひとつを解除した。わしは、おまえが戦うところが見たくなくて、どんな状況になっても戦わないように制限をつけていたのじゃ。それを、今、はずした。これでお前は、どうしても戦わなくちゃならなくなったとき、たとえば、おまえをかばっていっしょに暮らしてくれようとする人間に、危害が加えられるようなことがあったら、おまえは、その人を守るために自分がその気になったなら、もう戦えるのじゃ。その気になったおまえは、この世界では敵なしじゃろう」
博士の言葉に、アスムとサユは大喜びでした。
「よかったね、エドガー。ね、いっしょにおいでよ」
エドガーは、自分が戦闘もできるロボットになったと知って、かなり複雑な思いですが、アスムとサユが喜んでくれるので、いっしょに喜ぶことにしました。
博士は、最後にカーターの方を向きました。
「さあて、カーターくん。キミはどうするかな?」
カーターは、少し考えて答えを出しました。
「わたしは、アスムくんとサユちゃんを、おじいさんのところまで送り届ける任務の最中です。そっちが最優先ですね」
「ふむ。それがよかろう。わしとジョンくんが地底マシンを使うから、カーターくんはスポーツカーに乗って、水ロボットで海底研究室から出ればよかろう。水上に出れば、そこには、A国の船もたくさん来ておるが、エドガーが一緒なら、A国の船にはみつからんように海中を行った方が良いかな」
博士が言いました。この海底研究室は、海の中へ通じる通路以外に出入り口がありません。直接、地上へ出るエレベータや階段はないので、地底マシンのように地中を進むか、そうでなければ海中を進むしかないのです。
博士とカーターがここへ来たときのように、水ロボットに大きなあぶくでスポーツカーごと包んでもらって、運んでもらえば良いわけです。エドガーが一緒なら、エドガーに命令してもらえば、水ロボットに、どこまでも運んでもらえるというわけです。ただし、A国の調査隊にエドガーや水ロボットがみつかるとやっかいです。
実は、カーターが情報局で手柄を立てたければ、水ロボットとエドガーをA国の調査隊に引き渡したほうが良いのですが、カーターはそんなことをするような人ではありません。アスムとサユの気持ちを尊重して、エドガーを内緒で連れて行ってあげるつもりでした。
まあ、そもそも、エドガーがその気になれば、A国軍隊は歯が立たないそうですから、エドガーのことはだまっていた方が、A国のためでもあるんですけどね。
これで、それぞれの行き先が決まりました。いよいよ、お別れです。
みんなは、乗り物が置いてある広い研究室へ移りました。博士は地底マシンの出発準備をはじめました。ジョンは、みんなと挨拶していました。
「じゃあね。友達になれてよかったよ。あの・・・・・・カーターさんも。さようなら」
「ああ、元気でな。まあ、博士が世界征服をたくらんでるかぎり、また会うことになるかもしれないけどね」
カーターも不思議な気持ちでした。親子だと感じているのは、一方的にジョンのほうだけなのですが、なんだか「情が移る」っていう感じです。子どもを持ったことはないけれど、父親になったような気持ちです。
ジョンは地底マシンの方へ向かいました。博士はもう、ハッチから乗り込むところでした。
「では、さらばじゃ、諸君。次に会うときは、征服してやるからの」
手を上げて博士がウィンクします。
アスムとサユはおもいっきり手を振っています。カーターとエドガーは、少し困った笑顔で顔を見合わせました。博士の世界征服作戦はまだまだ終わらないようです。
博士につづいてジョンが地底マシンに乗り込み、ドリルが「ヒュィィィィン」と回り始めて、ぱっ、と岩盤とマシンが入れ替わりました。
「行っちゃいましたね」
エドガーがしみじみと言いました。
「よかったんですか? カーターさん」
エドガーに言われて、カーターはスポーツカーのドアをあけながら答えました。
「今のわたしの任務は、アスムとサユをおうちへ届けることさ。それに……いや、なんでもない」
実は、そのとき「それに、博士が征服した世界が見たいような気がする」と言おうとしたのでした。だってジョンが話していた世界は、とってもいいところのようですものね。でも、カーターは今の世界を守る立場のお仕事をしているんですから、そんなことを言っちゃいけない、と思って言わなかったのです。
さて、カーターは、まず、助手席にふたりの子どもを座らせます。エドガーは座席の後ろ側のところに入り、座席の間からラグビーボールのような頭を出します。このスポーツカーは二人乗りなので、かなりきゅうくつです。
運転席に座りながら、カーターが子どもたちに言いました。
「水ロボットに包まれて海中を進むときはね、すごいスピードなんだけど、360度景色が見渡せるんだよ。海中の景色はすばらしいぞ、見逃すなよ」
「わーい」
子どもたちは歓声を上げました。
「では、A国の日本大使館へ向けて、出発!」
おしまい