第五十四話 彼らと出逢う奇跡
ユールには数日前まで防壁などなかった。あるにはあったがそれは背の高い木の柵で、境界線をハッキリさせる程度でしかなかった。故に避難から帰ってきた者たちはみな一様に口をあんぐりさせて驚く──。
『ユールはいつから城塞都市になったのだ』と。
背景にはもちろん蝦藤かなみ率いる“レイザらス”が関わっている。彼らは騙し騙しにこれに取り掛かり、あたかも城塞都市に見えるよう急造建築を施した。それを知る一部の者たちも含め、現在、防壁のすぐそばまで危険が迫っていることに気付いている者は少なかった──。
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──詰め所──
「きゅ、急報! 急報です! デネントさん!」
「なんだい騒々しいねぇ。一旦落ち着きな」
「街の外にある物見櫓に向かうために門の開閉を待っていたのですが、その……第三防壁門外周からの応答がなく、向かうことが出来ません!」
新たに設置された防壁門は内と外から同時に仕掛けを動かさなければ開くことの出来ない仕組みが採用されている。東西南北にある四つの門のうち、三つの門が内と外の連携による開閉を行っている。今回はその連携を行う門の一つ、“第三防壁門” からの連絡が突如として絶え、外の状況が確認できなくなってしまったと保安兵は言う。
慌てて報せに来た保安兵と動揺を隠せないデネントを見れば、その深刻さは元女神にも伝わる。各々が険しい顔を並べる中、空気を読んでお菓子に伸ばしかけた手をリズニアは引っ込めた。
デネントが保安兵に問いかける。
「他に出る方法は?」
「第三を使わずに外に出るには、別の門から出て回り込むしかありません」
「それじゃ時間が掛かるんじゃないかい?」
防壁門は東西南北の四箇所に配置してある。第三は南の門。デネントの疑問の通り、別の門と一口に言っても一番近くの門を通るには最低でも街の最東端か最西端まで行く必要がある。それでは往復で十五分~二十分かかってしまうため、外で起きている問題が分かったときには手遅れの可能性が出てきてしまうのだ。
そのことを踏まえて、薫は少しベクトルを変えて質問をする。
「外の様子だけでも確認する手立てはないんですか?」
現場に向かえずとも確認さえ取れれば原因が即判明するかもしれない。そんな意図のある質問に、なくはありません──。そう答えようと口を開きかけた保安兵を遮るように、黒いスーツを着た若い女性が詰め所に訪れた。
「失礼します! あ、こちらに居られたのですね、カオリさまとリ、えー……リィーズニー」
「リズニアですグリズリーではないです」
「貴女は、かなみのところの……エギネさん?」
その者、オモチャ屋レイザらスの裏の顔──諜報部に勤める女性エギネ。所謂かなみの部下にあたる人物である。
構成員はかなみのことを“お嬢”と呼び、かなみに近しい人物をさらに“様”を付けて呼ぶ習性がある。しかしリズニアに限り、慕うどころか名前すら覚えていないことがしばしば。少し機嫌を悪くするリズニアだが、エギネにはそれどころではなく不自然に大量の汗をかき始めた。
「は、はい、エギネです。そのぉ、大変申し訳にくいのですが……、お嬢──かなみ様が、消息を絶ちました……」
「か、かなみちゃんが!? どうしてですぅ?! 何があったんです!」
何も無い所に身を乗り出しそうな勢いでリズニアが聞き返す。すると彼女は蛇に睨まれたカエルのように縮こまってしまう。
「えええ、えっと……」
「詳しく、説明してもらえますか?」
「ひっ……!」
流石の薫も、これには椅子から立ち上がり説明を要求。尋問するような鋭い視線が突き刺さり、彼女は蚊の鳴くような小さな悲鳴をもらした。
「そ、それが、目を離した隙に忽然と姿を消してしまわれて……。その、何者かに連れ去られたというケースはかなみ様に限って絶対にありえないと断言できます……ので、ご、ご安心いただければ……!」
かなみの部下の女性は火に油を注ぐ結果になることを恐れてか、かれこれ二時間近く見つかっていないことを言わずに伏せた。と言うより、言い出せなかったに近いだろう。尤も、どのくらい見つかっていないのかを聞かれれば答えるしかない訳だが、薫とデネントはその辺を問い質したところで状況は変わらないことを理解し、責めるようなことはしなかった。
「娘は、大丈夫なんですね?」
「は、はい! 絶対に」
リズニアは“絶対に”の言葉に反応してすぐに平気な顔に戻り、ご安心し始めた。壁際の長机にあるお菓子に手を伸ばそうとしている。こんなだから名前も覚えてもらえないのだ。
「ですが、かなみ様には万一のことを常に想定し行動しろと言われております。ので、現在我々はスタッフを総動員し捜索に当たっています。コーダイさまと共に、必ずや探し出してみせますので、カオリさまもデネントさまもリズニーシィさまも」
「リズニアですっ! ランド派です!」
「はい、リズ様。吉報をお待ちください!」
