第五十六話 インドラの矢
「カクマルに勝てないってわかった時。今までの努力を否定された気になって、それでも認めたくなくて……弱い自分からずっと目を背けて、それこそ努力した気でいたのかもしれない。それで満足してたのも認める。でも、それとこれとは冷静に考えれば違う気がする。だから……もう少しだけ考える時間が欲しい」
「ユイリーは俺にとって大事な妹でもありお前にとっても姉弟子……いや、妹弟子か? まあどちらにせよ厳しく突き放すことも時に愛情だと俺は思ってる。返事はいずれな」
そう言ってユキは俺の肩を優しく叩いた。
ひどく未来を見据えたこの瞳に俺は弱い。ついついそうしなきゃと思ってしまう。でも、それでも──。ユキの気持ちなんて分かろうとするだけ辛くなることを俺は知っている。他人のためにしか誰かに頼れない奴のことなんか、誰が考えたいと思うものか。
ゴオオオオ──……。
会話の終わりが見えた頃、またしても地響きが起きた。こうしている今も、どこかで誰かが戦っていることを思い出す。時間が惜しい。
「その、また今度会えるよな? できればユキのこと、皆んなに紹介したいし」
話し足りないけど、俺はできるだけ笑顔を作って優先順位を守った。振り向いた方角には万にも匹敵するアンデッドの大軍が列をなし依然として進軍中。圧はどんどん増してくる。
「悪いな。もう出るつもりはねェんだ」
「……そうか、そうですか」
ヘタな笑顔に頼るほど、ユキの意志は硬いようだ。
元を正せばそのカラダはユイリーちゃんのもの。本気でユイリーちゃんのことを考えているからそこ干渉はもうしないつもりなのだろう。こうして逢える奇跡も最後だと思うと名残惜しいが、ユキは元から最後のつもりで俺に逢いに来てくれたのだ。なら──、
「一目逢えただけでも良かったです。さようならユキ、今までありがとうございました」
なら、その時までしっかり考えて答えを見つけないといけない。それが俺にできる最大の配慮。
──皆んなに会わせてやれないのは少し残念だな……。でも、よくよく考えてみたらこれは俺たちパーティーの問題だから相談すべき相手が何人もいるなぁ。薫さんとかかなみちゃんとか中島さんとか、あとは……リズにも一応、相談してみるかな。
紹介出来ないのは悔やまれるが、相談できる相手がいると思うと少し楽になれた。俺が笑顔でお礼を述べると、しばらくぼーっとしていたユキが動いた。
「さてっっっとォ!」
唐突に両手を大空に伸ばすストレッチしながら俺よりも前に立ち、アンデッド軍に近付いた。既に切り替えたようだ。一瞬、その顔が、泣いているように見えたのは気のせいだろうか。
「なんだ、戦う気になってくれたのか!?」
俺もあとに続く。
奴らとの直線距離、およそ五百メートル。その間に障害物は一切無い。早急に対処を考える必要がある。
何ができるのか彼女に聞こうとした矢先、向こうから声がかかった。
「下がってろ。少し、ホンキを出す」
肩をぐるぐると回しながら歩みはさらに前へ。間違いない、何かやべーのをする気だ。
「お、おい」
呼び止めに応じない。
ユキはほどなくして、マウンドに立つ投手の如く地に深く足を根ざした。
「ユールが誰に侵略されようが世界がどーなろうが……俺には心底どーでもいい。誰がどこで死のうが興味すら湧かねェとも」
突然の独白。理由を知ろうにも、近付いてはならないと心が警鐘を鳴らす。
「だがなァ……兄弟∥姉妹のためなら、俺は死んでもヨミ返って神だって利用してみせる」
いつになく気迫を纏った声に鳥肌が立つ。不思議な有り得ない言い回しでもユキならば、と思えるのがまた恐ろしい。
何かは不明だが足もとにひんやりとした冷たい霧のようなモノが漂ってくる。これは……魔法か?
