【揺花草子。】<その2542:スタンフォード。>
【揺花草子。】<その2542:スタンフォード。>
Bさん「釈迦に説法って言いますね。」
Aさん「あぁ・・・どうやら本格的に慣用句シリーズ・・・。」
Cさん「『駄目だよきみ、阿部くんに幼女の尊さを語るなんて釈迦に説法だよ』
と言った使い方をするわね。」
Aさん「と言った使い方はしないと思います。」
Bさん「その道のプロフェッショナルにその事を教えようとする
愚かさの例えであるわけだけれども、
往々にして教えたがりの人が陥りがちな罠であるのではないかと思うのだ。」
Aさん「あー・・・。」
Cさん「ネトゲで知り合ったフレンドに得意気に狩りのテクニックを説いていたら
その人は自分よりも遥かにハンターランクが高かったとかね。」
Aさん「んん・・・。」
Bさん「けど、ぼくはそれを愚かと断じるのはどうかと思うんだ。」
Aさん「ん、どう言う事?」
Bさん「例えば、阿部さんが第一人者を自称する幼女学ね。」
Aさん「そんな学問の存在は今初めて知ったし当然第一人者でもないけれども!!?」
Cさん「誰も取り組んでいない学問であれば最初に研究を始めた人が第一人者じゃない。
阿部さんチャンスよ。」
Aさん「そのチャンスは特に掴みたいとは思いませんね!?」
Bさん「まあ、じゃあ、
そう言う学問が広く学ばれている平行世界の阿部さんと言う事で良いよ。」
Aさん「その世界は決して平行ではない気がするよ・・・。」
Cさん「研究と言うものは多くの人々の見識により一層広く深くなっていくものじゃない。
近代幼女学の祖の名をほしいままとする阿部さんもいつの日か、
後進の研究者たちの努力により過去の人となる時が来るかも知れないわ。」
Aさん「その設定だとまるで古代幼女学と言う学問が
既に存在していたみたいな言い方ですね。
でも、まあ、学問って言うのはそうやって発展していくものでしょうから・・・。」
Bさん「けれども、若い研究者たちの成果を聞かされた阿部名誉教授が
『きみ誰にものを語っているんだね? 釈迦に説法とはこの事だ』と
聞く耳を持たないとしたら、それは新しい考え方を受け入れられない
旧弊な思考の持ち主だと批判されるに違いない。」
Aさん「阿部さん名誉教授かよ。偉くなったな。」
Cさん「お釈迦様だって、お弟子さんたちから仏道を説かれて
『いやそれわしが教えたやつやん。』なんてきっと言わないと思うのよね。
そんな狭量な人ではないと思うのよね。」
Aさん「少なくとも『わしが教えたやつやん。』とは言わないでしょうね・・・。」
Bさん「そして十分知っているはずの物事だって、何度も何度も繰り返し見るたびに
新たな発見があると言うのも良くある事です。
ガルパン劇場版だって何10回観てもそのたび新しい小ネタを発見するよ。」
Aさん「それは話が違うんじゃないかな。」
Cさん「つまり既に知り尽くしたと思っているものの中にも
新たな気付きは眠っているはずだと言う事よ。
そしてそれは他の人からの何気ない一言の中に潜んでいるかも知れないと。」
Aさん「まあ・・・。」
Bさん「だからぼくは次世代を担う若者たちに訴えたいよ。
釈迦に説法を聞かせるぐらいの蛮勇を
常に抱き続けろとね。
むしろ積極的にドヤ顔で釈迦に説法を説いてやれとね。
Stay hungry, stay foolish だよとね。」
Aさん「ドヤ顔で説かれたらさすがにお釈迦様も
イラッとするんじゃないかな。」
きみだって次世代を担う若者だけどな。