“必ずや”に強めのアクセントを置き、部下は姿勢をただし敬礼する。無責任な誓いではなく本気の決意を示す。
「それで、まだ何かあるんだろ?」
「あっそうでした。捜索範囲拡大のために、防壁門の開閉許可を頂きたく思いまして。……じゃなくて、頂きたく存じます!」
今度はデネントに向けてビシッと敬礼。一瞬フニャったが、気合いを入れ直す。自分には一切そんな権限はないのにと思いつつもデネントは親切に答えた。
「悪いけど、今は立て込んでてねぇ。ここは開かないのよ。外に出たいなら、他の詰め所で交渉してきておくれ」
「はー。もしかして、第二第四も同じ理由でしょーか?」
不思議そうに聞き返してくるエギネの言葉を聞いて、薫とデネントの目付きが変わる。リズニアはたいして興味なさそうにお菓子をほうばってる。
「ん? それは一体……どういう意味だい」
デネントが聞き返した途端、またしても誰かが何かの報せをもってやって来た。今度は二人同時に。
「急報申し上げます! 第二防壁門外周からの応答なく、門を開放出来ません!」
「同じく、第四からの応答ありません!」
保安兵。立て続けに保安兵。薫は言い知れぬ不安が的中した時のような怪訝な表情のまま顎に手を置いた。
「確か、第一は常に開いてるんでしたよね? そこを省いたとしても……」
「それ以外が音沙汰なしかい。思ったよりヤバい状況だねこれは。外で一体、何が起きてるんだか」
「モゴモゴボリボリボリっ」
眉をひそめたデネントが薫の言葉尻を捕まえて言う。続けて、薫が何かに気づいた。
「門としての機能を、何者かが奪った……」
「へーそいつはどういう結論だい?」
「おそらくですが、門を勝手に開けられると困るヒトたちがいて……三箇所同時に襲撃したんではないでしょうか」
「うーん、どうだかねぇ。確かに人為的なものは感じるけども、それじゃあ計画的すぎやしないかい?」
「モゴモゴそうですよカオリン。そんなことして誰に得があるんです? ハグフグ。これは、単なるシステム的なトラブルでしょたぶん。ボリボリ」
理解はしたものの現実味の湧かないリズニアがポテチを食いながら呟くとデネントが冷静にそれを否定する。
「うーん、でもそれじゃあ会話もろくにできない理由に説明がつかないさね。何を考えてるかハッキリしないけど、しっかり計画してきての誰かの犯行だねこれは。とりあえず、新しい門の開け閉めを知ってる奴となると相当限られてくるのは確かだよ」
「ですね」
薫が肯定した。
「ですね。って、ゴホゴホッ……なら落ち着いてる場合じゃないじゃないですか! 早く街の人たちを避難させにいかないと!」
事態の深刻さをやっと飲み込めたリズニアがお菓子を喉に詰まらせながら二人を急かすが、薫はため息をついて何でもない風に毒を吐く。
「これだからあなたは“リズニア”って呼ばれるのよ」
「ヒトの名前を悪口みたいに言わないでください!」
「リゼ、えー……ロゼ」
「エギネはなぜ覚えられないんですぅ!?」
「避難をするにしても、第一に集中すればパニックになる恐れがある。そこを狙われでもしたらマズイだろうねぇ」
「うーん、そーかもですけどー……」
納得しきれないリズニアが机に手を置くとデネントが続ける。
「相手は三つの門を気付かれずに一気にマヒさせちまうような手練だ。一般兵じゃまず太刀打ちできない。それに敵さんの狙いが分からないまま、大勢を一箇所に誘導するのはかえって危険さね」
「それなら私や薫さんが門の様子を見に行きますです! ねぇカオリン!」
一気にやる気を取り戻し同意を求めて熱い視線を送るリズニアだが、薫は相変わらず冷静だった。
「二箇所はそれでどうかなるとして、三箇所目はどうするの」
「そ、それは……テキトーなヒトを使えばどうにか、です!」
「ヒト様を使うなんて言い方はしちゃメ」
「ん〜、今はそんなのいいじゃないですかーぁー……」
うずうずするリズニアをデネントがなだめる。
「まあ気持ちは分かるけど、こういう時ほど落ち着きが肝心さ」
「バッキャロー! 敵はいつ攻めてくるか分からないんですよ!? これが落ち着いてられますかってんだ! ボリボリッ」
江戸っ子口調で駄々こね始めたリズニア。と、タイミングを見計らったように詰め所の外が慌ただしくなる。それが何かを感じ取ったデネントは、待ちわびたかのように含みのある笑顔をつくる。
「焦る気持ちは分かるけど、最終的にそれをキメるのはあたしらの役目じゃ無いのさ」
カツンカツンと杖を鳴らし、初老の男が数人の保安兵に案内される形で詰め所の中へと足を運び入れる。今までと違う大勢の重厚な足音に薫とリズニアがおもむろに振り返った。
「色々と仕事を切り上げてきて正解でしたかな」
物腰の柔らかそうな紳士がゆっくりと歩いてきている。男の名はテッペン・トッタス。ユール最高責任者であり、町長その人である。
「ホントにいいタイミングで来てくれたよ」
実はデネント、かなみが来れないことを知ってすぐ、保安兵に町長を連れて来て欲しいと頼んでいた。忙しい町長が来てくれるかどうかは半分賭けだったが、応じてくれたようで何より。
