第四十二話 珖代の失態
まずはあらすじから。
死者を操る力を持つ五賜卿グレイプ・アルデンテを封印し、実質的な勝利を収めたその四日後。
喜久嶺珖代は〈枯れない森〉にて不完全な復活を遂げたアルデンテと再び対立する。暴走する肉塊をあと一歩の所まで追い詰めるも、結果は両者共倒れ。蝦藤かなみの捜索も虚しく、珖代やアルデンテ、“ニセモノ”の魔女の行方は知れぬものとなった。
時を同じくして始まりの街では、墓の監視を続けていた保安兵が何者かに襲撃を受けるという事件が起きる。獣人族の少女に襲われたという保安兵の証言から、かなみの知り合いが犯人である線が浮上する。保安兵たちは墓の監視を強化すると共に、かなみの住む家を訪れるのであった──。
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「こんにちはー。ごめんください」
「はいはーい。あら、どうされました皆さん」
三人のうち代表する保安兵が戸を叩くと、かなみの母親である薫が現れた。
かなみにそっくりな見た目をしている女性だが、色気と母性、豊満な胸が全面に押し出されている分、随分と大人の魅力を漂わせる女性である。兵たちは惑わされないように真面目に訊く。
「かなみさんはご在宅でしょうか」
「カナミンですかー?」
そう言いながらひょっこり顔を覗かせたのは、白金色の髪に瑠璃色の瞳をした十五・六歳の少女。転生の間より追放された元女神リズニアだ。どうやら暇を持て余している様子。
「あいにくとうちの娘は出かけております。宜しければ上がってお待ちいただいても構いませんが」
胸元の開いた部屋着で受け答えをしながら髪をかきあげる薫の仕草に息を呑む保安兵。しかし職務中であることを思い出し断りを入れた。
「んんっ、つかぬ事をお聞きしますが、獣人族の少女について何か知ることはありますか?」
薫とリズニアは顔をつき合せるが、あまりピンときていない表情をする。
獣人と聞いてぼんやりと思い出せるのは、戦ったアルデンテの部下にそんなのが居た気がする程度。二人は別々の場所でその獣人の娘に出くわしているが、いたような……いなかったような、そのくらいの曖昧な記憶しか持ち合わせていなかった。
「ごめんなさい、力になれなくて」
「いえいえ、お気になさらず」
「その子とカナミンに、何か関係があるんです?」
野性の嗅覚が働いたリズニアが、何か面白い事が起きていると察知して割り込む。
「まだ確証はありませんが、おそらく。かなみさんはどちらに向かわれましたか?」
「カナミンならこうだいを探しに出掛けましたよー。それでそれで、何があったんです? 勿体ぶらずに教えてくださいです!」
「ええ、実は──」
代表者は保安兵のひとりが襲撃にあった事実を包み隠さず伝えた。その犯人と思しき人物と、かなみが知り合いである可能性を織り交ぜながら。
「うーん、カナミンの知り合いがそんな事するとは思いたくないですが……」
「デネントさんが探していたとお伝えください。では」
それを伝えると兵たちは踵を返した。
「かなみはともかく、珖代さんは大丈夫でしょうか……」
「さぁ。カナミンに助けを求めるくらいだから、何か厄介事にでも巻き込まれてるんじゃないですかぁ?」
そっちにあまり興味が無いとばかりに、少女は軽く言う。
心配するほど危険な事は起きてない。仮にあったとしてもあのチート少女が動いているなら問題ない。そう考えて──。
得体の知れない何かが影を伸ばし始めている事態に、薫もまた、勘づき始めていた。
「今は、かなみに任せるしかないわね」
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「ここは──」
揺れる馬車の中、男が目を覚ました。
流れていく景色を見れば、それが移動中の車内であることが分かる。
気だるい全身を──、寝ていた体を起こそうとするも、姿勢に違和感を感じて周りを見渡す。そこでようやく、両手を前側に縄で縛られ牢に閉じ込められていることに気付いた。
「なんだこれ、どうなってる」
揺れる馬車の荷台に閉じ込められている。蹴ったり体当たりしても抜け出せそうにない。出入り口と思わしき部分は網目状の鉄扉になっていてカギまで掛けられている。足元に聖剣を確認するが、無造作に置かれているからこそ容易には出られないことを悟る。
「あら、お目覚めのようね」