彼女は右手の拳を自分の目線の高さに合わせアンデッドに向けて突き出した。するとついさっきまで晴れていた空が急激に雲に覆われ始め、今にも雨が降り出しそうな不安定な空模様に変化した。それはまるで──ひとりの人間に雲海が引き寄せられたような異様な光景。
「よく見とけ。結びつく結果ってのが、……どういうものなのかを」
「一体何を……? もしや、チートスキル?」
聞くところによれば、女神によって連れてこられた転生者という話だ。ならばチートスキルを持っている可能性は十分ある。そしておそらくそれは、女神から賜った彼女だけのスキル──。ユイリーちゃんがチートスキルを隠しておく必要もなし。きっと彼女だけが知ってる彼女のためのチートスキル。
「おめェは女神から┠ 威圧 ┨を貰ったんだろ?」
「いや、僕の場合はちょっと違くて──」
「なァに隠さなくても分かるさ。目つきがだいぶ悪くなってるからな。言っとくがこれは、スキルなんかじゃねェぞ」
俺のスキルは貰い物でないのだが、ユキにも何か事情があるらしい。これから一体何を起こす気なのか。
「なんちゃらスキルの代わりに、俺は神様とのコネクションをもらった」
「コネ?」
「ああ。ホンモンの女神なら用意出来んだろって脅したらマジでくれたやつな」
──いや、脅すなよ。
と心の声が危うく漏れかけた。
コネと言う意味ではうちにもポンコツな女神がいるが、それとは全く違う気がする。自然にひれ伏してしまいそうな高貴で高圧的な何かを感じる。それでも恐怖指数で言えばアンデッドの大軍の方がまだ強い。
──ユキのことだから、女神がホンモノかどうか確かめたかっただけなんだろうが……女神も困っただろうな。ユキの担当は災難だったとしか言えないな。
ちなみに俺の担当女神は存在自体が災害みたいなやつでした。なんて考えると、怒りの効果音を上げながら怒るリズの顔が浮かんでは消えた。
「神は人々を助けはすれど、個人を救うこと能わず──」
ビィジジジッッ──!!!
まるで詠唱のようにそれを口ずさむと、全身を白い稲妻が駆け巡った。一瞬だがそれは大きなヒトのような形をしていて、彼女が神を纏っていたかのように見えた。
「──だが希に、力の一部を貸してくれる物好きな神様がいる」
構えた拳からほとばしるほどの電撃が流れ始めた。制御が難しいのか、それは激しく伸縮を繰り返しながら真横に伸びていく。バチバチと荒々しい音を立てながら白い稲妻が意志を持つかの如く拳のすき間から伸び続け、やがて長い棒のような形状で安定しだす。さっきまでの冷気がウソのように近寄り難いほどの熱気と電気を彼女は帯びる。放電する電気コイルのように稲妻が地面をたまに走り、近付くことさえ出来ない。ここでようやく、ひどく荒々しい雷を制御しきったみたいだ。
「これは大蛇を討伐した功績として帝釈天様から頂いた力──」
荒々しい音が止んだ。棒状の白い稲妻はおおらかな弧を描く形状へと変化し、両端から細長いヒモのようなものを伸ばし始めた。やがて両端のヒモは絡み合い繋がり、構えていない反対の手に自然と寄り添った。それはこの世界ですら見たことのない、非現実的な力。斬撃とも魔法とも術式とも違う存在──。
彼女は堂々とその名を口にする。
「──珖あれ。【インドラの矢】」
美しく輝き放つ流線型の稲妻こそ、紛うことなき弓引きの構え。
ビィギィィジジジッッッ──!!!
弓を引き絞ると同時に弧の中心に小さな光の玉とそれを囲う三つの天輪が生成された。そして弾くように指を離した瞬間、形状の定まらない光の玉が三つの輪の内側に吸い込まれるように引き伸ばされ、鋭い矢へと形を変え、敵陣目掛けて目にも止まらぬ速さで放たれた。まさに神速、光の矢。
刹那──。
閃光に視界が……いや、世界が焼かれた。
俺の頭の中まで真っ白白が飛ぶ。
ものすごい光量に網膜まで焼かれそうになる。なのに無音、無風。熱さすら感じない。むしろ太陽が遮られたことによる寒さを感じる。鳥肌は立ちっぱなしだ。
異様な光景に言葉は出ないが段々と目は慣れてきた。
敵陣中央から半径約五百メートル程がドーム状の光りに包まれているのが分かった。さらに目を凝らすとドームはゆっくりと右方向に回転しているのがわかる。さながら回るタイプの電子レンジのように内側は地獄のような熱さなのかもしれない。全くもって中が見えないので憶測でしかものが言えないのが、なんとも歯痒い。
こんな光景、どれとも違う。
かなみちゃんの万能力。
リズニアの二刀剣豪術。
薫さんの物理魔法反射。
中島さんの潜在的豪運。
セバスさんの回復魔法。
どれもこれも世界に影響を及ぼす能力──。これ以上驚くことは無いと思ってたが、彼女のそれは、今までのどれにも当てはまらない規模と神々しさがあった。故にわかり易く息を呑む。
