第五十一話 ユイリーは死ぬぞ
---珖代視点---
──ユキはやっぱりユキだった。
十五年経って、俺たちを取り巻く環境は不思議な方向にシフトチェンジしていったけど、どの世界に行ってもその関係性が変わることは無かった。それが知れただけでも胸のつっかえは少し取れた気がする。
本当は言ってやりたいことも山ほどある。けれどやるべき事がある。そろそろ本気でユールに戻らないと。犠牲者が出る前にアルデンテが生き返ってしまったことを伝えに行かないと。勇敢な二人の騎士のような悲劇はもう繰り返してはいけない。……絶対に。
勇者たちがいない今、ユールを守護れる者は限られてくる。俺を探してくれているであろうかなみちゃんとは入れ違いになるかもだけど、無事を知らせる意味でも早く街に戻りたい。
急かすようにユキに要件を聞いてみる。
「それで、俺に言わなきゃいけない話ってなんなんだ?」
「あぁそれなんだがな……。よし、まず座れ」
ユキは本題に入ることを躊躇するように頭をかいて、罰の悪さを隠すように地面にまた胡座をかいた。焦る気持ちとは裏腹に、つられて俺も熱い地面に正座をする。
やはり身体は覚えていて、ユキの『座れ』に逆らえないようだ。
「出来れば早くしてくれると」
「分かってる。実はな、ユイリーはもう──」
ドゴォオオオン────……。
爆発音。
遥か後方からドデカい花火が打ち上げられたような衝撃と音が響き、地面が揺れた。
「な、なんだっ……!?」
音のした方へ振り返ってもみても、地平線以外なにも確認できない。小さい揺れだけは今も続いている。
第二撃が来るかもしれない。そんな事を考えながらじっと遠くの方を見つめていると、後ろから舌打ちが聴こえて振り返る。
「ぁー、クソッ。もうかよ……」
ユキは苦虫を噛み潰したような顔をして地面を殴った。今の音の正体を知っているのか、表情は優れない。
「なんだ、訳知りか……?」
ユキは重い腰を上げるように語りだした。
「おめェらは五賜卿の一人を退けて、確かに街を救ってみせた。でもそれじゃあ根本的な解決には至らない。いや、至りようがなかった」
「……?」
「もしも旅に出た仲間が大ケガを負って帰って来たら、お前ならどうする」
突然のたとえ話に若干戸惑いつつも『俺ならどうするか』を答えてみる。
「えーっと、そうなったらまず、治療を優先させるかな。そのあとで何があったのかを聞いて、場合によっては」
「報復に動く。だろ?」
「……ああ、そういうことか。でもまさか、もうなのか?」
ユキの言いたいことがようやく理解出来た。先程の爆発音、アレは報復の合図──。アルデンテがやられたことを知った何者かが報復に動きだした合図なのだとユキは言いたいのだ。
「魔族は人間に対してプライドが非常に高い。メンツを潰されて黙っちャいられねェ連中が絶対数いる。仮にも今回は魔王幹部がやられたんだ。その報復も尋常じゃねェってハナシだ」
「報復……、なんで考えもしなかったんだ」
「今の爆発音から察するに、もうスグそこまで攻めてきてやがるな」
俺はその可能性に至らなかった自身を責めるように後悔した。アルデンテの討伐から既に四日以上が経過している。敵が報復に動いたタイミングは分からないが、十分すぎる準備期間を与えてしまっているハズだ。もしかすると、もう手遅れかもしれない。恐怖が拭えない。
「そうビビる必要こたァねェよ。要は誰に対しての報復か、それが肝心だ」
確かにそうだと頷く。
「“珖代”か、“勇者”か、はたまた“始まりのまち”か。なんであれ助かりたいなら、逃げることをオススメする」