声のした方向を男が振り返ると、鉄格子の付いた小窓の先に見慣れた女の後ろ姿があった。
「いまはファーレンに向かっている途中よ。随分ぐっすり寝ていたようだけど……ひょっとしてまだ、寝ぼけてるのかしら」
女の隣には馬の手網を掴む御者がおり、御者は少年の姿をしている。こちらも見覚えがある。
竜の相棒クローフ・ドゥスだ。隣にいる女を先生と慕い、行動を共にするまだまだ未熟な竜使い──。
彼がなぜ彼女を先生と呼ぶのか。
それは研究のための探求に余念が無い彼女を尊敬していたからに他ならない──。が、縛られた状態の男にとってそれはどうでもいい話で。
「おいっ! くそっ……なんだよこれっ、ここから出せ! アルデンテはどうした!」
「こういう時はまず、自分の心配をするものじゃない? まあ、アナタらしいと言えばアナタらしいのだけど」
状況の理解出来ない頬に十字傷のある男──、珖代を焦らすように“ニセモノ”の魔女は言う。
「賜卿なら、ワタシが目覚めたときにはもう居なかったわよ。倒れていたのはアナタ一人だけ。しかしまあ賜卿相手によく生きて帰れたものだわ。肉塊と一緒に蒸発させてしまったのでしょう? やるじゃない五賜卿を倒すなんて。恩を仇で返すような行動で悪いのだけど、助けくれたことは感──」
礼を述べようとする女の言葉を遮り、珖代は小窓の鉄格子にガシャンッ! としがみついた。
「違うっ!! 倒してなんかないっ! 奴は谷に落ちたんだ! 引き返してくれ、ヤツはまだ底に居るはずだ!!」
数秒待って彼女は返事をする。その言葉はものすごくシンプルなものだった。
「そう」
「そうって、それだけか……? 谷底は確認したか? してないだろどうせ。引き返せ。生きてればヤツはまたヒトを襲うかもしんないんだぞッ!!」
男の魂からの訴えに女は応じないどころか、一度たりとも後ろを振りかえろうとはしなかった。
御者である少年は一度だけ珖代の顔を見ると、何かを察したように視線を戻す。二人には振り返れない、何らかの理由があるように思えるが、珖代にそれを考える精神的余裕はなかった。
「おいっ……! なぁ!」
二人の冷めた行動に遂に限界を迎える。
「こっちを見ろよォ!!」
押し黙る二人が都合の悪いことからただ逃げているように思えて男は憤慨した。鉄格子を掴む手には信じられないほど力が入っている。虚しくも馬が地面を蹴る音だけが場を支配する。
迸るほど強い意思表示は彼女にも理解出来たことだろう。それでも譲れない何かがあって、抑揚のない声で無慈悲に返す。
「ワタシにとって一番大事なことは “したい研究をする” こと。それを邪魔する者には容赦しないけど、それ以外は心底どうでも良かったりするの」
「それは、ヒトが死んでもか……?」
「大事なヒトじゃないならそれも、当然ね」
──ダメだ。話が通じない。
珖代は訴える方向を変えることにした。魔女じゃ顔も見えないし何を考えているか分からないが、馬の手綱を引く彼ならまだ可能性があるとみた。
「クローフくん、頼む、引き返してくれ。あのまま生かしておいたらヤツはユールに復讐を果たすかもしれない。アイツが生き返ったことを知ってるのは、今は俺たちだけなんだ! 頼むよ!」
「……すいません。それはもう、できません」
「どうしてっ!?」
「今さら無理よ。馬車を走らせてもう二時間は経過してるもの」
「に……──」
珖代は頭の中で同じ単語を繰り返す。
それだけの時間アルデンテを野放しにしてしまったこと。同じ時間を掛けて戻られねばならないことに、良く言って絶望したのだ。
「仮に戻ったとしても、もし生きていたのなら、その場所に留まっている可能性は……ゼロだと思います」
少年に言われて簡単に納得してしまう。
あと一歩のところまで追い詰めて、アルデンテの最後の策まで潰したというのに逃がしてしまったという事実。それが実感として珖代に重くのしかかる。
たった一人を倒す為に街の皆が協力し繋いできた全てのものが、瓦解した。何もかもが台無しだと気付くと目の焦点が合わなくなる。手遅れなんだと自覚すると全身から力が抜け、サッと血の気が引いていく。
気付けば男は、壁にもたれてゆっくりと腰を下ろしていた。