「呼んでいたんですね」
薫は納得したようにそう呟くと、さり気なく自分の座っていた椅子を紳士に差し出す。ユール町長は気遣いに感謝すると同時に、前回の緊急会議で食べた薫の手料理についてさり気なく感謝を述べた。薫は日本人の抜けない習慣による軽い会釈を何度か行ったあと、杖を預かろうとしたがそれは優しく断られる。
「初めまして、アマゾネアさん。お噂はかねがね聞いております。町長のテッペン・トッタスです」
町長は座る前にそう言ってリズニアに歩み寄り握手を求めた。
「あ……あまぞねあ?」
少女は『あれ? 最後のアしかあってなくね? てか太ってた時以来だから初めてだと思われてね?』と思いながらも食べカスまみれの手で握手に応じた。一通り挨拶を終えると町長は杖をドンと手前に突き出す形で席に着いた。ゴツゴツの杖でちゃっかり食べカスを払い除けてさっそく本題に入る。
「大枠は伺っています。詳しい事情を聞かせて頂けますか」
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主にデネントが中心となって、三人は現状分かっていることを町長に話した。途中、寝ていたデネントの夫が町長の存在に気付き慌てて起き上がる場面もあったが、町長は笑顔で安静にするよう促した。
「なるほど、ええ。分かりました。急を要する話ですが……いえ、だからこそ慎重にならねばなりませんね」
四つあるユールの防壁門のうち、三つが何者かに奪われ開かなくなった。空いてる唯一の門から民を逃がすのか、三つの門を取り返すのか、その決断はこの男に委ねられた。
「この街の皆さんが避難を余儀なくされたのはつい先日のことで、多くの方が眠れない夜を過ごして来ました。慣れない環境での避難生活は負担もさぞ多く、大変だったことでしょう。この街を愛し住まわれている者たちに、もう一度負担を強いてしまうのはどうしても避けたい。ですから今回、住民の避難は行いません。最悪の場合の責任はワタシに。この件は公に公表せず、最小限の人数で執り行いたいと思います」
民を第一に思う町長は杖の上で指を組むようにして、ひとつひとつ噛み締めるように言葉を重ねた。その場にいる全員が町長の思いを理解し、黙ってそれを聞いている。
「第二防壁門の奪還をアマゾネア(リズニア)さんを中心とした冒険者部隊に。第四防壁門の奪還をカオリさんを中心とした保安兵部隊にお願いします。貴女方のお力を再びお借りすることになりますが、よろしいですか?」
町長からの直接のお願いにリズニアは両手を振ってガッツポーズを取る。暇から救われた瞬間だった。
「よし、キターァ!」
暇じゃなくなって喜ぶ、空気の読めない元女神。でもやる気に満ち溢れていることは良いことなので誰も口を挟まない。そこでも冷静なのが薫である。
「問題はありませんが、それだと第三は?」
町長は何かを思い出したかのように微笑み、独り言のように呟いた。
「道中、彼らに逢えたのは奇跡でした。彼らならきっと協力は惜しまないはず」
「彼ら?」
薫がそのままに聞き返す。
「この街での信用はだいぶ落としましたが、本来は頼りがいのある役者たちです。事情を説明し次第、後から向かってもらいますので、お二人は先行して防壁門の奪還をお願いします」
「はい! はい! 町長! ぜひ、作戦名をください!」
リズニアがぴょんぴょん跳ねながら、待ちきれない子供ように手を挙げて作戦名を要求した。気の優しい町長は少し困ったように頭をひねりながらもしっかりとそれに答えを出す。
「では単純ですが……『防壁門奪還作戦』と題しまして。各々、出撃準備!」
「「「了解!」」」
リズニアは両拳をぶつけながらヤル気満々に詰め所を後にし、薫は数人の保安兵を引き連れて同じく詰め所を後にした。
二人を待つ敵とは、そして頼れる者たちとは一体──。
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──宿屋──
『ユールで二番目に高いが接客は一番!』を売りにしているとある宿屋のフロントに、二週間以上滞在していた一団が忘れ物を取りにやってきた。フロント係兼オーナーのおじさんはたくさんの忘れ物が入った箱を二人の少女に見せると「たぶんコレですわ」と一方が指をさし、もう一方が頷いた。
「はい、嬢ちゃん。もう忘れちゃわないようにね」
「ああ、ありがとう……ございます」
「ありがとうございました」
青年が一緒になってお礼を述べながらサイフの紐を緩めるとオーナーはお代を断った。こういうことで金を取ると女房が厳しいらしいことを耳打ちしてくる。
三人の若者が踵を返して宿を出ようとすると丁度、保安兵がやってきて目が合った。
「おお、この宿でしたか。探しました」
「ワタクシたちに何かごようでして?」
「この街の町長がお呼びです。御三方に是非力を貸して欲しいと」
《ダガー使い》ピタ。
《高位魔法士》トメ。
《勇者》水戸洸たろうは頷き合い任意同行に従った。