「俺がひとりで逃げたことあったか?」
くだらない提案を笑って一蹴すると、ユキは分かりやすく頭を抱えた。
「……別に不安を煽りたいワケじゃねェんだがよ。過去に、五賜卿のピアニッシモという女を退けたある国が一夜にして壊滅した事件があってだな……」
言いづらそうに眉をひそめるユキ。悩んだ末に話を途中で切り上げた。
「とにかく! 前例があるって事はそういうことだ。さっきの感じだと、もう誰か戦ってんなぁ……」
「音だけで分かるのか?」
「音っつーか気配でな。方角はユールと真逆……。人数不利で、今は劣勢だな……」
気配で。というのがイマイチよく分からないが、考え過ぎでスグに動けないのはユキの悪いクセ。俺は立ち上がって音のした方に身体を向ける。
何か手掛かりがないか見渡しながら、光に惑わされる蛾のようにゆったり前進する。後ろから声が聞こえた。
「おいおい。どこ行く気だよ」
「どこってそんなの、助けに行くに決まってるだろ。ピヨスク!」
見えないなら、誰かが戦っているなら、助けに動くしかない。思い立ったら気持ちを抑えられない俺がピヨスクの背に跨ろうとすると、ユキはまたしても静止を呼びかけた。
「待て待て。相手は過去に、報復で国を滅ぼした連中かもしれないンだぞ? 危険すぎる。ヤツらがどれだけの準備をして、どれだけのヤル気を引っさげて来るのかは俺にすら皆目見当がつかねェ。辺境の街だとタカを括ってくれりゃあいいが、逆に全力以上ならおめェなんて簡単にヒネり潰されンぞたまちゃん。イキリくさった行動だけは控えろ」
「でも、俺たちの代わりに今も戦ってくれてる奴がいるんだろ? 誰か分からないけど、ここで話してても仕方ない。加勢しないと……!」
「実力もねェクセにシャシャんな。足でまといになったらどうすンだよ? それに、敵の敵が味方だとは必ずしも限らねェ。……少し頭を冷しやがれ」
五賜卿がやられたことに対して働く報復と聞けば、それが魔王も絡んでくる一大事だとよく分かる。
だからこそ対処が遅れてはいけないという焦りが俺を動かしていた。だが、冷静になって考えてみると無茶をしようとしていたことは確かだ。加勢に入って殺されれば本当にただのイキリ野郎で全てが終わってしまう。敵の敵が味方とも限らないのも全くその通り。──ぐうの音も出ない。ユキの言う通り、一度深呼吸して頭を冷やすとしよう。
「てかお前、一旦ユールに戻るンじゃなかったか?」
「あ、それは……」
「やらなきゃならないことと、出来もしないことの区別もつかねェとはな……。そんなンだからいつまで経っても強くなれねェんだよ。逃げるのか戦うのか、それとも座って俺の話を聞くのか、ハッキリさせやがれこのタコハゼが」
タコハゼ? ユキは座ったまま偉そうに見透かしたようなことを言う。相変わらず口は悪いが、正論にしか聞こえないのがなんとも憎い。
「出来れば……戦いたかった」
敵の情報が何も分かっていないこの状況で、突っ込むことがどれだけ危険なのかは充分承知している。
だからこそ、己の無力差を噛み締める。その上で譲れない部分を口にしてみる。
「状況だけ。……状況だけ確認させてくれ。それから、できればユキも一緒に来てくれると──」
「いーや悪いけど俺はパス。動くにしても、ユールに向かう方が賢い選択だと思うぜ」
ムカつくほどの即答。ヒトの命がかかってるのに。落ち着き払ったその態度はなんなのか。
──戻るか助けるかの話で、なぜこうも他人事なのか。今からする話がそんなに重要なのか?