──帝釈天っていうのは知ってる。確かインド神話でいうところの神インドラのことだ。それで【インドの矢】か……。
「里の大蛇をぶっ潰すせて、相当儲けたぜ」
──インドラって確か、大蛇を倒した言い伝えがあるとかなんとか……。そう言えば二人が生まれた里には大蛇がいたって話だっけ。逸話通りのことをやってのけたから神様に力を貸してもらえたのか? ……いや、待てよ? もしそれが本当なら、ユキは大蛇を倒して帝釈天に認められたってことだよな……。てことはつまり、大蛇を倒した後に力を手にしたってことにならないか……? 実力で大蛇イッたの? ヤバくないかそれ。
彼女は神様とのコネを通じて、何らかの方法で強さを証明し、力を手に入れた。俺はそう確信した。──否、そう気付けるよう誘導されてしまった。
ユキはただ神業を見せたかったわけじゃない。俺に “努力で得た成果” を見せたかったのだ。
──大蛇を倒したなんてサラッと言うけど、それを成すだけの努力は生半可なモノじゃなかったハズ。じゃなきゃこんな能力は貰えない。やっぱ……ユキはすげぇな。
「……どうして風も吹かないんだ」
「ん? あー、俺が止めてたからな」
彼女が背中でそう語ると突如、指をパチンと鳴らし、同じタイミングで突風が吹き荒れる。前傾姿勢を取っていないと倒れてしまいそうなくらいの強風に破片のようなものまで飛んで来る。ついさっきまでは見えない障壁のようなもので風圧や熱さから守ってくれていたようだ。
「キエエエエエエ」
隣りのピヨスクも驚いている。
インドラの矢といい謎の障壁といい、原理はまるで分からない。
「これが……神の恩恵……」
「魔法でもないし、ましてや物理攻撃ですらねェから、たぶんそうだな」
「たぶんて……いいのかそれで」
ユキは自分のスキルですら興味がないらしい。自分のことになると極端にいい加減なのは相変わらずだ。
突風吹き荒ぶ中、彼女が振り返りクシャッと顔を丸めたような笑顔をつくる。
「この力、ユイリーにはナイショしてくれなっ」
ドームに照らされて輝く無邪気な笑顔に心を奪われた。うん、危うくホレかけたと言っていい。
ユイリーちゃんの努力を無駄にしない為に言ったのか、はたまた他に裏があるのかどうかは定かではないが……どっちにしろこんなこと話したところで信じてはくれないだろう。
百歩譲ってリズくらいか? 信じるの。
今まで必死に魔法を学んで来たというのに、こんな力が己の内に存在してると知ったら彼女は萎縮してしまうだろう。だから内緒にして欲しい気持ちは分からないでもない。魔法士よりも騎士に向いていると師匠に言われた時には暫く落ち込んでいたのも覚えている。自信を無くされるのは俺も辛いのでこの件は胸の内に留めておこう。
一分もしないうちに光のドームは急激な縮小を始め、すっかり消えて無くなった。ドーム跡地にはもはや骨の一片すら残っていない。焼け跡だけが円でくっきりと残っているが、地形などは全く変わっていなかった。その証拠に範囲内にあった岩や枯れ草なんかは黒焦げでも形がそのまま残っている。これが聖属性魔法ならアンデッドだけを消すことは出来る。けれど、焼け跡が残るなんて事にはならない。だからといって焼け跡が残るような魔法を使えば、今度は岩や草が綺麗に残る説明がつかない。となるとやっぱり魔法じゃ説明つかない神秘的な何かだと結論付けるしかない。
考えるだけ無駄な気がしてきたぞ。
「さぁ、行ってこい。てめェの番だ」
俺は彼女の開いてくれた道を突っ切る為に、風でボサボサになったピヨスクの背中に乗り込んだ。目的は交戦中の味方と思わしき存在の救出。そして、可能なら敵の情報を仕入れること──。その二点。
今の俺には聖剣があるとはいえ、扱いは素人なので戦いに参加するのは極力避けることを意識して向かう。あとひとつ、心配事があるとすればユールに戻れなかったことだけ。
「ユールのことは安心しろ。俺が戻って報告してくっから、たまちゃんは構わず進んでくれ」
そうか、なら安心だ。俺は分かったと頷いた。
「あー、あとそうだ! もうひとつおめェに伝えておきたいことが──」
ユキは神妙な顔でそれを伝えた。
この世界に興味ないだとか言っておきながら結局、必要以上にお節介をかける。相変わらず不器用だけど、そこがユキの良いところで──。
「いってきます」
「無茶すんなよ」
「ユキこそ」
「おうよ」
俺はピヨスクを走らせた。骸のいない荒野を突き進みながら。
ご愛読ありがとうございます
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来ると泣きながら飛び上がり、法定速度を守りながら走ります。