「ワタシたちが会議に出てまで五賜卿討伐に力を貸したのも、全てはキクミネコウダイ、アナタを手に入れる為に必要だと判断したからよ。科学に犠牲は付きものよ。倒せなかったことを悔やむよりこれからヒトの役に立つことを誇りに思いなさい。アナタの持つ《不条理叛逆》や『誰かを動かす力』の謎を解き明かして得た研究成果は、十年、二十年先の人類を救うことに……必ず繋がるはずだから」
誰かを励ますことに慣れていない彼女は、彼女なりの励まし方で対応するが、それが正しい答えなのか、彼女自身も迷っているようだった。
「そもそもワタシたちが居なければ、追い詰めることだって無理だったのだから、気にしていても仕方ないわ。……こうなる運命だったと、諦めなさい」
それに追従するようにクローフも励ましを告げる。
「コーダイ、ボクの村を覚えてますか? 森に囲まれた小さな村です。ボクの村の大人たちは、いまだに森荒らしの加害者をコーダイたちだと思っています。森を荒らして回ったのはペリーで皆さんはむしろ、止めようとしてくれていたのに」
森を直接荒らしたのは少年の愛する竜が暴走した結果だった。
その竜を暴走させてしまったのは珖代たちであるが、竜種の恐ろしさを知る珖代たちでなければいずれ来る暴走を止められなかったのもまた事実。それを知らない村人の大勢が、よそ者である珖代たちが全て悪いと決めつけ、珖代たちを村から追い出した過去があった。
「許せますか? ボクは許せません。コーダイがその聖剣を持って村に来てさえくれれば、村の大人たちも、きっと誤解を解いてくれる筈です。五賜卿討伐は残念でしたが……一緒に来てくれるとその、誤解も晴れて……」
クローフは自分勝手だと気づいていながらも、本音で語った。しかし、座り込んだまま天井を見つめる珖代には、その言葉の半分も届いていなかった。
足元に転がっている聖剣にふと目を移して、何かを思い出したかのように珖代は口を開く。
「アイツ……。幸せそうに笑ってた」
呼び起こされた結末の光景──。
アルデンテは谷を滑り落ちながら、「お母様」と笑ってイザナイダケに手を伸ばしていた。たぶん、母親の幻を最後に見て笑ったのだ。幸せそうに安心しきったその表情が、珖代の目には年相応の純朴な少年に映った。あんな奴にも大切なヒトは居たのだと、しみじみ感じる。
「俺には、倒す以外の方法が思い付かなかった。けど、子を持つ親なら……薫さんやデネントさんに会っていたら……何か違う解決法もあったのかもしれない」
母は子を思うものだとよく聞く。でも、母親というのが子供に何を感じ、何を思うかまでは俺にはたぶん分かりっこない。母親の視点というのが分からないからこそ、そこに別解が存在したんじゃないかって思う。だからって時間は戻らないけど、そんなことをつい考えてしまうのだ。
「今さらそんな事でくよくよするなんて、情けない。それでも聖剣に選ばれた男なの?」
「先生っ!」
流石に言い過ぎだと感じたのかクローフが止めに入った。でもその通りだ。その通りだからこそ、諦められない。
落ちている聖剣を珖代は掴み取る。
直後。
甲高い金属音が響いた。
反射的に振り返ったクローフは、それが鉄扉に聖剣がぶつかる音だと分かった。
珖代は何度も聖剣で鉄扉を叩いている。だが外れる気配はまるでしない。クローフはホッとして姿勢を元に戻した。
「無駄よ。神鉄で造られたその扉には、幾ら聖剣であってもキズをつけるのが精一杯。さっきドゥスに確かめさせたから、見なくても苦戦してるのは分かるわよ」
女の忠告を無視し、珖代は聖剣を無心で振り続ける。ガンガンギンギン甲高い音は五分以上鳴り続けていた。痺れを切らしたクローフが再度振り返る。
「いい加減諦めてください……! 大きな物音に引き寄せられて、変な魔物でも襲ってどうするんですか!」
「ドゥス、ちゃんと前を見なさい」
「……すいません」
感情的になった事を反省し、クローフはまた姿勢を正した。
「┠ 威圧 ┨ですもんね……」
「アナタが止められたら誰が馬車を動かすの」
その言葉に珖代の手が初めて止まった。
理解したのだ。二人が振り向かない理由が威圧を警戒しての事だったと。そして、二人の知るキクミネコウダイについての知識が古いことにも気付いて小窓に視線を巡らせた。
──そうかこの二人は、派生した威圧を知らないのか……。
だとしたらこれはチャンスだ。
┠ 囲嚇 ┨で油断している二人を同時に止める。その間にどうにか逃げだすことが出来れば……。
鉄扉を見る。鉄扉はほぼ無傷でも、南京錠にはダメージが入っている。
逃げ出す希望が見えてきた。