俺は我慢できず
「なんで動こうとしないんだよ? そこまで分かってるなら協力してくれたっていいだろ!」
と叫んだ。するとユキは冷たく拒絶するような目をコチラに向けて言い放った。
「どーでもいい。他人がどこで死のうが心底どーでもいい。ゾウが踏んだアリのコトなんか気にしねェのと同じさ。それより、座れ。話の続きしようぜ」
「命より大事な話なんかない」
「おい」
俺はユキを否定した。
振り向きざまに一瞬見えた顔が、ニヤけてて心底気持ちが悪かった。何度も呼び止めようとする声が聞こえるがもう振り返るつもりはない。
こんなにも話の分からない奴だったとは。いや、まともに意見をぶつけたのはこれが初めてかもしれない。
俺は少しユキの存在を美化──もとい、神聖化し過ぎていたようだ。小さい頃の思い出の中のユキも、実際はこんなもんだったかもしれないなんて考え始めたら、何かが音を立てて崩れてしまいそうだからやめた。
「おーい、怒ってんのかたまちゃん? 他人かもしんないんだぜ? どうしてそこまでマジになれンだよ……たくっ」
「……ユキ、頼むから俺を失望させないでくれ」
届くか届かないか程度の声で言うと、引き止めようとする声は聴こえなくなった。
さっきのはユキらしくない発言だった。第一、ヒトには戻ることを進めておいて、話を聞けなんて矛盾もいい所だ。踏んだアリを気にするのは、むしろユキの専売特許だろうに。そう記憶していたがこれも俺の美化した思い違いだろうか。
「聞けってよー。なー?」
ユキが回り込んできた。
「ユールが襲われるかも知れないって時に、それより大事な話があるか?」
「あるから話してんだろー。……おめェ、俺の言うことが聞けねェのか? あ?」
ユキは凄んだ顔を見せるが見た目がユイリーちゃんなのでなんともかわいい。威厳は拭き取られた顔だ。
「弟ならいつまでも兄貴の言いなりになると思わないでくれ。俺は自分の意思で正しいと思った方に進む。……それだけだ」
状況だけ確認しに行こうと思ったけど、やめた。たとえ未知数の敵がそこにいたとしても──、助けに行くには無謀だと云われても、そこで誰かを見捨ててしまったら一生消えない悔いが残る。今も戦ってくれているであろう見知らぬ誰かさんも、きっと誰かを守護るために命懸けで戦っているはずだ。そのヒトを助けるためのヒトがいないでどうする。可能な限り俺は動くぞ。
俺が非力かどうかは関係ない。誰かを助けようとするヒトに手を差し伸べられるヒトでありたい。ただそれだけだ。強そうならそのヒトを連れて逃げ帰ってくればいい。思い出の中のユキがそうしてきたように。俺もそうするだけだ。
最初ほどではないにせよ、今も断続的に地面を揺らす爆発音が響いていて、その方角へ、一歩一歩、歩み寄る。
「なんだよアレ……」
底知れぬ恐怖を目撃し思わず足が止まる。
地平線のその向こうから、首を揃えた影の軍勢が見えた。あれは雲が地上に落とす影──なんかじゃない。骨の群れだ。
ホネの剣士達が隊列を組んで荒野を我が物顔で行進している。その一挙手一投足は完璧にシンクロしていて、巨大な生き物がうねっているようにも見えた。肉眼で確認できる数だけでも、数百数千で収まりきらない。一万はゆうに超えている。意志を持った巨大な集合体が、ユールを目指して足並揃えている。通過点にいる俺たちを踏み潰さんと近付いてきている。
ホネの剣士。つまりはアンデッド。
アルデンテが用意したと思われる軽く一万ほどの軍に本人の姿は見当たらない。後方で殿を勤めているのかもしれない。
「来たか」
「わ、……分かりやすくてちょうどいい」
これくらい何でもない。みたいに言って再び歩き出す。
──分かってる。ホントは死ぬほど怖い。ビビってる。
爆発音を聞く度にこの音が最後であってくれって何度も思ってるし、アンデッドたちが闊歩するだけで地面が震えて俺の鼓動も大きくなる。
真ん中を突っ切れそうにないので、迂回して進むことにする。
足の感覚がない。宙に浮いているような感覚の中、自分の信念に従って俺は足を動かす。この先もそうして生きていくだろうと錯覚してしまうほどの果てしない道のり。だから、余計なことを考えて不安になるのは辞めた。
ンなとこでビビってても……仕方ねェんだから。
誰かに優しくするのに理由など要らない。
誰かを救うのに理由など要らない。
誰かを思うのに理由など要らない。
決意を固めたその瞬間──。
何を言っても無駄だと分からせたユキの口から、思いもよらない言葉が飛び出した。
自分の耳を疑った。
そして結果的に。自動的に。
ユキの思惑通りに、足を止めた。
「ユイリーは死ぬぞ」
頭の中は真っ白だ──。
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---別視点---
─荒野の大洞窟─
血も痛みも恐怖も手に入れた。だのに、それらが鈍くなって薄く感じるほどに強烈な感情が襲ってくる。それはたぶん──悔しさ。
そんなふうに少女は実力が出し切れない現実に涙を惜しんだ。
三人と一匹はいつの間にか一人と一匹になっていた。しかしそれは、少女がケガと引き換えに敵を倒して得た功績ではない。妖狐の少年と魔族の青い女はそれより大事な準備に取り掛かっていた為、相手にされていなかっただけだ。客席の至る所から発生した土砂崩や焼け焦げた民家が戦闘の激しさを物語る。
ガゴォオンッッッッ──!!
アップルの全体重が乗った右ストレートが廃村の形をまたしても変える。猛獣の一撃を間一髪の所で回避したかなみだったが、風圧に流されるガレキに衝突して地面を転がった。
最初は圧倒するつもりでいた少女が地面を舐める。出血をしなかっただけでも幸運だったと、布切れを着た少女はふらふらと立ち上がる。
「かなみちゃん、君が悪いんだよ」
思っていたよりも近くで響いたその声に少女は警戒し飛び退く。しかし──、
「──得巻、刃蝿」
トオルが勝訴でもしたかのように一枚の紙をかなみに向けて広げる。すると無数の小さな光がその得巻から飛び出し、刃となってかなみに襲いかかって来た。
すかさず顔をガードするかなみだったが、蝿のようにまとわりつく光に服も肌もキズだらけにされてしまう。
細めた目で笑う青年と無言で対峙しながら、不安と焦りが入り交じった表情を滲ませるかなみは肩で息をすることしか出来ない。
「悔しいんだね、分かるとも。君に全力を出されては困るから、この空間全域に魔力制限を仕掛けさせてもらったよ。逃げ場はもうない」
トオルは戦闘開始直後から、スクロールと呼ばれる特定の魔法が記された巻物を廃村の四方に設置し〝ある一定以上の魔力〟を必要とする行為全般を封印する結界術式を展開した。これにより結界内にいる者は等しく高位魔法、極院魔法、更には魔力を大量消費するスキル等の使用を禁止された。結界の影響により┠ 瞬間移動 ┨を使えなくされたかなみは、逃げることも出来ない。少女が焦っているのはそれもあった。
別の手段を模索するかなみは、出口に走るか結界を破るしかないことに気付く。入り口は既に土砂に埋もれてしまっている為、選択肢は実質一つ。
┠ 叡智 ┨のスキルを駆使し〝#魔力〟〝#制限〟〝#仕掛ける〟〝♯スクロール〟と脳内で検索をかけると、スクロールが四方に隠されている可能性とどれかひとつでも燃やせば解除できることに行き当たる。かなみは追い詰められながらも怪しい箇所を探し続けた。そしてゴリラの攻撃によって壊され露わになった光るスクロールを二階席裏側の柱に発見した。
目の動きで発見したことが悟られないようにトオルの顔色を伺う。トオルは赤い瞳をコチラに見せて口を真横に結んでいる。その瞳は全てを見透かしている──ようにも見える。
「もしかして、気付いちゃった?」
「うん……えっ、まただ……言うつもり無かったのに、口が勝手に……」
スクロールがバレることはなんとしても避けたいトオルは真っ正面から直接訊いてきた。
焦りや恐怖からか、かなみは見つけたことをいとも簡単に自白してしまう。先ほどからトオルに対しやけにイエスマンになってしまうことを変に思いつつも、今はどうやって逃げるかを考える。
次に起こるのはスクロールを剥がす剥がさないの攻防──のハズが、そんな二人の虚を突くように準備を終えたアルデンテが暗がりから戻ってきた。
「第二陣召喚完了、いつでもいけるヨ」
「さすがですアルデンテ様。では隊列を維持したまま、第一陣と同じく進軍をお願いいたします」
アルデンテと話す時だけ何故か若干口調が変わるパーラメントの指示を受け、少年は最後の工程へと取り掛かる。
〝中〟から〝外〟に向けて何が召喚されたのか、洞窟内部からでは伺い知ることは出来ないが、何かが進軍する足音が一定のリズムで洞窟を揺らし、ガレキや砂の雨をパラパラと落ち着きなく降り積もらせる。
天にある地上の穴は崩壊を起こし広がっていた。
地上の穴に車輪を取られ、脱輪した馬車が落ちないのは、馬がすんでの所で踏ん張っているおかげだ。それでも落下するのは時間の問題で──。
「ヒヒーン!」
荷車と馬を繋いでいたヒモが揺れに耐えきれず、擦れ切れた。荷台だけが地下に落ちてくる。
地面に激突した瞬間、それが合図とばかりにかなみとトオルが動き出す。かなみが目指すのはスクロールの貼られた場所──ではなく、落ちてきた馬車の方向だった。




